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第五章:「初陣編」

第七話「後方撹乱作戦:その三」

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 統一暦一二〇三年七月二十一日。
 レヒト法国北部、クロイツホーフ城周辺の森林地帯。ラザファム・フォン・エッフェンベルク

 マティアスの策に従って敵国内に潜入した。

「今まで守備兵団が追撃したことはないし、大きな戦果を挙げたと思っているから油断しているはずだよ。それに命令を出すジーゲル閣下が負傷されたと思っているから、彼らが後ろを気にすることはないね」

 彼は作戦を説明する際に自信を持って断言していたが、それでも出撃直後はいつ敵に見つかるかと思い、戦々恐々としていた。

 それでも定期的に入るシャッテンからの報告によって、敵がこちらに気にする素振りがないこと、ルートを変えた後も捜索されなかったことから余裕が戻った。

 渡河を終えた後、ハルトムートの隊と別れ、森の中を進む。陽が昇った頃に所定の位置に付いた。

 午前中はそこで休憩していたが、午後一番に敵の輜重隊がクロイツホーフ城に向かっているという情報が、通信の魔導具ヴェルクツォイクを通じて伝えられた。

『敵輜重隊は6F中央を通過。数はおよそ百輌。護衛は歩兵が二十名程度。完全に油断しているため、襲撃を行う。襲撃予定ポイントは5E南東。約二十分後に到着すると思われる。エッフェンベルク隊は計画通り、5E南東にて敵の御者と馬を攻撃せよ。攻撃完了後は速やかに東に向かい、6Eの森の中に退避せよ。以上』

 シャッテンの通信兵が背負う通信の魔導具に付いている受話器から、やや掠れた感じのマティアスの声が響く。



 一つのブロックは約一キロメートル四方であるため、それを八方位と中央の九個のブロックに細分化する。三百三十メートル四方ほどの大きさになるが、この程度の大きさでも作戦的に支障はない。

 送話器を手に取り、こちらから了解を送る。

「エッフェンベルク隊、了解。5E南東にて敵の輜重隊の御者及び馬を攻撃する。その後は6Eに速やかに退避する……以上」

 双方向の通話ができないため、“以上”という言葉を最後に付け加えるが、慣れていないため、忘れそうになる。

 我が隊は騎兵中隊だが、先導するシャッテンが通行可能なルートを示してくれるため、森の中でも騎乗のまま移動できる。

 襲撃自体はあっけないほど簡単に成功した。
 敵の歩兵は精鋭である神狼騎士団の兵士ではなく、粗末な装備しか持たない傭兵だった。この辺りは魔獣ウンティーアが多い土地だが、定期的に騎士団が間引いているため、戦いになるとは考えていなかったらしい。

 そのため、こちらが街道沿いに荷馬車を順に攻撃していっても、反撃の素振りすら見せずに逃げていった。

 半数の荷馬車の馬と同程度の御者を殺し、そのまま森の中に入っていく。
 人間相手の戦闘は初めてだが、特に興奮することはなかった。これはマティアスが心配したことで、罪悪感に染まることがないように注意されている。

 私には意味が分からなかったが、マティアスによると、新兵が人を初めて殺した際に興奮したり、罪悪感で心に傷を負ったりすることがあるらしく、そのための注意だと教えてくれた。

 敵と一旦距離を取ったところでマティアスに成功を報告した。

「敵輜重隊の半数の馬と御者を倒した。現在敵は完全に動きを止めている。以上」

 本来なら再襲撃の提案をしたいところだが、周辺の情報がないため、マティアスの指示を待つ。

『了解。現在、敵の出方を確認中。エッフェンベルク隊はその場で待機、休息を摂れ。以上』

 了解を伝えると、部下たちに馬から降り、休憩を摂るように指示を出した。
 それから三十分ほど経ったところで、マティアスからの命令が入る。

『輜重隊の第二陣が接近中。数は第一陣と同規模。また、クロイツホーフ城からは馬のみが送られ、追加の護衛はない。再度襲撃を実行する。エッフェンベルク隊は油を使い、敵の糧食と飼葉を焼き払え。目標の目印はブット商会の“B”。Bとマークされた荷馬車を狙え。以上』

