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24 残った結果②

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クワイス騎士団の誰もがブラッドリーの妻を名で呼ぶことなど無い。副団長のリカルドですらお目通りした際は「夫人」か「若奥様」と目を合わせずに呼ぶ。基本的に騎士団の主の妻は、騎士団の貴婦人と呼ばれるからだ。お抱え騎士がその名を呼ぶことなど言語道断。ネイサンは今すぐ斬られてもおかしくない罪を犯したのだ。

リカルドはため息をついて言った。

「……命が惜しくないのか。お前はあと数日で退任するのだぞ」
「いえ、俺は退任したくないです!  先日、退任ではなく更新を申請しました!  なので俺をドロテアの騎士にしてくれませんか!」

何故ただの下位騎士が次期侯爵夫人の騎士に名を挙げるのだ。それに夫人の騎士はもう既に目の前にいる。馬鹿なのか、とリカルドは頭を抱えたくなった。そして早くこの無礼者を斬れと命じてくれないかとブラッドリーを見た。

「更新を申請したならそのまま下位騎士としてここに残ることが目的だろう?  なのに何故私の妻の名が出てくる?」
「俺とドロテアは幼馴染です!  気心が知れた仲でもありますし、側にいればきっとお役に立てます!」
「どう役に立つと?」
「え?  ドロテアとは幼馴染ですので、それ以上の理由は必要ないかと!  なので俺をドロテアの騎士にして下さい!」

リカルドは今すぐ頭を抱えたくなった。
ブラッドリーの機嫌を損ねれば王立騎士と手合わせする話も無かったことになるかもしれない。リカルドの父親は近衛兵で、陛下直属の護衛だ。王立騎士団を経由してその地位に登り詰めた。よってリカルドが憧れの王立騎士と手合わせすることは夢のまた夢の話なのだ。それもブラッドリーのツテ無くして叶うものではない。

「退任が迫り、お前は何を手に入れた?」
「え?」

ブラッドリーの問いはただ単純なものだった。
騎士には破格の報酬が約束される。高価な馬を飼いその世話や馬小屋を維持するに相応しい給金が出るのだ。宿舎も家族ごと住ませることが出来る。侯爵家お抱えの騎士だから発生する特権なのだが、例え体を壊して数年で退任したとしても残る物の方が大きい。退任後は貯めた金で国から騎士爵を買い、個人の護衛として働く者も多数いる。
その事を踏まえての問いだった。

「何もないのか?」
「いえ、騎士として腕を上げました!」
「馬は?」
「……あ、俺は騎馬隊ではないので、所持はしていません」
「なら金は?」
「……金?  生活費として使いました」
「ほう。では何も残っていないと?」
「はい!」

ブラッドリーは新人騎士の数名がネイサンを盗み見ていることに気付いていた。その目は騎士を見るものではない。軽蔑の眼差しだ。そして新人の中には今年騎士科を卒業した者達も含まれる。ネイサンとは同年に入学した者達なのだろうと踏んで、ブラッドリーはネイサンにある提案をした。

今年入った新人と剣を交えろと。

要はネイサンの実力をみて、それなりに腕があればお抱え騎士のまま危険な僻地へ飛ばしてやろうと考えたのだ。ちなみに一度退任を命じられた騎士にこのような機会が与えられることはまず無い。

ネイサンは向き合った新人騎士を見て顔色を悪くした。

そしてブラッドリーの合図と共に両者の剣が抜かれた。刃が交わり、ネイサンが力で押しきろうとするも、新人騎士が一撃でネイサンの剣を弾き返した。

その時、訓練場に鉄と魔力がぶつかる不快な音が鳴り響いた。

ブラッドリーは考えた。
力任せで基礎が出来ていないと。
そして剣に魔力を纏わせていなかった。だから力では劣っている筈の新人に弾き返された。
これでは僻地に飛ばしても魔獣の餌になる。おまけに僻地で真面目に働いている騎士の邪魔、或いは足手まといになり逆に真面目に働いている騎士が危険に晒されると結論を出した。

「い、今のは違う!  こいつのまぐれです!  もう一度やらせて下さい!  俺がこいつに負ける筈ないんです!」

ブラッドリーはリカルドに目配せをして別の新人騎士を全員呼んだ。そしてその場からリカルドと共に踵を返した。

「……彼はこの数年、何もしていなかったのでしょうか?」
「だろうな」
「…………申し訳ありません。私の管理不届きが起こした不祥事です。罰を与えて下さい!」
「あれはリカルドが副団長になるよりずっと前にここにいた。管理も糞もあるか」
「……では、侯爵様は何故彼を採用したのでしょう?」
「…………」

