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第六章:「蠢動編」

第二十一話「大平原侵攻:後編」

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 統一暦一二〇四年二月二十一日。
 リヒトプレリエ大平原中央部ゾンネ族宿営地付近。帝国軍第一軍団第二師団長ゴットフリート・クルーガー

 リヒトプレリエ大平原に足を踏み入れてから三週間。今、俺は大平原のほぼ中央にいる。
 二月に入ってすぐに五大部族の一つであるヒンメル族と友好関係にあるヴォルケ族が立ち向かってきた。

 何も考えていないヴォルケ族は一撃で粉砕できたが、ヒンメル族の族長が意外に優秀であったため、最初は慎重にならざるを得なかった。

 ヒンメル族は無暗に夜襲や奇襲を仕掛けて来なかった。奴らは我が軍に何度も接近し、その都度こちらに方陣を作らせた。また、夜襲を仕掛けるかのように野営地に静かに接近し、斥候に発見されてもこちらが追い払う動きをしなければ、近くで隙を窺い続けた。

 そのため、兵士の損耗こそほとんどなかったが、行軍は想定の半分ほどしかできず、更に疲労と物資の消耗が激しかった。これでは目的を達せられないと考え、一旦北に向かい、ヒンメル族の縄張りから離れたほどだ。

 ヒンメル族も縄張りの外までは追いかけてこなかったため、そこで休養と補給を行い、再び進軍を開始した。すぐに新たな部族が現れたが、ヒンメル族ほど優秀ではなく、次々と撃破していった。

 撃破はしたが、必要以上には殺さなかった。
 また、奴らの一族がいる宿営地には攻撃せず、向かってくる戦士だけと戦った。
 更に負傷した戦士には治癒魔導師による治療を施し、逃がしてやっている。

 これはモーリス商会から示唆された作戦だ。
 遊牧民たちは強い戦士に従うという掟があるが、彼ら同士の戦いでも非戦闘員に攻撃を加えることは禁忌とされ、それを行った者はいくら強くとも戦士として認めないと教えられた。

 俺が狙っているのは奴らを打ち破り、屈服させることだ。
 だから、奴らの心が折れるような、戦い方をする必要がある。

 そんな戦いを繰り返しつつ、大平原のほぼ中心に来たところで、遊牧民たちは危機感を覚え、決戦を挑んできた。

 それまでは部族ごとに戦ってきたが、勝てないと分かったため、全部族に招集をかけたのだ。
 そして、昨日、ゾンネ族を中心とした四万の軍と戦い、完膚なきまで叩きのめした。

 戦いは至ってシンプルだった。
 基本的にはこれまでの戦いと同じく方陣を使った。

 遊牧民たちは一人一人の戦士は精強だが、軍としてのまとまりがなく、戦術にも疎い。方陣に対しても矢を射掛け、隙を見つけて突撃するということの繰り返しだった。

 三度目の攻撃を退けると、方陣を形成したままゆっくりと前進し、ゾンネ族の宿営地に向かった。
 それまで宿営地が攻撃されなかったため、奴らは油断し、宿営地側に兵を配置していなかったのだ。

 我々が突然方針を変えたように見え、焦ったゾンネ族の族長ワレリー・ゾンネは、参加した全部族に突撃を命じ、その先陣に自ら立った。

 ゾンネ族の攻撃を手加減しながらやり過ごすと、他の部族も大軍なら勝てると勘違いし、無謀な突撃を敢行する。しかし、四万の軍勢のほとんどが闇雲に攻撃に参加したため、敵は大混乱に陥った。

 あとは簡単な仕事だった。
 歩兵による防御陣を維持しつつ、崩れかけた敵に騎兵を突撃させる。集団戦に慣れていない遊牧民の戦士たちは味方同士でぶつかり合う。その結果、機動力という最大の武器を失い、我が騎兵の突撃になすすべもなく倒されていった。

 三時間ほど経ち、敵の三割ほどを倒したところで降伏を勧告した。
 この時、ゾンネ族の族長ワレリーは生きていたが、大敗北で茫然自失となり使い物にならなかった。

 そこで戦いに参加していたヒンメル族の族長、トルゲ・ヒンメルを代表者に指名した。
 トルゲは自分の一族が無駄に死なないように巧みに戦っており、生き残った部族の中でも最も多くの兵を有していたことから、遊牧民たちも彼を代表者とすることに異議を唱えることはなかった。

 トルゲは俺の意図を正確に理解していたようで、帝国への臣従を命ずると、素直に従った。
 但し、自分たちは強者に対してのみ頭を下げるのだと言ってきた。

『我らは力ある者に従うのであって、ゴットフリート様のお父上とはいえ、見ず知らずの皇帝に忠誠を誓うつもりはない。我らが忠誠を誓うのはゴットフリート様のみ。それでよければ、我々も槍を置こう』

 俺個人に対する忠誠というのは危険だが、これでリヒトロット皇国の希望が潰えるなら受け入れてもよいと思った。既に補給物資も底を尽き始め、正直なところ、これ以上戦うことは難しい状況だったのだ。

