50 / 145
本編第四章:魔物暴走編
第七十七話「宴の誘い」
しおりを挟む
五月一日午前七時前。
グリーフ迷宮の魔物暴走が終息し、一日半ぶりに地上に戻ってきた。出入管理所で守備隊の若い兵士エディ・グリーンの出迎えを受け、魔王アンブロシウスらがダルントン局長らと一緒にいると教えてもらった。
管理局の建物に向かう途中、四天王の一人、“妖花ウルスラ”が話しかけてくる。
「本当にこの短時間で終わられたのでしょうか」と驚かれるが、すぐに表情を戻し、
「陛下は応接室におられます。妾が案内いたしますわ」
応接室なら場所を知っているので案内は不要だが、「うむ。よろしく頼むぞ」とウィズが勝手に了承してしまう。
「我々だけでも大丈夫です。お忙しいでしょうから」と遠慮するが、
「ほとんどすることはございませんの。あとは部下たちに任せても問題ございませんわ」
笑顔で断られてしまう。
以前なら恐れというか気おくれのようなものがあったが、親しげに話しかけてくる。
「お二人の得られたドロップ品でございますが、ご指示の通り管理局に渡しておりますわ」
ドロップ品の扱いが決まっていなかったので、念のため、管理局で確認してもらうよう頼んでおいたのだ。
「驚いておりましたわ。あれだけの肉をよく集められたと。ほほほ」
最終的にどれほどになったかはカウントしていないため分からないが、ミノタウロス系の肉が収納袋で十個分、コカトリス・サンダーバード系が三個となっている。
一つの袋に五百キログラム近く入るため、肉だけでも六トン以上あるはずだ。
今回はミノタウロスの帝王種やレッドコカトリス、ブルーサンダーバードという希少種以上に珍しい特異種と呼ばれる魔物の肉があり、エンペラーが約二百キロ、レッドコカトリスとブルーサンダーバードがそれぞれ約五十キロも手に入った。
他にも希少種のミノタウロスチャンピオン、ブラックコカトリス、サンダーバードの肉も大量に手に入り、ウィズの頬は緩みっぱなしだった。
「早く食いたいのぉ。あれだけあればいろいろな料理人に作ってもらえる。楽しみで仕方がないのじゃ……」
「本当に楽しみですわ。どのようなお酒が合うのでしょうか?」
「そうじゃな。我もそれが気になるが、ゴウが最高の酒を合わせてくれよう」
「おっしゃる通りですわ。エドガー殿にお任せするのが一番です」
「うむ。そなたも分かってきたの」
ウルスラがウィズに話を合わせている。
応接室に入ると、魔王と四天王のベリエス、そして管理官のエリック・マーローが俺たちを立って出迎えてくれる。
「もう終わられたか。さすがだ」とアンブロシウスが褒めるが、
「もう少し早く終わらせるつもりだったのじゃが、思いの外、数が多くての」
「どの程度逃げ延びられていたのでしょうか」とマーローが真剣な口調で聞いてきた。
管理官としては探索者がどの程度生き延びられたのか気が気ではないのだろう。
「二十組以上のパーティを見つけました。安全地帯に潜んでいたので、ほとんど怪我人はいませんでしたよ。一番遠い人だと七階層くらいありましたから、全員が脱出するのは明日以降だと思いますが」
「それはよかった……最悪全滅していてもおかしくない状況でしたから。六割以上も生き残れたことが信じられません……」
二百階で俺たちが魔物を食い止めていたが、下層では強力な魔物が徘徊していたことから全滅を覚悟していたらしい。
実際、俺たちが見ていない二百階層より上のシーカーは四百人ほどいたが、今のところ百人も脱出できておらず、上層階には救助隊が派遣されている。
そんな話をしていると、局長のレイフ・ダルントンがやってきた。
「出迎えもせず申し訳ない」と頭を下げる。
「事後処理もあるでしょうから問題ありません。それよりも私たちの処遇と言いますか、扱いはどうなりましたか?」
エディたちの様子を見る限り、特に今までと変わった様子はないが、回答次第によってはこの町から出ていくことも考えていた。
その理由だが、必要以上に恐れられれば、まともに会話もできなくなるためだ。今回の魔物の強さは大陸最強と噂されていた魔王を大きく凌駕しており、このまま公表されれば魔王以上に恐れられる可能性が高い。
