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第十章:「雌伏編」

第四十話「回想」

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 統一暦一二〇七年六月三十日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グレーフェンベルク伯爵邸。クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵

 屋敷の寝室で目覚めた。
 窓のカーテンは閉められているが、漏れてくる光から昼過ぎだと分かる。
 ここ最近は夢と現実の境が曖昧だったが、今日は珍しく意識がはっきりしている。

(もう剣も握れぬな……私の命が燃え尽きるのも時間の問題のようだ……)

 棒のようにやせ細った腕を見つめながら、自嘲する。
 大賢者様から言われていた余命は、今年の夏を越えることはできないというものだが、夏を迎えることすら難しそうだと思っていた。

(そう言えば、ちょうど十年前の今頃、グランツフート共和国に行ってケンプフェルト将軍と会っていたな……あれからまだ十年しか経っていないのか……)

 そして、マティアス君と初めて会った時のことを思い出す。

(あれはフェアラート会戦の混乱がようやく収まった頃、新緑がまぶしい五月のことだったな……)

 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏の屋敷で、初めて彼と出会った。

(新緑に包まれた庭が見える応接室のソファに、彼はちょこんと座っており、儚げな少女のようだったな……)

 最初はネッツァー氏が案内する部屋を間違えたのだと思った。こんな子供があの計画書を作ったとは思えなかったからだ

『グレーフェンベルク子爵閣下ですね。わざわざお越しいただき、ありがとうございます』

 当時のマティアス君は十三歳になったばかりで、声変わりもしていなかった。

 それから騎士団改革の計画書について話をした。
 話をするうちに目の前の少年が老練な軍人か、博識な研究者のように感じ、見た目とのギャップに困惑したことをよく覚えている。

(あの頃は楽しかったな……)

 当時は王国軍を立て直さないといけないと危機感を持っていたが、今思えば一番楽しかった時かもしれない。

 計画書に沿って改革を進めると、面白いように成果が出る。
 カルステン殿と試行錯誤しながら四苦八苦していたが、やる気だけは充分で、夜遅くまで改革について議論した。

 それからしばらくして、王国騎士団が創設され、新編成の第二騎士団の団長に就任した。
 マルクトホーフェン侯爵らに邪魔されたが、それでも毎日が充実していた。

 ただゾルダート帝国の脅威は着実に王国に迫っており、当時は胃がキリキリと痛む日が続いた気がする。

 実際、帝国軍はフェアラートの町まで迫り、マティアス君の妨害工作が成功しなければ、ヴェヒターミュンデ城が攻撃された可能性が高い。

 一応防衛体制を強化していたから、帝国軍といえども撃退できたと思うが、その指揮を執らねばならないという重圧感は今でもはっきりと覚えている。

(あの頃はマティアス君が傍にいなかったからな。そう思うと戦いにならなくてよかったと思う。当時の私では大きなミスをせずに指揮を全うできたか微妙だからな……)

 それから彼が構築した情報網をフルに活用して、帝国に対する謀略を行った。

(皇帝をキリキリ舞いさせていた。情報が届く度に本当のことかと思ったものだ……)

 まだ十代半ばの少年が、英雄として名高い皇帝コルネリウス二世と、既に政戦の天才と言われていたマクシミリアンを混乱させていた。その手際の良さに賞賛と戦慄が混じった複雑な思いをしたことを思い出す。

 それからレヒト法国の聖堂騎士団がヴェストエッケに向けて進軍するという情報が入ってきた。その数は二万以上。更に新兵器を用意していると聞き、絶望しそうになった。

(あの時ほど、彼の微笑みが頼もしいと思ったことはなかったな……)

 心理戦によって鳳凰騎士団と黒狼騎士団を分断する見事な策。そして、私では想像すらできない新兵器に対する完璧な防御策の提案。
 見たこともない兵器の弱点を間者の報告だけで看破し、完璧な準備を行っていた。

(本当に千里眼を持つのだと思ったものだ。彼がいれば我が国は心配ない。あの微笑みがある限り、無尽蔵に策が出てくるのだと本気で思った。あの時も今思えば楽しかったのだろうな……)

