6 / 20
第六話「戦闘のあとは優雅にワインを」
しおりを挟む
ドランカード号は辺境マフィアの手を逃れ、超空間に逃げ込むことに成功した。超空間では戦闘はおろか、外部の状況すら確認できないため、何も起こりようがない。俺は戦闘配置を解除した。
「船の損傷はどうだ?」と機関士席に座る技術者、ヘネシーに確認する。
「最初の擦過弾で常用系に異常電圧が入ったけど、今は全部復旧済みだよ。アンドロイドたちに念のため機器の点検はさせているけど、多分問題ないと思うね」
ぼさぼさの髪と独特の軽い口調の話し方だが、ヘネシーは超一流のエンジニアだ。彼が問題ないというのなら何も心配はない。
「了解。二人とも好きにしてくれ。ドリー、あとは頼んだぞ」
「お疲れ」と言って、二人は出ていった。多分、ラウンジで一杯引っ掛けるんだろう。
『了解しました、船長。お疲れまでした、ジャック』
人工知能のドリーがメゾソプラノの心地良い声で労ってくれる。彼女もプライベートな会話では名前を呼んでくれる。
『ですが、先ほどの約束は忘れないでくださいね』
「何のことだ?」
『超空間に入ったら一時間おしゃべりに付き合ってくださるという約束ですよ』
センテナリオの重力圏から逃げ出す時にそんな約束をした気がするが、あまり覚えていない。
「分かったよ。ただし、後でだ。今からお客さんのところに行ってくるからな」
『私はいつでも構いませんよ。それでは楽しみにしています』
俺はそのまま客室に向かった。
操縦室に誰もいなくなるが、気にしない。
帝国軍の軍艦なら超空間に入っている間も士官が必ず戦闘指揮所に残ることが義務付けられているが、それは下士官以下の反乱を恐れてのことだ。当然、この船では不要な措置だ。
キャビンの前に着くとインターホンを鳴らす。
すぐにブレンダ・ブキャナンが出た。
「どなたですか」
「ジャックだ。船内放送で分かっていると思うが、超空間に入ったことを伝えにきた。他にも状況が変わったというか、少し分かったから、そのことも話しておきたい」
スライド式のドアが開き、緊張した面持ちのブレンダが出迎える。
部屋には娘のローズが猫型の愛玩動物型ロボットを抱き、ベッドに座っていた。
俺が軽く手を上げると、プイという感じで横を向く。どうやら嫌われてしまったようだ。
娘に目で叱ってから、ブレンダが椅子に座る。俺が彼女の正面に座ると、向こうから切り出してきた。
「また戦闘があったみたいですね」
ほとんど動揺はなかったはずだが、先ほどの戦闘があったことを気づいている。
「ああ、敵の小型船がちょっかいを出してきた。もちろん、何も支障はない」
俺の顔をじっと見つめる。五秒ほど凝視した後、フッという感じで表情を緩めた。
「分かりました。あなたがそういうのなら問題ないのでしょう。それでお話はどんなことかしら?」
娘と自分の命が掛かっているためか、必要以上に警戒していたらしい。
「話なんだが、まず追いかけてくる奴らが思った以上に厄介だということだ。少なくとも船を四隻持っているし、こちらの動きを予測している。行動が嫌らしいほど的確だ」
「それでどうされるのですか?」
「ああ、そのことなんだが……」
俺はどう伝えようか僅かに言葉に詰まる。
「シェリーに聞いたと思うが、今はマルティニークに向かっている。その先のことなんだが、奴らが追いかけてくることは確実だ。それと待ち伏せしている可能性も否定できない……」
彼女の顔が僅かに青ざめる。
「……マルティニークには帝国辺境艦隊の哨戒艦隊が常駐している。それに星系政府の警備隊もいるから、奴らもここのように無法なことはそうそうできないはずだ」
「その先はどうされますの? 一気にバルバドスまで行くのですか?」