ここには関係者しかいないため、今のうちに聞いておこうと思ったのだ。
「此度は初期の対応をエドガー殿たちが行い、その後はアンブロシウス陛下、ウルスラ殿、ベリエス殿が強力な魔物を倒したと公表いたします。つまり、エドガー殿たちはミノタウロスやオーガまで対応し、その後はアンブロシウス陛下の救援によって持ちこたえたというシナリオです」
「私としては助かりますが、陛下はそれで問題ないのですか?」
「うむ。不本意ではあるが、余が前面に出た方がよかろうと判断した。まあ、幾分かは違う意味での名声を得ることになるがな」
「違う意味、ですか?」
そこでベリエスが魔王に代わる。
「この度得た魔力結晶と黒金貨などについてはトーレス王国と共同である事業に投資することになりました」
共同出資という言葉に引っかかる。
「共同で投資ですか? と言っても貴国がほとんど持ち出すことになると思いますが」
「そうなります。ですが、そもそもエドガー殿たちが得たものですので、我が国が独占することは憚られるというのが陛下のご判断です」
「確かにそうですが、迷惑料も入っているので、これは貴国の取り分として独占されても私たちは特に気にしませんが」
実際、魔王たちにはいろいろと迷惑を掛けていると思っている。
「その点は理解しておりますが、この提案は我が国にもメリットがあるのです」
「メリットですか?……ちなみにどのような事業なのでしょうか?」
「料理と酒の文化を発展させるという事業です。トーレス王国は美食で有名です。その国に投資し、成果を我が国に無償で供与させる。これによって遅れている我が国の料理と酒の文化を一気に発展させることができるのです」
「料理と酒の文化の発展ですか……」と絶句する。
「それはよいことじゃ!」とウィズがポンと膝を叩いて叫ぶ。
「料理と酒はよいものじゃ! 魔王もよく分かっておる!」
魔王はウィズに頷くと、
「余もエドガー殿の考えに感動したゆえ、我が同胞たちにも広めようと思ったのだ」
「それはよい」とウィズはご満悦だ。
ウィズは無邪気に喜んでいるが、俺はその規模の大きさに混乱していた。
「魔力結晶がどの程度の価値になるかは分かりませんが、黒金貨だけでも千枚以上あったはずです。私が持ち込んだ黒金貨は一枚で白金貨二万枚になりました。だとすると、白金貨二千万枚分、二百億ソルになると思うのですが、それをすべて料理と酒の文化の発展に使われるということでしょうか。というより、それだけの資金を使うことが可能なのでしょうか?」
一ソルは物価から日本円に換算すると大体百円だ。二百億ソルということは二兆円に相当する。
トーレス王国の人口は三百万人弱と聞いている。基本的には農業国であり、一人当たりの国内総生産を中南米辺りの国と同じ程度と考えると二千ソルくらいだろう。
それを基にトーレス王国のGDPを想定すると六十億ソルとなる。
つまり、黒金貨だけでトーレス王国のGDPの三年以上に相当するのだ。
もちろん、これだけ大量にあれば黒金貨の価値は下がるだろうが、この他に魔銀貨や貴重な高レベルのマナクリスタルも多数あるため、少なく見積もっても百億ソル=一兆円はあるだろう。
トーレス王国の国家予算がいくらかは分からないが、GDPの三分の一と仮定すると年間二十億ソルとなり、五年分の予算に相当することになる。
それだけの金を料理と酒の文化の発展に注ぎ込むというのだ。本当に価値が分かっているのかと言いたくなってもおかしくはない。
俺の問いにダルントンが答えてくれた。
「使い道はある程度考えておりますが、エドガー殿のお知恵をお借りしたいとも思っております」
「わ、私が考えるのですか!」
「すべてということではありませんが、アンブロシウス陛下はもちろん、我が主アヴァディーン陛下も貴殿に期待しております」
「よいではないか。手伝ってやれば」とウィズは他人事と思って気楽に言ってくる。
「国家事業規模の話なんだぞ! どれだけ大変だか分かっていないだろう!」
「無論、我に分かるわけがなかろう」とあっさり肯定される。
「先ほども申しましたが、我が国も全力で取り組む決意です。これは魔王国との友好関係を強化するための施策でもあるためです。もちろん、今回の件で多大なる功績を上げられたエドガー殿、ドレイク殿への感謝の気持ちもあります」
