水端ノ獣ノ物語

冴木黒

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閃闘

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 床を蹴る音が、広い聖堂内に響く。
 騒ぎを聞きつけて、次々と現れる神殿兵。
 その中央に槍を携えた女がいた。
 薄い金の髪に、藍の瞳。
 彼女は名をフラウ・ハスという。東の国の侵攻によって故郷と夫を失い、仇を討つために旅をしている。
 フラウの目的は二つ。
 国の要である神殿をつぶすこと。
 そして夫を殺した男を討つこと。
 周囲を取り囲む神殿兵のうち、数人が一斉に飛びかかり、フラウ目掛けて剣を振り下ろす。
 ところが剣は空を切るのみだった。
 ざわめき狼狽える神殿兵。いち早く気付いた誰かが叫ぶ。

「上だ!」

 声に、見上げた一人の神殿兵の脳天を刃が貫いた。
 血飛沫を撒き散らしながら倒れる神殿兵の傍らにフラウが降り立つ。ふわりと、まるで背に羽でも生えているかのような軽やかさだった。
 フラウは聖堂に集まった兵士たちに目を走らせ、再び宙に舞い踊る。
 空中でくるりと回転しながら槍で薙ぐ。
 そうして、たんたんと、ステップでも踏むかように跳躍し、掛け声と共に数度刃を振るった。
 彼女の両足が床に着く頃には、聖堂に集まった神殿兵は皆息絶えていた。残るは武器を持たない神官や巡礼者だが、先ほどから聖堂の片隅で震えるばかりだ。
 どうでもいいとばかりに、フラウは彼らから視線を外す。
 彼女の標的は戦いに身を置く兵士。
 そして彼らに指示を与えた者。神殿兵を束ねる立場にある司祭。そいつは先刻塔の上階で始末した。戦意のない者を手に掛けることは本来フラウの主義ではないが、命乞いをしようが何だろうが、そいつだけは許せなかった。
 それは最も憎むべき相手、夫を手にかけた男も同じだ。
 けれど今も脳裏に焼き付くあの顔は、ここにもいない。
 眉をひそめるフラウの耳が新たに音を拾う。
 聖堂に繋がる二つの入口。その双方から、更なる軍靴の音が聞こえてきた。
 まだ、残っていたか。
 フラウは口端を持ち上げる。
 構わない。

 纏めてかかってくるがいい。

 この場を切り抜けられるだけの自信が、彼女にはあった。
 あの時以来だ。
 化獣に襲われ、致命的な傷を負い、不思議な力で治してもらった後。
 フラウが自身の変化に気づいたのは、数日を過ぎてからのことだった。
 ここまでの道中、またしても化獣と相対した彼女は、前回とは異なり自らの力で勝利した。あっけなく感じる程の、手応えのなさだった。
 研ぎ澄まされた感覚と反射神経、並外れた運動能力。勝利へ導いたのはそれらの、以前の彼女にはなかったものである。
 ひとの言葉を操る白蛇、そして不可思議な術。きっと何か関係があるのだろうが、理由なんてどうでもいい。
 力を得たなら、利用するまでだ。復讐のために、彼女は生きている。
 残る神殿兵も、全員殺してやる。
 もしもその中に仇の男がいないなら、そいつを見つけ出すまで探す。
 必ず探し出し、この手で息の根を止める。
 だというのに、どういうわけか足音は遠ざかっていく。

 おい、あっちだ!
 一体何が起こってるんだ⁉
 なんだあれは!

