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年が明け、短かった冬休みも終わった通常運転の今日この頃。
神野祐樹は 寒さと懐がどんなに厳しくても、それでも穏やかな日常を穏やかな心で過ごしていた。そんなおり、ささやかではあるが心配事ができた。
それは同居人である箕輪春臣のことだ。
彼は経営学を学ぶ学生で、ふたりが住むアパートの目の前にある大学に通っている。
春臣とは去年の秋に、神野の恋人である篠山をかいして知りあった。
そのころは精神状態がよくなかったせいで彼にはたくさんの迷惑をかけたのだが、なかでもいちばん彼の手を煩わせたと思うのが、神野の職場への送り迎えだ。そしてなぜかそれは、神野が元気になったいまもつづいていた。
しかも神野の勤務中にも彼は職場の近くで待機してくれていて、秋ごろには彼が実際に大学に行っているそぶりなど、見たことがなかった。
冬にはいってからは彼はちょくちょく職場から姿を消すようなこともあって、そういうときは「講義を受けてきた」と云っていたのでどうにかその言葉を信じるようにはしていたが、それも本当かどうか怪しいものだった。
彼がちゃんと授業に出ているのか、ちゃんと卒業できるのか、神野は長らくのあいだ気になっていたのだ。
神野がこの彼のアパートに住みついたのは、去年の十一月からのことなので、いまでやっと二ヶ月経ったといったところだろうか。
そこでようやく春臣の学生としての姿が見えてくるようになった。彼はちゃんと大学にも出かけていたし、友人も驚くほど多い。
その遊びに来る彼の友人から、彼が必要な授業をちゃんと受けいて単位もきっととれるだろうと教えてもらい、それで漸く胸を撫でおろしたのだ。
春臣は学生というだけでなくこのアパートの管理人というバイトと、雇い主兼友人である篠山の手伝いと、そして遊ぶことにも忙しい。だからせめて自分の会社への送り迎えはやめてもらおうとずっと彼にそのことを訴えているのだが、彼はいっこうに聞いてくれないでいる。
春臣は授業を抜けられないときには、だれか代理を立てて神野を送迎させるほどだった。それに関しては、どうしてだと、もう首を捻るだけではとどまらず、神野はすこし怒っていたりする。
そしてそんな春臣の大学の冬休みが終わってまもなく、彼には試験期間が訪れた。春臣がやっと神野のまえでまともに勉強をはじめたのだ。
テキストやノートを睨みつけ熱心に学生の本分に勤しむ彼の姿に神野は人心地つき、そんな彼を見ながら飲むコーヒーは格別においしいとすら思っていた。
しかし人間とは勝手なもので、春臣が寝る間も惜しんで勉強する毎日がつづくと、だんだん心配になってきたのだ。
(大丈夫かな。身体を休めなくてもいいのかな?)
神野はお金を工面するのが大変だったころ、仕事を詰めこんでろくに食べも寝もしない生活をつづけたことがある。結果、精神が病んでしまって自殺未遂を起こしたのだ。
根を詰めて勉強をする春臣を見ていたら、あのときの篠山や彼がひどく自分を心配していた気持ちがわかった気がした。
しかしながら彼の友人に訊けば、試験範囲の発表は一カ月もまえにあったと云う。
「どうしてもっと早くにはじめておかなかったんですか?」
そう訊くと、春臣は、
「いやぁ。いそがしくって」
と、悪びれずに頭を掻いていた。
「遊ぶことにですよね? ……私がたくさん面倒をかけたのも悪いですが、それにしたって夜遊びが過ぎたんじゃないですか? 毎日コツコツやっておけば、今になってこんなに詰めてやらなくてもすんだのに」
余計なお世話なんだろうが、ついつい口うるさくなってしまう。
「せめて、アパートの管理人の仕事はお休みですよ。全部私が代わりにやります」
「えぇえ……。祐樹。俺、動いてないとストレスで死ぬぅ」
「なに馬鹿なこと云っているんですかっ。もちろん夜遊びも禁止ですからね! 勉強以外のことをするなら寝てください!」
眦を吊りあげて云った神野に春臣は怒りはしなかったが、間違いなく辟易してはいただろう。
*
その週の土曜の夜のことだった。
キッチンカウンターでまじめに勉強をしている春臣の傍ら、神野はお気に入りのひとり掛けのソファーに座って、中国語テキストを読んでいた。
そこにピンポンとドアチャイムが鳴ったのだ。
「いいよ、祐樹。俺が出るから」
腰をあげようとした神野を制した春臣が、手の届く位置のインターフォンにでた。来客はお隣に住む遼太郎だった。
『祐樹、いる?』
「いるよ。ちょっと待ってね、今ドア開けるから」
金山遼太郎は神野や春臣とはふたつ違いの二十四才の青年で、篠山が自宅マンションで営んでいる会計事務所で働いている。
会計事務所の繁忙期の今、彼は土曜出勤があたりまえになっているので、たぶん仕事を終えて帰ってきたばかりなのだろう。ちなみに、彼は篠山の元カレでもあった。
