66 / 185
66話、遺跡の魔術遺産
しおりを挟む
丸二日ほどをかけ、ようやく私たちはクロエとの待ち合わせ場所である魔術遺産へとたどり着いた。
その魔術遺産は起伏のある立地にあり、地面の途中で地下へと続く石積みが形成されていて、遺跡のような見た目をしていた。地下に続く階段の周りにはボロボロの石柱がいくつかあり、薄暗い地下への侵入を拒んでいるかのようだ。
空からは明かりがすっかり失せてしまっている。まだ夕刻頃だが、寒冷地なので日が沈むのが早いため、もう辺りは真っ暗だ。
「ねえモニカ、この魔術遺産ってどういう物なの?」
地下に続く遺跡のような見た目の魔術遺産を上から物々しく見おろして、私は尋ねた。
「さあ? 詳しくは知らないわ」
モニカのそっけない言葉に私は絶句する。
「な、なんで聞いてないの?」
「え? だって興味なかったもの」
あっけらかんと言うモニカへ、私は信じられないとばかりに白い目を向けた。
魔術遺産というものは、いわば独自のルールが流れる異空間みたいなものだ。そのため、中にはとても危険な魔術遺産も存在するだろう。
クロエとの待ち合わせ場所であるこの魔術遺産は、当のクロエ自身が現地調査を行うくらいだからそこまで危険性はないはず。それでも得体の知れない魔術遺産なのは確かなので、その正体を知らないままというのはなんだか落ち着かない。
当然モニカもそうだと思っていたから、てっきりクロエからこの魔術遺産の概要を聞いていると当たりをつけていたのに……まさか何にも知らないなんて。
「何よその目」
私の白い視線に気づいたモニカは、腰に手を当てて憤慨した。
「いや、普通聞くでしょ、って思ってさ」
「ちょっと、私をバカにしないでよ。詳しくは聞いてないけど、クロエがくれた手紙にちゃんとある程度のことは書いてあるはずよ」
モニカは自分の鞄――腰がけの小さなポーチを開き、中から一枚の手紙を取り出した。そして手紙を開き、中に目を通していく。
「えーと……クロエによると、大分昔の文明が残した遺跡で、今は不思議なことが起きる魔術遺産らしいわ」
「不思議なことって?」
「んー、そこまでは書いてないわ。でもこんな怪しい遺跡で起こる不思議な事ってだいたい決まってない?」
「……例えば?」
「お化けが出るとか」
「そんなアホな」
思わず否定の言葉が出た私だが、頬は引きつっていた。
「そうよね、ないわよねぇー」
相づちを打つモニカの表情も、若干緊張が現れている。
私たちは一度無言になり、また地下へと続く遺跡の階段を見下ろした。
暗い夜の中、ぽっかりと大口を開ける地下遺跡への階段。どうしてだろう、見ているだけでなんだか鳥肌が立ってくる。
私もモニカも口では否定しているが、もしかしたら、と頭の隅では思っていた。
だってここは独自のルールが流れる魔術遺産。しかもかつて存在した文明が残した遺跡となると、お化けというか昔の人々の怨念とか渦巻いている可能性もある。
私とモニカは、地下遺跡への階段から目を離し、お互い見つめ合った。
「まさかね……」
「ええ、さすがにないわよ……ないない」
私とモニカが冷や汗を流しつつ、もしかしたらお化けがでる魔術遺産って可能性あるかも、と同じ思いを抱きはじめているのには、幼馴染のクロエの性格を知っているからだった。
クロエは現実主義というか、昔から怪談話とか怖い話とかには全く恐怖を抱かないタチだ。そんな彼女なら、お化けが出ると噂の魔術遺産のことを知ったら知的好奇心を刺激され、本当にお化けが出るのか調べ出しても不思議ではない。
私たちがお互いを安心させようと乾いた笑いを投げかけあっていたその時。突然地下から妙な音が響いた。
私もモニカもびくりと肩を跳ね上げ、そのまま勢いよく抱き合う。
