緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

文字の大きさ
上 下
32 / 67

なりたい自分

しおりを挟む
「ええか、ルフス。他の誰かのためにおまえが犠牲になる必要はない。期待なんてのはする側の勝手な都合であって、それに応えなかったからといって批判する権利など誰にもない。おまえはおまえがなりたいと思う自分になればいい」

 声はルフスの耳に甘く優しく響く。
 ルフスはああと息を吐き、目を閉じる。瞼の裏で光が踊る。膝を抱えこんで、顔をうずめる。
 なりたいと思う自分。
 確かにあった。
 今よりもっとずっと前。
 


「おれ英雄になりたい! だから強くなって悪いやつやっつけるんだ!」



 まだ子どもだった頃の話だ。
 人形劇に触発されて、強くてかっこいい英雄像に憧れた。
 特訓だなんて、毎日木の棒を振り回していた。
 けれど長閑な村はいつだって平和で、期待するような事件などそうそうなく、そんな日常がつまらないと感じていた。
 そんなルフスの頭を撫でて、その人は言った。
 大きくて分厚くて頼もしい手だった。

「いいか、ルフス。悪いやつをやっつけるだけが英雄じゃないんだ」

 普段は遠くの街へ出稼ぎに行っていて、滅多に帰ってこない叔父。
 粗雑で、豪快で、背が高くて、髪の癖がひどくて、お節介焼きで情に厚い。力が強くて、足が速くて、かっこよくて、面白くて、歌がへたくそで、ちょっとドジなところがある人だった。
 さあおいでと、彼は幼いルフスを抱き上げ、肩に乗せて歩きながら言った。

「英雄ってのはな、こいつがいてくれるからおれ達は安心して毎日過ごせてる、そう思ってもらえるようなやつのことを言うんだよ。そしてお前はもうそれができてる。昨日近所のばあちゃんの代わりに重いもの持ってやったよな。道端の落とし物拾って届けてやったこともあったな。それでいいんだよ。お前はすでに誰かにとって英雄なんだ。これからもお前はそのままのお前でいろ」

 ああ、そうだ。
 言われたその時はちょっと、そんなのはつまらないなと思ったんだった。やっぱり英雄っていうのは、みんなの前にかっこよく現れて悪いやつを倒してこそだと思ったから。
 だけど、
 そう言ったおじさんは、とてもかっこいい人だった。
 覚えている。
 太陽のにおいのする髪。
 焼けて浅黒い肌。
 鍛えられ締まった体つき。
 誰かが困っているのを見掛けたら迷いもなく手を差し伸べて、気さくに笑いかけていた。

「ルフス、おまえはとても勇敢で優しい。いい子だ、ルフス」

 もしも今おじさんがここにいたら、何て言うだろう。
 おれが今みたいに弱音を吐いて、全てを投げ出し逃げ出したいなんて口にしたら。
 叱るだろうか。
 何やってるんだ選ばれたんだろって。
 お前にしかできないことなんだろうって。
 叱りつけて、鼓舞して、腕を引いて立たせて。
 ………ちがう。
 違うな。あのおじさんならきっとこうだ。

「いいんだ無理すんな。おまえことはおまえが選んで決めることだ。それを非難するやつがいたら、そんな奴はオレがぶん殴ってやるよ。できるやつに頼るんじゃなくて、やろうって思うやつがやればいい。なあ、オレにできることはあるのか? どこへ行って何をすればいい?」

 落ち込んでいたら、労わってくれる人だ。
 頑張っていたら、賞賛をくれる人だ。
 迷っていたら、答えが出るまで待ってくれる人だ。
 そうして、
 そうして決めたら、決断したら、
 こうしたいってはっきり自分の中で決めることができたら、その時には、

