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第十章:「雌伏編」

第六十七話「ペテルセンの決断」

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 統一暦一二〇八年七月一日。
 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。ヨーゼフ・ペテルセン総参謀長

 十日ほど前、グライフトゥルム王国軍とグランツフート共和国軍の合同演習に関する情報が入ってきた。

『両国合わせて四万の軍が半月に渡って演習を行うそうです』

 この時は諜報局の職員が情報を持ってきたのだが、まだ断片的なものでしかなかった。
 その後、続報が毎日のように入るようになる。

『王国騎士団の他にラウシェンバッハ騎士団が参加しているようです。兵士の能力は非常に高いようですが、ラウシェンバッハ子爵は軍としての能力に疑問を持っていると噂されていました』

『千里眼のマティアスが言ったことが噂になっているというのかね?』

 ラウシェンバッハが意味もなく情報を漏らすはずがない。どのような意図があるのか、気になった。

『はい。演習に参加している兵士は何日かに一度、領都ラウシェンバッハに息抜きに行くそうで、居酒屋で兵士たちが話しているのを聞いたとのことです』

『ラウシェンバッハ騎士団について情報を整理しておいてくれたまえ。できれば、諜報局だけでなく、商都ヴィントムントの商人からも聞いてほしい』

 情報の確度を上げるため、別の視点での情報も欲しかったためだ。

 私自身も情報収集に当たった。
 複合娯楽施設“神々の別荘ヴィラデアゲッター”を経営するガウス商会の商会長、カール・ガウスに話を聞きにいったのだ。

 “神々の別荘ヴィラデアゲッター”の高級酒場には、二日に一度のペースで通っている。そのため、バーテンダーとも懇意となっており、個室にガウスを呼び出してもらった。
 高級ブランデーを飲みながら、ガウスに質問する。

『ラウシェンバッハ子爵領で行われている合同演習について、君が知っていることがあれば教えてくれないか』

 ガウスは笑みを浮かべたまま、大きく頷いた。

『さすがは総参謀長閣下ですな。私どもの商会が酒を納入したことをご存じでしたか』

 酒を納入したという話は知らなかったが、グラスを傾けつつ、曖昧に頷いておく。

『最終日に行われた慰労会の酒の一部を我が商会が納入したのですが、いろいろと面白い話が聞けました』

『ほう、それはどんな話だ?』

 相手に警戒されないよう、グラスを回しながら軽い感じで聞いた。

『まず、ラウシェンバッハ子爵様は軍師と言われておりますが、商人組合ヘンドラーツンフトの商人たちは皆、商売も上手いと感心しておりました』

『ほう、商売上手か……』

『はい。何でも、自領に演習を誘致し、更に兵士たちの士気を高めるために五日に一度、半日の休暇を与える提案をされたそうです。そのため、兵士の多くが領都に繰り出し、大いに金を落としたと聞きました。子爵様は慰労会のために二百万マルク分の料理を無償で提供したそうですが、半月の兵士たちの消費だけで、充分に元を取ったようです』

 四万の兵士が五日に一度領都に繰り出すとなれば、毎日八千人ということになる。
 一人五十マルクも使えば、一日当たり四十万マルクの金を落とす。十五日間なら六百万マルクで、そのうちの二割が税として納められるなら、単純計算でも百二十万マルクだ。

 他にも四万人分の食糧を納入しているから、一人当たり一日二十マルクとしても、半月で一千二百万マルクになる。すべてをラウシェンバッハ子爵領で調達しているわけではないが、充分に元は取れたはずだ。

『兵士に恩を売りつつ、しっかりと儲けているということか。なるほど、軍師にしておくのは惜しい男だな』

 私は皮肉を言ったつもりだったが、ガウスは素直に褒め言葉と取ったようだ。

『全くです。ライナルト・モーリス殿が子息を預けた理由がよく分かりました。あの方の下で学べば一流の商人になることは間違いありませんから』

 確かに奴の経済感覚を身に付ければ、商人として大成するだろう。

『他に情報はないのか?』

『そうですね……ラウシェンバッハ騎士団がケンプフェルト元帥にコテンパンに負けたという話がありましたね。ラウシェンバッハでは獣人族の兵士は魔獣ウンティーア相手に負け知らずでしたから、誰も負けるとは思っていなかったようです。まあ、子爵様は負けると思っておられたようですが』

 その言葉に違和感を持った。
 グラスをカウンターに置き、ガウスの目を見る。

『ラウシェンバッハが負けると思っていたという話は、誰から聞いたのだ?』

『噂の元になったのは、王国軍の士官学校の学生さんのようですね。ちょうど、奥方のイリス様が主任教官として学生を引率して見学しておられ、獣人族兵士が増長気味だったから、ケンプフェルト元帥にコテンパンに叩いてもらったという話を、子爵様が学生の前で話されたそうです』

 あえて情報を流した可能性が高いと思った。

『その後、ラウシェンバッハ騎士団はどうしたのだ? やられっぱなしでは済まなかったのではないか?』

『はい。演習の最後には力に頼ることなく、戦術を考えるようになったという話は聞きました。あとは共和国軍のキーファー将軍が騎士団長のヘルマン・フォン・クローゼル男爵を指導するために帰国を延期したという話もありました』

 これまでラウシェンバッハ騎士団に関する情報は少なく不安要素だったが、今回の情報で警戒レベルを上げる必要があると思った。

 そして今日、御前会議が行われる。

 参加者は皇帝マクシミリアン陛下、軍務尚書シルヴィオ・バルツァー殿、内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト殿、第一軍団長ローデリヒ・マウラー元帥、第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥、第三軍団長カール・ハインツ・ガリアード元帥、そして総参謀長である私だ。

