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メルクーアの森
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メルクーアは東西を二本の川に挟まれた広大な森だ。
西はヴェニュス川を越えた向こうに街があり、森を囲むように連なる山麓の頂は、一年を通して白い雪に覆われていると聞く。
リュナで聞いた魔法使いは森の北側、山裾に近い場所の二本の川が交わる辺りに住んでいるらしい。
「てことは、川沿いに進んでいけばいいんだよな」
「まあそうなるな」
森の中はブナやオークの木が密集していて、枯れた葉が地面を敷き詰めるように落ちている。また、道らしい道は見当たらず、緩やかな起伏が続いている。それは人が滅多に立ち入らないことを示しているようでもあった。
冬ごもりの時期だからだろうか、獣や鳥の姿は見られない。
近くを流れる川は浅く細く、澄んだ水に満ちていた。
ルフス達は川上を目指して歩く。
地面を踏むごとに、サクサクと乾燥した落ち葉の砕ける音がする。
ふとルフスが立ち止まった。
「どうした?」
「いや、なんか音が……」
ルフスはあたりに視線を走らせ、川でぴたりと止めた。何事かとティランも同じ方向を見やり、そうしてその異質な気配に気が付いた。
ひとでもない、獣でもない何かが迫りくる気配。
水をかき分けるような、水面に何かが叩きつけられ水しぶきが散る時のような音が響き、それは徐々に近づいてくる。
音は川下から聞こえてきているようで、ティランは己の目を疑う。
「うそやろ、逆流しとる……」
後じさり、逃げようとしたところで、地を這うような声がした。
「ミツけタ」
突然川面が盛り上がり、はじけて、何かが飛び出してくる。空中に散じた小さな水の珠が雨のように降り注ぐ。
現れたのは飛び出た目玉と滑って光る鱗の皮膚、半透明で風に揺れるカーテンのように閃く背びれの、巨大な魚に似た形の生物だった。そいつは宙に浮いたまま不明瞭な声で言った。
「ミツけタ、ニンゲン。ヨくモ、カワヲ、アラしタな、ケガしタナ。ゼッタイニ、ユルサんゾ」
「なんやコイツ、魚が人の言葉を。妖ってやつ!?」
「わかんねえ、とにかく逃げよう!」
強い殺意を感じて、ルフスはティランの腕を掴み、促す。
できるだけ川から遠く離れようと、二人は駆け出す。
だが、魚の化け物は空中でも構わず泳ぎ、追ってくる。見た目に反して動きが素早い。割けた口が大きく開かれ、ティランに襲い掛かろうとするのを、ルフスが体当たりして横方向に突き飛ばす。
「ッ!」
「バカ、おまえッ!」
地面を転がり、慌てて起き上がったティランは青ざめる。
振り向きざまに頭を庇い差し出したルフスの腕に、化け物が噛みついていた。ぎざぎざの尖った歯が皮膚を突き破り、血が幾筋も流れ出ている。ルフスは苦痛に顔を歪め、無事な方の手で化け物を引きはがそうとする。
駆け寄ろうとしたティランの目の前を、風の速さで何かが過ぎていった。それは化け物の体をかすめて地面に突き立つ。矢だ。
地面を蹴る軽快な音に振り返ると、木々の間を抜けて青鹿毛の馬がやってくるのが見えた。背には人が跨っていて、その輪郭から女性のようだと、ティランは思う。
女性が手綱を引くと馬がいななき、ティラン達の周りをゆるやかに旋回しながら速度を落とし、足を止めた。慣れた様子で女性は馬上から飛び降り、こちらに歩み寄ってくる。
女性は背に弓矢を背負っていた。珍しい形の帽子を被っていて、黒の長い髪は編んで肩口に流している。目はルフスと同じ赤色だ。
「まずは、いきなり危害をくわえ、傷を負わせたことを詫びます。わたしの名前はディア・アレーニ。この川を住み処とする魔族、あなたにとって悪いようには、決してしない。だから、その人たちを襲った理由を教えて」
化け物がルフスから離れ、女性に対面するように体を回転させた。