「私たちへの感謝ですか……分からないでもないですが……」
俺やウィズが料理や酒に執着しているから、それに対して大々的に投資をすれば喜ぶと思っているようだ。
実際、料理や酒の品質が上がるのは単純にうれしいが、それだけの投資に見合った成果が上がるのか不安になる。
「しかし、今回のことで多くの出費があったはずです。亡くなったシーカーや兵士に対する補償も必要でしょうし、避難を強いられた市民への対応にもお金は掛かるでしょう。それに魔王軍が全軍移動していると聞きました。他にもハイランドの軍も救援に向かったとも。それらの費用に回さなくとも大丈夫なのでしょうか」
迷宮出口の戦いでどの程度の兵士が命を落としたのかは分からない。しかし、出口でも万単位の魔物が現れており、それを千人にも満たない数で対応したのだから多くの戦死者が出ているはずだ。
魔王軍に関してだが、戦死者はいないだろうが、一万五千もの大軍を数百キロも移動させている。また、ハイランド連合王国にも竜騎士団の派遣を要請していたはずだ。常識的に考えても無償というわけにはいかない。
「戦死者は五十名ほどです。ですが、事前の想定では最もよい条件が重なっても守備隊が全滅し、近隣の住民の多くが被害を受け、五千人以上が死亡すると予想しておりました。冷酷な言い方ですが、最良の予測の百分の一以下で済んだのです。補償に関しては、全く問題はありません」
ダルントンが冷静に説明すると、魔王がそれに続く。
「余も必要経費以上を請求するつもりはない。これは大陸全体の問題だという認識で参加したものゆえな」
更にマーローが補足する。
「ハイランドに関しては先ほどの料理と酒の文化への投資先として考えております。どの程度投資するかは決まっていませんが、竜騎士団の派遣に対する費用を遥かに超える額になることは間違いありません。また、それに加えて出口で得たドロップ品だけでも数千万ソルにはなるはずです。転移魔法陣や魔導飛空船の運用費用を考慮しても充分におつりが来ます」
「つまり王国としては損をしていないから、アンブロシウス陛下の提案を受け入れると……王国は新たな投資が受けられ、アンブロシウス陛下は国家予算に匹敵する金を惜しげもなく渡すという気前の良さ、度量をアピールできるということですか……」
「そうなるな。余が望んだことではないが、この辺りが落としどころだということになったのだ」
俺たちは目立たなくて済み、魔王は度量の広さをアピールすることで今までの悪い印象を緩和できる。トーレス王国は国家予算規模の事業を俺たちが得た資金で行え、魔王国自体は食事を含めた生活の改善が行えるということになる。
損をするのは俺たちだが、別に金が欲しいわけでもないので、これが一番いい落としどころだろう。
「分かりました。皆さんの調整結果で問題ございません。あとはその事業をどうするかについて、話し合いが必要ですが、それは落ち着いてからでもよさそうですね」
「その通りです」とダルントンが頷くが、すぐに話を続けていく。
「そこで提案があるのですが、お疲れでなければ、本日の午後、魔導飛空船が到着しますので、それを使って王都に向っていただき、我が主君にお会いしていただきたいのです」
「トーレス王がここに来ればよかろう。我らはここで祝勝会をせねばならん」
不満そうな顔のウィズが反対すると、
「王宮にて今回の勝利を祝う宴を行いたいとのことです。トーレス王宮の料理長が作る最高の料理と我が王国の銘酒をお楽しみいただきたいと。この宴はアンブロシウス陛下やウルスラ殿、ベリエス殿にもご出席いただく予定で、既に準備に取り掛かっておるはずです」
最高の料理と酒と聞き、ウィズの表情が緩む。
「既に魔王たちと話が付いておるのであれば仕方がないの。ゴウよ、それでよいな」
よいも何も行く気になっているだろうと言いたいところだが、頷くだけにする。
「忘れておった! 宴ならば肉を渡さねばならんではないか! ミノタウロスエンペラーとレッドコカトリス、それにブルーサンダーバードの肉を大至急王宮に送るのじゃ」