それはかの御方がネイサンを小蝿扱いしたからティアラから遠ざけるために採用排除したわけなのだが、その後のネイサンについては侯爵もブラッドリーも関与していない。未熟なまま採用したとはいえ、真面目に鍛練を重ねていれば数年で使える騎士になっていた、その筈だった。なんせ侯爵家の騎士団だ。学園より遥かに厳しいのだから。

……まあいいか。費用は無駄になったがそのかわりにかの御方を経由してドロテアの情報を手に入れることができた。貴族でも多感な時期に受けた精神的苦痛、それに伴う嫌な記憶はそう簡単に消えるものじゃない。あれを読んでいなければ負けた時点で引かせていただろう。だが……もしかしてドロテアにもあのような力任せなやり方で足に怪我を負わせたのだろうかと、そう考えたらそのまま戦わせることにした。騎士として腕がある新人全員と戦えば夕方には死んでいるだろう。訓練中の事故で処理すればドロテアの心も痛むまい。いや、伝えるのは十年は後にすればいいか。そうブラッドリーがほくそ笑んだところで前方から声がかかった。

「ブラッドリー様っ」

その声に顔を上げたブラッドリーは思わず制止した。その背後でリカルドが片膝をつき頭を垂らして騎士の礼をした。

「……ドロテア」
「きちゃったっ」

突如訓練場に現れたドロテアはふんわりとしたロングワンピースを着ていた。薄紫色の可愛いデザインだ。ぺたんこの靴がまた愛らしく、ブラッドリーは嬉しげにドロテアに近付いて腰に手をまわした。そしてぎゅっと抱きしめた。

「この温もりが恋しかった」
「まあ、うふふ」

傍らにいるコリンが日傘を手に「若奥様の腹には第二子がいるのであまり力をこめませんように」とブラッドリーに言った。

「えっ!?」
「ブラッドリー様が外出されたあと、定期診察に訪れたバリュ医師と話していたら指摘されまして……バリュ医師が内診したら懐妊しておりましたっ」

今日はその報告にきたのです!  とドロテアがブラッドリーの首に抱き付いた。慌てて受け止めたブラッドリーはさっとドロテアをお姫様抱っこした。

「嬉しい報告だ。しかし今日は日差しが強い。すぐに戻ろう。リカルド、後は任せた」
「は、はい。ご懐妊、おめでとうございます」

リカルドは頭を垂らしたまま言った。

そこでドロテアに一際大きな声がかかった。


「────っ、おいドロテア~!」


遠くの方から走ってこちらに向かってくる騎士に対して、名を呼ばれたドロテアは首を傾げた。

そして誰かしら、顔がボコボコなあの方……とブラッドリーの首に腕をまわして呟いた。

「ネイサン・アトスだ。……覚えていないのか?」

ブラッドリーが教えるとドロテアは目をぱちくりとさせ、意外な言葉を言った。

「ネイサン…………あー。そういえばそんなのいたわね」
「…………そうか。君には驚かされてばかりだ」


ドロテアの頭の中では、ネイサンはとっくの昔に切り捨てられていた。

確かネイサンって男主人公だっけ?  と昔みたつまらないテレビドラマの内容を思い出すように、ドロテアは小説のことを思い出した。

そして記憶に留めておく価値もないと、再び頭から切り捨てられた。

転生したことや前世の記憶があること、それは既にドロテアとして自分の人生を歩んでいる女には些細なことだった。

卒業論文が一部の王侯貴族に知れ渡ってから、ドロテアの元へは感謝の手紙が途切れることなく届いていた。
特にクワイス領にいる職人達から定期的に手紙が届いていたのだが、貴族も含めて全て女性からだった。
貴女から生きる術をもらった、将来の道が拓けた、貴女はわたくしの神です等々、崇めてくる人もいたが手紙で彼女達の人生に触れたドロテアはいつしか心ごとこの世界の地に足をつけて生きていた。
きっかけはかの御方に実娘との接触の機会を設けた頃からだろうか。そしてジルベルトを生んでから目が覚めたように心が定まった。小説の世界だからとか、こんな展開無かったとか、どうでもよくなったのだ。ドロテアは感謝の手紙を送ってきた彼女達のように、胸を張って自分の人生を懸命に生きていた。


「ドロテア!  久し振りだな!」
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