 そんなことを考えていると、自然と笑みが零れていた。

 この戦いで私は王国一の軍略家と呼ばれるようになった。
 私にとっては虚名に過ぎないが、それすら彼は利用した。

 それからフェアラート攻略戦、ヴェヒターミュンデ城の戦いと帝国軍の精鋭を相手に翻弄し、グライフトゥルム王国史上最高の勝利を得ることができた。

(これで後は国内を何とかすれば、数十年に渡って王国を守り切れる。そう思ったのだが……)

 私は自身の運を使い切ったようだ。
 帝国軍に勝利し、その戦後処理が終わった辺りから、私の体調は崩れ始めた。
 最初の頃は四十歳になり、疲れが取れなくなってきたのだと思っていたが、それは間違いだった。

 大賢者様の診断を受けて不治の病だと知ったが、やはりそうだったかと納得し、思った以上にショックは少なかった。
 ただ残された時間が少ないことに焦りを覚えた。

(自分が生きている間に何ができるのだろう。そんな思いが強かったな……)

 年が明けてからは、いつ倒れてもおかしくなかった。
 それでも少しでも時間を有効に使いたいと思い、無理を承知で騎士団の指揮を執り続けた。
 残された時間が刻一刻と減っていく。そんな焦慮感に苛まれていたからだ。

(今思えば、もう少しやりようはあった気がするな。マンフレートが私の病を知った時の憤りを思えば、彼を信用してもよかったかもしれん。まあ今更だが……)

 そんなことを考えていたが、また意識があやふやになり始めた。

 虫の声がうるさい真夏の草原で、マティアス君、ラザファム、イリス、ケンプフェルト将軍と一緒に、エッフェンベルク騎士団の演習を見ていた。

(カルステン殿が頑張っているな……彼なら大丈夫だ……)

 そう思ったら、今度は細い三日月の夜空に、灯りに照らされた長い城壁、城主館の前の広場に並ぶ第二騎士団の兵士たちが構える煌めく剣という、幻想的な風景が現れる。
 生暖かな風が頬を撫でる気がした。

(ヴェストエッケの夜戦か……ラザファムとハルトムートが無理をしなければいいのだが……マティアス君が大丈夫だと言っているから問題はないのだろうが……)

 そしてその風景も変わり、シュヴァーン河から流れてくる涼しい風に、吐き気を催す血の匂いが混じっている。
 私の傍らにはマティアス君が通信の魔導具を使って情報を集め、適切に助言している。

(ヴェヒターミュンデ城か……マティアス君を始めとした若い連中が頑張っているな。彼らにどう報いたらいいかな……)

 そこで意識が少しはっきりする。

(夢か……そう言えば、いつも彼が近くにいて助言してくれた。そのお陰で今の私があるということだな……私は運がいい。彼と出会い、その知恵を借りることができたのだから……)

 右手に感触があり、そちらに視線を向ける。

「父上、お笑いになっていましたが、よい夢が見られましたか?」

 長男のアルトゥールが涙を湛えた目で私を見つめている。
 左手には妻のルイーゼが目を真っ赤にして無理やり笑っていた。
 私が悲しまないように。

 私も妻たちの気遣いに応えるため、気付かないふりをして笑みを浮かべる。

「ああ。楽しい夢だった……エッフェンベルク、ヴェストエッケ、ヴェヒターミュンデ……」

「それはよかったですね。どのような夢だったか、教えてください」

 アルトゥールの瞳から涙が零れる。

「あれは……マティアス君と初めて会った時……カルステン殿と……ラザファムとハルトムートが……」

 意識が混濁して自分でも話しているのか、うわごとを言っているのか分からない。
 それでも話したいと思った。
 私が生きてきた証を、どのように生きてきたかを。

「そうなんですか。私も一緒に居たかったです。父上と……」

「……私も同じだ。お前たちとまだまだ一緒に居たい……」

 そこで私の視野がぼやけた。
 知らぬうちに涙が零れていたらしい。

「悔しいな。時間が……私にもう少し時間があれば……」

 妻たちのすすり泣く声が聞こえてくる。

「お前たちを愛している……これからも……」

 そこで私の意識は再び混濁した。

「……父上!……」

「あなた! しっかりし……」

 遠くから妻や息子たちが叫ぶ声が聞こえたような気がした。
 私はその声を聞きながら、幸せな頃の夢を見ていた。
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