 さすがはマティアスで、輸送を担う商会の名前まで調べていた。
 了解を伝え、一回目の襲撃で使用しなかった油を取りに行く。油はヴェストエッケから持ち出したものだが、一回目の襲撃では様子を見ることもあり、森に隠してあったのだ。

 油が入った壺は五リットルほど入る大きさで、口には木の蓋がしてある。また、投げやすいように首のところにロープが付けられており、振り回してから投げることができる。演習で何度も投げているので戸惑うことはない。

 油をぶつける部隊の後ろに松明を持つ部隊が続く。

「目標はBと書いてある荷馬車だ! 第一、第二小隊が油を投げる。第三小隊は油が掛かった荷馬車に火を掛けろ! 敵は混乱している! 東側から襲撃を掛け、敵の後方で反転、西側から再度焼き討ちする! 行くぞ!」

 二度目の襲撃も完璧で、荷馬車を五十輌以上焼いた。更に炎に怯えた馬が暴走し、街道を外れて大木にぶつかるものや転倒するものが続出する。そのため、復路の襲撃はそれらを避ける必要があったが、特に問題なく、襲撃を成功させた。

 撤退時に確認したが、転倒を免れた荷馬車も車輪や車軸を痛めているものが多く、すぐに移動できそうになかった。

 二万人以上の軍勢の補給を担う輜重隊全体からしたら大した数ではないが、こちらに負傷者はなく、意気揚々と森の中に入っていく。

 マティアスに報告を入れると、今日の襲撃はこれで終わり、休息を摂るよう指示される。
 予めマティアスが準備させた拠点に向かうと、ハルトムートの隊が待機していた。

「活躍したそうだな。羨ましいよ」

 ハルトムートたちは森の中で別の作業を行っていた。そのため、マティアスからの報告を聞き、羨ましいと思ったらしい。

「明日以降が本番だ。今度はこっちが君たちを羨ましがる番になるはずだ」

「そうだな。マティの策通りなら大物を仕留めるのはうちの隊だ。明日は囮役を頼んだぞ」

 そう言って拳を突き出してきた。
 その拳に拳を合わせる。

「任せてもらおう。私たちにこんな大役を任せてくれたマティのためにも、必ず役目を果たしてみせる」

 拠点にはきれいな小川が流れており、虫の鳴き声が響くだけの長閑な雰囲気が漂っている。

 馬の世話をしながら用意されている物資を見たが、その豊富さに驚きを隠せなかった。百個近い数の樽が森の灌木の中に巧妙に隠されていたのだ。

「凄いものだな。保存食と飼料くらいだと思ったんだが、人数分の天幕に調理器具、造水の魔導具まで用意してあるとはな」

 物資はすべて密閉性の高い樽に入れられており、更に防水布で覆われていた。そのため、数日前に雨が降ったはずなのに、水が入っているものは全くなかった。

「俺も驚いたよ。さっきシャッテンのディータ殿に聞いたんだが、半月前から地形調査のついでに運び込んだそうだ。何でも真夜中に小舟を使って海岸まで運んで、そこから人力でここまで運んだらしい。この作戦に五十人近いシャッテンが参加していると聞いたぞ」

 シャッテンが五十人と聞き、言葉が出ない。確かに身体強化で五倍以上に筋力を引き上げられるシャッテンなら、二百キログラム近い重さの樽を担いでも迅速な移動が可能だ。

 しかし、彼らを雇うためには膨大な金が必要になる。マティアスが叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの関係者であっても無償で借りられるとは思えない。

「凄いとは思うが、どうやって依頼したんだろうな」

「俺もそのことが気になっているよ。ただ、これだけのお膳立てをしてもらって、失敗は絶対に許されないと思ったがな」

「そうだな。だが、あまり気負いすぎるな。マティが一番嫌がるのは無理をすることだ。無理だと思ったら潔く諦めるようにしてくれよ」

 ハルトムートが気負っている気がしたが、彼は小さく頷いて笑みを見せる。

「分かっているよ。今回はお目付け役もいっぱいいるんだ。バレたらマティに怒られるからな」

 そう言って、通信の魔導具を整備しているシャッテンを見る。

「全くだ。さっきも往復で攻撃したと報告したら、ちょっと不機嫌になっていたからな」

 私が笑いながらそう言うと、ハルトムートも笑っていた。

 この拠点は街道から五キロメートル以上森の中に入っており、更に丘の間の窪地にあるため、相当近づかなければ見つかることはない。そのため、火を焚くことができ、温かい食事にありつけた。