「残念ながらドランカード号の超光速航行機関では飛べない。トリニダードかゴルダ、ヴァンダイクを経由するしかない」
マルティニークからバルバドスまでの距離はドランカード号のジャンプの限界である八パーセク(二十六光年)を超えている。どうしてもその間を経由しなければならない。
更にドランカード号の燃料タンクは標準より小さく、三回のジャンプを行うとほぼ空になる。
それまでの通常空間での加速時間にもよるため一概には言えないが、マルティニークの次の星系に敵がいた場合、通常空間でエネルギーを使いすぎてジャンプできなくなる可能性があった。それを回避するにはマルティニークで補給を行う必要がある。
そのことを伝えると、ブレンダの顔に憂いが浮かぶ。
「マルティニークで敵に追いつかれるということですか? 軍に排除を要請することはできないのですか?」
当然の疑問だろう。
しかし、マルティニークにいる哨戒艦隊は出払っている可能性が高く、残っているのは旧式の超空間航行能力のない巡視艦が五隻ほどいるだけだ。
あとは巡視艇が三十ほどいる程度だろう。
巡視艦だが、巡視艇を五隻ほど搭載した五百メートル級の大型艦だ。こいつは言わば小型艇母艦で、戦闘力は三百メートル級の駆逐艦と大差ない。
巡視艇は五十メートル級の高速ミサイル艇を改造したものだが、臨検のための乗員を増やしているため、攻撃力は通常のスループ艦どころか、ドランカード号にすら劣る。
つまり、哨戒艦隊が出払っている場合、リコ・ファミリーが持つ武装商船に何とか太刀打ちできるという程度の戦力しかないのだ。
「情報は提供する。明らかな海賊行為の証拠を受け取れば軍も動かざるを得ないからな」
俺の言い方に引っ掛かるものを感じたのか、納得した様子は見られない。
「いずれにせよ、マルティニークに行ってから判断することになる。もちろん、どこかでエネルギーを補給しなければならないが、最悪の場合はそのままジャンプポイントに向かうこともありうる」
数瞬の間が空いた後、「分かりました。あなたにすべて任せます」と言ってニコリと笑った。
どうやら吹っ切れたようだ。
「任せてもらおう」とこちらもニヤリと笑っておく。
「話は変わるが、食事はラウンジで摂ることもできるが、俺たちと顔を合わせたくないなら、この部屋でもいい」
「ラウンジに行きます。これから五日間も顔を合わさずにいるというのもおかしな気がしますしね」
俺はローズに顔を向け、
「お前もそれでいいのか? 嫌ならはっきり言ってくれた方がいい」
彼女の顔に困惑の表情が浮かぶが、すぐに「別にどっちでも」と素っ気無い答えが返ってきた。
思春期の少女の考えることは独身のおっさんには全く理解できない。
「分かった」と答えるが、どうしても苦笑が浮かぶ。
キャビンを出てラウンジの前を通ると、既にジョニーたちが酒盛りを始めていた。
ジョニーはウイスキーをストレートで飲み、ヘネシーはアンドロイドに作らせたジントニックを個人用情報端末をいじりながらちびちびと飲んでいる。
二人はいつも通りなのだが、シェリーだけは少し違った。
彼女はワイン好きで今日もワインなのだが、大振りのグラスに入ったものを優雅に飲んでいた。そのボトルのラベルを見ると帝都の有名な高級ワインだった。
「いつも通り自分の酒は自分の稼ぎからだぞ。分かっているよな、シェリー?」
「ええ、分かっているわよ。でも、百万クレジットの仕事なんでしょ。大事に取って置いたワインだけど、次はもっといいのが買えるはずだもの。そうよね?」
あまりに状況を分かっていない。俺はこめかみを押さえそうになった。
「分け前がいくらになると考えているんだ?」
「えっ? 経費を引いた後の一割でしょ」
彼女の言っていることは正しい。俺たちの中の取り分は俺、ジョニー、ヘネシーが三割ずつでシェリーが一割と決めてあるからだ。