「ディア・アレーニ。イカイのマオウノ、ユウじンか。コノニンゲんタチは、カワヲアラシた。ソノセイで、カワはケガれ、ヨゴれタ」
「それは川のどのあたりで、いつ頃のこと?」
「ツイサっキノコトだ。しハンとキもタッテイナイ。バシょハ、コレヨリずットミナミ、モリノそト。ソコカラ、サらニ、ミナミ」
「それならこの人たちが原因じゃないわ。人間はあなた達のような速さで、移動することはできないから。移動魔法があればもちろん別だけど、この二人はどちらも杖を持っていないでしょう? 魔法使いなら杖を持っているはずよ」
魚型の魔族の目がぎょろりと動いて、ルフスとティランを順番に見た。
「ホントうニ、オマエタチでハ、ナイのカ? オノれノイノちニ、チカうコトハ、でキルカ?」
「ああ」
ルフスは目をそらさないまま強く頷き、ティランもそれに倣う。
「ソレなラ、ワルイこトヲしタ。キズツけテ、スまナカッタ」
「川の汚れたところにつれていって。わたしもあなたを傷つけたお詫びに穢れを払うの手伝ってあげる。と、その前に」
先刻ディア・アレーニと名乗った女性はにこりと笑って魔族に言い、思い出したように掌を打ち合わせる。斜めがけにした鞄の中から小さな瓶と布を取り出すと、ルフスの傍に行き、傷口を見せるように促してきた。ルフスが胸の前に腕を掲げると、ディアはそこに瓶の中に詰められていた液体を振りまき、割いた布を巻きつけた。液体を掛けられた時、痛みにルフスは小さく呻いていた。
「これはとりあえずの応急処置だから、ちゃんと手当した方がいいわ。本当なら街でお医者さんに診てもらってと言いたいところだけど、この森にいるってことはあなたたち街に向かっているわけではなさそうね」
「あっ、おれたちはこの森に住むっていう魔法使いを訪ねるつもりで」
ルフスの言葉に、ディアは目を丸くし、そうと頷いた。
森の奥に指先を向けて言う。
「それじゃあ、もう少し先に進んだら大きな虚のある木が見えてくるから、そこから右に三歩進んで、そこから左を向いて十歩。そしたら目の前に赤い実をつけた木があるはずだから、その幹に触れてこう唱えるの。イフタフ・ヤー・シムシム」
西はヴェニュス川を越えた向こうに街があり、森を囲むように連なる山麓の頂は、一年を通して白い雪に覆われていると聞く。
リュナで聞いた魔法使いは森の北側、山裾に近い場所の二本の川が交わる辺りに住んでいるらしい。
「てことは、川沿いに進んでいけばいいんだよな」
「まあそうなるな」
森の中はブナやオークの木が密集していて、枯れた葉が地面を敷き詰めるように落ちている。また、道らしい道は見当たらず、緩やかな起伏が続いている。それは人が滅多に立ち入らないことを示しているようでもあった。
冬ごもりの時期だからだろうか、獣や鳥の姿は見られない。
近くを流れる川は浅く細く、澄んだ水に満ちていた。
ルフス達は川上を目指して歩く。
地面を踏むごとに、サクサクと乾燥した落ち葉の砕ける音がする。
ふとルフスが立ち止まった。
「どうした?」
「いや、なんか音が……」
ルフスはあたりに視線を走らせ、川でぴたりと止めた。何事かとティランも同じ方向を見やり、そうしてその異質な気配に気が付いた。
ひとでもない、獣でもない何かが迫りくる気配。
水をかき分けるような、水面に何かが叩きつけられ水しぶきが散る時のような音が響き、それは徐々に近づいてくる。
音は川下から聞こえてきているようで、ティランは己の目を疑う。
「うそやろ、逆流しとる……」
後じさり、逃げようとしたところで、地を這うような声がした。
「ミツけタ」
突然川面が盛り上がり、はじけて、何かが飛び出してくる。空中に散じた小さな水の珠が雨のように降り注ぐ。
現れたのは飛び出た目玉と滑って光る鱗の皮膚、半透明で風に揺れるカーテンのように閃く背びれの、巨大な魚に似た形の生物だった。そいつは宙に浮いたまま不明瞭な声で言った。
「ミツけタ、ニンゲン。ヨくモ、カワヲ、アラしタな、ケガしタナ。ゼッタイニ、ユルサんゾ」
「なんやコイツ、魚が人の言葉を。妖ってやつ!?」
