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ルフスにとっての現実
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昔起こった出来事をルフスは見た。
ルフスは経験していない他人の記憶だ。
五百年前の英雄の。
紙芝居や人形劇では語られなかった部分がいくらもあった。それは全て、一人の人間の目線で追ったもので、ルフスにとってはやはり絵物語でも見ているような気分だった。その記憶の中にはティランやあの魔女もいたが、なんの感慨もなかった。
ティランは大昔の人間だったという事実には驚いた。
見た目を変える魔法をかけられていて、実はすごい魔法が使えて、記憶もなくて、それなりの事情を抱えているのだろうとは思っていたが、まさか伝説に残るような人と同じ時代を生きていたなんて考えつきもしなかった。
本当はティエンランという名で、滅びた国の王子ということにも驚きはしたが、納得できる部分も多かった。
見識が深く、所作にはがさつなところがない。言葉遣いはちょっと乱暴だ。ずる賢いところがあるし、偉そうでもある。
だけど憎めない。だってツンケンしているのは表面上だけで、本当はいい奴だ。
ルフスの前の魂の持ち主である王ロッソも、ティランのことを好ましく思っていた。ティランはどうかわからないけれど、ロッソは少なくとも彼のことを親友のように思っていた。
ルフスの見た記憶の中で、ロッソは賢く強く、何でもできる堂々とした人のようだったけれど、唯一ダメなところがあった。
好きな女性に対しどう振舞っていいのかわからなかったらしく、そのことをティランに相談していた。
たった一人で知らない国に嫁いできて、きっと心細い思いをしているだろうから彼女に何かしてあげられないだろうかと。
ティランは呆れながらも、彼の話を聞き、助言を与えていた。
ティランも姫君も、国も、そこに住まう人たち皆、ロッソにとっては大切で、かけがえのないものだった。
なのに、すべては失われてしまった。
ティランやロッソのことを考えると、胸は痛んだ。気の毒だと思う。
でもそれだけだ。
魔女は悔やみ苦しめと言った。
真実を知ったところで、ルフスにはそんな感情は湧き上がってこなかった。
唯一の友をあんな形で失い、愛する姫君に剣を向けることになり、ロッソは悩み苦しんでいた。なぜこんなことになったのか、二人を救う方法はないのかと。そして魔女の力によって破壊された城や街を見て心の中で泣いていた。
それは全てロッソの記憶と感情で、ルフスのものではない。
ルフスはベッドに座ったまま窓の方を眺める。
外には燃えて葉を失い、黒く焦げた木が並んでいる。
空に浮かぶ灰色の雲は風の流れに乗って、ゆっくり動く。
この目に映る景色が、ベッドの柔らかさ温かさが、ルフスにとっての現実だ。ロッソが見てきたもの、感じたことは、ロッソだけのものだ。酷いかもしれないが、ルフスにとってはあくまで他人事だ。
今のルフスを悩ませるものがあるとすれば、それは、
「おじさん……」
どうしてあんな奴らと。
ローアルを離れた後は、元気に傭兵の仕事をしていると聞いていた。そして仕事先である女性と出会って、今はどこかの小さな村で一緒に暮らしながら、傭兵の仕事を続けているのだと。
優しく頭を撫でてくれた手を持つ人が、あんな平気で人を傷つけるような奴らに加担するなんて、とても信じられない。信じたくないし、ひょっとしてあれはルフスの動揺を誘うために別の誰かが化けた姿ではないかと思いたくもあった。
その時、落ち込むルフスの腹が鳴った。喉が乾いていることも思い出す。
ベッドを降りて、裸足のまま歩いて扉を開けた。
ティランと山吹が食卓に向かい合わせで座っていて、同時に振り返った。
テーブルの上には食べ物が色々と置いてあったが、手は付けられていない状態だった。
ティランが険しい顔で言う。
「ルフス、おれの名前が言えるか?」
「ティラン」
「よし、ようやく目ぇ覚めたようやな」
「ごめん、心配かけた」
山吹がルフスの分も紅茶を淹れに席を立った。
空いている場所に座る。
「おれ、ティランの事情とか知っちゃったよ」
「隠しとったわけやないし別にええけど」
あっさりとティランは言い、ルフスはこの件についてそれ以上何も言わないことに決めた。
大変だったなとか、故郷を失うのは辛かっただろうなとか、思うことは本当はいくつもあったが、どうしてだかそれは口にしてはいけない気がした。
「これ食べていい?」
「待て、切るから」
ティランがナイフを取りに行き、戻ってきて、チーズの塊に刃を入れようとしたところでルフスがちょっと慌てた。
「え、大丈夫? ティランできる?」
「バカにしとんのか?」
「だって芋の皮も剥けなかっただろ? ナイフの持ち方なんか変だし」
フンと鼻を鳴らして、ティランはナイフを縦に動かした。
大雑把に二等分されたチーズを手に取って、ルフスは
「あ、そうだ」
と呟き、山吹と入れ替わりに台所に立った。
ジャガイモやカボチャ、にんじんとキノコといった野菜類、それから調理用のワインに小麦粉。材料はいい具合に揃っている。
ルフスは手早く動いて、一つの料理を作り上げた。