「百万もあるんだから、経費の分を引いても、私の分は五万や六万にはなるはずよね。そうでしょ?」
やはり全然分かっていなかったと頭が痛くなる。結局、こめかみを押さえてしまった。
「前回の赤字がいくらか覚えているか?」
「えっ? 前回って古代遺跡を探すっていうあれのこととよね。十万くらいじゃないの?」
何を言っているのという顔で答えるが、俺の方が何を言っているんだと怒鳴りたくなる。
「うちみたいな零細企業が船を持っているんだぞ。前回は三ヶ月間ただ働きだった。一ヶ月でいくら掛かるか分かっているな?」
その瞬間、彼女の顔がすぅーと青ざめていく。
「一ヶ月間、宇宙にいれば二十万クレジットは消えていくんだ。つまり、六十万が前回分の赤字だ」
「で、でも、四十万もあるわよ。今回は半月くらいですむから、三十万は儲けよね。だとしたら、私の取り分は三万はあるはず……」
「順調にいけばな。だが、さっきの状況を思い出してみろ。すんなり半月で終わると思うか? それに今回は結構無茶をしている。バルバドスに着いたら船の大規模点検を行うことになるはずだ。そうなれば……」
「それ以上言わないで! 分かったから……」
目に見えてがっくりとしている。
ジョニーたちは俺たちのやり取りを見てクスクスと笑っている。
「何か言いたいのか?」と睨むと、「何でもねぇよ」とジョニーがグラスを呷り、ヘネシーがつまみのチーズを口に運ぶ。
二人は俺がシェリーを脅していると分かっているのだ。
確かに彼女に言ったことに嘘はないが、最悪の場合のことだ。それに前回の赤字も実際にはそこまで酷くない。
このことは船の運用に真面目に関わっていれば誰でも分かることだ。実際、陸兵である宙兵隊の下士官だったジョニーですら理解している。
チビチビとワインを舐め始めたシェリーの肩に手を置き、「開けちまったものは仕方ねぇんだ。味わって飲めよ」と言ってその場を離れた。
俺もみんなと一緒に一杯やるため、一度船長室に戻る。
一旦はブランデーに手を伸ばしたものの、今日の夕食はビーフシチューだったと思い出し、赤ワインをセラーから取り出す。
ラウンジに戻ると、ブレンダとローズがテーブルで食事をしていた。
この船ではアンドロイドが給仕をしてくれるので、乗組員は何もしなくてもいい。
「うちのビーフシチューはなかなかだと思うがどうかな?」
そう言いながらローズの隣に座る。
「そうね。期待していなかったけど不味くはないわ」とすまし顔で答えるが、その手が止まることはなかった。
「ワインを持ってきたが、一杯やらないか」と言ってシェリーたちに声を掛けるが、ジョニーはウイスキーで充分というようにグラスを上げ、ヘネシーは「後でゆっくり食べるよ」とPDAの画面から視線を外そうとしない。
やれやれと思いながらシェリーを見るが、まだ先ほどの衝撃が抜けていないのか、俺の言葉に反応しない。
肩を竦めながらブレンダに向かい、
「一杯どうだい。安いワインだがなかなかいい出来のものだ」
「いただこうかしら」と言って笑みを返してきた。
「俺の分の食事とグラスを二つ、それからこいつを開けてくれ」とアンドロイドのラムに頼む。
「了解しました、船長」
ピシッとした敬礼をした後、ボトルを受け取り、パントリーに入っていった。
五分ほどで料理とワインが載ったワゴンを押したラムが戻ってきた。
ワインをグラスに注ぎ、彼女に渡す。自分のグラスを満たした後、
「では、乾杯」と言ってグラスを掲げる。
ブレンダはグラスを傾けるが、白く美しい喉が艶かしい。無理やり目を逸らし料理に集中する。
「本当に美味しいですわ。私も小さな船ですから軍の戦闘糧食が出るのではないかと思っていましたのよ」
そう言って小さく笑う。
だいぶ落ち着いたなと心の中で思うが、それは口に出さない。
