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「まぁ、声を殺して唇咬んで耐える姿にもソソられるけどね、男は。んで、そういうのをみると余計に鳴かせてやろうじゃないかって、煽られるんだよ」
そこまで云った春臣は、ふっと笑い「……意地悪もしたくなるって」と、締めくくった。遼太郎をみあげて意味ありげに口の端をあげる。
遼太郎がおとなしくしていたのは、そこまでだった。いきなり大股で春臣に近寄ると、カウンターに広げてあったテキストを手にとり春臣の頭をバシッと殴ったのだ。あっという間のことだったので、神野には止めることができなかった。
「痛っ!」
テキストは厚みが五センチもありそうな、頑丈そうなハードな表紙のついたものだ。
(い、痛そう……)
なにが遼太郎の癪に触ったのか神野にはさっぱりわからなかったが、しかしここで春臣を庇うと自分にまた非難が向けられてしまうかもしれない。
(ごめんなさい、春臣くん。俺には庇えない……)
神野はなにも見なかったことにした。
そんなことよりも春臣の話のほうに興味が湧き、後学のために彼に話の続きを求めることにする。
「そんなもんなんですか?」
最近ちょうど夜の営みについて自分にも高等な技ができないだろうかと、そういったことにちょっと関心があったのだ。
「祐樹、そのまえに俺にたいしてなんか労りの言葉とかはないの?」
「あ、すみません。頭、大丈夫ですか?」
問うと、まだ手を振りあげそうな遼太郎を警戒しつつ春臣は、「……ハイ、ダイジョウブデス」と肩を竦めてみせた。
「そんなもんなんだよ。でももちろん一番は、恋人が素直でいてくれることじゃないかな? 恥ずかしくてもそんなの隠さないで、素直にあんあん気持ちよがられたほうがいいに決まってるって」
「素直が一番……。だったらいいんですが…‥」
ここでもまた余計なひとことを呟いていたのだが、神野自身は気づいていない。遼太郎が、目じりをぴくっと痙攣させていた。
「あとねえ」
春臣が愉快そうに、黒目をくるっと巡らす。
「いやらしい言葉で強請ったりするのもいいかもよ? 相手もだけど、そういうの自分自身もめっちゃ燃えるから。――遼太郎くんはそんなことも知らなかったのかなぁ?」
「――!」
春臣に流し目を向けられた遼太郎が、くるっと踵をかえす。
「あっ、遼太郎さんっ?」
神野が呼び止めるのを聞かずにダイニングを出でていった遼太郎は、そのまま玄関の扉を叩きつけ帰ってしまった。
「まだ、ちゃんと謝っていないのに……」
暫く部屋のなかでは、楽しそうな春臣の「くくくくくっ」と笑う声がつづく。
(あんなに怒ってたのにもうよかったのかな? まぁ、これから気をつければいいか)
遼太郎には近いうちに改めて折り菓子を持って謝罪しにいくことにし、神野は頭のなかを切りかえることにした。
(そうか、いやらしい言葉で強請るのもいいのか。ふむふむ)
遼太郎からはとんでもなく恥ずかしい襲撃を受けたが、春臣の話はずいぶん勉強にもなった。
(遼太郎さんも知らなかったようだけど――)
自分ももちろん知らなかったと、神妙に頷きながら心のなかにしっかりメモしておく。
それにしても春臣のおかげで? 遼太郎が説教半ばで帰ってくれてよかった。似つかわしくない笑い声さえなければ、春臣はまるで悪漢を撃退するヒーローのようだ。
春臣にはいつも助けられてばかりだなとあらためて感謝しつつ、床に落としたままになっていた中国語のテキストを拾いあげた。
春臣が笑いを治めると途端に部屋が静まり返る。安心してソファーに座りなおした神野がさっきまで見ていたページを探してテキストを繰ると、紙のめくれる音がパラパラと部屋に響いた。
もともと立地のいい閑静な住宅街なのだ。夜になるととくにそれは顕著で、神野が以前住んでいたアパートとは違ってこのアパートは本当に落ち着くことができた。
しかも仕事から帰宅してから食事も寝る準備もなにもかも終えて、こうやってふたりで勉強なんかしていると心も穏やかであり、幸せをひしひしと感じられる。
(ちゃんと勉強してくれてるし)
神野は黙々と勉強する春臣に、大満足しながら微笑んだ。
(あぁ、安らぐ……)
だがしかし、それは束の間の安穏だった。シャープペンでなにやらノートに書きつけていた春臣が、ふいにこちらに顔を向けた。
「ねぇ、祐樹」
神野は耳に差しこもうとしていたイヤホンをもつ指をとめると、小首を傾げて「はい?」と返した。
「だれが出かけないで、家で大人しくしとけって?」
「……?」
(それは昨日の夜のことかな?)
