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(心配して大損した……)
篠山の肩ががっくしと落ちる。ああ、涙に濡れた赤い瞳に感傷的になってキスをしかけた自分がとんでもなく情けない。あれだけ心配したというのに、足を掬われてひっくり返されたような、まぬけな心地だ。
(あぁ、恥ずかしい……)
神野の奇抜な思考やテンポのせいで、たまに味わうこの手の気まずさや羞恥に、篠山はいまだ慣れることがない。
それにしても、神野の要領の悪さの右にでるものはなかなかいないだろう。慰めの言葉を探すのも一苦労だ。下手に言葉をかけたりして、また斜めうえに解釈されたらたまらない。
しかもそれが彼のなかでどんどん拗れていって、表面化するまえに彼に自分の腕のなかから飛びだしていかれでもしたらと考えると、ぞっとする。
繁忙期の終わる五月まで、いやせめて療養中の栗原が復帰して彼のぶんの仕事が手を離れるまでは、神野には恙ない日々を送ってもらいたい。
「んで、なんて声をかけりゃ、いいんだ?」
呟いて、どんぶりの底をきれいに攫って空にした篠山は、灰皿を引き寄せてたばこに火をつけた。
「それがさぁ、あいつってば、いま拗らせちゃっててさ」
「えっ⁉ なんでだっ⁉ って、うわっ、あちっ」
取り落としたたばこを拾うと、ぐりんと春臣に顔を向けた。
「あっぶないなぁ。大丈夫?」
「あ、ああ」
まるで自分の心のうちを見透かされたようなタイミングで、まさに危惧していたことを云われてしまったのだ。この場合、動揺しないほうがおかしいだろう。
「それ、どういうことだよ?」
篠山は空になったどんぶりと、キャッキャと神野の名を呼んではしゃぐ可乃子の気配しか伝わってこない寝室のほうを交互に見やった。いまいち因果関係が見えてこないが。
(すでに拗れていた結果が、これなのか?)
キッチンから移動してきた春臣が、隣に座って顔を寄せてくる。
「祐樹さ、遼太郎くんが匡彦さんのことをまだ好きなんじゃないかって、気にしてるんだよ」
「ど――、」
どうして、と叫びそうになった篠山は、「しっ」とたてた人差し指を唇に押しあてた春臣の、もう片方の手で口を塞がれた。わかったと頷くとすぐに口は解放される。
「ここんとこ、遼太郎くんずっと仕事で匡彦さんといっしょだろ? で、祐樹、焼け棒杭に着火しちゃってると思いこんでるみたいで……」
「でも仕事は末広さんだっていっしょにしてるじゃないか」
「ゲイって知られていて、遼太郎くんとのセックスの現場押さえられてるあんたがそれ云ってさ、――祐樹に通じると思ってるの?」
ぐっと言葉に詰まった篠山は、「……思わない」と渋い顔をする。
「きっともう祐樹のなかでは、ころころころーって二転三転転がっちゃってさ、そろそろ匡彦さんが遼太郎くんと浮気してるってことになってんじゃない?」
「怖いこと云うなよ……」
「昨夜だって、無理にでも引きとめればよかったのに、なにが服を選んでやるだ? しょうもない工作しないでよ。居合わせた俺らのほうが恥ずかしいよ」
「お前、俺にはほんとずげずげ云うよな……」
「遼太郎くんの代弁だよ。あんなド鈍相手に気をつかった挙句、まんまと逃げられて。笑かさないでよ。俺、帰宅途中、落ちこんでる祐樹の隣で無表情つづけるのに苦労したよ」
「こらっ」
結局愉しんでるんじゃないかと、春臣の頭をぐしゃぐしゃにしてやると、「ちょっ、やめてっ」と文句を云いながらも、「あはははは」と、春臣は声をたてて笑った。
「とにかく、今日こそはちゃんと引き留めなよ」
ぎゃははと笑いつづける春臣の額に「うるさいっ」とデコピンしときに、賑やかしさが気になったのだろうか、やっと神野が寝室から出てきた。
「ああ、神野、ごちそうさま。おいしかったよ」
「いえ。粗食ですみません」
「そっか? 疲れているせいか、これくらい胃にやさしいのがちょうどいいよ。ありがとうな」
「晩御飯は春臣くんが用意してくださったので、安心してくださいね」
これを嫌味でなく口にしている神野に、篠山は沈痛な面持ちで頬を掻いた。
(いったいどこから手をつけたらいいんだ……)
「あのな」
云いかけた篠山を後目に、神野がリビングのラックにかけてあった上着を手にとる。まさか、と思っていると、そのまさかだ。
「春臣くんと仲良くしているところを、邪魔してごめんなさい。可乃子ちゃん寝ちゃったんで私は帰りますね」
「こらっ、待て! 帰るな。今日は泊まって行くって約束だっただろ?」
ぺこりと頭を下げてさっさとリビングを出ていった神野を慌てて追いかけ、廊下で捕まえると逃げられないように背中に腕をまわす。
「おい、神野っ、ここに居ろ」
「でも、晩御飯は春臣くんがもう用意してくれましたし、洗濯も掃除も終わりました。ここにいても、私はもうすることがないですし――」
「違うだろ。お前は家政婦じゃないんだから」
溜息を吐きそうになるのをぐっと堪えて、抵抗する華奢な身体をぎゅと抱きしめる。そしてよく聞けとばかりに薄い耳を齧ると、華奢な身体はびくっと震えてそれからようやくおとなしくなった。
「休日に恋人の家で過ごして、なにがおかしいんだ? さっきお前、云ってたよな? 自分でいいのかって」
胸のなかにいる神野が緊張するのが伝わってくる。
「祐樹がいいんだよ」
すこし間をおいてちいさく頷いた彼の耳のなかに、「今夜は祐樹とセックスしたい」と、密やかに言葉を流しこむ。
篠山の肩ががっくしと落ちる。ああ、涙に濡れた赤い瞳に感傷的になってキスをしかけた自分がとんでもなく情けない。あれだけ心配したというのに、足を掬われてひっくり返されたような、まぬけな心地だ。
(あぁ、恥ずかしい……)
神野の奇抜な思考やテンポのせいで、たまに味わうこの手の気まずさや羞恥に、篠山はいまだ慣れることがない。
それにしても、神野の要領の悪さの右にでるものはなかなかいないだろう。慰めの言葉を探すのも一苦労だ。下手に言葉をかけたりして、また斜めうえに解釈されたらたまらない。
しかもそれが彼のなかでどんどん拗れていって、表面化するまえに彼に自分の腕のなかから飛びだしていかれでもしたらと考えると、ぞっとする。
繁忙期の終わる五月まで、いやせめて療養中の栗原が復帰して彼のぶんの仕事が手を離れるまでは、神野には恙ない日々を送ってもらいたい。
「んで、なんて声をかけりゃ、いいんだ?」
呟いて、どんぶりの底をきれいに攫って空にした篠山は、灰皿を引き寄せてたばこに火をつけた。
「それがさぁ、あいつってば、いま拗らせちゃっててさ」
「えっ⁉ なんでだっ⁉ って、うわっ、あちっ」
取り落としたたばこを拾うと、ぐりんと春臣に顔を向けた。
「あっぶないなぁ。大丈夫?」
「あ、ああ」
まるで自分の心のうちを見透かされたようなタイミングで、まさに危惧していたことを云われてしまったのだ。この場合、動揺しないほうがおかしいだろう。
「それ、どういうことだよ?」
篠山は空になったどんぶりと、キャッキャと神野の名を呼んではしゃぐ可乃子の気配しか伝わってこない寝室のほうを交互に見やった。いまいち因果関係が見えてこないが。
(すでに拗れていた結果が、これなのか?)