「うちの食事は豪華客船に引けはとらない。何といっても人生にはうまい酒と料理が欠かせないからな」
実際、この船の食事は質が高い。
食材は最高級とは言わないまでも、充分によい物を買っている。作り手であるアンドロイドだが、高性能だということで調理専用ロボット並のソフトウエアを搭載し、実現するための腕や指先の改造と専用プロトコルまで開発している。もちろん、やったのはヘネシーだ。
「毎日の食事が楽しみですわ。でも、この船内だと運動不足で太ってしまいそう」
「シェリーが無駄に持ち込んだトレーニングマシンがあるから、それを使ったらいい。いいだろ、シェリー」
シェリーはまだ落ち込んでいるのか、反応がなかったが、何度か確認するうちに「いいわ」とボソリと言って認めた。
「後ろのカーゴスペースにあるんだが、間違ってもジョニーが使う本格的な方はやめておけよ。あれはサイボーグ専用のマシンだから」
そんな話をしながら食事を楽しんだ。
「船の損傷はどうだ?」と機関士席に座る技術者、ヘネシーに確認する。
「最初の擦過弾で常用系に異常電圧が入ったけど、今は全部復旧済みだよ。アンドロイドたちに念のため機器の点検はさせているけど、多分問題ないと思うね」
ぼさぼさの髪と独特の軽い口調の話し方だが、ヘネシーは超一流のエンジニアだ。彼が問題ないというのなら何も心配はない。
「了解。二人とも好きにしてくれ。ドリー、あとは頼んだぞ」
「お疲れ」と言って、二人は出ていった。多分、ラウンジで一杯引っ掛けるんだろう。
『了解しました、船長。お疲れまでした、ジャック』
人工知能のドリーがメゾソプラノの心地良い声で労ってくれる。彼女もプライベートな会話では名前を呼んでくれる。
『ですが、先ほどの約束は忘れないでくださいね』
「何のことだ?」
『超空間に入ったら一時間おしゃべりに付き合ってくださるという約束ですよ』
センテナリオの重力圏から逃げ出す時にそんな約束をした気がするが、あまり覚えていない。
「分かったよ。ただし、後でだ。今からお客さんのところに行ってくるからな」
『私はいつでも構いませんよ。それでは楽しみにしています』
俺はそのまま客室に向かった。
操縦室に誰もいなくなるが、気にしない。
帝国軍の軍艦なら超空間に入っている間も士官が必ず戦闘指揮所に残ることが義務付けられているが、それは下士官以下の反乱を恐れてのことだ。当然、この船では不要な措置だ。
キャビンの前に着くとインターホンを鳴らす。
すぐにブレンダ・ブキャナンが出た。
「どなたですか」
「ジャックだ。船内放送で分かっていると思うが、超空間に入ったことを伝えにきた。他にも状況が変わったというか、少し分かったから、そのことも話しておきたい」
スライド式のドアが開き、緊張した面持ちのブレンダが出迎える。
部屋には娘のローズが猫型の愛玩動物型ロボットを抱き、ベッドに座っていた。
俺が軽く手を上げると、プイという感じで横を向く。どうやら嫌われてしまったようだ。
娘に目で叱ってから、ブレンダが椅子に座る。俺が彼女の正面に座ると、向こうから切り出してきた。
「また戦闘があったみたいですね」
ほとんど動揺はなかったはずだが、先ほどの戦闘があったことを気づいている。
「ああ、敵の小型船がちょっかいを出してきた。もちろん、何も支障はない」
俺の顔をじっと見つめる。五秒ほど凝視した後、フッという感じで表情を緩めた。
「分かりました。あなたがそういうのなら問題ないのでしょう。それでお話はどんなことかしら?」
娘と自分の命が掛かっているためか、必要以上に警戒していたらしい。
「話なんだが、まず追いかけてくる奴らが思った以上に厄介だということだ。少なくとも船を四隻持っているし、こちらの動きを予測している。行動が嫌らしいほど的確だ」