「ちょ、ちょっとリリア! 今の聞いた!?」
「き、聞いた聞いた! 音した! 絶対地下遺跡の方から音がした!」
お互い強く抱き合いながら、凝然と地下遺跡への階段を見つめる。
先ほどの音はなんていうのだろう。か細くて、それでいて人の高い声のようでもあった。すごく気味の悪い声、というか音だったのは間違いない。
「二人とも何をそんなに怖がってるの?」
抱き合って身動き一つ取れない私たちに呆れたのか、魔女帽子のつばに座っていたライラが羽ばたいて私たちの顔の前へと飛んできた。
「こ、怖いに決まってるじゃん。今の人の声っぽかったよ。お化け……絶対お化けの声だよ……呪いの声だよあれ……」
「ちょっと、呪いの声とか言わないでよリリア……それだと聞いただけでアウトっぽいじゃない。後で一人寝る時にあの声を思い出して眠れないって思っていたら、本当に近くで声がするとかそういう呪い系の声かもって想像するじゃない……」
「ああっ、なんでそんな具体的なことをわざわざ言うの!? 後で絶対、そういえばモニカがこんなこと言ってたな……って思い出して眠れなくなるやつじゃん!」
「うるさいわね、道連れよ道連れ!」
「勝手に道連れにしないでよ!」
ぎゃいぎゃい言い合いを始める私たちを見て、ライラは深い溜め息をついた。
「二人とも怖がってたと思ったら急に元気になるんだから……そもそも、魔女の二人がどうしてお化けを怖がるのか理解できないわ」
「魔女でも怖いものは怖いんだよ! お化けとか得体が知れないじゃん!」
ライラに言い返すと、彼女は肩をすくめる。
「なに言ってるのよリリア。お化けなんて妖精と似たようなものよ、きっと」
「絶対違う! ライラは可愛いでしょ! お化けはもっとこう、化け物みたいな姿をしてるはずだって!」
どうにかしてライラにこの怖さを伝えようと声を張り上げていると、また地下遺跡の階段奥からあの妙な音が響いてきた。
それを聞いてまた私たちはびくりと肩を震わせた。
「……確かにちょっと人っぽい声だったかも。もう少し近づいたら音の正体が分かるんじゃないかしら?」
ライラは羽ばたいて、音がした地下遺跡の階段付近へと近づいていく。
「ちょっとライラ、危ないって。呪われるよ」
「大丈夫よ。ほらリリアもモニカも怖がってないで、もうちょっと近寄ってみたら? もしかしたら音の正体は、二人のお友達のクロエが立てたものかもしれないでしょ?」
ライラにそう言われて、私とモニカは若干冷静さを取り戻す。
「確かに……周りにクロエもいないし、私たちを待つ間に遺跡の調査をしている可能性はあるわね。ライラちゃんの言う通り音の正体を調べないとずっと怖いままだし……よし、行くわよ、リリア」
モニカに言われ、私も渋々頷いた。
抱き合うのをやめ、石積みの斜面をゆっくりと下り、地下遺跡の階段へと近づく。
「ちょっとリリア、なんで私の後ろにいるのよ!」
「大丈夫……気にしないで」
「するわよ! 私を盾にしてるでしょあんた!」
「ほ、ほら、モニカの方が一つ年上だからさ……」
「あんた、たまに調子いいわよね」
軽口を叩いていると自然怖さが紛れるもので、私たちは地下遺跡に続く階段前へと無事到達していた。
モニカは腰にさしていたステッキを引き抜き、地下階段に一歩足を踏み入れる。
「じゃ、じゃあ中に入るわよ。リリア、あんた絶対ついてきなさいよ!」
「わ、分かってるよ」
モニカの肩に手を添えて、私も一緒に地下階段を降りていく。ライラはいつの間にか定位置である私の魔女帽子のつばへ腰かけていた。
階段は結構長く続いていて、月や星の明かりも奥にさしこまないので外よりも真っ暗だ。以前テルミネスで買ったランプを光源に、ゆっくり階段を下りていく。