 議長役のバルツァー殿が発言する。

「今回の会議はペテルセン総参謀長から皇都攻略作戦の一部変更の提案があり、陛下にお諮りするものである。ペテルセン殿、説明を」

 バルツァー殿は冷ややかな目で私を見るが、これはいつものことだ。私が酒を飲んでいることが気に入らないのだ。

 その視線に小さく目礼しながら、手持ちにある白ワインのグラスに口を付け、それからゆっくりと話し始める。

「皆さんもグライフトゥルム王国とグランツフート共和国の合同演習の話は聞いておられると思います。彼らの目的は我が国に対する牽制であり、我が国が王国側により多くの軍勢を割くことで、皇都への圧力を減らそうとする策だと思っておりました」

「思っていた……ということは、今は違うと言いたいのか?」

 陛下が疑問を口にされた。

「いえ、今もその目的が第一であると思っておりますが、ただの牽制と軽く考えることはできないのではないかと考えております」

「牽制ではなく、本気で軍を進めてくると卿は考えているのか?」

「はい。但し、軍といいましても大軍ではなく、少数の部隊を送り込み、後方撹乱を行ってくるのではないかと」

 私の言葉に知将として名高いエルレバッハ元帥が質問する。

「少数の部隊というとラウシェンバッハ領の獣人たちのことですかな? ケンプフェルトの直属部隊と肩を並べる実力と聞いておりますし、獣人たちは五感も優れておりますから、少数でも脅威になると思うのですが」

「私の懸念もエルレバッハ殿と同じです。今回の合同演習でずいぶんと力を付けたようですので」

 そこで陛下が再び口を開く。

「ラウシェンバッハが流した情報に踊らされているのではないか? 余もその話は聞いているが、意図的に流したものだと考えている。いたずらに反応するより、皇都攻略に集中すべきだろう」

 陛下のお言葉にマウラー元帥らも頷いている。

「私も陛下のお考えと同じですが、ラウシェンバッハは意図的に情報を流せば、我々が陽動だと考えると思っているはずです。つまり、我々の裏を読んで、実際に陽動作戦を行うつもりではないかと考えています」

 私の言葉に陛下が苦笑された。

「それはあり得るな。奴の洞察力は神懸かっているからな……それで卿はどうすべきだと考えているのだ?」

「あえて一個軍団をシュヴァーン河に派遣します。ヴェヒターミュンデ城に二個師団、リッタートゥルム城に一個師団を派遣し、ラウシェンバッハが何を企もうが、対応できるようにしておきます」

 そこでマウラー元帥が発言する。

「本末転倒ではないか? 行われるか分からぬ陽動に一個軍団を投入し、皇都攻略に集中すべき戦力を減らすのはおかしいと思うのだが」

 マウラー元帥の言葉にバルツァー殿とエルレバッハ殿、ガリアード殿が賛同の声を上げる。

「余もマウラーの言が正しいと思うが、ペテルセンほどの戦略家が意味もなく戦力の分散を図るとは思えん。今少し理由を説明してくれ」

「既に皇国の内部は分裂しておりますので、皇都攻略に一個軍団と二個師団の計五万の兵力があれば充分です。それにゴットフリート殿下が二個軍団で成し得なかったことを、それ以下の兵力で達成した方が、陛下のお力を示すことができます」

「うむ。言わんとすることは分かる」

「陛下がゴットフリート殿下と同じ轍を踏むとは思いませんが、何と言ってもラウシェンバッハは謀略の天才です。どのような手を打ってきても対応できるだけの戦力を送り込めば、ラウシェンバッハといえども手を拱くしかありません。相手の想定を大きく上回る戦力の投入こそが、彼の謀略に対する最大の防御策であると考えています」

 自分でもラウシェンバッハに対して過剰反応していると思うが、後方を脅かされて皇都攻略作戦が滞るくらいなら、万全以上の体制で挑む方がよほど成功率は上がると思っている。

「私は総参謀長の考えに賛成です」

 そう発言したのはシュテヒェルト殿だった。

「理由を聞こうか」

 シュテヒェルト殿は陛下に一礼すると、説明を始めた。

「今回の合同演習に関して、これまで以上に情報が集まっています。意図的に流したことは間違いないですが、このように我々を悩ませるために流したのではないかと思いました」

「うむ。そうかもしれんな。だが、それが大兵力を回す理由にならんと思うが」

「ラウシェンバッハの意図は分かりませんが、裏を掻かれるより、最初から何があっても対応しておくとしておいた方が混乱は少なくなります。仮にこれがラウシェンバッハの目的であったとしても、総参謀長のおっしゃる通り、皇都攻略作戦に二個軍団以上は不要であるなら、不確定要素である王国に回す方が合理的だと思います」

「確かに合理的だな。他の者たちの意見はどうか」

 陛下がそうおっしゃるが、全員が私の案に賛同した。

「では、第二軍団をシュヴァーン河に派遣する。エルレバッハよ、頼んだぞ。卿ならラウシェンバッハの策に乗ることもないからな」

「はっ! 必ずや前回の雪辱を晴らしてみせます」

 御前会議は終わったが、ラウシェンバッハの恐ろしさをしみじみと感じていた。

(陛下を始め、あれだけの優秀な将や政治家が集まっても奴の考えが読めん。提案した私ですら未だにこれでよかったのかと迷っているほどだからな。奴に主導権を握らせぬようにせねばならんな……)

 私はそう思いながら、白ワインを飲み干した。
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