 切迫したような声に重なる破壊音。
 何かが外で起きていることを察し、フラウは外に飛び出した。
 するとそこには、複数人の神殿兵が呆気にとられた様子で立ち尽くしていて、その向こう側に、人間の数十倍はあろうかという巨大な蛇がいた。
 ぬらぬらと光る鱗は漆黒、裂けた口の奥は真っ赤で、二つの目はそれぞれ赤色と白金色だ。
 左右で色の異なる二つの目がフラウを見た。

「ラムダ?」

 直感的にそう思った。
 瞳以外に、人間であった時の名残など全く見られなかったが、確信めいた思いがフラウの中にはあった。
 不意にとん、と乾いた音がした。
 どこかから飛んできた矢が、固い鱗に阻まれ地面に落ちた。
 シャアアアアアアァァァ!
 黒い大蛇が唸り、尾を振るう。近くにいた兵士が弾き飛ばされ、動かなくなる。
 兵士たちは戦意を喪失し、ある者は逃げだし、ある者は腰を抜かして怯えた。だが大蛇は戦う意思のない者をも追い詰め、襲って暴れた。

「ラムダ!」

 フラウの呼びかけに、大蛇はピタリと動きを止める。

「お前、ラムダだろう?」

 咥えていた兵士を地面に落として、大蛇はフラウの方を向いた。
 安堵したフラウが歩み寄り手を差し伸べかけたところで―――――
 伸びてきた尾が素早く彼女の体を絡み取り、手から槍が落ちる。振りほどこうにも力の差は歴然だった。

「ぐッ……」

 ぎりぎりと締め上げられ、呼吸さえ難しくなる。
 意識が遠のきかけた時、聞き覚えのある物言いが聞こえた。

「テメェあの時のクソアマじゃねェか!」
「お、前……」

 苦しい顔で、フラウは下方を見る。

「って今はそれどこじゃねェ。ッたく制御もできねェ状態で纏なんて使いやがッて」

 白い蛇は己よりも何十倍何百倍も大きなそいつを見上げて言う。

「おいこっちだ」

 大蛇は喉を鳴らし、大きく口を開くと白蛇を一飲みにした。

「な、にを……!」

 白蛇の行動に驚き呆れるフラウだったが、不意に締め付けが緩むのを知る。受け身も取れずに地面に落ちた。
 ただでさえ痺れた体に更なる衝撃は、一瞬だがフラウの意識を奪った。
 感覚のない腕を動かし、起き上がる。目の前で大蛇は黒い塵となって四散する。その様子はあの異形の存在、化獣の最期とよく似ていた。
 後には一糸纏わぬ姿の少年と、白蛇だけが残されていた。どちらも意識はないらしく、ぴくりともしない。
 フラウはふらつきながら立ち上がり、歩き出す。

「に、逃さんぞ、この不届き者共が!」

 我に返った神殿兵が頭上に剣を掲げ、飛び込んでくる。フラウはその攻撃をかろうじて躱し、蹴りを一発見舞った。反動によろめきそうになるのを踏ん張って耐える。
 体はまだ思い通りに動かないようだ。
 残っているのは十数人。彼らはフラウを取り囲み、じりじりと距離を詰めてくる。
 唇が不敵に歪む。
 先刻まで地面に膝をついて大の男が泣きながら許しを乞うていたというのに、滑稽さに笑いがこみ上げてきた。
 余裕があるわけではない。自棄になったわけでも、諦めたわけでも、当然ない。
 何せ復讐はまだ終わっていないのだから。
 柄を握る手に汗が浮く。
 フラウは雄叫びをあげ、駆けた。槍で剣を弾き飛ばし、相手の胸を抉る。その隙を狙って背後から斬りかかってきた者には、回し蹴りを食らわせる。
 倒れる神殿兵から槍を引き抜き、まだ残る敵を睨み据える。

「死にたい奴から掛かってこい」

***

 静寂が戻る頃、そこに立っているのはただ一人。
 全身を返り血に赤黒く染め、肩で息をする女。
 女は少しの間ぼんやりと、その場に佇む。

 仇の男はいなかった。
 この場所にもう用はない。

 やがて息が整うと、女は少年と白蛇の元に歩み寄った。
 少年も白蛇も、深く眠っているようだ。
 近くに倒れる神殿兵から奪ったマントで少年の体を包み込む。
 ぐったりとした少年の腹の上に、同じく眠る白蛇を乗せて、抱き上げる。

 その体は、思っていたよりもやや重く感じられた。
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