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第六章:「蠢動編」

第二十四話「秘密の共有」

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 統一暦一二〇四年六月六日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。イリス・フォン・ラウシェンバッハ

 今日は私の二十歳の誕生日だけど、人生で一番幸せな日だった。
 それはマティとの結婚式の日だから。

 神官様の前で結婚の誓いをし、彼と口づけを交わした。
 これで本当に夫婦になれたのだと、涙が零れそうになった。でも、今日は晴れの日だから涙を我慢して笑顔を作ったわ。

 式が終わり、愛する夫、マティと一緒に招待客に挨拶をしているけど、幸せ過ぎてフワフワとした感じ。これが現実なのかって不安になるほど。

 マティと出会ってから七年半。いつ好きになったのか覚えていないけど、すぐに魅かれた気がしている。
 身体は弱そうなのになぜか大人びていて、私や兄様とは違うと思ったからだと思う。

 あれからいろいろなことを一緒にした。

 エッフェンベルクに行ってケンプフェルト将軍に指導をしてもらったり、ラウシェンバッハに行って獣人たちの生活に驚いたり、ヴェストエッケでは一緒に参謀として考えたりと、彼と出会う前には考えられないようなことが多かった。

 これからはもっと一緒にいられる。だからとても幸せな気分。

 今日のお客様は親戚や学院関係の人が多い。
 その人たちに二人で挨拶をするけど、「イリス・フォン・ラウシェンバッハ」と名乗る時がちょっとくすぐったい。

 これからは“ラウシェンバッハ”という家名になるのだけど、そのことがうれしいような恥ずかしいようなそんな感じ。

 招待客の一人である、モーリス商会の商会長ライナルト・モーリス氏に挨拶をする。

「モーリスさん、今日はありがとうございます」

 マティの言葉に私も同じように「ありがとうございます」と言って頭を軽く下げる。
 本来、貴族が平民に頭を下げることはあまりないのだが、彼と一緒にいると自然と身についており、特に気にならない。

「マティアス様、イリス様、本日はおめでとうございます。このようにお美しい奥方様を迎えられるマティアス様が羨ましいです」

 モーリスの言葉に私は顔が熱くなる。

「いつもご迷惑をおかけして申し訳ないのに、あんなに祝いの品をいただいて恐縮です」

 マティが言う通り、モーリス商会はとてもたくさんの贈り物を持ってきていた。

 シュッツェハーゲン王国の黒檀を使った家具、グライフトゥルム市の魔導具職人が作った冷蔵の魔導具や最新式の魔導コンロ、グランツフート共和国の高級なワインなどで、私には総額がいくらなのか想像もできないほど。

 但し、あまり大っぴらに運び込むと、帝国の間者に見られるから、パーティ用の食材などと一緒に裏口からコッソリ運び込んでいる。

「いえいえ。マティアス様にはこれまで大変お世話になっておりますので、全く見合っておらず、こちらこそ恐縮しております」

 その言葉に少しだけ違和感を持った。
 モーリス商会にはいろいろと頼んでいることが多く、マティは儲けになっていないから気が引けると言っていたはず。

「今回の件では大賢者様も気にされており、何かの機会に埋め合わせをしなければとおっしゃっておられましたよ」

 彼と大賢者様が顔見知りなのは知っているけど、ここまで親しいとは思っていなかった。

「大賢者様が! そんな恐れ多い……」

 モーリスが大きく反応するが、それは当然だろう。私も大賢者様にそんなことを言われたら、嬉しいより恐れ多いという気持ちにしかならないと思う。

 モーリスとはもう少し話したけど、他のお客様のところを回る必要があり、話を切り上げた。

 午後三時くらいにパーティが終わった。
 お父様たちはここから帰っていくけど、私は今日からここに住む。

 ラウシェンバッハ子爵家の屋敷はエッフェンベルク伯爵家のものより少し狭いけど、私たちが住むのに何の問題もない。それどころか、調度品などは実家よりもよい物が多いほど。

 これはラウシェンバッハ領での税収が上がったことから、マティがモーリス商会から買うよう、当主であるリヒャルト様に頼んだかららしい。

 それからマティだけでなく、義父様おとうさま、義母であるヘーデ様、義理の弟になるヘルマン君と共にゆったりと時間を過ごした。

 夕食後、私たちはこれから過ごすことになる部屋に向かった。

 部屋に入ると、マティは上着を脱ぎ、ジャボを緩める。
 私も着替えたかったけど、恥ずかしくて着替えることができない。

「これからここに住むことになるのね。あなたと……」

「そうだね。これからはいつも一緒だ」

 私を抱きしめてそういうと、静かにキスをする。
 しばらくそうしていた後、彼が真剣な表情で私を見つめていた。

「君に話しておかなくてはいけないことがある」

 そう言った後、ソファに向かった。
 私が座ると、彼はゆっくりとした口調で話し始めた。

「私が叡智の守護者ヴァイスヴァッヘと関係があるのは知っているよね」

「ええ。あなたが治療のために魔導師の塔にいたことは知っているし、ネッツァーさんと頻繁に会っていることや、カルラやユーダが闇の監視者シャッテンヴァッヘシャッテンであることも聞いているわ。どうして治療を受けただけでシャッテンの護衛が付くのかは理解していないけど」

 私も短い間だけど近衛騎士として王宮にいたから知っているけど、闇の監視者シャッテンヴァッヘ陰供シャッテンは王室関係者でも国王陛下ご夫妻と王子様方などにしか付かない。