「ねえ、リリア……聞こえてる? この音」
しばし無言で階段をゆっくり下りていた私たちだが、モニカはついに耐えられないとばかりに口を開く。
「うん……かすかだけど聞こえる」
そう、薄らとだが、進む地下の先からあの妙な音というか声が聞こえるのだ。それも一つだけでなく、いくつも混ざり合っている。まるで小さな声で内緒話をしているような、そんなささやき声の重なりにも聞こえてきた。
「ど、どうするのよ。このまま進む? すっごく嫌なんだけど……」
「い、いったん戻ろうか……」
本当に怖くなるとパニックになることすらできないのか、私とモニカは縮こまるように腰を屈めて小声でささやき合った。足は震え、うっかりすると階段を踏み外しそうだ。
「よ、よし、それじゃあ帰りましょう……ひっ!」
目の前のモニカが踵を返して後ろを向いた時、彼女は私の背後を見て息を飲んだ。
「えっ、ちょっとモニカ、なにその顔! なに!? 私の背後どうなってるの!?」
戸惑いながらゆっくり振り向くと、そこには私のランプの光で縁取られた黒い影が突っ立っていたのだ。
「うわっ……」
それ以上私の声は上がらなかった。驚きのあまり瞬間的に息を飲み、声を詰まらせたのだ。
代わりに、一瞬の驚愕から立ち直ったモニカが叫び出す。
「きゃーー!」
そしてモニカは……手に持っていたステッキをなぜか人影に向けて振り回した。攻撃的すぎる。
「いたっ!」
モニカのステッキの先端が黒い影の頭部に直撃する。黒い影はそのまま丸まったように小さくなった。
「あれ……今の声って……」
突然の黒い影によって驚いた私とモニカだったが、今は全く別の種類の驚愕を味わっていた。
今この黒い影が発した声は……しばらく会っていないとはいえ聞き間違えるはずがない。幼馴染のクロエの声だ。
私がランプを手に取りうずくまる黒い影に光を差し向けると、魔女服と魔女帽子姿がくっきりと浮かぶ。
帽子越しに頭をさするその少女。長い銀色の髪に宝石のような緑の瞳、そして整いながらも感情の機微をあまり伝えないその表情。
そこにいたのは、紛れもなく幼馴染のクロエだった。
「な、なんだクロエか……良かったわ」
「……良くない」
ほっとして言うモニカに、頭をさすって立ち上がるクロエは小さいながらも鋭い声を響かせる。
「久しぶりの挨拶にしてはかなり乱暴。モニカらしいといえばモニカらしいけど」
「ちょっと、いくら私でも挨拶代わりに頭を殴ったりしないわよ」
憤慨するモニカをよそに、クロエがじっと私を見つめる。
「……まさかリリアが居るとは思わなかった。久しぶり。会えて嬉しい」
「あ、うん、久しぶりクロエ」
久しぶりに会うクロエは、当たり前だけど以前と全く変わりが無かった。
美しい銀色の髪に、表情をあまり伝えない綺麗な顔。私とモニカはよくクロエの容姿を人形みたいと褒めていた。
私たち三人とも不老不死の薬……老化現象は止まっているが、不死かは正直疑問を浮かべるその魔法薬を飲み、見た目は十五歳前後から全く変化しなくなっている。
こうして久しぶりにクロエと会ってみると、その変化しない容姿と相まって本当に人形のように見えた。
でも、付き合いの長い幼馴染だから分かる。一見変化しない彼女の表情も、私やモニカなら分かる程度のわずかな感情の機微がある。
クロエの顔には今、確かに再会を喜ぶ色が浮かんでいた。
「ちょっと、私も久しぶりでしょ、クロエ」
「……モニカはなんだか久しぶりな気がしない。いきなりステッキで殴られたし」
「し、しかたないじゃない! お化けかと勘違いしちゃったんだから!」
「……お化け?」
首を傾げるクロエに、私ははっとして言った。
「そうだよクロエ! この不気味な魔術遺産って何なの? なんか妙な声が聞こえるし、怨念とか渦巻いてる系!?」
