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第五章:「初陣編」

第八話「後方撹乱作戦:その四」

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 統一暦一二〇三年七月二十二日。
 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 ラザファムとハルトムートの中隊による後方撹乱作戦は順調だった。
 午前中に敵騎兵部隊の半数、約百名を討ち取り、その後は街道沿いに移動して、街道を警備している歩兵部隊を挑発。森の中に引き込み、ここでも百名近い敵兵を葬っている。

 更に同じ手で輜重隊の護衛に就いた騎兵を五十名以上倒している。

 二個中隊二百名で五千人の騎士団に挑み、二百五十人以上を倒しただけでなく、味方の損害が皆無という快挙だ。

 戦術的にはいわゆる“釣り野伏”と言われるものだ。
 ラザファム隊が囮となり、ハルトムート隊の場所まで引き込む。そして、ハルトムート隊が側面から攻撃している間に、ラザファム隊が引き返して半包囲で敵を叩くというものだ。

 地の利がない敵地で釣り野伏を成功させることは、精鋭であってもほとんど不可能なことだ。しかし、今回は事情が異なる。

 まず、クロイツホーフ城の南に広がる森林地帯にこれまで王国軍が攻め込んできたことがなかった。また、この近くに村や集落がなく、魔獣ウンティーアが跋扈する土地であるため、レヒト法国軍が街道以外に興味を持つことはなかった。

 そのため、街道から一キロ以上離れた場所に何があるのかすら把握しておらず、敵にとっても未知の土地だったのだ。

 一方、王国軍は私が派遣した闇の監視者シャッテンヴァッヘによる現地調査により、クロイツホーフ城から半径十キロメートルほどは綿密に調査しており、地図も作られている。


 更に叡智の守護者ヴァイスヴァッヘだけが持つ、映写の魔導具によって周囲の状況を視覚的に共有できている。
 これらにより、グライフトゥルム王国軍の方が地の利を得ている状況なのだ。

 これだけでも有利だが、シャッテンを二十人近く投入し、万全の索敵体制を構築した。シャッテンは各中隊に配置されている通信兵と先導役以外に、三人一組で索敵班を作り、通信の魔導具によって適宜、情報を共有している。

 シャッテンたちの高い身体能力のお陰で、魔獣ウンティーアが跋扈する深い森の中であっても、一組で半径二キロメートルほどをカバーできる。

 彼らは下草が生い茂る森の中であっても一キロメートルを三分ほどで駆け抜けることができ、通信の魔導具と組み合わせることで、ほぼタイムラグなしで担当区域内の情報を伝えることができるのだ。

 その結果、標的にする孤立した部隊を見つけ、更にラザファムたちが先回りできるようルートの指示ができた。そのため、罠に誘い込んで追撃ルートをこちらの思い通りの場所に誘導し、完全な奇襲が可能となった。


 昨日、予定通りにエッフェンベルク騎士団が到着し、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵と会っている。
 息子が危険な任務に就いていると聞き、私のところに状況を聞きに来たのだ。

「ラザファムはしっかりやっているかな」

 不安な表情を見せないようにしているが、伯爵の表情は硬い。

「対人戦が初めてとは思えないほど完璧な指揮ですよ。この分なら明日も問題なく、敵を翻弄してくれるでしょう」

「そうか。それはよかった」

 伯爵も忙しいため、すぐに私のところから去ったが、一緒にいたイリスが驚いていた。

「お父様もあんな表情をされるのね。あんな心配そうな表情のお父様は初めて見たわ」

 一時期、伯爵とラザファムの間がおかしくなったこともあり、イリスには信じられなかったようだ。

「親とはそういうものらしいね。私には分からないけど」

 伯爵は今日の昼頃にも様子を見に来た。しかし、昨日より余裕があり、私の指揮を驚きながら観察していた。
 一連の襲撃が終わった後、伯爵は感嘆の声を上げた。

「さすがはマティアス君だな。現地にいないのに完璧に二つの隊を指揮している」

「私の指揮が特別なわけではありませんよ。ラザファムとハルトムートが優秀だからです。シャッテンの支援と通信の魔導具があっても、二人以外ならどこかで小さなミスを冒していたはずです」

