81 / 109
81
しおりを挟む
しかし、春臣はまったく凝りていなかったらしい。悪戯な顔を寄せてくると、耳もとで囁いたのだ。
「今日さ、祐樹の笑顔に癒された?」
「――っ⁉」
悪魔のように口角をあげて笑う春臣に、篠山は苦虫を潰したような顔になる。
さっきリビングで飲まないビールを神野に返した。その時、缶を掴んだ互いの指が触れあうと、彼は恥ずかしそうに笑ったのだ。その時に、かわいいなと思ってしまった。
要するにあの瞬間の、自分の鼻の下が伸びてきっていただろう顔を、春臣は見ていたってことだ。
「あはははっ。ざ・ま・あ・み・ろ。はこっちのセリフだよ。なに、その顔?」
「こら、やめろって!」
頬を突いてくる春臣に、もうこいつには敵わない、と篠山は白旗をあげた。
「……ほら、やめとけって。俺まだ仕事中」
「へーい。じゃあ、祐樹連れて帰るよ。――またね」
「ああ」
にやりと笑って手を振った彼に、篠山は嘆息する。
(最悪だ。こいつ、絶対まだなにか企てている……)
明朗闊達なイメージのある彼が意外に策士であることは、周囲にはあまり知られていない。
じつは彼はやりてのアイデアマンだ。この歳ですでに数件の飲食店の立ち上げに関わってきているし、メニューの提案から懇意している店のウェブサイトの管理まで手掛けたりもしている。
油断ならない策略家に心中をかき乱され、渋い顔で部屋に戻った篠山は、どうかあいつが余計なことをしてくれませんようにと、指を組んで本気で祈った。
その閉めた扉の外で、
「ふん。やっぱ気になってんじゃん」
と、嘯いた春臣の言葉なんてもちろん聞こえてはおらず、――ましてや、いまの悪ふざけのような春臣とのキスを、神野に見られていただなんて思いもしない。
その週末のことだった。夜中に、神野が一升瓶を抱えて篠山のところへやってきたのは。
*
玄関の扉が開いた音に気づいた神野は、使っていた掃除機を置いて春臣を出迎えた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。あ、洗濯物もらいます。ありがとうございます」
春臣が洗いあがった衣類の入った袋を手渡してくれる。
「祐樹、もしかして屋外灯の電球とり替えてくれた?」
「はい。たまたま住人さんが、自転車に鍵を挿すのに暗くて見えないって困っていたところにでくわしまして」
「そっか、ありがとう」
マンションで車を降りたあと一足さきに帰宅すると、駐輪場の照明が消えていた。それでさっさと備品倉庫から新しい電球をみつけてきて付け替えておいたのだが、まさか春臣がそれにすぐ気づくとは思わなかった。
篠山と春臣が濃厚な口づけをしているのを見てしまってから、今日で三日がたつ。
しばらくは篠山の顔を見たくなくて、あれからマンションには一歩も足を踏みいれていない。春臣には悪いが、洗濯も任せっきりだ。
(俺が気にするから、匡彦さんにちょっかいかけるわけがないとか、云っていたくせに……)
それなのに舌の根も乾かないうちから、あんなことってあるだろうか。そんな春臣には責任の一端を持ってもらって、洗濯くらいしてきてもらってもいいのではないかと自分に云い聞かせている。
それでもやはり罪悪感がないわけではなく、せめてものお返しにと神野はアパートの共有スペースの掃除をするようになった。
「えっと、さきにお風呂いただきました」
「じゃあ、湯が冷めないうちに、俺も入ってこようかな」
「はい。いま掃除機かけている最中なので、ぜひそうしてください」
「今日さ、祐樹の笑顔に癒された?」
「――っ⁉」
悪魔のように口角をあげて笑う春臣に、篠山は苦虫を潰したような顔になる。
さっきリビングで飲まないビールを神野に返した。その時、缶を掴んだ互いの指が触れあうと、彼は恥ずかしそうに笑ったのだ。その時に、かわいいなと思ってしまった。
要するにあの瞬間の、自分の鼻の下が伸びてきっていただろう顔を、春臣は見ていたってことだ。
「あはははっ。ざ・ま・あ・み・ろ。はこっちのセリフだよ。なに、その顔?」
「こら、やめろって!」
頬を突いてくる春臣に、もうこいつには敵わない、と篠山は白旗をあげた。
「……ほら、やめとけって。俺まだ仕事中」
「へーい。じゃあ、祐樹連れて帰るよ。――またね」
「ああ」
にやりと笑って手を振った彼に、篠山は嘆息する。
(最悪だ。こいつ、絶対まだなにか企てている……)
明朗闊達なイメージのある彼が意外に策士であることは、周囲にはあまり知られていない。