「よっしゃ、いってこい」

 背中を押してくれる人だ。
 今ならわかる。英雄っていうのはきっと、こういう人のことをいうんだ。
 おれは、どうだろう。

 英雄になりたいんだ、物語に出てくるような。悪い奴をやっつけて、みんなを助けて。

 それはもっと昔の、子どもの頃の夢だけど。大きくなって、もうそんな夢みたいな夢を見ることもなくなったけど。
 それでもおれは、
 できることがあるのなら。今はできなくても、できるようになりたい。
 期待してくれるひとがいるのなら、それに応えたい。
 勇敢で優しい。
 その言葉に恥じないように。そう評してくれたおじさんの前で胸が張れるように。

 顔を上げて、目を開く。
 焚火の光がルフスの眸に映りこむ。
 この炎のように。夜の暗闇に灯るひとつの光のように。胸の奥、魂に熱を帯びるのを感じる。
 宥めるように背中をさする手はあたたかい。やさしい。
 ティランとは成り行きで一緒に旅をすることになった。初めはリュナの街まで送り届ければ、どうにかなると思っていた。まだ一年にも満たない、秋から冬にかけての時間くらいだけど、それでも思っていたよりは長く一緒にいる。
 怒りっぽくて、ちょっと口うるさくて、それでも、なんだかんだ言いながらもルフスのことを慮ってくれる。文句を言いつつも、ルフスに合わせてくれたり、したいようにさせてくれたりする。
 同い年くらいに見えるけれど、記憶がないから実際どうなのかはわからない。ひょっとしたら少し年上なのかもしれない。
 ルフスには年の離れた弟がいるが、年上の兄弟はいないから、兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと思ったことが何度かあった。
 記憶がなくても、頼りなくなどなくて、頭が良くて教養があって、いつも冷静に物事見てくれて、だから。だから今回も、きっとそうなんだろう。
 無茶をするなって言いながらも、おれの短絡的な思考を叱りながらも、それでも最終的には折れてくれるんだろう?
 ティラン。
 ティランが逃げ道を作って、他にも選択肢があるんだって示してくれた。そのおかげでおれはしっかり迷うことができた。しっかり迷うことができたから、どうしたいのかが見えてきた。
 自分でも今気が付いたけど、おれは多分こうしなきゃって思うのがちょっと苦手なんだ。こうするしかないとか、できなきゃいけないとか、追い詰められるように感じるのが。
 そういうのわかってくれてたのかな。
 ティランは頭いいから。
 だから余裕を与えてくれたのかな。
 おれがおれの気持ちを整理できるように。

「ありがとう。ティラン、おれ……」

 言いかけて、ルフスは目を見開く。
 こちらに顔を向けるティランの背後、暗闇の中に白い靄のようなものが見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

異世界に来たからといってヒロインとは限らない

あろまりん
ファンタジー
※ようやく修正終わりました!加筆&纏めたため、26~50までは欠番とします(笑)これ以降の番号振り直すなんて無理! ごめんなさい、変な番号降ってますが、内容は繋がってますから許してください!!!※ ファンタジー小説大賞結果発表!!! \9位/ ٩( 'ω' )و \奨励賞/ (嬉しかったので自慢します) 書籍化は考えていま…いな…してみたく…したいな…(ゲフンゲフン) 変わらず応援して頂ければと思います。よろしくお願いします! (誰かイラスト化してくれる人いませんか?)←他力本願 ※誤字脱字報告につきましては、返信等一切しませんのでご了承ください。しかるべき時期に手直しいたします。      * * * やってきました、異世界。 学生の頃は楽しく読みました、ラノベ。 いえ、今でも懐かしく読んでます。 好きですよ?異世界転移&転生モノ。 だからといって自分もそうなるなんて考えませんよね? 『ラッキー』と思うか『アンラッキー』と思うか。 実際来てみれば、乙女ゲームもかくやと思う世界。 でもね、誰もがヒロインになる訳じゃないんですよ、ホント。 モブキャラの方が楽しみは多いかもしれないよ? 帰る方法を探して四苦八苦? はてさて帰る事ができるかな… アラフォー女のドタバタ劇…?かな…? *********************** 基本、ノリと勢いで書いてます。 どこかで見たような展開かも知れません。 暇つぶしに書いている作品なので、多くは望まないでくださると嬉しいです。

処理中です...