「……怨念が渦巻いている系の魔術遺産というものがよく分からないけど、二人が思っているようなものではない」
クロエは魔女服の胸当たりにつけていた小型ランプを魔術で点灯させる。
そのランプは、中の光をある程度増幅させて強い光源にすることができる性能の良い物らしく、この暗い地下の中をあっという間に明るくさせた。
それでも地下全体を照らすことは出来ないが、階段奥の石床とその先にある妙な銅像までをはっきりと目にすることができた。
そして驚くことに、階段を下りた先の石床にはなぜか猫がたくさんいたのだ。
その猫たちは皆、先にある妙な銅像を見ているらしく、私たちに背を向けている。
「……なに、このたくさんの猫」
「もしかしてあの変な声って、猫の鳴き声……?」
呆然とつぶやく私たちに、モニカが頷いて見せる。
「そう、ここは猫の観光地と呼ばれる魔術遺産。なぜか毎日大勢の猫がこの地下遺跡にやってきて、住み着くのではなく一通り見て回ってから帰ってしまうらしい」
「……なにそのほんわかした魔術遺産」
驚いて損をした。つまり今が夜で猫の姿が見えないから、猫の鳴き声が不気味な声に聞こえてしまったのだ。
「猫を怖がらせないようにランプはつけていなかった。そのせいでモニカに殴られたのは失敗だけど」
クロエがランプを消すと、辺りはまた私のランプが発する頼りない光源だけが光指す暗闇となった。
「ほら、私の言った通り、怖いものなんてなかったじゃない」
ライラが私とモニカに向かって得意気に明るい声を響かせる。するとクロエはびっくりしたように肩を跳ねあがらせた。
「……驚いた。リリアの帽子のそれ、飾りじゃなかったんだ」
そういえばまだクロエには紹介していなかったっけ。
「この子は妖精のライラだよ。今一緒に旅をしてるの」
「ライラよ。よろしくね、リリアの幼馴染さん」
空に浮かびながらスカートをつまんで挨拶をするライラ。クロエは呆気にとられた顔をしていた。
「……リリアが旅? それに妖精と一緒って……どういうこと?」
私が今旅をしていることもろくに伝えていないし、そもそもモニカと一緒にここへ来るとすら知らなかっただろうクロエ。もう訳が分からないとばかりに困った顔をしていた。パッと見は何も変わらない無表情だけど。
「そのあたりは後で教えるわよ。とりあえずこの遺跡から出ましょう」
モニカが先導するように階段を登っていき、クロエは数度首を傾げながらもそれに続いた。
最後尾の私も階段を登りつつ、ふと前にいるクロエに話しかける。
「ねえクロエ。この魔術遺産がなんで猫の観光地になったのか、推測とかある?」
クロエはちらと私の方を振り向いて、考え込むように唇に指をあてた。
「……猫が一番偉い文明だったとか?」
「なにそれ、すごく平和そう」
正体が知れた今、地下からかすかに響く妙な音は、すっかり猫の鳴き声に聞こえていた。
にゃーにゃーと小さな鳴き声の重なりを聞きながら、私は猫が一番偉い文明というのを思い描いていた。
その魔術遺産は起伏のある立地にあり、地面の途中で地下へと続く石積みが形成されていて、遺跡のような見た目をしていた。地下に続く階段の周りにはボロボロの石柱がいくつかあり、薄暗い地下への侵入を拒んでいるかのようだ。
空からは明かりがすっかり失せてしまっている。まだ夕刻頃だが、寒冷地なので日が沈むのが早いため、もう辺りは真っ暗だ。
「ねえモニカ、この魔術遺産ってどういう物なの?」
地下に続く遺跡のような見た目の魔術遺産を上から物々しく見おろして、私は尋ねた。
「さあ? 詳しくは知らないわ」
モニカのそっけない言葉に私は絶句する。
「な、なんで聞いてないの?」
「え? だって興味なかったもの」
あっけらかんと言うモニカへ、私は信じられないとばかりに白い目を向けた。
魔術遺産というものは、いわば独自のルールが流れる異空間みたいなものだ。そのため、中にはとても危険な魔術遺産も存在するだろう。
クロエとの待ち合わせ場所であるこの魔術遺産は、当のクロエ自身が現地調査を行うくらいだからそこまで危険性はないはず。それでも得体の知れない魔術遺産なのは確かなので、その正体を知らないままというのはなんだか落ち着かない。
当然モニカもそうだと思っていたから、てっきりクロエからこの魔術遺産の概要を聞いていると当たりをつけていたのに……まさか何にも知らないなんて。
「何よその目」
私の白い視線に気づいたモニカは、腰に手を当てて憤慨した。
「いや、普通聞くでしょ、って思ってさ」
「ちょっと、私をバカにしないでよ。詳しくは聞いてないけど、クロエがくれた手紙にちゃんとある程度のことは書いてあるはずよ」
モニカは自分の鞄――腰がけの小さなポーチを開き、中から一枚の手紙を取り出した。そして手紙を開き、中に目を通していく。
「えーと……クロエによると、大分昔の文明が残した遺跡で、今は不思議なことが起きる魔術遺産らしいわ」
「不思議なことって?」
「んー、そこまでは書いてないわ。でもこんな怪しい遺跡で起こる不思議な事ってだいたい決まってない?」
「……例えば?」
「お化けが出るとか」
「そんなアホな」
思わず否定の言葉が出た私だが、頬は引きつっていた。
「そうよね、ないわよねぇー」
相づちを打つモニカの表情も、若干緊張が現れている。
私たちは一度無言になり、また地下へと続く遺跡の階段を見下ろした。
暗い夜の中、ぽっかりと大口を開ける地下遺跡への階段。どうしてだろう、見ているだけでなんだか鳥肌が立ってくる。
私もモニカも口では否定しているが、もしかしたら、と頭の隅では思っていた。
だってここは独自のルールが流れる魔術遺産。しかもかつて存在した文明が残した遺跡となると、お化けというか昔の人々の怨念とか渦巻いている可能性もある。
私とモニカは、地下遺跡への階段から目を離し、お互い見つめ合った。
「まさかね……」
「ええ、さすがにないわよ……ないない」
私とモニカが冷や汗を流しつつ、もしかしたらお化けがでる魔術遺産って可能性あるかも、と同じ思いを抱きはじめているのには、幼馴染のクロエの性格を知っているからだった。
クロエは現実主義というか、昔から怪談話とか怖い話とかには全く恐怖を抱かないタチだ。そんな彼女なら、お化けが出ると噂の魔術遺産のことを知ったら知的好奇心を刺激され、本当にお化けが出るのか調べ出しても不思議ではない。
私たちがお互いを安心させようと乾いた笑いを投げかけあっていたその時。突然地下から妙な音が響いた。
私もモニカもびくりと肩を跳ね上げ、そのまま勢いよく抱き合う。
「ちょ、ちょっとリリア! 今の聞いた!?」
「き、聞いた聞いた! 音した! 絶対地下遺跡の方から音がした!」
お互い強く抱き合いながら、凝然と地下遺跡への階段を見つめる。
先ほどの音はなんていうのだろう。か細くて、それでいて人の高い声のようでもあった。すごく気味の悪い声、というか音だったのは間違いない。
「二人とも何をそんなに怖がってるの?」
抱き合って身動き一つ取れない私たちに呆れたのか、魔女帽子のつばに座っていたライラが羽ばたいて私たちの顔の前へと飛んできた。
「こ、怖いに決まってるじゃん。今の人の声っぽかったよ。お化け……絶対お化けの声だよ……呪いの声だよあれ……」
「ちょっと、呪いの声とか言わないでよリリア……それだと聞いただけでアウトっぽいじゃない。後で一人寝る時にあの声を思い出して眠れないって思っていたら、本当に近くで声がするとかそういう呪い系の声かもって想像するじゃない……」