野菜類を小さく切って茹でたものを、鍋で溶かしたチーズに絡めて食べるだけの簡素なものだったが、温かく多少なりと手の加えられた食事は疲れた体に染みるようだった。
ルフスは経験していない他人の記憶だ。
五百年前の英雄の。
紙芝居や人形劇では語られなかった部分がいくらもあった。それは全て、一人の人間の目線で追ったもので、ルフスにとってはやはり絵物語でも見ているような気分だった。その記憶の中にはティランやあの魔女もいたが、なんの感慨もなかった。
ティランは大昔の人間だったという事実には驚いた。
見た目を変える魔法をかけられていて、実はすごい魔法が使えて、記憶もなくて、それなりの事情を抱えているのだろうとは思っていたが、まさか伝説に残るような人と同じ時代を生きていたなんて考えつきもしなかった。
本当はティエンランという名で、滅びた国の王子ということにも驚きはしたが、納得できる部分も多かった。
見識が深く、所作にはがさつなところがない。言葉遣いはちょっと乱暴だ。ずる賢いところがあるし、偉そうでもある。
だけど憎めない。だってツンケンしているのは表面上だけで、本当はいい奴だ。
ルフスの前の魂の持ち主である王ロッソも、ティランのことを好ましく思っていた。ティランはどうかわからないけれど、ロッソは少なくとも彼のことを親友のように思っていた。
ルフスの見た記憶の中で、ロッソは賢く強く、何でもできる堂々とした人のようだったけれど、唯一ダメなところがあった。
好きな女性に対しどう振舞っていいのかわからなかったらしく、そのことをティランに相談していた。
たった一人で知らない国に嫁いできて、きっと心細い思いをしているだろうから彼女に何かしてあげられないだろうかと。
ティランは呆れながらも、彼の話を聞き、助言を与えていた。
ティランも姫君も、国も、そこに住まう人たち皆、ロッソにとっては大切で、かけがえのないものだった。
なのに、すべては失われてしまった。
ティランやロッソのことを考えると、胸は痛んだ。気の毒だと思う。
でもそれだけだ。
魔女は悔やみ苦しめと言った。
真実を知ったところで、ルフスにはそんな感情は湧き上がってこなかった。
唯一の友をあんな形で失い、愛する姫君に剣を向けることになり、ロッソは悩み苦しんでいた。なぜこんなことになったのか、二人を救う方法はないのかと。そして魔女の力によって破壊された城や街を見て心の中で泣いていた。
それは全てロッソの記憶と感情で、ルフスのものではない。
ルフスはベッドに座ったまま窓の方を眺める。
外には燃えて葉を失い、黒く焦げた木が並んでいる。
空に浮かぶ灰色の雲は風の流れに乗って、ゆっくり動く。
この目に映る景色が、ベッドの柔らかさ温かさが、ルフスにとっての現実だ。ロッソが見てきたもの、感じたことは、ロッソだけのものだ。酷いかもしれないが、ルフスにとってはあくまで他人事だ。
今のルフスを悩ませるものがあるとすれば、それは、
「おじさん……」
どうしてあんな奴らと。
ローアルを離れた後は、元気に傭兵の仕事をしていると聞いていた。そして仕事先である女性と出会って、今はどこかの小さな村で一緒に暮らしながら、傭兵の仕事を続けているのだと。
優しく頭を撫でてくれた手を持つ人が、あんな平気で人を傷つけるような奴らに加担するなんて、とても信じられない。信じたくないし、ひょっとしてあれはルフスの動揺を誘うために別の誰かが化けた姿ではないかと思いたくもあった。
その時、落ち込むルフスの腹が鳴った。喉が乾いていることも思い出す。
ベッドを降りて、裸足のまま歩いて扉を開けた。
ティランと山吹が食卓に向かい合わせで座っていて、同時に振り返った。
テーブルの上には食べ物が色々と置いてあったが、手は付けられていない状態だった。
ティランが険しい顔で言う。
「ルフス、おれの名前が言えるか?」
「ティラン」
「よし、ようやく目ぇ覚めたようやな」
「ごめん、心配かけた」
山吹がルフスの分も紅茶を淹れに席を立った。
空いている場所に座る。
「おれ、ティランの事情とか知っちゃったよ」
「隠しとったわけやないし別にええけど」
あっさりとティランは言い、ルフスはこの件についてそれ以上何も言わないことに決めた。
大変だったなとか、故郷を失うのは辛かっただろうなとか、思うことは本当はいくつもあったが、どうしてだかそれは口にしてはいけない気がした。
「これ食べていい?」
「待て、切るから」
ティランがナイフを取りに行き、戻ってきて、チーズの塊に刃を入れようとしたところでルフスがちょっと慌てた。
「え、大丈夫? ティランできる?」
「バカにしとんのか?」
「だって芋の皮も剥けなかっただろ? ナイフの持ち方なんか変だし」
フンと鼻を鳴らして、ティランはナイフを縦に動かした。
大雑把に二等分されたチーズを手に取って、ルフスは
「あ、そうだ」
と呟き、山吹と入れ替わりに台所に立った。
ジャガイモやカボチャ、にんじんとキノコといった野菜類、それから調理用のワインに小麦粉。材料はいい具合に揃っている。
ルフスは手早く動いて、一つの料理を作り上げた。
野菜類を小さく切って茹でたものを、鍋で溶かしたチーズに絡めて食べるだけの簡素なものだったが、温かく多少なりと手の加えられた食事は疲れた体に染みるようだった。
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