 これは正直な思いだ。
 二人は私の指示通りにやっているだけでなく、現地で絶妙な連携で敵を倒していた。

「そうか。いずれにしても君のお陰だ。これからもよろしく頼む」

 そう言った後、少し感傷的になったと思ったのか、話題を変えてきた。

「それにしても正確な地図というのは本当に役に立つのだな。それにこの通信の魔導具も素晴らしい。この二つがあれば、更に大規模な戦闘でも楽に戦えそうだ」

 教育の成果もあり、伯爵も地形の活用とタイムラグなしの情報伝達の重要性を理解していた。

「今回はテストケースなんです。今回の戦いで通信の魔導具の有用性を確認し、グレーフェンベルク子爵閣下が宰相府に魔導具購入の上申を行うことになっています。ただ、値段が馬鹿にならないので認められるかどうか……叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの工房には簡易版を作れないか、別途依頼しているのですが……」

「宰相府には私の方からも意見を言っておこう。クリストフ殿ほど説得力はないが、武の名門エッフェンベルク伯爵家の名なら少しは役に立つだろうからな」

 伯爵はそれだけいうと、満足そうな表情で離れていった。


 午後四時を過ぎた頃、ラザファムとハルトムートには拠点に戻るように指示を出す。そこで午前中に“送り狼に気を付けろ”と言ってしまったことを思い出した。

 送り狼とは戦果を挙げて引き上げていく敵を密かに付けていき、拠点に戻り油断したところで攻撃するという戦法だが、この世界にそんな言葉はない。適当な説明で誤魔化したが、私もあまり余裕がなかったようで少し焦ってしまった。

 ラザファムたちが無事に拠点に到着したことを確認し、ようやく肩から力が抜ける。

「今日も上手くいったようね」

「二人はやっぱり凄いな。私の想像以上だよ」

 私は入ってくる情報に従い、指示を出しているが、その指示は標的をどれにするかと逃げるタイミングと方向のみで、実際の戦闘指揮は完全に二人に任せている。

 初陣であるにもかかわらず、これだけの戦果を挙げた。それだけでも凄いが、それ以上に味方に損害を出していないことは素晴らしく、手放しで称賛できる。

 もちろん、治癒魔導が使えるシャッテンがいるから、軽傷者を即時に復帰させることができ、損害を抑えられているのだが、それ以前に戦死者どころから重傷者すら出していないことは、驚きを通り越して呆れるほどと言っていい。

「あなたがいるからよ」

 イリスはそう言ってくれるが、私は素直に頷けない。

シャッテンの方たちもあなただからこれほど頑張ってくれるのだし、兄様やハルトもあなたを信じているから迷いもなく戦えるの。だから、これは誇っていいことよ」

 私が照れていると、珍しくカルラが会話に加わってきた。

「イリス様のおっしゃる通りです。ユーダとその配下のシャッテンもマティアス様のためにいつも以上に力を出していると思います」

「それは嬉しいですね。でも、無理だけはしないでほしいんですが」

「その点は大丈夫だと思います。マティアス様が最も嫌われることだと、皆知っていますから」

 確かに叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室の頃から、安全第一で情報収集や情報操作に当たってほしいと言っていたが、そこまで浸透しているとは思っていなかった。

 今日は完璧だったが、明日は更に気合を入れ直す必要がある。なぜなら、黒狼騎士団の団長、エーリッヒ・リートミュラーが自ら陣頭に立つためだ。そのため、敵の士気は高く、今日のように簡単にはいかないだろう。

 リートミュラー団長が陣頭指揮を執る理由だが、明日二十三日には鳳凰騎士団一万七千がクロイツホーフ城に到着する予定であり、それまでに後方を撹乱するラザファムたちを排除しようと考えるからだ。

 緊急の連絡要員を残し、私とイリス、カルラの三人は、この作戦で使っている物見塔の一室を出た後、司令部に向かった。
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