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杞憂(きゆう)を心から願うソルジェニー

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 マントレンが王子の居室へと続く、曲がりくねった長い廊下を歩いてる時。
さっき報告に来ていた密偵が、背後から突然、腕を掴んで振り向かせる。

マントレンは足音がほぼしなくて、あんまり驚き、怒鳴りつけようとした。
が、彼は激しく、息を切らしてる。
「どうしても性急に、お知らせすべき事が…!」

マントレンは目を見開いた。
が、彼が息を整え、口がきけるまで待った。





 暫くして、王子居室の扉が開く。
訪れたのはマントレンだった。

彼は地味な紺の上着を付けていた。
が、その色が更に彼の顔色を、青冷めて見せていた。
ファントレイユが一目彼を見るなり、素早く尋ねる。
「…どうした?」
「…ギデオンが睨まれてる…!」

マントレンは言った途端、顔を歪ませる王子に気づき、視線を落とし言葉を控えようとした。
が、ソルジェニーは慌てて叫ぶ。
「…ギデオンを、助けてくれるんでしょう?貴方方は…!」

マントレンは黙して、頷く。
ソルジェニーは必死に告げた。
「…なら続けて下さい…!私に構わずに…!」

ファントレイユが、王子を見ておもむろに口開く。
「では約束して下さい。
我々が必ず何とかするから。
貴方は絶対、大人しくしていると…!」
「…しますから……!」

ファントレイユはソルジェニーを見つめた。
が、ソルジェニーの必死な表情を見、その視線をマントレンに移し、頷く。

マントレンはそれを受けて口を開いた。
「アデン配下の二隊に、ローゼとその部下達がいる…。
君も知っているだろう…?
人切りローゼの噂を」

ファントレイユは急いで言葉を繋げる。
「…ドッセルスキの刺客を請け負っているという、例の噂か?」
マントレンは頷いた。
「今まで近衛内で、公然とドッセルスキ右将軍に楯突く男達が次々に殺られた。
あれは全てローゼの仕業だ。
全て裏を取ったが、噂なんかじゃ無く真実だった。
親ギデオン派の隊長らが全て、君の叔父のアイリスを頼って近衛を抜け出したのも、暗殺を避けるため」

ファントレイユが俯いて、唇を噛みしめた。
が、マントレンは声をひそめ告げる。
「…密偵に探らせてたが、ここに来る途中、慌てて駆け込んで来て…。
…どうやらギデオンの下に、ローゼを付け。
我々と隔離して……」

ファントレイユの顔が、一瞬揺れた。
それは低い、聞いた事も無いほど鋭い声で聞き返す。
「…まさかどさくさ紛れに、暗殺する気か…?!
仮にもドッセルスキにとって、甥だろう?ギデオンは!」

ソルジェニーはその“暗殺”という言葉に、冷気に晒されたように、身が凍った。

ファントレイユはきついブルー・グレーの瞳をよりいっそう鋭く輝かせ、その顔色は青冷めて見えはしたが、冷静さは崩さなかった。

マントレンは動揺を隠せない王子の様子に、一瞬視線を向けた。
が、更に言葉を続ける。
「…身分の低い、君や私を隊長にし、更に君を王子の護衛に付けた…。
身分重視の奴らは、限界なのかもな。
これ以上、身分の低い者を重要な役職に就けるのは、多分、もの凄く嫌なんだろう。
だからそれを実行するギデオンを…」

マントレンがその後の言葉を、飲み込んだ。
ファントレイユが声を落とし、囁く。
「……方法は、解っているのか?」
マントレンは俯き、親指を噛む。
が、小声で告げる。
「……そこまでは………。
今ギデオン達は配下の隊長達を連れ、ハードラー城の盗賊を、掃討しに行ってる。
…多分ギデオンの事だから、ものの数点鐘で討ち取って帰ってくる。
が、本丸はガベンツァに陣取った盗賊ら。
まだ出撃は続く。
もし、アデンがギデオンから彼の部下を取り上げ…。
ローゼ達をその配下に指名し、ギデオンに出撃を命じたら…。
その時は、危ない」

ファントレイユは、静かに頷いた。
マントレンは言葉を繋ぐ。
「…ともかく。
アデンがそれを言い出すタイミングが解らないが…。
ギデオンにさんざん盗賊を討たせ、奴らに止めを刺せる時まで、利用する腹だと思う…」
「…ギデオンを殺して手柄は自分が独り占めか…。
相変わらず悪党だな…!」