「それでどうされるのですか?」
「ああ、そのことなんだが……」
俺はどう伝えようか僅かに言葉に詰まる。
「シェリーに聞いたと思うが、今はマルティニークに向かっている。その先のことなんだが、奴らが追いかけてくることは確実だ。それと待ち伏せしている可能性も否定できない……」
彼女の顔が僅かに青ざめる。
「……マルティニークには帝国辺境艦隊の哨戒艦隊が常駐している。それに星系政府の警備隊もいるから、奴らもここのように無法なことはそうそうできないはずだ」
「その先はどうされますの? 一気にバルバドスまで行くのですか?」
「残念ながらドランカード号の超光速航行機関では飛べない。トリニダードかゴルダ、ヴァンダイクを経由するしかない」
マルティニークからバルバドスまでの距離はドランカード号のジャンプの限界である八パーセク(二十六光年)を超えている。どうしてもその間を経由しなければならない。
更にドランカード号の燃料タンクは標準より小さく、三回のジャンプを行うとほぼ空になる。
それまでの通常空間での加速時間にもよるため一概には言えないが、マルティニークの次の星系に敵がいた場合、通常空間でエネルギーを使いすぎてジャンプできなくなる可能性があった。それを回避するにはマルティニークで補給を行う必要がある。
そのことを伝えると、ブレンダの顔に憂いが浮かぶ。
「マルティニークで敵に追いつかれるということですか? 軍に排除を要請することはできないのですか?」
当然の疑問だろう。
しかし、マルティニークにいる哨戒艦隊は出払っている可能性が高く、残っているのは旧式の超空間航行能力のない巡視艦が五隻ほどいるだけだ。
あとは巡視艇が三十ほどいる程度だろう。
巡視艦だが、巡視艇を五隻ほど搭載した五百メートル級の大型艦だ。こいつは言わば小型艇母艦で、戦闘力は三百メートル級の駆逐艦と大差ない。
巡視艇は五十メートル級の高速ミサイル艇を改造したものだが、臨検のための乗員を増やしているため、攻撃力は通常のスループ艦どころか、ドランカード号にすら劣る。
つまり、哨戒艦隊が出払っている場合、リコ・ファミリーが持つ武装商船に何とか太刀打ちできるという程度の戦力しかないのだ。
「情報は提供する。明らかな海賊行為の証拠を受け取れば軍も動かざるを得ないからな」
俺の言い方に引っ掛かるものを感じたのか、納得した様子は見られない。
「いずれにせよ、マルティニークに行ってから判断することになる。もちろん、どこかでエネルギーを補給しなければならないが、最悪の場合はそのままジャンプポイントに向かうこともありうる」
数瞬の間が空いた後、「分かりました。あなたにすべて任せます」と言ってニコリと笑った。
どうやら吹っ切れたようだ。
「任せてもらおう」とこちらもニヤリと笑っておく。
「話は変わるが、食事はラウンジで摂ることもできるが、俺たちと顔を合わせたくないなら、この部屋でもいい」
「ラウンジに行きます。これから五日間も顔を合わさずにいるというのもおかしな気がしますしね」
俺はローズに顔を向け、
「お前もそれでいいのか? 嫌ならはっきり言ってくれた方がいい」
彼女の顔に困惑の表情が浮かぶが、すぐに「別にどっちでも」と素っ気無い答えが返ってきた。
思春期の少女の考えることは独身のおっさんには全く理解できない。
「分かった」と答えるが、どうしても苦笑が浮かぶ。
キャビンを出てラウンジの前を通ると、既にジョニーたちが酒盛りを始めていた。
ジョニーはウイスキーをストレートで飲み、ヘネシーはアンドロイドに作らせたジントニックを個人用情報端末をいじりながらちびちびと飲んでいる。
二人はいつも通りなのだが、シェリーだけは少し違った。