「えと、私、ですかね?」
「ひとの留守中に隣から苦情がくるほど楽しめるんだったら――」
「!」
「こんどからもう俺が出かけるのに、いちいち口をださないでね」
絶句した神野に目を細めてにこっと笑った春臣は、すっとその笑みを消すとふたたびノートに視線を落とした。
「は、はい……」
どうやら昨夜出かけた程度では、春臣の溜まったストレスは解消できていなかったらしい。
なにもともあれ、今後決して春臣の行動に口を出さないことと、この部屋で篠山と事に及ぶことはしまいと、神野はこの日、心に固く誓ったのだ。
END
そこまで云った春臣は、ふっと笑い「……意地悪もしたくなるって」と、締めくくった。遼太郎をみあげて意味ありげに口の端をあげる。
遼太郎がおとなしくしていたのは、そこまでだった。いきなり大股で春臣に近寄ると、カウンターに広げてあったテキストを手にとり春臣の頭をバシッと殴ったのだ。あっという間のことだったので、神野には止めることができなかった。
「痛っ!」
テキストは厚みが五センチもありそうな、頑丈そうなハードな表紙のついたものだ。
(い、痛そう……)
なにが遼太郎の癪に触ったのか神野にはさっぱりわからなかったが、しかしここで春臣を庇うと自分にまた非難が向けられてしまうかもしれない。
(ごめんなさい、春臣くん。俺には庇えない……)
神野はなにも見なかったことにした。
そんなことよりも春臣の話のほうに興味が湧き、後学のために彼に話の続きを求めることにする。
「そんなもんなんですか?」
最近ちょうど夜の営みについて自分にも高等な技ができないだろうかと、そういったことにちょっと関心があったのだ。
「祐樹、そのまえに俺にたいしてなんか労りの言葉とかはないの?」
「あ、すみません。頭、大丈夫ですか?」
問うと、まだ手を振りあげそうな遼太郎を警戒しつつ春臣は、「……ハイ、ダイジョウブデス」と肩を竦めてみせた。
「そんなもんなんだよ。でももちろん一番は、恋人が素直でいてくれることじゃないかな? 恥ずかしくてもそんなの隠さないで、素直にあんあん気持ちよがられたほうがいいに決まってるって」
「素直が一番……。だったらいいんですが…‥」
ここでもまた余計なひとことを呟いていたのだが、神野自身は気づいていない。遼太郎が、目じりをぴくっと痙攣させていた。
「あとねえ」
春臣が愉快そうに、黒目をくるっと巡らす。
「いやらしい言葉で強請ったりするのもいいかもよ? 相手もだけど、そういうの自分自身もめっちゃ燃えるから。――遼太郎くんはそんなことも知らなかったのかなぁ?」
「――!」
春臣に流し目を向けられた遼太郎が、くるっと踵をかえす。
「あっ、遼太郎さんっ?」
神野が呼び止めるのを聞かずにダイニングを出でていった遼太郎は、そのまま玄関の扉を叩きつけ帰ってしまった。
「まだ、ちゃんと謝っていないのに……」
暫く部屋のなかでは、楽しそうな春臣の「くくくくくっ」と笑う声がつづく。
(あんなに怒ってたのにもうよかったのかな? まぁ、これから気をつければいいか)
遼太郎には近いうちに改めて折り菓子を持って謝罪しにいくことにし、神野は頭のなかを切りかえることにした。
(そうか、いやらしい言葉で強請るのもいいのか。ふむふむ)
遼太郎からはとんでもなく恥ずかしい襲撃を受けたが、春臣の話はずいぶん勉強にもなった。
(遼太郎さんも知らなかったようだけど――)
自分ももちろん知らなかったと、神妙に頷きながら心のなかにしっかりメモしておく。
それにしても春臣のおかげで? 遼太郎が説教半ばで帰ってくれてよかった。似つかわしくない笑い声さえなければ、春臣はまるで悪漢を撃退するヒーローのようだ。
春臣にはいつも助けられてばかりだなとあらためて感謝しつつ、床に落としたままになっていた中国語のテキストを拾いあげた。
春臣が笑いを治めると途端に部屋が静まり返る。安心してソファーに座りなおした神野がさっきまで見ていたページを探してテキストを繰ると、紙のめくれる音がパラパラと部屋に響いた。
もともと立地のいい閑静な住宅街なのだ。夜になるととくにそれは顕著で、神野が以前住んでいたアパートとは違ってこのアパートは本当に落ち着くことができた。
しかも仕事から帰宅してから食事も寝る準備もなにもかも終えて、こうやってふたりで勉強なんかしていると心も穏やかであり、幸せをひしひしと感じられる。
(ちゃんと勉強してくれてるし)
神野は黙々と勉強する春臣に、大満足しながら微笑んだ。
(あぁ、安らぐ……)
だがしかし、それは束の間の安穏だった。シャープペンでなにやらノートに書きつけていた春臣が、ふいにこちらに顔を向けた。
「ねぇ、祐樹」
神野は耳に差しこもうとしていたイヤホンをもつ指をとめると、小首を傾げて「はい?」と返した。
「だれが出かけないで、家で大人しくしとけって?」
「……?」
(それは昨日の夜のことかな?)
「えと、私、ですかね?」
「ひとの留守中に隣から苦情がくるほど楽しめるんだったら――」
「!」
「こんどからもう俺が出かけるのに、いちいち口をださないでね」
絶句した神野に目を細めてにこっと笑った春臣は、すっとその笑みを消すとふたたびノートに視線を落とした。
「は、はい……」
どうやら昨夜出かけた程度では、春臣の溜まったストレスは解消できていなかったらしい。
なにもともあれ、今後決して春臣の行動に口を出さないことと、この部屋で篠山と事に及ぶことはしまいと、神野はこの日、心に固く誓ったのだ。
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