「ああっ、なんでそんな具体的なことをわざわざ言うの!? 後で絶対、そういえばモニカがこんなこと言ってたな……って思い出して眠れなくなるやつじゃん!」
「うるさいわね、道連れよ道連れ!」
「勝手に道連れにしないでよ!」
ぎゃいぎゃい言い合いを始める私たちを見て、ライラは深い溜め息をついた。
「二人とも怖がってたと思ったら急に元気になるんだから……そもそも、魔女の二人がどうしてお化けを怖がるのか理解できないわ」
「魔女でも怖いものは怖いんだよ! お化けとか得体が知れないじゃん!」
ライラに言い返すと、彼女は肩をすくめる。
「なに言ってるのよリリア。お化けなんて妖精と似たようなものよ、きっと」
「絶対違う! ライラは可愛いでしょ! お化けはもっとこう、化け物みたいな姿をしてるはずだって!」
どうにかしてライラにこの怖さを伝えようと声を張り上げていると、また地下遺跡の階段奥からあの妙な音が響いてきた。
それを聞いてまた私たちはびくりと肩を震わせた。
「……確かにちょっと人っぽい声だったかも。もう少し近づいたら音の正体が分かるんじゃないかしら?」
ライラは羽ばたいて、音がした地下遺跡の階段付近へと近づいていく。
「ちょっとライラ、危ないって。呪われるよ」
「大丈夫よ。ほらリリアもモニカも怖がってないで、もうちょっと近寄ってみたら? もしかしたら音の正体は、二人のお友達のクロエが立てたものかもしれないでしょ?」
ライラにそう言われて、私とモニカは若干冷静さを取り戻す。
「確かに……周りにクロエもいないし、私たちを待つ間に遺跡の調査をしている可能性はあるわね。ライラちゃんの言う通り音の正体を調べないとずっと怖いままだし……よし、行くわよ、リリア」
モニカに言われ、私も渋々頷いた。
抱き合うのをやめ、石積みの斜面をゆっくりと下り、地下遺跡の階段へと近づく。
「ちょっとリリア、なんで私の後ろにいるのよ!」
「大丈夫……気にしないで」
「するわよ! 私を盾にしてるでしょあんた!」
「ほ、ほら、モニカの方が一つ年上だからさ……」
「あんた、たまに調子いいわよね」
軽口を叩いていると自然怖さが紛れるもので、私たちは地下遺跡に続く階段前へと無事到達していた。
モニカは腰にさしていたステッキを引き抜き、地下階段に一歩足を踏み入れる。
「じゃ、じゃあ中に入るわよ。リリア、あんた絶対ついてきなさいよ!」
「わ、分かってるよ」
モニカの肩に手を添えて、私も一緒に地下階段を降りていく。ライラはいつの間にか定位置である私の魔女帽子のつばへ腰かけていた。
階段は結構長く続いていて、月や星の明かりも奥にさしこまないので外よりも真っ暗だ。以前テルミネスで買ったランプを光源に、ゆっくり階段を下りていく。
「ねえ、リリア……聞こえてる? この音」
しばし無言で階段をゆっくり下りていた私たちだが、モニカはついに耐えられないとばかりに口を開く。
「うん……かすかだけど聞こえる」
そう、薄らとだが、進む地下の先からあの妙な音というか声が聞こえるのだ。それも一つだけでなく、いくつも混ざり合っている。まるで小さな声で内緒話をしているような、そんなささやき声の重なりにも聞こえてきた。
「ど、どうするのよ。このまま進む? すっごく嫌なんだけど……」
「い、いったん戻ろうか……」
本当に怖くなるとパニックになることすらできないのか、私とモニカは縮こまるように腰を屈めて小声でささやき合った。足は震え、うっかりすると階段を踏み外しそうだ。
「よ、よし、それじゃあ帰りましょう……ひっ!」
目の前のモニカが踵を返して後ろを向いた時、彼女は私の背後を見て息を飲んだ。