「それは必要ないだろう」
「どうしてじゃ! 肉は必要じゃろう!」とウィズは泣きそうな顔で反論してくる。
「宴の準備を始めているということは既にメニューは決まっているんだ。そこに新たな食材を渡して混乱させる必要はない」
「我は食べたいのじゃが……」
それでもまだ言い募ってくる。
「こういう時は料理人に任せるのが一番だ。宮廷料理長ともなれば、最高に美味い料理を作ってくれるはずだ。ハイランドのアランさんは俺たちに合わせてその時一番美味いものを出してくれたじゃないか。恐らくブルートンの料理長も同じように俺たちのことを考えて作ってくれているんだ。それを邪魔しない方がいい」
「そ、そうじゃな……」
「肉尽くしというのも悪くはないが、昨日までは迷宮という制約がある中で肉を中心に食べていたんだ。制約がない状態で、超一流の料理人が最高の組み合わせを考えたものを食べる方が絶対にいいと思うぞ」
「うむ。そう言われると確かにそうじゃ。手で持って食うか、串に刺してあるものが多かったの。分かった。肉は後日に回す」
ようやく納得してくれた。
ふと魔王たちを見ると、呆れたような表情でこちらを見ていた。
視線が合うと魔王が少し慌てた感じで、
「やはり仲が良いのだなと思っておったのだ。それに今のエドガー殿の話で今宵の宴が楽しみになった」
魔王の言葉にダルントンが「料理長は大変ですな」といい、
「それほどまでに期待されると、私なら胃が痛くなりそうです」
そう言って笑みを浮かべた。
その話が終わったタイミングで応接室のドアをノックする音が聞こえてきた。
「朝食をお持ちしました」という声と共に職員のリア・フルードが和食店“ロス・アンド・ジン”の店主、マシュー・ロスと共に入ってきた。
グリーフ迷宮の魔物暴走が終息し、一日半ぶりに地上に戻ってきた。出入管理所で守備隊の若い兵士エディ・グリーンの出迎えを受け、魔王アンブロシウスらがダルントン局長らと一緒にいると教えてもらった。
管理局の建物に向かう途中、四天王の一人、“妖花ウルスラ”が話しかけてくる。
「本当にこの短時間で終わられたのでしょうか」と驚かれるが、すぐに表情を戻し、
「陛下は応接室におられます。妾が案内いたしますわ」
応接室なら場所を知っているので案内は不要だが、「うむ。よろしく頼むぞ」とウィズが勝手に了承してしまう。
「我々だけでも大丈夫です。お忙しいでしょうから」と遠慮するが、
「ほとんどすることはございませんの。あとは部下たちに任せても問題ございませんわ」
笑顔で断られてしまう。
以前なら恐れというか気おくれのようなものがあったが、親しげに話しかけてくる。
「お二人の得られたドロップ品でございますが、ご指示の通り管理局に渡しておりますわ」
ドロップ品の扱いが決まっていなかったので、念のため、管理局で確認してもらうよう頼んでおいたのだ。
「驚いておりましたわ。あれだけの肉をよく集められたと。ほほほ」
最終的にどれほどになったかはカウントしていないため分からないが、ミノタウロス系の肉が収納袋で十個分、コカトリス・サンダーバード系が三個となっている。
一つの袋に五百キログラム近く入るため、肉だけでも六トン以上あるはずだ。
今回はミノタウロスの帝王種やレッドコカトリス、ブルーサンダーバードという希少種以上に珍しい特異種と呼ばれる魔物の肉があり、エンペラーが約二百キロ、レッドコカトリスとブルーサンダーバードがそれぞれ約五十キロも手に入った。
他にも希少種のミノタウロスチャンピオン、ブラックコカトリス、サンダーバードの肉も大量に手に入り、ウィズの頬は緩みっぱなしだった。
「早く食いたいのぉ。あれだけあればいろいろな料理人に作ってもらえる。楽しみで仕方がないのじゃ……」
「本当に楽しみですわ。どのようなお酒が合うのでしょうか?」
「そうじゃな。我もそれが気になるが、ゴウが最高の酒を合わせてくれよう」
「おっしゃる通りですわ。エドガー殿にお任せするのが一番です」
「うむ。そなたも分かってきたの」
ウルスラがウィズに話を合わせている。
応接室に入ると、魔王と四天王のベリエス、そして管理官のエリック・マーローが俺たちを立って出迎えてくれる。