彼女はワイン好きで今日もワインなのだが、大振りのグラスに入ったものを優雅に飲んでいた。そのボトルのラベルを見ると帝都の有名な高級ワインだった。
「いつも通り自分の酒は自分の稼ぎからだぞ。分かっているよな、シェリー?」
「ええ、分かっているわよ。でも、百万クレジットの仕事なんでしょ。大事に取って置いたワインだけど、次はもっといいのが買えるはずだもの。そうよね?」
あまりに状況を分かっていない。俺はこめかみを押さえそうになった。
「分け前がいくらになると考えているんだ?」
「えっ? 経費を引いた後の一割でしょ」
彼女の言っていることは正しい。俺たちの中の取り分は俺、ジョニー、ヘネシーが三割ずつでシェリーが一割と決めてあるからだ。
「百万もあるんだから、経費の分を引いても、私の分は五万や六万にはなるはずよね。そうでしょ?」
やはり全然分かっていなかったと頭が痛くなる。結局、こめかみを押さえてしまった。
「前回の赤字がいくらか覚えているか?」
「えっ? 前回って古代遺跡を探すっていうあれのこととよね。十万くらいじゃないの?」
何を言っているのという顔で答えるが、俺の方が何を言っているんだと怒鳴りたくなる。
「うちみたいな零細企業が船を持っているんだぞ。前回は三ヶ月間ただ働きだった。一ヶ月でいくら掛かるか分かっているな?」
その瞬間、彼女の顔がすぅーと青ざめていく。
「一ヶ月間、宇宙にいれば二十万クレジットは消えていくんだ。つまり、六十万が前回分の赤字だ」
「で、でも、四十万もあるわよ。今回は半月くらいですむから、三十万は儲けよね。だとしたら、私の取り分は三万はあるはず……」
「順調にいけばな。だが、さっきの状況を思い出してみろ。すんなり半月で終わると思うか? それに今回は結構無茶をしている。バルバドスに着いたら船の大規模点検を行うことになるはずだ。そうなれば……」
「それ以上言わないで! 分かったから……」
目に見えてがっくりとしている。
ジョニーたちは俺たちのやり取りを見てクスクスと笑っている。
「何か言いたいのか?」と睨むと、「何でもねぇよ」とジョニーがグラスを呷り、ヘネシーがつまみのチーズを口に運ぶ。
二人は俺がシェリーを脅していると分かっているのだ。
確かに彼女に言ったことに嘘はないが、最悪の場合のことだ。それに前回の赤字も実際にはそこまで酷くない。
このことは船の運用に真面目に関わっていれば誰でも分かることだ。実際、陸兵である宙兵隊の下士官だったジョニーですら理解している。
チビチビとワインを舐め始めたシェリーの肩に手を置き、「開けちまったものは仕方ねぇんだ。味わって飲めよ」と言ってその場を離れた。
俺もみんなと一緒に一杯やるため、一度船長室に戻る。
一旦はブランデーに手を伸ばしたものの、今日の夕食はビーフシチューだったと思い出し、赤ワインをセラーから取り出す。
ラウンジに戻ると、ブレンダとローズがテーブルで食事をしていた。
この船ではアンドロイドが給仕をしてくれるので、乗組員は何もしなくてもいい。
「うちのビーフシチューはなかなかだと思うがどうかな?」
そう言いながらローズの隣に座る。
「そうね。期待していなかったけど不味くはないわ」とすまし顔で答えるが、その手が止まることはなかった。
「ワインを持ってきたが、一杯やらないか」と言ってシェリーたちに声を掛けるが、ジョニーはウイスキーで充分というようにグラスを上げ、ヘネシーは「後でゆっくり食べるよ」とPDAの画面から視線を外そうとしない。
やれやれと思いながらシェリーを見るが、まだ先ほどの衝撃が抜けていないのか、俺の言葉に反応しない。
肩を竦めながらブレンダに向かい、
「一杯どうだい。安いワインだがなかなかいい出来のものだ」
「いただこうかしら」と言って笑みを返してきた。