 それに俺が皇帝の座に着けば何も問題はないし、マクシミリアンとの争いでも遊牧民を味方につけていることは有利に働くだろう。

『それで構わん。だが、これだけは宣言してくれ。リヒトロット皇国に対して、援軍を送ることはないと』

『承知いたしました。もっとも我々は最初から皇国に与するつもりはありませんでしたが』

 臣従の条件はできるだけ緩くしてあった。
 これはモーリス商会からの情報を基に検討したものだ。遊牧民たちは皇国に税を納めていないだけでなく、税という概念そのものが曖昧だった。そのため、納税を強要すると離反する可能性が高いと言われたため、税についてはこれまで通り要求しないことにしたのだ。

 こちらから出した条件は、帝国の要請があれば軍を派遣すること、帝国軍が大平原を通過することを認めること、適正な価格で帝国軍に物資を融通することなど、非常に緩いものだ。
 そのため、遊牧民たちも素直に条件を飲み、俺に忠誠を誓ったのだ。

 遊牧民たちを完全に掌握できたため、俺たちは帝都に凱旋すべく行軍を開始した。

■■■

 統一暦一二〇四年二月二十一日。
 リヒトプレリエ大平原中央部ゾンネ族宿営地付近。ヒンメル族戦士長セリム・ヒンメル

 ゾルダート帝国軍が去っていく。
 親父の予想通り、俺たち草原の民はゴットフリート皇子の軍に敗れた。

 ヒンメル族はゾンネ族に従って兵を出したが、戦いでは慎重に行動し、四千の兵のうち五十人も死んでいない。

 但し、逃げ腰だったと言われないように最前線で戦っていたし、友軍の救援にも積極的に行っていた。そのお陰で我がヒンメル族はゾンネ族より勇敢で、草原の民の旗頭にすべきではないかという声まで上がっている。

 また、ゴットフリート皇子との交渉の際に、親父は俺たち草原の民が不利にならないように条件を付け、それを認めさせた。

 帝国軍からの援軍要請に対しては、ゴットフリート皇子からの要請なら受けるとしており、野戦以外で戦うつもりはないと明言している。これにより、馬を降りて戦うような無様なことをせずに済むと、他の部族からは非常に好評だった。

 税の話も巧みに持っていった。
 元々俺たち草原の民に税という概念はない。もちろん、税が何であるかは知っているが、部族単位で暮らしているため、互いに助け合うという感覚しかないのだ。

 親父の巧みな交渉に感歎しつつも、疑問を感じていた。
 確かに親父は経験豊かな族長だが、これまで関係がなかった帝国について、どうやって情報を得たのかと。

 そのことを二人だけになったタイミングで聞いてみた。

「いつの間に帝国の情報を仕入れていたんだ?」

 親父は少し笑うと、小声で話し始めた。

「去年の末頃に商人がやってきただろう。その時、見知らぬ者が紛れていたことを覚えていないか?」

 その話で二ヶ月ほど前のことを思い出す。

「……確か、今後取引に加わりたいから、あいさつに来たと言っていた気がするが……」

「そうだ。商人組合ヘンドラーツンフトの商人で、モーリス商会というところが、羊毛の取引をしたいと言ってきたのだ。その時に帝国が攻めてくるという情報と共に、ゴットフリート皇子のことや帝国の内情なんかを教えてくれたのだ。商会長のモーリスは俺たちが勝てないと思っていたらしく、生き残る方法まで教えてくれた」

「ま、待ってくれ! 親父は一ヶ月以上も前に帝国が攻めてくることを知っていたのか!」

 思わず声が大きくなる。

「声がでかい」

 そう言って親父は嗜めるが、すぐに小さく頷いた。

「聞いていた。だが、その時は本当に攻めてくるとは思っていなかった。攻めてくるとしてももっと後だろうし、このことを他の連中に言っても信用しないと思ったから言わなかったのだ」

 確かに帝国軍を見る前に言われても信じなかっただろう。だが、気になることもあった。

「最初に俺たちが戦った後に帝国のことを教えてやればよかったんじゃないか。そうすれば、無駄に血を流すことはなかったはずだ」

「素直に従ったと思うか? 俺自身、戦ってみて勝てぬと思ったから、臣従するという選択肢もあるのだと初めて認識したほどだ。戦ってもおらんゾンネ族や他の部族にこの話をしてもヒンメル族は弱腰だと言われるだけだ。それならば、戦いの後に我が一族が有利になるように運んだ方がいいと思った」

 抜け目がないと思った。俺にはそこまで考えられない。

「まあ、これもモーリスが言っていた話を思い出しただけだ。奴は戦わなければ納得しないだろうから、できるだけ被害を抑えるようにした方がいいと言っていた。俺たちのことをよく知っていると感心したほどだ」

 モーリスのことははっきりとは覚えていないが、いかにも商人らしい腰の低い男という印象しか残っていない。

「帝国軍は去ったが、これまでと同じというわけにはいかん」

「どうしてだ? ゴットフリート皇子にしか従わないと認めさせたんだ。帝国の奴らがこれ以上手を出してくることもないんじゃないか?」

 俺の疑問に親父は小さく首を振る。

「ゴットフリート皇子が次の皇帝になれば、俺たちに草原の外で戦うよう命じてくるだろう。皇帝の座を手に入れなければ、新しく皇帝になった奴が俺たちに臣従を迫ってくるはずだ。どんな形になるにせよ、帝国と関わらなければならん。それが一年後か、十年後かは分からんが、今のやり方では通用せんだろうな」

 親父の言いたいことが何となく分かった。

「帝国に使い潰されないように、草原の民をまとめ上げなければならないということか……」

 俺の言葉に親父は肯定も否定もしなかった。
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