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1章【出会い編】

16 使用人

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「リーシェ、今いいだろうか?」
「はい、何でしょう」

帰宅するなり、食事を取ったあと、男2人でクエリーシェルの自室に籠りチェスに没頭していたようだが、ニールは帰ったのだろうか。

本当に追い返されたなら、ある意味気の毒である。

「どうされました?」

ドアを開けると、「これなんだが」と領主の手にはヴェストがあった。

「このような感じで良いのだろうか?」
「はい、ありがとうございます。本当にお上手ですね」

お世辞でなく、細部まで綺麗に針が入れられている。糸も乱れがなく、美しかった。男性で縫い物、特に刺繍ができる人なんて聞いたこともないほど珍しいので、純粋に驚いた。

「刺繍など滅多にしないから、久々に目にきた」
「細かな作業ですからね、お疲れ様です。もうお寝になるなら、目に効くマッサージを致しましょうか?」
「いや、そういうつもりで言ったわけでは」
「本日のお礼ということで」
「そうか、すまない」

そう言って踵を返すと彼の寝室へと向かう。安眠用にハーブティーを入れ、温めたタオルを持って行くのも忘れない。

「先に、頭から触りますね」
「あぁ、よろしく頼む」

大男がベッドに横たわった状態で、目元にはタオルをかけられ、口元しか見えていないのは、何というかシュールである。……自分がそうさせたのだが。

まずは、目元をゆっくり温めている間に頭皮マッサージからする。

さすがに身体が大きいだけあって、頭も大きい。疲労からか、頭皮が硬い気がする。髪も幾分か根本にうねりが見えて、以前に極度のストレスを感じていたことが推測される。

(雇い主の健康状態も、きちんと把握しておかないとなぁ)

身体のどこが悪いかで、大体のことがわかる。ストレスがかかったか、暴飲暴食をしていたか、運動不足か、不眠か、など。

身体を見れば人となりがわかる、というのが気功術を師事してくれた恩師の言葉である。

(かなりのご高齢だったが、今も元気にしているだろうか)

「明日のことなんだが」
「はい」

明日といえば、いよいよ舞踏会の前日である。つまり依頼していた衣装の仕立て〆切だ。どうにかヴェストとタイは先程仕上げることはできた。大物のジャケットやズボンなどは特に連絡がないということは、今頃急ピッチで仕上げていることだろう。

まぁ、普段の金額の3割増でお願いしているのだから、先方も頑張ってくれているはずだ。

「仕立屋が来たあと、港町に行こうと思っているのだが、ついてきてもらえないだろうか?」
「私が、ですか?」
「他にいないだろう。装飾品だが、どうもイマイチ選ぶことができなくてな。目利きも効かんから、できれば同伴して欲しいのだが」
「構いませんが、私でよろしいのでしょうか?」
「あぁ、ついでにリーシェも何か買うと良い。給金、使う暇もなかっただろう?」

言われて、確かに給金をもらっていたことを思い出す。あまりお金を使うことに頓着しない性格からか、言われてから思い出すほどに、全く使い道を気にしていなかった。

そもそも元から物欲が薄い身。欲しいものと言われてもあまり浮かんでこないが、彼なりに気遣ってくれていることは伝わるので、無碍にするわけにはいかない。

「ありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。色々と手数をかけて申し訳ない」
「それが仕事ですから。こちらに住まわせていただく身として、当然の責務を果たしているだけですので、お気になさらないでください」

そう、使用人とはそういうものである。

つい領主の人当たりの良さから気安く接してしまいがちだが、本来は領主とメイドは些細な会話することさえ憚られるほどの身分の差がある。気遣ってくれるのはありがたいが、立場は弁えねばならない。

(主従のルールはきちんと守らなければならない。そうしないと身を滅ぼすことになる)

リーシェは自分に言い聞かせるように、かつて言われた言葉を復唱する。身近で身を滅ぼした者がいる人の言葉には説得力があった。

「手は疲れてないか?」
「大丈夫です。目元の血行が解れてきたようなので、目元のマッサージを始めます」

ぼんやりしていたせいか、手元が止まっていたようだ。タオルを取り払い、目元の血色が良くなっていることを確認すると、目頭や目尻など流れに沿って押していく。

リーシェは、つい過去が溢れそうになるのを蓋するように、クエリーシェルのマッサージに集中するのだった。
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