「俺の分の食事とグラスを二つ、それからこいつを開けてくれ」とアンドロイドのラムに頼む。
「了解しました、船長」
ピシッとした敬礼をした後、ボトルを受け取り、パントリーに入っていった。
五分ほどで料理とワインが載ったワゴンを押したラムが戻ってきた。
ワインをグラスに注ぎ、彼女に渡す。自分のグラスを満たした後、
「では、乾杯」と言ってグラスを掲げる。
ブレンダはグラスを傾けるが、白く美しい喉が艶かしい。無理やり目を逸らし料理に集中する。
「本当に美味しいですわ。私も小さな船ですから軍の戦闘糧食が出るのではないかと思っていましたのよ」
そう言って小さく笑う。
だいぶ落ち着いたなと心の中で思うが、それは口に出さない。
「うちの食事は豪華客船に引けはとらない。何といっても人生にはうまい酒と料理が欠かせないからな」
実際、この船の食事は質が高い。
食材は最高級とは言わないまでも、充分によい物を買っている。作り手であるアンドロイドだが、高性能だということで調理専用ロボット並のソフトウエアを搭載し、実現するための腕や指先の改造と専用プロトコルまで開発している。もちろん、やったのはヘネシーだ。
「毎日の食事が楽しみですわ。でも、この船内だと運動不足で太ってしまいそう」
「シェリーが無駄に持ち込んだトレーニングマシンがあるから、それを使ったらいい。いいだろ、シェリー」
シェリーはまだ落ち込んでいるのか、反応がなかったが、何度か確認するうちに「いいわ」とボソリと言って認めた。
「後ろのカーゴスペースにあるんだが、間違ってもジョニーが使う本格的な方はやめておけよ。あれはサイボーグ専用のマシンだから」
そんな話をしながら食事を楽しんだ。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
迷宮最深部から始まるグルメ探訪記
愛山雄町
ファンタジー
四十二歳のフリーライター江戸川剛(えどがわつよし)は突然異世界に迷い込む。
そして、最初に見たものは漆黒の巨大な竜。
彼が迷い込んだのは迷宮の最深部、ラスボスである古代竜、エンシェントドラゴンの前だった。
しかし、竜は彼に襲い掛かることなく、静かにこう言った。
「我を倒せ。最大限の支援をする」と。
竜は剛がただの人間だと気づき、あらゆる手段を使って最強の戦士に作り上げていった。
一年の時を経て、剛の魔改造は完了する。
そして、竜は倒され、悲願が達成された。
ラスボスを倒した剛だったが、日本に帰るすべもなく、異世界での生活を余儀なくされる。
地上に出たものの、単調な食生活が一年間も続いたことから、彼は異常なまでに食に執着するようになっていた。その美酒と美食への飽くなき追及心は異世界人を呆れさせる。
魔王ですら土下座で命乞いするほどの力を手に入れた彼は、その力を持て余しながらも異世界生活を満喫する……
■■■
基本的にはほのぼの系です。八話以降で、異世界グルメも出てくる予定ですが、筆者の嗜好により酒関係が多くなる可能性があります。
■■■
本編完結しました。番外編として、ジン・キタヤマの話を書いております。今後、本編の続編も書く予定です。
■■■
アルファポリス様より、書籍化されることとなりました! 2021年3月23日発売です。
■■■
本編第三章の第三十六話につきましては、書籍版第1巻と一部が重複しております。
地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
異世界で農業を -異世界編-
半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。
そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる