地獄の門番は笑う

Primrose

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地獄の門番は笑う

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冥府の門番は笑う

 6月16日、午後11:59。
 もうすぐ時刻が変わろうかという頃。
 路地裏の乾いた銃声が、街中の空気を震わせた。
 銃弾はまっすぐ直進すると、そのまま壁に穴を開けた。
 銃を撃っていた少女は、その結果に短く舌打ちをしながら、数十m先の男を追跡する。
 マズい、男の先には大通りがある。このまま進めば、男が何をしでかすか。
 出し惜しみを辞めた少女は、内ポケットに潜ませた二枚の護符を投げつける。
 それは男の数m手前に落ち、見えない壁を形成して進行を食い止める。
「もう無駄です。大人しく引き下がってください」
 追いついた少女はリボルバーを構え、降伏勧告を行う。
 男が歯ぎしりすると、手を中にかざした。
 すると炎が舞い上がり、やがて刀が姿を現した。
「引き下がるかよ、俺は現世でやり残した事があるんだ‼」
 男は刀を振り上げて突進するが、少女は眉一つ動かさず、心を水平に保っていた。
 そして狙いを済ませ、もう一度引き金を引く。
 火薬が光と爆風を放ち、特製の銀の弾丸が解き放たれる。
 それは男の体内に侵入し、そして体内で止まる。
 男は前のめりで倒れ、その体にヒビが入っていく。まるで、割れた陶器の様に。
「これで貴方は、冥界に戻されます」
「クソ、クソ……」
 男は憎悪を募らせながら、崩れて塵も残さず消えた。
 だが人魂の様な光が残り、それは地中に浸透して同じく消えていった。魂が冥界に還ったのだ。
 少女はそれを確認すると、不意に指を鳴らした。
 その音に反応して、護符が青い炎に飲まれて消失した。
 そのまま内ポケットを探り、先程とは別の護符を取り出す。だがその護符は直ぐに炎を上げ、だが直ぐには消滅せず、中で燃え続けている。
「任務完了、逃亡者は無事冥界へ戻りました」
 感情を教えない声で告げると、炎から甘い声が鳴った。
『あんがとお、それじゃあ冥府に戻って報告書かいといてねえ』
「了解しました」
 会話の相手は、また酒に溺れているのか。声の具合からして今日はウォッカだろうか、などと想像してみる。
 用済みになった炎も鎮火すると、来た道を戻って夜の闇に消える。