「もう終わられたか。さすがだ」とアンブロシウスが褒めるが、
「もう少し早く終わらせるつもりだったのじゃが、思いの外、数が多くての」
「どの程度逃げ延びられていたのでしょうか」とマーローが真剣な口調で聞いてきた。
管理官としては探索者がどの程度生き延びられたのか気が気ではないのだろう。
「二十組以上のパーティを見つけました。安全地帯に潜んでいたので、ほとんど怪我人はいませんでしたよ。一番遠い人だと七階層くらいありましたから、全員が脱出するのは明日以降だと思いますが」
「それはよかった……最悪全滅していてもおかしくない状況でしたから。六割以上も生き残れたことが信じられません……」
二百階で俺たちが魔物を食い止めていたが、下層では強力な魔物が徘徊していたことから全滅を覚悟していたらしい。
実際、俺たちが見ていない二百階層より上のシーカーは四百人ほどいたが、今のところ百人も脱出できておらず、上層階には救助隊が派遣されている。
そんな話をしていると、局長のレイフ・ダルントンがやってきた。
「出迎えもせず申し訳ない」と頭を下げる。
「事後処理もあるでしょうから問題ありません。それよりも私たちの処遇と言いますか、扱いはどうなりましたか?」
エディたちの様子を見る限り、特に今までと変わった様子はないが、回答次第によってはこの町から出ていくことも考えていた。
その理由だが、必要以上に恐れられれば、まともに会話もできなくなるためだ。今回の魔物の強さは大陸最強と噂されていた魔王を大きく凌駕しており、このまま公表されれば魔王以上に恐れられる可能性が高い。
ここには関係者しかいないため、今のうちに聞いておこうと思ったのだ。
「此度は初期の対応をエドガー殿たちが行い、その後はアンブロシウス陛下、ウルスラ殿、ベリエス殿が強力な魔物を倒したと公表いたします。つまり、エドガー殿たちはミノタウロスやオーガまで対応し、その後はアンブロシウス陛下の救援によって持ちこたえたというシナリオです」
「私としては助かりますが、陛下はそれで問題ないのですか?」
「うむ。不本意ではあるが、余が前面に出た方がよかろうと判断した。まあ、幾分かは違う意味での名声を得ることになるがな」
「違う意味、ですか?」
そこでベリエスが魔王に代わる。
「この度得た魔力結晶と黒金貨などについてはトーレス王国と共同である事業に投資することになりました」
共同出資という言葉に引っかかる。
「共同で投資ですか? と言っても貴国がほとんど持ち出すことになると思いますが」
「そうなります。ですが、そもそもエドガー殿たちが得たものですので、我が国が独占することは憚られるというのが陛下のご判断です」
「確かにそうですが、迷惑料も入っているので、これは貴国の取り分として独占されても私たちは特に気にしませんが」
実際、魔王たちにはいろいろと迷惑を掛けていると思っている。
「その点は理解しておりますが、この提案は我が国にもメリットがあるのです」
「メリットですか?……ちなみにどのような事業なのでしょうか?」
「料理と酒の文化を発展させるという事業です。トーレス王国は美食で有名です。その国に投資し、成果を我が国に無償で供与させる。これによって遅れている我が国の料理と酒の文化を一気に発展させることができるのです」
「料理と酒の文化の発展ですか……」と絶句する。
「それはよいことじゃ!」とウィズがポンと膝を叩いて叫ぶ。
「料理と酒はよいものじゃ! 魔王もよく分かっておる!」
魔王はウィズに頷くと、
「余もエドガー殿の考えに感動したゆえ、我が同胞たちにも広めようと思ったのだ」
「それはよい」とウィズはご満悦だ。
ウィズは無邪気に喜んでいるが、俺はその規模の大きさに混乱していた。
「魔力結晶がどの程度の価値になるかは分かりませんが、黒金貨だけでも千枚以上あったはずです。私が持ち込んだ黒金貨は一枚で白金貨二万枚になりました。だとすると、白金貨二千万枚分、二百億ソルになると思うのですが、それをすべて料理と酒の文化の発展に使われるということでしょうか。というより、それだけの資金を使うことが可能なのでしょうか?」