 更に周囲の警戒もシャッテンたちが行ってくれるため、安心して休める。

「敵の領土の森の中でこれほど快適に過ごせるとは思わなかったな。マティらしいと言えばそうなのだが」

 私の言葉にハルトムートが大きく頷く。

「本当にそうだな。前にやった魔獣ウンティーア退治の任務の時の方がよほど大変だった。半数は不寝番だったし、絶えず魔獣の襲撃を受けていたからな」

 部下たちも同じように思っているらしく、私たちの話に頷いている。

 翌朝、夜明けとともに行動を開始した。
 朝食前にマティアスと通信の魔導具で情報交換を行い、状況が変化していないことを確認した後、朝食後に部下たちを集めて訓示を行う。

「今日は黒狼騎士団が出張ってくるはずだ。だが、私たちの任務は敵を倒すことではない。敵を翻弄し、鳳凰騎士団が黒狼騎士団の能力に疑問を持つようにすることだ。たとえ敵将リートミュラーが討ち取れる状況でも私の命令に必ず従え! 以上だ!」

 ハルトムートも同じように部下たちに訓示を行っていた。

「昨日俺たちが入念に準備した罠に敵を招待してやろう! あくまで敵だけだぞ! 自分で作った罠に嵌まるようなドジは踏むなよ!」

 その言葉でハルトムートの部下たちが笑う。
 彼は部下の心を掴むのが上手い。私にはできないため、以前マティアスに相談したことがあった。

「ラズは伯爵家の嫡男だからね。ハルトのように平民に仲間意識を持たせることは難しいと思うよ。だけど、君が認めてやれば、部下たちはハルトから褒められた以上に喜ぶと思う。だから、今のまま公平公正に評価することを心掛けた方がいい」

 今のままでいいと言われたが、やはりハルトムートのように部下と一体になることに憧れはあった。

 準備が終わったところで、マティアスに作戦の確認を行う。

『予定通り、北に向かってカムラウ河を渡るように見せかける。そこで敵を森に引き込み、罠とイスターツ隊で殲滅する。敵は数こそ多いが、かなり広範囲に展開しているから、一ヶ所当たりの数は百から二百程度だ。無理をしなければ二回か三回は同じ手で敵を倒せるはずだ。以上』

 マティアスはリートミュラーがカムラウ河に兵を展開することを予想しており、ハルトムートの隊に罠を仕掛けさせている。

 その罠は足を引っかけるためのロープや浅い穴の中に尖らせた木の杭を刺したもの、紐に引っかかると上から十キログラムほどの石が落ちてくるものといった簡単なものばかりだ。

 しかし、その数は多く、広範囲だ。その中に入れば、敵の追撃速度は緩むし、隊列は乱れる。そして、罠を嫌がれば、私の隊の後ろを追いかけてくることになる。

 追いかけてくる敵を引き連れ、ハルトムートの隊が待ち受けている場所に誘導する。そして、彼らが襲い掛かるという作戦だ。
 もちろん、我々もハルトムートの隊が戦い始めたところで反転して攻撃に加わる。

 午前九時頃、マティアスから作戦地点の指示があった。

『9A中央にいる敵騎兵約二百を標的とする。エッフェンベルク隊は10A南西から9A南東に入り、9B北東に逃げ込め。イスターツ隊は9C南西の森で待機。敵の一部が通過したところで側面から奇襲を仕掛けよ。以上』

 私たちは疲れたような雰囲気を漂わせるため、あえて隊列を乱して目標地点に入っていく。
 そして、最初は敵に気づかなかった振りをして進み、慌てた様子でマティアスの指示に通りに動いていく。