 理由は凄腕の彼らを雇うのに膨大なお金がいるからで、国王陛下ですら三人くらいしかいないと言われていた。

 しかし、マティには常時三人の護衛が付き、更にヴェストエッケでは十人以上のシャッテンを使っている。それが不思議で仕方なかったし、聞いてもはぐらかされるだけで教えてもらえなかった。

「私は治療のために魔導師の塔に行った。これは事実だけど、ただ治療を受けていただけじゃなかった。君も知っている叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室だけど、あれは私が始めたものなんだ」

「情報分析室をマティが……でも、情報分析室は昔からあるのでしょ。おかしいわ……」

 私が情報分析室のことを知ったのは、初等部を卒業する頃だから五年以上前だ。その頃も詳しく知っていたわけではないけど、既にあったことは間違いない。

 マティが作ったということは初等部に入る前だから、どんなに大きくなっていたとしても十二歳頃になる。初等部に入る前の子供にできるわけがないと思った。

 でも、そこで昔のことを思い出した。
 彼は初等部の入学試験で満点を取っている。つまり、研究科に入るくらいの知識が既にあったということを思い出したのだ。

「私が最初に始めたのは八歳の頃だった。その当時は情報がきちんと整理されていないから、それを整理していただけだったけど、大賢者様が組織として立ち上げるように指示されて、九歳の頃には正式な組織として情報分析室が発足したんだ……」

 マティの顔を見るけど、私をからかっている感じはない。

「情報分析室はいろいろなところから情報を得て整理しているけど、それだけじゃないんだ。その情報を基にして、王国を守るためにいろいろと活動している。と言っても、情報を操作して敵が嫌がる噂を広めたり、敵の敵に情報を与えて混乱させたりする程度だけどね」

 敵を混乱させる程度という言葉に思わず突っ込んでしまう。

「それって大変なことじゃないの」

「実際に現地でやってくれる人は大変だけど、指示を出す方はそうでもないよ」

 そんなことはないと思った。
 去年、ヴェストエッケで遠くから指示を出したけど、その時は通信の魔導具で直接指示を出せたのに、現地を見ていないから慣れるまで大変だった。

 マティがやっていることはそれより遥かに凄い。
 一度も行ったことがなく、千キロ以上も離れている帝都や聖都にいる人に的確に指示を出すなんて、想像もできないから。

「話を戻すけど、私は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室や闇の監視者シャッテンヴァッヘと関係があって、帝国や法国に謀略を仕掛けている。他にも騎士団改革の素案を作って、王国軍を強化した。まあ、こっちは私よりグレーフェンベルク閣下が頑張られた結果なのだけどね」

「騎士団改革のことは薄々気づいていたわ。だって、あの教本はあなたが作ったものなのでしょ。なら、計画を作ったのもあなたじゃないかと思っていたわ。だって、あれほどの計画を作れるのは世界でもあなたくらいしかいないもの」

 エッフェンベルク騎士団の改革を行う頃、指揮官用の教本を見せてもらっており、その時にすべての内容を知っているから、彼が作ったんじゃないかと思っていた。

「私が怖くないかい? 十歳くらいの子供がそんなことをしていたんだよ。それに今も帝国や法国の人々が苦しむことが分かっていて謀略を仕掛けている」

 その問いにはすぐに答えた。

「いいえ。全然怖くなんてないわ。だって、あなたなのだから」

「理由になっていないね」

 そう言って苦笑している。

「そんなことないわ。あなたは優しいし、私のことをいつも考えてくれているわ。それに帝国や法国の人々のことは仕方がないわ。だって、放っておいたら私たちが不幸になるのよ。嫌なら戦争をする指導者に従わなければいいだけなのだから」

 最後のことは難しいことは百も承知しているわ。でもこう言わないと、彼が傷付く。

「もう一つ伝えておくことがあるんだ。私には別の世界で生きた人の記憶がある。なぜそんな記憶があるのかは分からないんだけど、それがあるからこれまでやってきたようなことができたんだ」

 その言葉にそれまで以上に衝撃を受けた。

「別の世界の人の記憶……どういうことなの……」

「よく分からないんだけど、全く別の世界で生きていた人の記憶が残っているんだ。記憶と言っても知識だけで、その人がどんな人だったのかもおぼろげに分かる程度なんだけどね」

 その話を聞いて安堵した。別の人格が一緒にいるのかと思ったけど、そうではなかったから。

「あなたに別の人が乗り移っているというわけじゃないのね。安心したわ」

 私の言葉に彼が驚く。

「気持ち悪くないのかい! 全く知らない人の記憶があるんだ。それもどこにあるかも分からない世界の」

「関係ないわ。あなたがあなたであるなら。大事なのはあなたが私の愛するマティアス・フォン・ラウシェンバッハであるということだけ」

 正直な思いだ。
 彼にどんな記憶があろうと、私が愛してきた人なら何も問題はない。

 彼は安堵の表情を浮かべた。

「そ、そうか……思い切って告白した甲斐があったよ」

 私は彼に近づき、抱きしめる。

「あなたは私の大切な人。それは何があっても変わらないわ」

 彼は私の言葉を聞き、涙を流し始めた。

「不安だったんだ。君に話して嫌われるんじゃないかって……でも、隠し事はしたくなかった……本当に良かった……」

 私たちはそれから長い時間抱き合い、互いのことを確かめあった。
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