じつは彼はやりてのアイデアマンだ。この歳ですでに数件の飲食店の立ち上げに関わってきているし、メニューの提案から懇意している店のウェブサイトの管理まで手掛けたりもしている。
油断ならない策略家に心中をかき乱され、渋い顔で部屋に戻った篠山は、どうかあいつが余計なことをしてくれませんようにと、指を組んで本気で祈った。
その閉めた扉の外で、
「ふん。やっぱ気になってんじゃん」
と、嘯いた春臣の言葉なんてもちろん聞こえてはおらず、――ましてや、いまの悪ふざけのような春臣とのキスを、神野に見られていただなんて思いもしない。
その週末のことだった。夜中に、神野が一升瓶を抱えて篠山のところへやってきたのは。
*
玄関の扉が開いた音に気づいた神野は、使っていた掃除機を置いて春臣を出迎えた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。あ、洗濯物もらいます。ありがとうございます」
春臣が洗いあがった衣類の入った袋を手渡してくれる。
「祐樹、もしかして屋外灯の電球とり替えてくれた?」
「はい。たまたま住人さんが、自転車に鍵を挿すのに暗くて見えないって困っていたところにでくわしまして」
「そっか、ありがとう」
マンションで車を降りたあと一足さきに帰宅すると、駐輪場の照明が消えていた。それでさっさと備品倉庫から新しい電球をみつけてきて付け替えておいたのだが、まさか春臣がそれにすぐ気づくとは思わなかった。
篠山と春臣が濃厚な口づけをしているのを見てしまってから、今日で三日がたつ。
しばらくは篠山の顔を見たくなくて、あれからマンションには一歩も足を踏みいれていない。春臣には悪いが、洗濯も任せっきりだ。
(俺が気にするから、匡彦さんにちょっかいかけるわけがないとか、云っていたくせに……)
それなのに舌の根も乾かないうちから、あんなことってあるだろうか。そんな春臣には責任の一端を持ってもらって、洗濯くらいしてきてもらってもいいのではないかと自分に云い聞かせている。
それでもやはり罪悪感がないわけではなく、せめてものお返しにと神野はアパートの共有スペースの掃除をするようになった。
「えっと、さきにお風呂いただきました」
「じゃあ、湯が冷めないうちに、俺も入ってこようかな」
「はい。いま掃除機かけている最中なので、ぜひそうしてください」
0
お気に入りに追加
241
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
薫る薔薇に盲目の愛を
不来方しい
BL
代々医師の家系で育った宮野蓮は、受験と親からのプレッシャーに耐えられず、ストレスから目の機能が低下し見えなくなってしまう。
目には包帯を巻かれ、外を遮断された世界にいた蓮の前に現れたのは「かずと先生」だった。
爽やかな声と暖かな気持ちで接してくれる彼に惹かれていく。勇気を出して告白した蓮だが、彼と気持ちが通じ合うことはなかった。
彼が残してくれたものを胸に秘め、蓮は大学生になった。偶然にも駅前でかずとらしき声を聞き、蓮は追いかけていく。かずとは蓮の顔を見るや驚き、目が見える人との差を突きつけられた。
うまく話せない蓮は帰り道、かずとへ文化祭の誘いをする。「必ず行くよ」とあの頃と変わらない優しさを向けるかずとに、振られた過去を引きずりながら想いを募らせていく。
色のある世界で紡いでいく、小さな暖かい恋──。
残滓と呼ばれたウィザード、絶望の底で大覚醒! 僕を虐げてくれたみんなのおかげだよ(ニヤリ)
SHO
ファンタジー
15歳になり、女神からの神託の儀で魔法使い(ウィザード)のジョブを授かった少年ショーンは、幼馴染で剣闘士(ソードファイター)のジョブを授かったデライラと共に、冒険者になるべく街に出た。
しかし、着々と実績を上げていくデライラとは正反対に、ショーンはまともに魔法を発動する事すら出来ない。
相棒のデライラからは愛想を尽かされ、他の冒険者たちからも孤立していくショーンのたった一つの心の拠り所は、森で助けた黒ウサギのノワールだった。
そんなある日、ショーンに悲劇が襲い掛かる。しかしその悲劇が、彼の人生を一変させた。
無双あり、ザマァあり、復讐あり、もふもふありの大冒険、いざ開幕!
成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる