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第十章:「雌伏編」

第九話「守備隊の増強:前編」

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 統一暦一二〇六年七月二十六日。
 グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。黒獣猟兵団員エレン・ヴォルフ

 マティアス様とイリス様の護衛として、俺は領都ラウシェンバッハに入った。
 黒獣猟兵団からは、俺たちヴォルフ族五名とヴェラ率いる白虎ヴァイスティーガー族五名が選ばれている。

 白虎族は全員女性であり、今回の護衛十名のうち七人が女となっている。黒獣猟兵団の男女比はほぼ一対一だから、今回は珍しい構成だ。
 これは我々が意図したことではなく、マティアス様のご指示だった。

『彼女たちは目立つから、我々を見た旅人はいろいろなところで話のネタにするはずだ。マルクトホーフェン侯爵の手の者も帝国の諜報局も私の動向は調べているだろうけど、噂を集めても彼女たちのことしか出てこない。やりにくいだろうね……』

 そうおっしゃりながら微笑まれた。
 確かにヴェラたちは長身の美女揃いで、同じ装備に身を固めているからとても目立つ。

 俺自身、旅行中にすれ違ったら、彼女たちにだけ注目するだろう。
 実際、マティアス様のお考え通り、すれ違う旅人たちは皆、ヴェラたちに目を奪われていた。

 しかし、注目を浴びるということは、マルクトホーフェン侯爵や帝国が我々の行動を把握しやすくなるということだ。
 つまり待ち伏せでの攻撃を受けやすいということになる。その懸念を伝えている。

『侯爵や帝国の暗殺者が待ち伏せを行いやすくなりますが』

『君たちを信頼しているから、気にしていないよ。カルラさんやユーダさんから聞いているけど、また腕を上げたそうじゃないか。“真実の番人ヴァールヴェヒター”だけじゃなく、“ナハト”の暗殺者とも互角に戦えるそうだね』

 そのお言葉にイリス様も頷かれた。

『私もエレンたちは強くなったと思うわ。もっとも“ナハト”の実力を知らないから、本当に互角なのかは分からないけど、カルラが言うならそうなのだと思うわ』

 カルラ様は“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”のトップであり、恐らく“ナハト”とも何度も戦っているはずだ。
 その方から評価され、俺は胸が熱くなった。

 そんな話を思い出したが、ラウシェンバッハまでの行程では一度も襲撃を受けることはなかった。但し、陰供である“シャッテン”からは尾行や待ち伏せが何度もあったと聞いており、決して安全な旅ではなかった。

 領都に入ると、いつも通り領民たちの熱烈な歓迎を受ける。
 特に先触れを出したわけではないが、途中のヴィントムント市で時間を使っていることから、マティアス様が戻ってこられるという情報が先に入ったようだ。

 屋敷に入ると、代官であるムスタファ・フリッシュムート様やご子息のエーベルハルト様など、ラウシェンバッハ家の家臣の方々の出迎えを受ける。

「お帰りなさいませ、マティアス様、奥方様」

 ムスタファ様たちが一斉に頭を下げる。
 マティアス様は笑顔でそれに応えられた。

「出迎えありがとう。領民たちの笑顔を見る限り、何も問題ないようだね」

「本当にそう思うわ。皆幸せそうな感じだし、統治が上手くいっている証拠ね」

 イリス様もお褒めになる。

 屋敷の中に入ると、護衛は俺とレーネの二人だけになる。さすがに十人がぞろぞろと付いて回るわけにはいかないからだ。

 マティアス様からは屋敷の中で護衛は不要と言われているが、カルラ様から命じられているのだ。

『屋敷の中でもできる限り、お傍にいるようにしなさい』

 その意図が最初はよく分からなかった。
 カルラ様とユーダ殿に加え、三人のシャッテンが常時お守りしているのだ。屋敷の中でそれだけの護衛を突破できることは考えられない。
 そのことを確認すると、カルラ様が説明してくださった。

『私たちは目立たないように護衛をしていますが、あなたたちがいることで常に護衛が付いているのだと誰もが認識します。そのことが伝われば、暗殺を実行に移そうとしなくなりますし、実行する場合も大掛かりなものにせざるを得なくなります。多くの者が動けば、事前に察知できますから、奇襲を受ける可能性が減るのです』

 なるほどと思った記憶がある。

 我々黒獣猟兵団はマティアス様たちの護衛の傍ら、カルラ様の命令で騎士団本部に行って兵士たちと手合わせをすることが多い。

 そのため、我々が凄腕であるという噂が広まったが、こういった目的もあったのだと感心した記憶がある。

 到着した日、マティアス様はムスタファ様たちと会食をされ、家督相続の話をされた。
 その場にも居させていただいたが、ムスタファ様もそろそろというお気持ちがあったのか、驚かれるようなことはなかった。

 翌日は町の主だった者たちが集まった。
 ラウシェンバッハには商人組合ヘンドラーツンフトの商人たちが多く支店を出している。その商人たちも多くが集まり、百人近い人数になった。

 これは若き天才軍略家として有名になったマティアス様と、繋がりを持ちたいと考えている者が多いためだ。
 そんな中、我々黒獣猟兵団は不審者がいないか緊張しながら護衛に当たっていた。

 マティアス様の近く立っていると、フレディ・モーリスに質問している商人の声が聞こえてきた。

「マティアス様の今回の帰郷の目的は何なのか、知っているかな?」

「帝国との戦いの可能性が低くなりましたし、士官学校も夏休みに入りましたから、領地に顔を出しておきたいとおっしゃっておられました。何と言ってもお忙しい方ですし、なかなかここまでくる機会がないので……」

 フレディは十三歳だが、上手く答えている。
 本当はムスタファ様に家督相続の話をするためだが、そのことがマルクトホーフェン侯爵に知られると面倒なことになることをきちんと理解している。

「本当にそれだけかね? 騎士団関係で何かあるなら教えてほしいのだが」

「それでしたら、帝国軍の捕虜がいた収容所の跡地の確認もされると聞いていますよ。あそこを王国騎士団の補給拠点にするという計画があるので、その警備体制をどうするか確認したいとおっしゃっておられましたね」

「ほう。あの場所を補給拠点に……そうなると、ラウシェンバッハ子爵家が警備に当たるのか。なるほど……それはよいことを教えてもらった」

 フレディとダニエルに接触してくる商人が多いだろうから、収容所跡地のことを話すようにと、事前にマティアス様に命じられていたのだ。

 顔見せだけでは理由として弱いので、別のもっともらしい理由を二人の口から言わせれば、それを信じて他のことに目が向かなくなるからだそうだ。

 翌日の七月二十八日、収容所跡地に向かった。
 跡地までは領都から五キロメートルも離れていない。そのため、朝九時頃と比較的ゆっくりとした出発だ。

 収容所跡地までは馬車が往来できるようにしっかりとした道が作られている。
 といっても、今日は馬車ではなく、マティアス様も馬で移動される。

 同行者はイリス様とモーリス兄弟、カルラ様たちシャッテンの護衛、そして代官のご子息であるエーベルハルト・フリッシュムート様で、いずれも騎乗だ。

 しかし、俺たち黒獣猟兵団は全員が徒歩だ。騎乗での戦闘も訓練しているが、暗殺者から守るためには地に足を付けていた方がいいためだ。

「半年以上経ったのに、よく手入れされているわ。デニスたちが頑張ってくれているのね」

 イリス様から親父の名が出た。
 跡地含め、我々獣人族にこの辺りの管理が任されているのだ。

 収容所跡地が見えてきた。
 ここは一キロメートル四方ほどの開かれた土地で、周囲には簡単な柵が設置されている。また、西側には五十棟ほどの木造の建物が並んでいるのが見えた。

 簡単な作りの門を入ると、数千人の同胞が片膝を突いて待っていた。
 その中には俺たち黒獣猟兵団の制服を着た者が百人ほどおり、その最前列に親父であるデニス・ヴォルフの姿があった。

「お待ちしておりました」

 親父が顔を上げ、代表して出迎えの言葉を伝える。

「出迎えありがとう。では、皆も楽にしてほしい」

 マティアス様がそうおっしゃると、同胞たちは一斉に立ち上がった。
 ユーダ殿の部下が拡声の魔導具を用意する。こうなることが分かっていたようだが、マティアス様の顔には苦笑が見えたので、聞いておられなかったようだ。

 マティアス様はマイクを手に取られると、話し始めた。

「捕虜のことでは、いろいろと助かった! また、今回守備隊を更に拡充することになったが、皆の力を借りたいと思っている! 詳細は各族長に伝えるが、まずは私から感謝の言葉を伝えたい。本当にありがとう!」

 マティアス様はそうおっしゃると頭を下げられた。
 親父たちも同じように慌てて頭を下げている。

 俺たちは護衛ということでそれには加わっていないが、両方が頭を下げている状況に我々はどうしたらいいのかと少しだけ困惑する。
 マティアス様が頭を上げるようにおっしゃり、それでこの場は収まり、俺も心の中で安堵した。

「ここにいる者が守備隊の候補と考えていいのかな?」

「はい。百名は既に黒獣猟兵団員ですが、その他に四千八百二十名おります。その全てが黒獣猟兵団に入団できるレベルに達しているとされた者です」

「ほぼ五千人……凄い数ね……」

 イリス様が驚いて独り言を呟いておられた。
 俺はどこに驚く要素があるのだろうと不思議に思っている。

 元々、俺たち五十名が選抜された時も三千人以上が候補だった。それも急遽決められたため、三千人だったが、実力だけなら一万人近くになってもおかしくはないのだ。

「これだけ集まってくれてありがとう! あとで皆の実力は見させてもらうけど、とりあえず族長たちと話をさせてもらう!」

 マティアス様はそれだけおっしゃると、親父の方に視線を向けた。

「それではご案内いたします」

 俺たちはひと際大きな建物に向かった。
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