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「わかった、からっ、ちょっ、まて! 体勢変えようって! うっ、く」
 がむしゃらに食らいついてくる、とんだ見かけだけだおしの淑女を無理やりひっぺがし、濡れた自分の唇をぐいっと手の甲でぬぐった。

「ほら、落ち着けって。ちゃんとしてやるから」
 そっとソファーの座面に背中を凭れさせてやり、潤む瞳で見上げてくる彼に、改めてしっかりと舌を絡めるキスをする。

「……んんっ、……んっ……好きっ、篠山さん、好きっ」
「ああ、祐樹、俺も好きだよ」
 キスの合間に必死に訴えてくる神野におなじように愛の言葉を返しつつ、それにしてもこれだけ盛りあがった彼の熱をどうやって冷ませばいいのだ、と篠山は内心頭を抱えた。

 彼の性器はすっかり臨戦状態で、覆いかぶさった自分の腹部に無意識に擦りつけられている。
(まだ、昼まえだぞ? 仕事中……。だから昨夜泊まって行けって云ったのに……)
 それなのにこの男はしれっと恋人の自分の目のまえで、別の男の手を握って帰って行った。

 いっそお仕置きしてやりたいところだが、それよりもつきあいはじめの恋人には、まだまだ愛しさのほうが勝ってしまいついつい甘くしてしまう。
(しかたがない)
 さっと手で抜いてやるかと篠山が時刻を確認するために顔をあげたのと、玄関で「こんにちわー」と元気な子どもの声がしたのは同時だった。

「うわぁっ」
 玄関からの慌ただしい気配が伝わるや、「あっ」と声をあげた神野に突き飛ばされて、篠山はローテーブルで強かに背中を打ちつけた。

「いってぇっ」
「あっ、あっ、すみませんっ、ごめんなさいっ、篠山さんっ」
「お前なぁっ」
 おろおろと自分に手を伸ばそうとした神野は、どたどたと廊下を走って来る子どもの足音を気にしてリビングの扉を振りかえり、それが開くや否やとっさにソファーのうえの洗濯物を掴んで自分の膝のバサッとのせた。勃起の隠蔽か。噴きだしそうになる。

「あーっ、ほんとにこっちいたよっ。篠山さんこんにちわーっ」 
「ああ、可乃子ちゃん、こんにちわ」
「あれぇ、祐樹くんもいる。祐樹くんもこんにちわ」
「あ、はい。こんにちわ、です。可乃子ちゃん」

 ひきつりぎみの笑顔で返す神野に、「祐樹くん、今日はなにしてあそぶー?」と可乃子が纏わりつく。
 こりゃピンチだなと苦笑した篠山は、大事な恋人を助けるべく痛む腰に手をあて立ちあがると、少女をひっぺがして抱きあげた。

「ほら、可乃子ちゃん。祐樹くんはお腹が痛いらしいから、またあとでね」
「えぇっ。なんでぇ」
 神野に食らいつこうとする可乃子の頬にやさしく手をそえて、やや強引に顔を彼から背けさせておく。
「お菓子買ってきてるから、お母さんのとこいっていっしょに食べような」
「うん」と答えて腕から飛びだした彼女が、冷蔵庫で飲み物を漁りはじめたのを後目しりめに、篠山は「続きは今夜な。とりあえずトイレ行って来い」と、眉を寄せている神野に笑って手を振った。




「なんだ、これは?」
 テーブルのうえ、飴色になった玉ねぎがこんもり乗ったどんぶりに、篠山は声をあげた。
「祐樹のつくった牛丼だよ。可乃子ちゃんがおいしーってよろこんで食べてた」
 昼になってここにやってきた春臣がキッチンのなかから答えてくれる。

「これが牛丼?」
 椀からはみ出んばかりに大量に盛られたその玉ねぎのカットの細さたるやは、まるで糸こんにゃくの塊かと疑うほどだ。

 どんな食感がするのだろうかと興味津々でレンゲで掬って口に放りこむと、玉ねぎ特有の甘みがいっぱいに広がった。そしてその玉ねぎの山はどれだけ崩していっても、肉などでてこない。色鮮やかなニンジンとキノコが混ざっているだけだ。いったいどのあたりが牛丼なんだ。

(これじゃぁ、玉ねぎ丼だな)
「これ、ヘルシーそうだな。で、神野は?」
「さっきからずっと落ちこんでてさぁ。そっちの部屋で丸くなって、いま可乃子ちゃんに乗られてる」
「えっ? なんでだ? お前らうちでケンカでもしたのか?」

 それで神野が泣いて赤い目をしていたのなら辻褄があう。なにしろ今朝のように、彼が春臣と別行動をとってひとりでここにやってくることなんて、今までにいちどもなかったのだ。去年のあの特別になった夜を除いては。

「ちがうよ。なんで俺が祐樹とケンカなんてするんだよ。あるわけないでしょ、そんなこと。その牛丼ね、可乃子ちゃんはおいしいって食べたんだけどね、末広さんに『これじゃたまねぎ丼だ。しかもおかずが足りない』って文句云われてね」
 悪気がないだろうが彼女なら確かに云いそうだと、篠山は「ああ」と唸った。

 でもテーブルにはどんぶりのほかにもサラダやコロッケも用意されていて、おかずが足りないってことはないのではないか、とそれらに目を遣っていると、
「祐樹さ、貧乏暮らしがしみついているうえに、本人が小食なもんだからさぁ。こんなことになっているだろうと思って、――俺が、ここにくるときにそのコロッケ買ってきたんだ。でも祐樹にはそれにすらなんかいろいろ詰まるものがあったみたいでさ。『いろいろすみません。ありがとうございますって』呟いたっきり寝室の隅っこに……」
「そ、そっか……」

 つまり自分の機転が利かなさを痛感しているところに、この春臣の要領のよさをもってこられて、余計にへこんでいるというわけだ。
「かれこれ一時間くらい動いてないよ」
「ははは……」
「祐樹ったら、大量の玉ねぎ、そんだけほっそくするのに一時間かけてるんだよ? 目ぇやられて真っ赤になってるから、食べ終わったらちょっとあいつの顔見てきなよ。おもしろいよ」

「…………そ、そっか」
 なるほど。あれは本人が云っていたとおり、本当に玉ねぎが染みて赤くなっていただけだったのか。
「は、ははは……」
 
 
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