キッチンから移動してきた春臣が、隣に座って顔を寄せてくる。
「祐樹さ、遼太郎くんが匡彦さんのことをまだ好きなんじゃないかって、気にしてるんだよ」
「ど――、」
どうして、と叫びそうになった篠山は、「しっ」とたてた人差し指を唇に押しあてた春臣の、もう片方の手で口を塞がれた。わかったと頷くとすぐに口は解放される。
「ここんとこ、遼太郎くんずっと仕事で匡彦さんといっしょだろ? で、祐樹、焼け棒杭に着火しちゃってると思いこんでるみたいで……」
「でも仕事は末広さんだっていっしょにしてるじゃないか」
「ゲイって知られていて、遼太郎くんとのセックスの現場押さえられてるあんたがそれ云ってさ、――祐樹に通じると思ってるの?」
ぐっと言葉に詰まった篠山は、「……思わない」と渋い顔をする。
「きっともう祐樹のなかでは、ころころころーって二転三転転がっちゃってさ、そろそろ匡彦さんが遼太郎くんと浮気してるってことになってんじゃない?」
「怖いこと云うなよ……」
「昨夜だって、無理にでも引きとめればよかったのに、なにが服を選んでやるだ? しょうもない工作しないでよ。居合わせた俺らのほうが恥ずかしいよ」
「お前、俺にはほんとずげずげ云うよな……」
「遼太郎くんの代弁だよ。あんなド鈍相手に気をつかった挙句、まんまと逃げられて。笑かさないでよ。俺、帰宅途中、落ちこんでる祐樹の隣で無表情つづけるのに苦労したよ」
「こらっ」
結局愉しんでるんじゃないかと、春臣の頭をぐしゃぐしゃにしてやると、「ちょっ、やめてっ」と文句を云いながらも、「あはははは」と、春臣は声をたてて笑った。
「とにかく、今日こそはちゃんと引き留めなよ」
ぎゃははと笑いつづける春臣の額に「うるさいっ」とデコピンしときに、賑やかしさが気になったのだろうか、やっと神野が寝室から出てきた。
「ああ、神野、ごちそうさま。おいしかったよ」
「いえ。粗食ですみません」
「そっか? 疲れているせいか、これくらい胃にやさしいのがちょうどいいよ。ありがとうな」
「晩御飯は春臣くんが用意してくださったので、安心してくださいね」
これを嫌味でなく口にしている神野に、篠山は沈痛な面持ちで頬を掻いた。
(いったいどこから手をつけたらいいんだ……)
「あのな」
云いかけた篠山を後目に、神野がリビングのラックにかけてあった上着を手にとる。まさか、と思っていると、そのまさかだ。
「春臣くんと仲良くしているところを、邪魔してごめんなさい。可乃子ちゃん寝ちゃったんで私は帰りますね」
「こらっ、待て! 帰るな。今日は泊まって行くって約束だっただろ?」
ぺこりと頭を下げてさっさとリビングを出ていった神野を慌てて追いかけ、廊下で捕まえると逃げられないように背中に腕をまわす。
「おい、神野っ、ここに居ろ」
「でも、晩御飯は春臣くんがもう用意してくれましたし、洗濯も掃除も終わりました。ここにいても、私はもうすることがないですし――」
「違うだろ。お前は家政婦じゃないんだから」
溜息を吐きそうになるのをぐっと堪えて、抵抗する華奢な身体をぎゅと抱きしめる。そしてよく聞けとばかりに薄い耳を齧ると、華奢な身体はびくっと震えてそれからようやくおとなしくなった。
「休日に恋人の家で過ごして、なにがおかしいんだ? さっきお前、云ってたよな? 自分でいいのかって」
胸のなかにいる神野が緊張するのが伝わってくる。
「祐樹がいいんだよ」
すこし間をおいてちいさく頷いた彼の耳のなかに、「今夜は祐樹とセックスしたい」と、密やかに言葉を流しこむ。
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