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 育己いくみが玄関のドアを開けると、家のなかは予想を違わぬ大賑わいだった。時刻はすでに三時半。育己がお使いに出ているあいだに、保育園児と幼稚園児が帰ってきている。

 耳をつんざく騒音も、弟妹たちがかわいくてしかたがない育己にはどうってことはない。近所に迷惑がかからないように、さっさとドアを閉めるだけだ。
 「ただいま」と云って靴を脱いでいると、さっそく我が家きってのアイドルの二女・藍里あいりが走ってきた。

「あっちゅーん。おかえりなさぁい」
「はぁい、ただいま」
 抱き上げて丸い頬にチュッとキスすると、彼女も負けじと育己の頬にチュッと返してくれる。お目々くりくり。お肌つるつる。ほっぺはピンク、さらさらヘアーは肩よりも長い。今朝、育己はそれをツインテールに結いあげて、大きなポンポンをつけてあげていた。

 キッチンまでやってくるとさらにやかましかった。つづくリビングでは三歳の由那ゆなが鼻歌を歌いながら、みょうちきりんなダンスをしていて、そのそばでは次男と長女の高校生コンビがつかみ合いの大ゲンカだ。

 腕からおろした藍里が由那のところへ走っていき踊りにくわわるのを眺めながら、育己は買ってきた食材を食事係の弟に手渡した。

「で、さとる。舞子はいったいどうしたの? えっらい不機嫌だな」
「さっき帰ってきた良和よしかずが、にいちゃんが彼女といっしょにいるとこ見たって舞子ちゃんにチクったの。そしたら舞子ちゃんがそんなの嘘だってキレちゃって、いまに至るってかんじ」
「あぁ、なるほどね」

 スーパーの帰りに偶然会ったクラスの女子とすこしだけ立ち話しをしたのだが、それを良和に見られたわけだ。
 育己の女関係にことさらうるさい思春期の舞子は、育己の傍に女の影を見つけるとひどくヒステリックになってしまう。それに良和とは年も近いせいか、もともとふたりはそれほど仲がよろしくない。

 育己には、良和がなにげに呟いた「にいちゃんが彼女としゃべってた」というたったひと言で、彼にケンカをふっかけた舞子の姿を簡単に想像できた。そしてその一言を聞いてショックをうけただろう、もうひとりの存在のこともだ。

 この家には舞子のほかにあとひとり育己の女性関係に過敏な人間がいた。育己は頬を掻きながら、さりげなく智に訊いてみる。

「で、壱加いちかは? そのときここに居たのか?」
「居たけど。そこにある卵放りだしていなくなった。たまに手伝ってくれたと思えばそれだよ、まったく」
「それって……?」

 育ち盛りの兄弟たちの胃袋の管理をする智は、中学生にしてこの家のなかでは大きな権威をもっている。そんな彼が持ちまえの落着いた所作しょさで、床にくいっと顎をしゃくってみせた。


 キッチン台のうえにはボウルと卵パックが並んで置いてあったが、その足もとに卵がひとつ落ちて割れていた。
「げっ」
「それ、責任取ってにいちゃんが掃除してね」

(責任って……)
 なにをどこまで知っているのかわからないが、なかなかの核心をついてくる智にひやっとする。
 
 良和の発言の否定にはじまったらしい高校生コンビのケンカは、お互いの生活態度のののしりあいをて、今では一方的な舞子の暴力に発展していた。床の掃除を終えた育己は、そろそろかなと見計らいふたりのあいだに割ってはいった。

「ほぉら、舞子。ストップ」
「あっ、おにいちゃんっ!」
「育己っ! コイツどうにかしてくれよっ!」
 床に転がる良和は、胸に乗りあがって殴りかかる舞子の細い手首を掴んで必死に防衛していた。どれだけ口ゲンカはしても、妹に手をあげることをしないのが彼らしい。

「痛いってば、よっしー手ぇ離してっ」
「って、おまえ離したらまた殴ってくるだろうがっ」
「そりゃ、殴るわよ」

「聞いたよ。良和が余計なこと云ったんだろ? ……勘弁してよ」
 通りすがりの女子とすこし話していただけでいちいちカップル扱いされていては面倒ではないかと、育己はふたつ年下の弟をたしなめた。

「そうよっ。よっしーが悪いんだから。おにいちゃんは彼女なんてつくんないもんね! 私が絶対許さないんだから!」
 良和から引き剥がした舞子が抱きついてくる。「よしよし」と頭を撫でてやっていると、良和が不満そうに口を尖らせた。

「育己がそうやって甘やかすから、コイツがつけあがるんだろ」
「このブラコン!」と吐き捨てられた舞子がまたいきりたつのを、育己は「どうどう」といさめる。

 確かに八つ当たりをし、そのうえ良和が殴り返さないとわかっていて一方的に暴力をふるう舞子は悪い。兄としては、本当なら耐えた良和をえらいと褒めるところではある、あるのだが、しかし……。

(良和。お前はとんでもないことをやらかしてくれちゃったんだよ……。はぁ)

 智とはちがって、こいつはとことん鈍い。本人は自覚なしだが、かといってこのままやり過ごすわけにはいかなかった。なぜなら彼は、自分のとっておきの存在――壱加の心を傷つけたのだから。

 だから育己は壱加の兄――としてではなく自称、彼の恋人として、良和にちょっとした意趣返しをしてやることにした。

「そんなこと云っておいて、このあいだ舞子が片思いしいている二年男子の情報を奈緒紀にリークしたのはどこのだれかな?」
「ぐっ」

 絶句した良和の顔が、見るみるうちに赤く染まっていった。
 育己は彼が妹に告ってくる男子や彼女の気になっている男子を、同じ学校に通うちょっとやんちゃな弟の奈緒紀なおきをつかって牽制していることを知っていた。そしてその事実を知られたくなくて、奈緒紀に口止めをしていることもだ。舞子がブラコンだというのならば、良和だって、負けず劣らずのシスコンだ。

「その子、モテる子だったらしいけど、最近人気がガタ落ちしたってきいたけど?」
「――!」
「えっ? なにそれあたし聞いてない! それどういうことっ!?」
 育己の胸でウソ泣きをしていた舞子がぐりんと良和に顔を向けると、彼はたじたじになった。
 
「お、俺、部屋に戻るからな! だれかかわりにゆんのことみてろよ!」
 お年頃の高校生は自分の部屋に逃げていった。良和を追いかけようとした妹を捕まえた育己は「はい、もうおしまい。チビたちが見ているよ?」と諭し、彼女をおとなしくさせる。

「あれ? 藍里は? 部屋か?」

 大家族のこの家ではいくつかのルールがあって、智が食事で、舞子が洗濯。奈緒紀が由那を、育己が藍里を担当して面倒をみているのだ。

 藍里が部屋に戻っているならちょうどよかった。それを口実にして、育己は部屋に戻ることができるからだ。なにしろ育己には、今からその部屋に用があったのだから。

「舞子、悪いけどゆんのこと見といてね」
 
 育己はいちばん手のかかる末の妹のことを舞子に任せると、さてどうしたものかな? と思考を巡らせリビングをあとにした。その口もとが、ニヤッと笑んでしまう。

 

 




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