 私、神楽彩芽は19歳。この国では少子化の影響で成人が16歳になり、18歳から飲酒や喫煙が許されている。
 なのに私の上司の鬼頭瑠美子は、私が飲酒をする事を良しとはしない。酒よりも有害な煙草は止めないのに、何故酒を停めるのか。
 よって19歳にして煙草を吹かす茶髪の少女は、2、3年大人びた様に見えているらしい。身長160㎝なのに。
 そんな事を考えながら私は市役所に入ると、迷わずエレベーターに乗り込んだ。だが行き先を指定するボタンには、私の行き先へ向かう物はない。だから押してもらう。
 電話呼び出しのボタンを押し、オペレーターを呼びつける。
『はい、どういったご用件でしょう?』
 オペレーターが呼び出しに応じ、マニュアルを元に対応を行う。
「下へ行きたい」
 私は一言、備え付けのマイクに向けて呟く。
『かしこまりました』
 オペレーターがそう言うと、これ以上下には行けない筈のエレベーターが下降を始めた。
『今日もご活躍を期待しています、門番さま』
「ありがと」
 スピーカーから音が消えると、下降が終わり扉が開いていく。
 そのには市役所のような、けれどとても不気味な場所が広がっていた。
 半透明の人々が列を成し、それに対応する人間も、独特の制服を纏っている。漆黒のロングコートの様な服を着て、その腰には銃や刀が下げられている。一般人が見れば異様な光景だが、ここに来る人間にとっては無くてはならない当たり前の場所。
 ここは冥府。閻魔の名の下に死者を統括し、人間界と冥界をつなぐ橋でもある。
ここで書類を集め、厳しい条件をクリアした者は、期限付きで人間界に戻る事が出来る。
 私もここで業務を行う門番、言わば獄卒である。
 今朝私が撃った男は、無許可で人間界に渡った不法入国者で、人間界で彼らを退治すると、魂は冥界へ送られ、そこで地獄の苦しみを味わう事になる。そこで苦しみを与えるのもまた、私達の役目だ。
「あらあ、彩芽ちゃんおはよお。今日はまだ通報受けてないから、先に書類まとめといてえ」
 更衣室で着替えようとした私に、全体的に大人な女性が声を掛けて来た。
 白衣を着てはいるは肩まで掛けておらず、胸元は一応隠れているが、それでもたまに心配になる程度には出ている。ブロンドの髪はウェーブを掛けて、その手にはウォッカの瓶を握っている。
 彼女は私の上司なのだが、一切尊敬出来る部分が無い。強いて言えば、彼女のスカウトした人材はもれなく出世したくらい。見る目と無駄な色気以外は何もない残念な女性である。
「なんか失礼な事考えなかった?」
「イイエベツニ」
 彼女は自分の服装や酒癖について注意すると、その温厚な性格が嘘の様に怒り出すのだ。私も一度遭遇したが、駄々は子供がこねる物だったんだな、と新たな発見が出来た。
「書類は書き終わったら事務室に置いていきます。あち昨日護符をいつくか使ったので、その補充をしたいです」
「了解、それはこっちで準備しとくね。んじゃ」
 瑠美子さんは手を振りながら去って行った。面倒見が良いんだが、色々残念だからなあ、と心の中でため息を吐きつつ、制服に着替えていく。
 私は支給された制服が合わなかった為、特注仕様の制服を着用している。
 上はロングコートではなく普通のコートで、その下にはジーパンに似た、同じく特別仕様のズボンを履いている。外観16歳の少女にはこれくらいでも少し大きく感じるくらいだった。
 だが機能性は充実していて、コートであっても十分動きやすい。銃を仕舞うホルダーもあって、私はこの制服を随分気に入っている。
 着替え終わったら、用意された事務机で書類に記入する。
 昨日は三人の逃亡者を送り返したので、その分の報告書と損害を明記していく。
「終わりました」
 慣れた仕事は早く終わるもので、一時間もない内に全ての書類に記入を終えた。約束通り瑠美子さんの事務室に向かい、書類を手渡しで渡す。
「どおも。そういえば、さっき三丁目で通報があったから行ってくれるう?」
 瑠美子さんは書類に目を通しながら、私に新たな仕事を持ち込んでくる。
「分かりました。直ぐに向かいます」
 端的に応じて、私は急いで外に出た。
 外へ向かう為のエレベーに乗り込み、上に向かう間にあるモノを取り出す。
 それは今朝にも使った護符の一つで、この護符の効果は『逃亡者と獄卒以外から認識されなくなる』という物。隠密行動が基本の私達にとっては、無くてなはらない仕事道具の一つだ。
 エレベーターの扉をくぐり、私は市役所の屋上まで出る。
 そこでさらに、別の仕事道具を取り出す。
 それは鈴の付いた紅白縄で、私はそれを振り上げ、思い切りならす。鈴はチリンチリンと音を振り撒く。
 この道具は、人間界にいる逃亡者を捜してくれる。少し遠くで、何か歪んだ物体の輪郭を捉えた。
 更にもう一つ仕事道具を紹介しよう。私の履いているブーツは、空中を跳んでいく事が出来る。今使っている護符と併用すれば、一般人に知られる事なく、かつ高速で移動する事が出来る。
 その足で三丁目まで跳んでいき、もう一度鈴を鳴らす。
 するよ今度ははっきりと輪郭を捉える。けれどその形は人ではなく―――
「犬に取り憑けばバレないと思ったんですか?」
 裏道の隅にうずくまる犬に向けて、私は冷たい目を向けた。
 犬は首を傾げている。あくまでもとぼけるつもりらしい。
 私は先に護符をバラまいて、一帯を封鎖しておく。
 その姿に、犬は起き上がって反応した。そして少し力んだかとおもうと、体がどんどん大きく巨大化していった。
「異形は色々問答なので、さっさと終わらせます」
 愛用のリボルバーを引き抜き、迷わず頭部に向けて発砲する。
 銃弾が接触すた部分が火傷した様に焦げていくが、すぐさま再生して何事も無かったかの様に暴れ出す。
「グルォォォ‼」
 異形の化け物は大きな咆哮を放ち、その圧で思わず吹き飛ばされそうになるが、なんとかブーツも使って踏みとどまる。
「ホント、面倒事は大嫌いです、よ‼」
 護符を化け物の頭上に投げつける。インクに大量のマグネシウムを仕込んだそれは、燃えると同時に閃光を放った。
 直視してしまった化け物はのた打ち回り、眼を逸らした私は一旦距離を取る。
「日本は他宗教に自国の文化を取り入れるのが得意ですからね」
 例えば江戸時代の天草式十字教。あれは幕府からの弾圧を逃れる為、宗教道具を日用品で代用する事で監視を逃れたり、仏教や神道と合わせる事でそもそも監視されなかったりと器用に移り変わっていった。世界でもここまで変化の激しい宗教は無いだろう。
 冥府で言えば先程の閃光符や、それにリボルバーの弾丸は、銀に盛塩を混ぜ込むという荒業で、より逃亡者に対する効力を高めたり。こんな事をするのは我ら日本支部のみ。他の支部は、我々を毛嫌いしている節があるのだ。
「さっさと帰って、反省してから来てください。その時は、ちゃんと歓迎します」
 私は未だのた打ち回る化け物に狙いを定め、引き金を握る。
「さようなら」
 引き金が引かれ、乾いた音が木霊した。
「グ、グルゥゥゥ」
 化け物は力を失い、縮みながら倒れこんだ。
 そして元の大きさに戻ると、犬の体から魂が顔を出した。
「さあ、冥界に戻ってください」
 魂は一瞬渋った様に見えたが、観念した様に地中へと戻っていく。
 その場に残ったのは、力無く横たわる犬のみ。
「ごめんね、辛かったね」
 私はそっと犬を撫でると、犬はクゥ、と鳴いた。
「きっと君は、天国に行けるよ」
 犬はそれを聞くと安心したのか、ゆっくりと眠りについた。
 これは、以前からずっとあった事だ。人の、生き物の死を看取るのは、もう日常と化している。
 けれどこれには慣れない。それに、慣れてはならない。
 命が失われる事に、慣れてはならないのだから。
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