春臣が篠山の奥さん的な存在だとすれば、現在の遼太郎は篠山の右腕といったところだろうか。
年が明け、短かった冬休みも終わった通常運転の今日この頃。
神野祐樹は 寒さと懐がどんなに厳しくても、それでも穏やかな日常を穏やかな心で過ごしていた。そんなおり、ささやかではあるが心配事ができた。
それは同居人である箕輪春臣のことだ。
彼は経営学を学ぶ学生で、ふたりが住むアパートの目の前にある大学に通っている。
春臣とは去年の秋に、神野の恋人である篠山をかいして知りあった。
そのころは精神状態がよくなかったせいで彼にはたくさんの迷惑をかけたのだが、なかでもいちばん彼の手を煩わせたと思うのが、神野の職場への送り迎えだ。そしてなぜかそれは、神野が元気になったいまもつづいていた。
しかも神野の勤務中にも彼は職場の近くで待機してくれていて、秋ごろには彼が実際に大学に行っているそぶりなど、見たことがなかった。
冬にはいってからは彼はちょくちょく職場から姿を消すようなこともあって、そういうときは「講義を受けてきた」と云っていたのでどうにかその言葉を信じるようにはしていたが、それも本当かどうか怪しいものだった。
彼がちゃんと授業に出ているのか、ちゃんと卒業できるのか、神野は長らくのあいだ気になっていたのだ。
神野がこの彼のアパートに住みついたのは、去年の十一月からのことなので、いまでやっと二ヶ月経ったといったところだろうか。
そこでようやく春臣の学生としての姿が見えてくるようになった。彼はちゃんと大学にも出かけていたし、友人も驚くほど多い。
その遊びに来る彼の友人から、彼が必要な授業をちゃんと受けいて単位もきっととれるだろうと教えてもらい、それで漸く胸を撫でおろしたのだ。
春臣は学生というだけでなくこのアパートの管理人というバイトと、雇い主兼友人である篠山の手伝いと、そして遊ぶことにも忙しい。だからせめて自分の会社への送り迎えはやめてもらおうとずっと彼にそのことを訴えているのだが、彼はいっこうに聞いてくれないでいる。
春臣は授業を抜けられないときには、だれか代理を立てて神野を送迎させるほどだった。それに関しては、どうしてだと、もう首を捻るだけではとどまらず、神野はすこし怒っていたりする。
そしてそんな春臣の大学の冬休みが終わってまもなく、彼には試験期間が訪れた。春臣がやっと神野のまえでまともに勉強をはじめたのだ。
テキストやノートを睨みつけ熱心に学生の本分に勤しむ彼の姿に神野は人心地つき、そんな彼を見ながら飲むコーヒーは格別においしいとすら思っていた。
しかし人間とは勝手なもので、春臣が寝る間も惜しんで勉強する毎日がつづくと、だんだん心配になってきたのだ。
(大丈夫かな。身体を休めなくてもいいのかな?)
神野はお金を工面するのが大変だったころ、仕事を詰めこんでろくに食べも寝もしない生活をつづけたことがある。結果、精神が病んでしまって自殺未遂を起こしたのだ。
根を詰めて勉強をする春臣を見ていたら、あのときの篠山や彼がひどく自分を心配していた気持ちがわかった気がした。
しかしながら彼の友人に訊けば、試験範囲の発表は一カ月もまえにあったと云う。
「どうしてもっと早くにはじめておかなかったんですか?」
そう訊くと、春臣は、
「いやぁ。いそがしくって」
と、悪びれずに頭を掻いていた。
「遊ぶことにですよね? ……私がたくさん面倒をかけたのも悪いですが、それにしたって夜遊びが過ぎたんじゃないですか? 毎日コツコツやっておけば、今になってこんなに詰めてやらなくてもすんだのに」
余計なお世話なんだろうが、ついつい口うるさくなってしまう。
「せめて、アパートの管理人の仕事はお休みですよ。全部私が代わりにやります」
「えぇえ……。祐樹。俺、動いてないとストレスで死ぬぅ」
「なに馬鹿なこと云っているんですかっ。もちろん夜遊びも禁止ですからね! 勉強以外のことをするなら寝てください!」
眦を吊りあげて云った神野に春臣は怒りはしなかったが、間違いなく辟易してはいただろう。
*
その週の土曜の夜のことだった。
キッチンカウンターでまじめに勉強をしている春臣の傍ら、神野はお気に入りのひとり掛けのソファーに座って、中国語テキストを読んでいた。
そこにピンポンとドアチャイムが鳴ったのだ。
「いいよ、祐樹。俺が出るから」
腰をあげようとした神野を制した春臣が、手の届く位置のインターフォンにでた。来客はお隣に住む遼太郎だった。
『祐樹、いる?』
「いるよ。ちょっと待ってね、今ドア開けるから」
金山遼太郎は神野や春臣とはふたつ違いの二十四才の青年で、篠山が自宅マンションで営んでいる会計事務所で働いている。
会計事務所の繁忙期の今、彼は土曜出勤があたりまえになっているので、たぶん仕事を終えて帰ってきたばかりなのだろう。ちなみに、彼は篠山の元カレでもあった。
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