「罠の目印に注意しろ! 通信兵はラウシェンバッハ参謀長代理に適宜位置を報告せよ!」

 罠がある場所には赤い紐が、安全な通路には白い紐が目印として木の枝などに取り付けてある。取り付けている場所は結構高い位置であるため、知っていないと見つけづらいが、おおよその場所は聞いているので、視界に入れば気づくことができた。

 森の中を馬で駆けていく。人がほとんど入っていない原生林だが、ここでもシャッテンが通行しやすいルートを先導してくれるため、私の隊の技量なら問題なく駆け抜けられる。

 敵は草原にいたことから全力で馬を駆っており、百メートルほどしか距離が離れていない。しかし、すぐに森の中に入ったため、それ以上距離が縮まることはなかった。

 それどころから、馬が足を取られて落馬する騎兵が続出し、こちらが速度を落とさないと引き離してしまうほどだった。

「ロープが仕掛けられているぞ! 足元に注意しろ!」

「わぁぁ! 上からも落ちてくるぞ!」

 後ろから落馬ではなく、罠に掛かった悲鳴が響く。

「敵が通った跡を走れ! それ以外は何が仕掛けてあるか分からんぞ!」

 マティアスの作戦通り、敵も私たちの後を付ける方が安全だと気づいたようだ。

 そのままハルトムートの隊が待ち構えている地点を通過する。その先は森が切れており、小さな草原が広がっていた。
 そこで反転し敵を待ち構える姿勢を見せる。

「敵は観念したようだ! 突撃!」

 敵の隊長が突撃を命じたが、その直後にハルトムートの隊の攻撃が始まった。

「伏兵だ! 散開しろ!」

 敵隊長の悲鳴のような命令が響くが、散開できる余地はなく、駆け抜けようとして攻撃を受けるか、無理やり止まって仕留められるかの二択になっていた。

「抜けてきた敵を殲滅する! 突撃!」

 パニックに陥りながら森を抜けてきた敵兵に斬りかかる。

「おのれ、卑怯な!」

 敵の隊長がそんなことを叫んでいるが、私は構うことなく馬を寄せた。

「正々堂々と戦え!」

「夜襲を掛けてくるような奴が何を言うか! ジーゲル将軍閣下の仇を取らせてもらうぞ!」

 これもマティアスの命令に従ったものだ。
 私としてはこんな芝居掛かったことはしたくないのだが、逃げていく敵兵に聞かせる必要があるため、仕方なく叫んでいる。

 敵の隊長は思った以上に手練れだった。
 身体強化を使った突きが繰り出され、鋭い槍の穂先が私の肩を掠める。二度、三度と槍が繰り出されるが、怒りに任せた攻撃が私に届くことはなかった。

「死ね!」

 普段は言わない言葉を吐きながら敵を斬り捨てると、周囲にいた敵兵は算を乱して逃げ出した。これもマティアスからの指示で、敵がパニックを起こしやすいように獰猛な指揮官を演じたのだ。

「追撃無用! 移動するぞ!」

 そう命じて移動し始めるが、後ろへの警戒は怠らない。マティアスから“送り狼”に気を付けるよう言われていたからだ。

 もっとも最初は送り狼という意味が分からず、彼に聞いている。

 マティアスは苦笑しながら、狼は逃げた獲物の集団を追いかけるために、こっそり後を付け、獲物が油断したところで襲い掛かる習性があるらしいと教えてくれた。
 そんなことまで知っていることにさすがだなと思ったことを思い出す。

 結局、送り狼はなく、予め決めてあった集合地点に無事到着した。
 二百騎の騎兵に攻撃を仕掛け、壊滅的な損害を与えたが、こちらの被害は軽傷者が数名だけだった。

 レヒト法国の聖堂騎士団の兵士は、全員が魔導器ローアを使った身体強化が使える。しかし、私が学んでいる四元流のように心を鍛えることがないため、奇襲を受けたような状況では満足に使えないらしい。これもマティアスが調べてくれたことで、兵たちは冷静に対処できていた。

「この後も敵を翻弄してやるぞ!」

 ハルトムートが吠えた。

「「「オオ!!」」」

 私もその声に応えて歓声を上げた。
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