一ソルは物価から日本円に換算すると大体百円だ。二百億ソルということは二兆円に相当する。
トーレス王国の人口は三百万人弱と聞いている。基本的には農業国であり、一人当たりの国内総生産を中南米辺りの国と同じ程度と考えると二千ソルくらいだろう。
それを基にトーレス王国のGDPを想定すると六十億ソルとなる。
つまり、黒金貨だけでトーレス王国のGDPの三年以上に相当するのだ。
もちろん、これだけ大量にあれば黒金貨の価値は下がるだろうが、この他に魔銀貨や貴重な高レベルのマナクリスタルも多数あるため、少なく見積もっても百億ソル=一兆円はあるだろう。
トーレス王国の国家予算がいくらかは分からないが、GDPの三分の一と仮定すると年間二十億ソルとなり、五年分の予算に相当することになる。
それだけの金を料理と酒の文化の発展に注ぎ込むというのだ。本当に価値が分かっているのかと言いたくなってもおかしくはない。
俺の問いにダルントンが答えてくれた。
「使い道はある程度考えておりますが、エドガー殿のお知恵をお借りしたいとも思っております」
「わ、私が考えるのですか!」
「すべてということではありませんが、アンブロシウス陛下はもちろん、我が主アヴァディーン陛下も貴殿に期待しております」
「よいではないか。手伝ってやれば」とウィズは他人事と思って気楽に言ってくる。
「国家事業規模の話なんだぞ! どれだけ大変だか分かっていないだろう!」
「無論、我に分かるわけがなかろう」とあっさり肯定される。
「先ほども申しましたが、我が国も全力で取り組む決意です。これは魔王国との友好関係を強化するための施策でもあるためです。もちろん、今回の件で多大なる功績を上げられたエドガー殿、ドレイク殿への感謝の気持ちもあります」
「私たちへの感謝ですか……分からないでもないですが……」
俺やウィズが料理や酒に執着しているから、それに対して大々的に投資をすれば喜ぶと思っているようだ。
実際、料理や酒の品質が上がるのは単純にうれしいが、それだけの投資に見合った成果が上がるのか不安になる。
「しかし、今回のことで多くの出費があったはずです。亡くなったシーカーや兵士に対する補償も必要でしょうし、避難を強いられた市民への対応にもお金は掛かるでしょう。それに魔王軍が全軍移動していると聞きました。他にもハイランドの軍も救援に向かったとも。それらの費用に回さなくとも大丈夫なのでしょうか」
迷宮出口の戦いでどの程度の兵士が命を落としたのかは分からない。しかし、出口でも万単位の魔物が現れており、それを千人にも満たない数で対応したのだから多くの戦死者が出ているはずだ。
魔王軍に関してだが、戦死者はいないだろうが、一万五千もの大軍を数百キロも移動させている。また、ハイランド連合王国にも竜騎士団の派遣を要請していたはずだ。常識的に考えても無償というわけにはいかない。
「戦死者は五十名ほどです。ですが、事前の想定では最もよい条件が重なっても守備隊が全滅し、近隣の住民の多くが被害を受け、五千人以上が死亡すると予想しておりました。冷酷な言い方ですが、最良の予測の百分の一以下で済んだのです。補償に関しては、全く問題はありません」
ダルントンが冷静に説明すると、魔王がそれに続く。
「余も必要経費以上を請求するつもりはない。これは大陸全体の問題だという認識で参加したものゆえな」
更にマーローが補足する。
「ハイランドに関しては先ほどの料理と酒の文化への投資先として考えております。どの程度投資するかは決まっていませんが、竜騎士団の派遣に対する費用を遥かに超える額になることは間違いありません。また、それに加えて出口で得たドロップ品だけでも数千万ソルにはなるはずです。転移魔法陣や魔導飛空船の運用費用を考慮しても充分におつりが来ます」
「つまり王国としては損をしていないから、アンブロシウス陛下の提案を受け入れると……王国は新たな投資が受けられ、アンブロシウス陛下は国家予算に匹敵する金を惜しげもなく渡すという気前の良さ、度量をアピールできるということですか……」
「そうなるな。余が望んだことではないが、この辺りが落としどころだということになったのだ」