ファントレイユの吐き捨てるようなその言い様の、優雅さの微塵も無い態度に…。
彼がどれだけ腹を立て、真剣なのか。
ソルジェニーにも解って、青冷めた。

マントレンが、顔を上げて真っ直ぐファントレイユを見つめる。
「…君の叔父アイリスは、神聖神殿隊付き連隊の長で、軍で大物の実力者だ。
彼に使いを送り、アデンが暗殺計画の口を割るよう。
要請してもらえないだろうか?」

ファントレイユは即答した。
「直ぐに使者を送る」
マントレンが、顔を下げる。
「ダサンテに、ここに忍んで来るよう伝える」
「頼む」

「…後はローゼを捕らえる方法だが。
ヤツがギデオンの暗殺を実行しないと…押さえられない…。
ローゼはああ見えて、抜け目無く剣技も確か。
ギデオンに一撃で、殺されたりはしないとは思う。
が、今まで年は行っても剣豪と知られる者達を、暗殺してきた男…。
相手の隙や油断を誘うのは、大得意」

言った後。
マントレンは暫く、考えたくないようなギデオンの危機を思い浮かべ…。
次に頭の中から、消し去った。

「ともかく、まだしばらく時間があるはずだから。
こっちで、何とか考える」
マントレンはそれだけ言うと、王子にそっ、と視線を投げた。

今の会話の内容の衝撃に、年若い王子の心の動揺を見取ったものの。
直ぐ、ファントレイユに視線を移す。

ファントレイユはマントレンの視線を静かに受け止め、頷く。
マントレンは、後は任せる。
と頷き返した後、王子に軽く頭を下げ、戸口に歩いた。

ソルジェニーは、敵を倒してる最中なのに。
味方に攻撃される懸念があることに、青ざめていた。

が、ファントレイユは行こうとするマントレンを、呼び止める。
「…マントレン」

扉を開こうとし、マントレンは振り返る。
ソルジェニーが弾かれたように顔を上げ、ファントレイユの横顔を見つめた。

その、美貌の騎士は。
端正な面持ちを崩す事無く、底に決意を秘めながらも、低い、ささやくような声で告げる。
「…フェリシテを、貸してくれ」
マントレンが即座に尋ねる。
「彼を、どう使う?」
「………戦闘中の王子の警護に、打ってつけだろう?」

瞬間、マントレンの、顔が歪んだ。

そして素晴らしい美貌の、優雅さを少しも損なわない、ファントレイユの微笑を浮かべた顔を。
しばらくの間、たっぷり見つめた。

その後、小声で囁くように告げる。
「………宮廷で、身分の高い美人ともう、遊べなくなるぞ?」

ファントレイユは少し微笑んで、肩をすくめる。
「…まあそりゃ、惜しいが。
近衛の美人の方が、付き合いは長いしな」

マントレンは、顔が青いまま、笑った。
「…君にあんなに、つれない美人なのにな」
ファントレイユは微笑を崩さない。
「私にだけじゃない。
振られた男は数知れず。
自分が美人だという、自覚すら無い」

マントレンはその軽口に、少し、笑うと。
頷いて、背を向けた。
扉に手をかけ…開こうとし…。
けれどもう一度、ファントレイユに振り返る。

その青白い顔の青い瞳が、真剣にファントレイユに注がれるのを。
ソルジェニーは、引きつけられるように見つめた。

「…本気なんだな?」

ファントレイユが微笑のまま頷くと、マントレンも頷きながら、言った。
「…なら私の方にも覚悟がある。近衛の美人は………」
腹を決めたような低い声で告げ、マントレンはその青い、青い瞳でファントレイユを、見つめた。

ソルジェニーはファントレイユを真摯に見つめるマントレンの瞳が、あんまり印象的で。
一生忘れられない色かもしれないと思った。

「…君に任せる」

ファントレイユはご婦人に見せるような、それはうっとりするような微笑でマントレンに、頷いて見せた。

マントレンは少し、ためらったがそれでも歩を踏み出すと戸を閉め、その場を去った。

彼の姿が消えると、ファントレイユの。
覚悟を決めたようなブルー・グレーの瞳に、ソルジェニーは胸騒ぎを覚え、途端不安に胸がざわつく。
そして急いで口を開く。
「…近衛の美人って、ギデオンの事だよね?」
ファントレイユは顔を上げたが、微笑んだだけだった。
「…戦闘中の警護って…。
だって護衛は貴方でしょう…?」

言って、そしてソルジェニーは、はっ!とした。
「…宮廷の美人と、遊べなくなるって!でもファントレイユ!
僕にだって解る…!こんな時に護衛の仕事を放り出したりしたら……!
ヘタをすれば近衛にだって、居られなくなるくらいの責任を………!」

だがソルジェニーにはもうそれ以上、言えなかった。
ファントレイユにはとっくに全て解っていて、覚悟を決めてしまっている。

だって何を言ったって、微笑むだけだもの………!
 

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