「わかんねえ、とにかく逃げよう!」
強い殺意を感じて、ルフスはティランの腕を掴み、促す。
できるだけ川から遠く離れようと、二人は駆け出す。
だが、魚の化け物は空中でも構わず泳ぎ、追ってくる。見た目に反して動きが素早い。割けた口が大きく開かれ、ティランに襲い掛かろうとするのを、ルフスが体当たりして横方向に突き飛ばす。
「ッ!」
「バカ、おまえッ!」
地面を転がり、慌てて起き上がったティランは青ざめる。
振り向きざまに頭を庇い差し出したルフスの腕に、化け物が噛みついていた。ぎざぎざの尖った歯が皮膚を突き破り、血が幾筋も流れ出ている。ルフスは苦痛に顔を歪め、無事な方の手で化け物を引きはがそうとする。
駆け寄ろうとしたティランの目の前を、風の速さで何かが過ぎていった。それは化け物の体をかすめて地面に突き立つ。矢だ。
地面を蹴る軽快な音に振り返ると、木々の間を抜けて青鹿毛の馬がやってくるのが見えた。背には人が跨っていて、その輪郭から女性のようだと、ティランは思う。
女性が手綱を引くと馬がいななき、ティラン達の周りをゆるやかに旋回しながら速度を落とし、足を止めた。慣れた様子で女性は馬上から飛び降り、こちらに歩み寄ってくる。
女性は背に弓矢を背負っていた。珍しい形の帽子を被っていて、黒の長い髪は編んで肩口に流している。目はルフスと同じ赤色だ。
「まずは、いきなり危害をくわえ、傷を負わせたことを詫びます。わたしの名前はディア・アレーニ。この川を住み処とする魔族、あなたにとって悪いようには、決してしない。だから、その人たちを襲った理由を教えて」
化け物がルフスから離れ、女性に対面するように体を回転させた。
「ディア・アレーニ。イカイのマオウノ、ユウじンか。コノニンゲんタチは、カワヲアラシた。ソノセイで、カワはケガれ、ヨゴれタ」
「それは川のどのあたりで、いつ頃のこと?」
「ツイサっキノコトだ。しハンとキもタッテイナイ。バシょハ、コレヨリずットミナミ、モリノそト。ソコカラ、サらニ、ミナミ」
「それならこの人たちが原因じゃないわ。人間はあなた達のような速さで、移動することはできないから。移動魔法があればもちろん別だけど、この二人はどちらも杖を持っていないでしょう? 魔法使いなら杖を持っているはずよ」
魚型の魔族の目がぎょろりと動いて、ルフスとティランを順番に見た。
「ホントうニ、オマエタチでハ、ナイのカ? オノれノイノちニ、チカうコトハ、でキルカ?」
「ああ」
ルフスは目をそらさないまま強く頷き、ティランもそれに倣う。
「ソレなラ、ワルイこトヲしタ。キズツけテ、スまナカッタ」
「川の汚れたところにつれていって。わたしもあなたを傷つけたお詫びに穢れを払うの手伝ってあげる。と、その前に」
先刻ディア・アレーニと名乗った女性はにこりと笑って魔族に言い、思い出したように掌を打ち合わせる。斜めがけにした鞄の中から小さな瓶と布を取り出すと、ルフスの傍に行き、傷口を見せるように促してきた。ルフスが胸の前に腕を掲げると、ディアはそこに瓶の中に詰められていた液体を振りまき、割いた布を巻きつけた。液体を掛けられた時、痛みにルフスは小さく呻いていた。
「これはとりあえずの応急処置だから、ちゃんと手当した方がいいわ。本当なら街でお医者さんに診てもらってと言いたいところだけど、この森にいるってことはあなたたち街に向かっているわけではなさそうね」
「あっ、おれたちはこの森に住むっていう魔法使いを訪ねるつもりで」
ルフスの言葉に、ディアは目を丸くし、そうと頷いた。
森の奥に指先を向けて言う。
「それじゃあ、もう少し先に進んだら大きな虚のある木が見えてくるから、そこから右に三歩進んで、そこから左を向いて十歩。そしたら目の前に赤い実をつけた木があるはずだから、その幹に触れてこう唱えるの。イフタフ・ヤー・シムシム」
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