俺たちは目立たなくて済み、魔王は度量の広さをアピールすることで今までの悪い印象を緩和できる。トーレス王国は国家予算規模の事業を俺たちが得た資金で行え、魔王国自体は食事を含めた生活の改善が行えるということになる。
損をするのは俺たちだが、別に金が欲しいわけでもないので、これが一番いい落としどころだろう。
「分かりました。皆さんの調整結果で問題ございません。あとはその事業をどうするかについて、話し合いが必要ですが、それは落ち着いてからでもよさそうですね」
「その通りです」とダルントンが頷くが、すぐに話を続けていく。
「そこで提案があるのですが、お疲れでなければ、本日の午後、魔導飛空船が到着しますので、それを使って王都に向っていただき、我が主君にお会いしていただきたいのです」
「トーレス王がここに来ればよかろう。我らはここで祝勝会をせねばならん」
不満そうな顔のウィズが反対すると、
「王宮にて今回の勝利を祝う宴を行いたいとのことです。トーレス王宮の料理長が作る最高の料理と我が王国の銘酒をお楽しみいただきたいと。この宴はアンブロシウス陛下やウルスラ殿、ベリエス殿にもご出席いただく予定で、既に準備に取り掛かっておるはずです」
最高の料理と酒と聞き、ウィズの表情が緩む。
「既に魔王たちと話が付いておるのであれば仕方がないの。ゴウよ、それでよいな」
よいも何も行く気になっているだろうと言いたいところだが、頷くだけにする。
「忘れておった! 宴ならば肉を渡さねばならんではないか! ミノタウロスエンペラーとレッドコカトリス、それにブルーサンダーバードの肉を大至急王宮に送るのじゃ」
「それは必要ないだろう」
「どうしてじゃ! 肉は必要じゃろう!」とウィズは泣きそうな顔で反論してくる。
「宴の準備を始めているということは既にメニューは決まっているんだ。そこに新たな食材を渡して混乱させる必要はない」
「我は食べたいのじゃが……」
それでもまだ言い募ってくる。
「こういう時は料理人に任せるのが一番だ。宮廷料理長ともなれば、最高に美味い料理を作ってくれるはずだ。ハイランドのアランさんは俺たちに合わせてその時一番美味いものを出してくれたじゃないか。恐らくブルートンの料理長も同じように俺たちのことを考えて作ってくれているんだ。それを邪魔しない方がいい」
「そ、そうじゃな……」
「肉尽くしというのも悪くはないが、昨日までは迷宮という制約がある中で肉を中心に食べていたんだ。制約がない状態で、超一流の料理人が最高の組み合わせを考えたものを食べる方が絶対にいいと思うぞ」
「うむ。そう言われると確かにそうじゃ。手で持って食うか、串に刺してあるものが多かったの。分かった。肉は後日に回す」
ようやく納得してくれた。
ふと魔王たちを見ると、呆れたような表情でこちらを見ていた。
視線が合うと魔王が少し慌てた感じで、
「やはり仲が良いのだなと思っておったのだ。それに今のエドガー殿の話で今宵の宴が楽しみになった」
魔王の言葉にダルントンが「料理長は大変ですな」といい、
「それほどまでに期待されると、私なら胃が痛くなりそうです」
そう言って笑みを浮かべた。
その話が終わったタイミングで応接室のドアをノックする音が聞こえてきた。
「朝食をお持ちしました」という声と共に職員のリア・フルードが和食店“ロス・アンド・ジン”の店主、マシュー・ロスと共に入ってきた。
32
お気に入りに追加
3,539
あなたにおすすめの小説
(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!
青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。
すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。
「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」
「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」
なぜ、お姉様の名前がでてくるの?
なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。
※タグの追加や変更あるかもしれません。
※因果応報的ざまぁのはず。
※作者独自の世界のゆるふわ設定。
※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。
※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
受験生でしたが転生したので異世界で念願の教師やります -B級教師はS級生徒に囲まれて努力の成果を見せつける-
haruhi8128
ファンタジー
受験を間近に控えた高3の正月。
過労により死んでしまった。
ところがある神様の手伝いがてら異世界に転生することに!?
とある商人のもとに生まれ変わったライヤは受験生時代に培った勉強法と、粘り強さを武器に王国でも屈指の人物へと成長する。
前世からの夢であった教師となるという夢を叶えたライヤだったが、周りは貴族出身のエリートばかりで平民であるライヤは煙たがられる。
そんな中、学生時代に築いた唯一のつながり、王国第一王女アンに振り回される日々を送る。
貴族出身のエリートしかいないS級の教師に命じられ、その中に第3王女もいたのだが生徒には舐められるばかり。
平民で、特別な才能もないライヤに彼らの教師が務まるのか……!?
努力型主人公を書いて見たくて挑戦してみました!
前作の「戦力より戦略。」よりは文章も見やすく、内容も統一できているのかなと感じます。
是非今後の励みにしたいのでお気に入り登録や感想もお願いします!
話ごとのちょっとしたものでも構いませんので!
【完結】友達未満恋人以上そんな関係ありですか?
はゆりか
恋愛
私…マリアの好きな人ユアは大切な友人キュアの恋人だった。
彼の…ユシンの大切な友人ユアは彼の好きな人キュアの恋人だった。
2人を応援したいからこの恋心は消したいけど…
そう簡単に消せるもんじゃない。
隠していた恋心がバレそうになった時…
咄嗟に出てしまったの嘘の言葉…
「私が好きなのはユシンだから」
「俺が好きなはマリアだから」
…………ん?
「きゃ♡両思いだったのね」
今ここに友達未満のカップルが登場する。
********
必ず完結はしますがゆっくり目の更新になります。
趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです
紫南
ファンタジー
魔法が衰退し、魔導具の補助なしに扱うことが出来なくなった世界。
公爵家の第二子として生まれたフィルズは、幼い頃から断片的に前世の記憶を夢で見ていた。
そのため、精神的にも早熟で、正妻とフィルズの母である第二夫人との折り合いの悪さに辟易する毎日。
ストレス解消のため、趣味だったパズル、プラモなどなど、細かい工作がしたいと、密かな不満が募っていく。
そこで、変身セットで身分を隠して活動開始。
自立心が高く、早々に冒険者の身分を手に入れ、コソコソと独自の魔導具を開発して、日々の暮らしに便利さを追加していく。
そんな中、この世界の神々から使命を与えられてーーー?
口は悪いが、見た目は母親似の美少女!?
ハイスペックな少年が世界を変えていく!
異世界改革ファンタジー!
息抜きに始めた作品です。
みなさんも息抜きにどうぞ◎
肩肘張らずに気楽に楽しんでほしい作品です!
異世界の皆さんが優しすぎる。
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
ファンタジー
★書籍化部分は非公開になっております★
間宮遥(マミヤハルカ)は大学卒業を控え、就職も決まった10月に、うっかり川で溺れてる子供を助けて死んでしまったが、気がついたら異世界の森の中。妖精さんにチート増量してもらったので今度こそしぶとく生き抜こうと心に決めた。
しかし、ご飯大好きスイーツ大好きの主人公が暮らすには、塩と砂糖とハチミツがメインの調味料の国とか、無理ゲーであった。
お気楽な主人公が調味料を作り出し、商売人として知らない間に大金持ちになったり、獣人や精霊さん等と暮らしつつ、好かれたり絡まれたり揉め事に巻き込まれたりしつつスローライフを求めるお話。
とにかく飯とスイーツの話がわっさわっさ出てきて恋愛話がちっとも進みません(笑)
処女作でございます。挿し絵も始めましたが時間がなかなか取れずに入ったり入らなかったり。文章優先です。絵も作品と同じくゆるい系です。おじいちゃんのパンツ位ゆるゆるです。
基本的にゆるく話は進んでおりましたが完結致しました。全181話。
なろうでも掲載中。
恋愛も出ますが基本はファンタジーのためカテゴリはファンタジーで。
伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります
竹桜
ファンタジー
武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。
転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。