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第十章:「雌伏編」
第二十話「名誉の回復:その五」
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統一暦一二〇六年十月二十二日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
昼食を摂っていると、コルネール・フォン・アイスナー男爵がやってきた。
いつも通りの無表情だが、急ぎ報告すべき事態が起きたようだ。
「何かあったのでしょうか?」
一緒に昼食を摂っていたエルンスト・フォン・ヴィージンガーが私に代わって質問する。
「平民街でならず者のアジトに手入れが入りました。領都から逃げ出した獣人族が匿われていたロシュ一家のところです」
「ホルクマイヤーにしては仕事が早いな。グレーフェンベルクが手を貸したのか?」
第一騎士団長ピエール・フォン・ホルクマイヤー子爵は、王家への忠誠心だけが取り柄の凡将だ。そのため、これほど早く動けたのは、グレーフェンベルクが手を貸したと考えたのだ。しかし、アイスナーは小さく首を横に振る。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハが自ら動きました。私兵である黒獣猟兵団を指揮し、夜明け前にアジトを強襲しました。頭目であるブルーノ・ロシュを始め、匿われていたゴーロら獣人もすべて捕縛されたそうです」
「ラウシェンバッハが動いた……珍しいこともあるものだな」
謀略が得意なだけだと思っていたが、自ら指揮を執ったことが意外だった。
それでも問題があるとは思えず、なぜアイスナーが急いで報告に来たのか気になった。
「お前が急いで報告に来たのはなぜだ? ならず者たちが捕らえられようと、我らが関与した証拠は何もないはずだ。それともお前がしくじり、証拠を掴まれてしまったのか?」
私の詰問にアイスナーは無表情で首を横に振る。こういった仕草が意外に癇に障る。
「証拠は残しておりませんし、ブルーノが証言しても言いがかりだと突っぱねることは容易いことです。しかし、相手は情報操作の天才です。既に平民街ではマルクトホーフェン侯爵家がならず者を王都に引き込み、マフィアたちと共謀して違法奴隷取引を行っていたという噂が広がっています。至急対処しなければ、手遅れになるかもしれません」
そこで私は思わず立ち上がる。
「どういうことだ! ラウシェンバッハは証拠もなく、我がマルクトホーフェン侯爵家を貶めたというのか! そのようなことをしたのであれば、その事実をもって奴を断罪してやる!」
私が激高すると、ヴィージンガーも顔を赤くして叫んだ。
「たかが子爵家の嫡男が五侯爵家の筆頭であるマルクトホーフェン侯爵家に言いがかりをつけてきたのですか! 許せることではありません!」
しかし、アイスナーは冷静なままだ。
「そうではありません。噂を集めた限りでは、ラウシェンバッハが断定的なことを言ったという事実はありません。あくまで仄めかしただけのようです」
「仄めかしただと……それでも我が家に対する誹謗中傷には違いあるまい!」
「お館様がお怒りになってもラウシェンバッハは否定するだけでしょう。彼は事実だけしか口にしていないですし、平民たちが勝手に憶測で話していることまで責任を問われても困ると居直るだけです。そうなれば、彼はお館様が平民の噂を気にする小心者であり、この程度のことも許容できないほど狭量だという噂を流すことでしょう」
アイスナーの言わんとすることは理解できるが、腹の虫が収まらない。
どうにか報復の手段がないかと考えていると、アイスナーが平板な声で質問してきた。
「お館様にお聞きしたいことがございます」
「なんだ?」
「一昨日、西門でラウシェンバッハに嫌がらせを行ったという事実はございますでしょうか?」
話が全く見えない。
「何のことだ? そのような報告は聞いていないが」
「では、ヴィージンガー殿はどうですかな? ハンノ・ウルブリヒトなる騎士がラウシェンバッハの家臣である獣人を捕らえようとして、逆に言いくるめられたと聞きましたが、ご存じないかな?」
そのような話は聞いていないが、ヴィージンガーの顔が歪んでおり、事実であると直感する。
「エルンストよ、それは真か?」
「……事実です」
小声で肯定するが、ラウシェンバッハ絡みの事件に関して報告がないことに怒りを覚える。
「なぜ私に報告しないのだ!」
「大したことではないと判断しました……」
そこでアイスナーが発言する。
「ウルブリヒトはヴィージンガー殿に命じられたと言っているそうです。それは事実ですかな?」
「事実です……」
そこで私はテーブルをバーンと叩く。
「何を考えている! 平民どもが獣人を嫌悪するには時間が掛かるのだ! それまでは噂を流すだけに留めておくという方針であったはずぞ!」
「ラウシェンバッハの獣人を暴発させるつもりだったのです。そうすれば、第一騎士団に手を出したという話まで付け加えることができますから、悪評が一気に広がると思ったのです」
私は怒鳴り散らす衝動を抑えきれなかった。
「愚か者が! ラウシェンバッハはあの皇帝ですら恐れるほどの謀略家なのだぞ! 下手に手を出せば、逆手に取られる。その程度のことも分からぬのか!」
ヴィージンガーはそこで頭を床にこすりつける。
「申し訳ございません! 私の浅慮でございました!」
「貴様は……」
更に怒鳴りつけようとすると、アイスナーが割って入ってきた。
「ここでヴィージンガー殿を責めても問題は解決いたしません。今はラウシェンバッハの謀略にどう対処するのか考えるべきでしょう」
アイスナーの声で頭に上った血が下がり、冷静さを取り戻す。
大きく深呼吸した後、意見を求めた。
「どうすべきだと思うか?」
「第一騎士団の者たちに今回のラウシェンバッハの越権行為を伝え、非難させましょう。彼らは家柄だけの無能な者ばかりですが、その分自分たちの領分を侵害されることに敏感です。彼らを通じて、実家にこの情報が入れば、ラウシェンバッハが権威を無視する人物だと印象付けられますし、マルクトホーフェン家はそのような非常識な者を咎めただけという話にも持っていきやすいと思います」
アイスナーの考えは一理あると思ったが、すぐに難しいと思い直した。
「その程度のことはラウシェンバッハも想定しているだろう。既に第一騎士団に手を回しているはずだ」
「確かにその可能性はございますな。では、クラース宰相を使い、ラウシェンバッハとホルクマイヤー子爵を叱責させてはどうでしょうか? ホルクマイヤーがラウシェンバッハに権限を委譲したことは組織を無視した行為であることは明らかです。そのことをもってラウシェンバッハが秩序の破壊者であると、貴族の間に話を広めれば、彼のことを危険視する者が増えるはずです」
「うむ。それならば、私の主張としてもおかしなものではないな。平民に疑われたのは私の不徳だが、だからといって秩序を破壊する行為を認めるのはおかしいと主張すれば、貴族たちも私を支持するはずだ」
貴族は体制側の人間であり、今の秩序を維持したいという保守的な者ばかりだ。
そう言った者たちは有能であっても秩序を乱す者は受け入れられない。
実際、私も経験している。
父が強制的に隠居させられ、十代半ばで家督を継いだが、若いというだけで侮られ、私の意見はことごとく無視された。
老いた貴族にとっては、年功序列も重要な秩序の一つだからだ。
「では、そのように動きましょう」
こうして方針が決まったが、ヴィージンガーの処分がある。
「貴様は敵を侮り、我が家を危機に追い込んだ。その償いはしてもらうぞ」
ヴィージンガーは萎れたような表情で俯いている。
「ど、どのようなことでもお命じください……」
「当分の間、アイスナーの部下として働け。アイスナーよ、この者を我がマルクトホーフェン家のために活用せよ。使い潰しても構わん」
「承知いたしました」
「エルンストよ。使えぬのであれば、ヴィージンガー子爵家は相続させぬ。その覚悟で働け。分かったな」
「はい……閣下のために身を粉にして尽くします……」
ヴィージンガーは泣きそうな顔で頷いていた。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
昼食を摂っていると、コルネール・フォン・アイスナー男爵がやってきた。
いつも通りの無表情だが、急ぎ報告すべき事態が起きたようだ。
「何かあったのでしょうか?」
一緒に昼食を摂っていたエルンスト・フォン・ヴィージンガーが私に代わって質問する。
「平民街でならず者のアジトに手入れが入りました。領都から逃げ出した獣人族が匿われていたロシュ一家のところです」
「ホルクマイヤーにしては仕事が早いな。グレーフェンベルクが手を貸したのか?」
第一騎士団長ピエール・フォン・ホルクマイヤー子爵は、王家への忠誠心だけが取り柄の凡将だ。そのため、これほど早く動けたのは、グレーフェンベルクが手を貸したと考えたのだ。しかし、アイスナーは小さく首を横に振る。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハが自ら動きました。私兵である黒獣猟兵団を指揮し、夜明け前にアジトを強襲しました。頭目であるブルーノ・ロシュを始め、匿われていたゴーロら獣人もすべて捕縛されたそうです」
「ラウシェンバッハが動いた……珍しいこともあるものだな」
謀略が得意なだけだと思っていたが、自ら指揮を執ったことが意外だった。
それでも問題があるとは思えず、なぜアイスナーが急いで報告に来たのか気になった。
「お前が急いで報告に来たのはなぜだ? ならず者たちが捕らえられようと、我らが関与した証拠は何もないはずだ。それともお前がしくじり、証拠を掴まれてしまったのか?」
私の詰問にアイスナーは無表情で首を横に振る。こういった仕草が意外に癇に障る。
「証拠は残しておりませんし、ブルーノが証言しても言いがかりだと突っぱねることは容易いことです。しかし、相手は情報操作の天才です。既に平民街ではマルクトホーフェン侯爵家がならず者を王都に引き込み、マフィアたちと共謀して違法奴隷取引を行っていたという噂が広がっています。至急対処しなければ、手遅れになるかもしれません」
そこで私は思わず立ち上がる。
「どういうことだ! ラウシェンバッハは証拠もなく、我がマルクトホーフェン侯爵家を貶めたというのか! そのようなことをしたのであれば、その事実をもって奴を断罪してやる!」
私が激高すると、ヴィージンガーも顔を赤くして叫んだ。
「たかが子爵家の嫡男が五侯爵家の筆頭であるマルクトホーフェン侯爵家に言いがかりをつけてきたのですか! 許せることではありません!」
しかし、アイスナーは冷静なままだ。
「そうではありません。噂を集めた限りでは、ラウシェンバッハが断定的なことを言ったという事実はありません。あくまで仄めかしただけのようです」
「仄めかしただと……それでも我が家に対する誹謗中傷には違いあるまい!」
「お館様がお怒りになってもラウシェンバッハは否定するだけでしょう。彼は事実だけしか口にしていないですし、平民たちが勝手に憶測で話していることまで責任を問われても困ると居直るだけです。そうなれば、彼はお館様が平民の噂を気にする小心者であり、この程度のことも許容できないほど狭量だという噂を流すことでしょう」
アイスナーの言わんとすることは理解できるが、腹の虫が収まらない。
どうにか報復の手段がないかと考えていると、アイスナーが平板な声で質問してきた。
「お館様にお聞きしたいことがございます」
「なんだ?」
「一昨日、西門でラウシェンバッハに嫌がらせを行ったという事実はございますでしょうか?」
話が全く見えない。
「何のことだ? そのような報告は聞いていないが」
「では、ヴィージンガー殿はどうですかな? ハンノ・ウルブリヒトなる騎士がラウシェンバッハの家臣である獣人を捕らえようとして、逆に言いくるめられたと聞きましたが、ご存じないかな?」
そのような話は聞いていないが、ヴィージンガーの顔が歪んでおり、事実であると直感する。
「エルンストよ、それは真か?」
「……事実です」
小声で肯定するが、ラウシェンバッハ絡みの事件に関して報告がないことに怒りを覚える。
「なぜ私に報告しないのだ!」
「大したことではないと判断しました……」
そこでアイスナーが発言する。
「ウルブリヒトはヴィージンガー殿に命じられたと言っているそうです。それは事実ですかな?」
「事実です……」
そこで私はテーブルをバーンと叩く。
「何を考えている! 平民どもが獣人を嫌悪するには時間が掛かるのだ! それまでは噂を流すだけに留めておくという方針であったはずぞ!」
「ラウシェンバッハの獣人を暴発させるつもりだったのです。そうすれば、第一騎士団に手を出したという話まで付け加えることができますから、悪評が一気に広がると思ったのです」
私は怒鳴り散らす衝動を抑えきれなかった。
「愚か者が! ラウシェンバッハはあの皇帝ですら恐れるほどの謀略家なのだぞ! 下手に手を出せば、逆手に取られる。その程度のことも分からぬのか!」
ヴィージンガーはそこで頭を床にこすりつける。
「申し訳ございません! 私の浅慮でございました!」
「貴様は……」
更に怒鳴りつけようとすると、アイスナーが割って入ってきた。
「ここでヴィージンガー殿を責めても問題は解決いたしません。今はラウシェンバッハの謀略にどう対処するのか考えるべきでしょう」
アイスナーの声で頭に上った血が下がり、冷静さを取り戻す。
大きく深呼吸した後、意見を求めた。
「どうすべきだと思うか?」
「第一騎士団の者たちに今回のラウシェンバッハの越権行為を伝え、非難させましょう。彼らは家柄だけの無能な者ばかりですが、その分自分たちの領分を侵害されることに敏感です。彼らを通じて、実家にこの情報が入れば、ラウシェンバッハが権威を無視する人物だと印象付けられますし、マルクトホーフェン家はそのような非常識な者を咎めただけという話にも持っていきやすいと思います」
アイスナーの考えは一理あると思ったが、すぐに難しいと思い直した。
「その程度のことはラウシェンバッハも想定しているだろう。既に第一騎士団に手を回しているはずだ」
「確かにその可能性はございますな。では、クラース宰相を使い、ラウシェンバッハとホルクマイヤー子爵を叱責させてはどうでしょうか? ホルクマイヤーがラウシェンバッハに権限を委譲したことは組織を無視した行為であることは明らかです。そのことをもってラウシェンバッハが秩序の破壊者であると、貴族の間に話を広めれば、彼のことを危険視する者が増えるはずです」
「うむ。それならば、私の主張としてもおかしなものではないな。平民に疑われたのは私の不徳だが、だからといって秩序を破壊する行為を認めるのはおかしいと主張すれば、貴族たちも私を支持するはずだ」
貴族は体制側の人間であり、今の秩序を維持したいという保守的な者ばかりだ。
そう言った者たちは有能であっても秩序を乱す者は受け入れられない。
実際、私も経験している。
父が強制的に隠居させられ、十代半ばで家督を継いだが、若いというだけで侮られ、私の意見はことごとく無視された。
老いた貴族にとっては、年功序列も重要な秩序の一つだからだ。
「では、そのように動きましょう」
こうして方針が決まったが、ヴィージンガーの処分がある。
「貴様は敵を侮り、我が家を危機に追い込んだ。その償いはしてもらうぞ」
ヴィージンガーは萎れたような表情で俯いている。
「ど、どのようなことでもお命じください……」
「当分の間、アイスナーの部下として働け。アイスナーよ、この者を我がマルクトホーフェン家のために活用せよ。使い潰しても構わん」
「承知いたしました」
「エルンストよ。使えぬのであれば、ヴィージンガー子爵家は相続させぬ。その覚悟で働け。分かったな」
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