「えっ、ちょっとモニカ、なにその顔! なに!? 私の背後どうなってるの!?」
戸惑いながらゆっくり振り向くと、そこには私のランプの光で縁取られた黒い影が突っ立っていたのだ。
「うわっ……」
それ以上私の声は上がらなかった。驚きのあまり瞬間的に息を飲み、声を詰まらせたのだ。
代わりに、一瞬の驚愕から立ち直ったモニカが叫び出す。
「きゃーー!」
そしてモニカは……手に持っていたステッキをなぜか人影に向けて振り回した。攻撃的すぎる。
「いたっ!」
モニカのステッキの先端が黒い影の頭部に直撃する。黒い影はそのまま丸まったように小さくなった。
「あれ……今の声って……」
突然の黒い影によって驚いた私とモニカだったが、今は全く別の種類の驚愕を味わっていた。
今この黒い影が発した声は……しばらく会っていないとはいえ聞き間違えるはずがない。幼馴染のクロエの声だ。
私がランプを手に取りうずくまる黒い影に光を差し向けると、魔女服と魔女帽子姿がくっきりと浮かぶ。
帽子越しに頭をさするその少女。長い銀色の髪に宝石のような緑の瞳、そして整いながらも感情の機微をあまり伝えないその表情。
そこにいたのは、紛れもなく幼馴染のクロエだった。
「な、なんだクロエか……良かったわ」
「……良くない」
ほっとして言うモニカに、頭をさすって立ち上がるクロエは小さいながらも鋭い声を響かせる。
「久しぶりの挨拶にしてはかなり乱暴。モニカらしいといえばモニカらしいけど」
「ちょっと、いくら私でも挨拶代わりに頭を殴ったりしないわよ」
憤慨するモニカをよそに、クロエがじっと私を見つめる。
「……まさかリリアが居るとは思わなかった。久しぶり。会えて嬉しい」
「あ、うん、久しぶりクロエ」
久しぶりに会うクロエは、当たり前だけど以前と全く変わりが無かった。
美しい銀色の髪に、表情をあまり伝えない綺麗な顔。私とモニカはよくクロエの容姿を人形みたいと褒めていた。
私たち三人とも不老不死の薬……老化現象は止まっているが、不死かは正直疑問を浮かべるその魔法薬を飲み、見た目は十五歳前後から全く変化しなくなっている。
こうして久しぶりにクロエと会ってみると、その変化しない容姿と相まって本当に人形のように見えた。
でも、付き合いの長い幼馴染だから分かる。一見変化しない彼女の表情も、私やモニカなら分かる程度のわずかな感情の機微がある。
クロエの顔には今、確かに再会を喜ぶ色が浮かんでいた。
「ちょっと、私も久しぶりでしょ、クロエ」
「……モニカはなんだか久しぶりな気がしない。いきなりステッキで殴られたし」
「し、しかたないじゃない! お化けかと勘違いしちゃったんだから!」
「……お化け?」
首を傾げるクロエに、私ははっとして言った。
「そうだよクロエ! この不気味な魔術遺産って何なの? なんか妙な声が聞こえるし、怨念とか渦巻いてる系!?」
「……怨念が渦巻いている系の魔術遺産というものがよく分からないけど、二人が思っているようなものではない」
クロエは魔女服の胸当たりにつけていた小型ランプを魔術で点灯させる。
そのランプは、中の光をある程度増幅させて強い光源にすることができる性能の良い物らしく、この暗い地下の中をあっという間に明るくさせた。
それでも地下全体を照らすことは出来ないが、階段奥の石床とその先にある妙な銅像までをはっきりと目にすることができた。
そして驚くことに、階段を下りた先の石床にはなぜか猫がたくさんいたのだ。
その猫たちは皆、先にある妙な銅像を見ているらしく、私たちに背を向けている。
「……なに、このたくさんの猫」
「もしかしてあの変な声って、猫の鳴き声……?」
呆然とつぶやく私たちに、モニカが頷いて見せる。
「そう、ここは猫の観光地と呼ばれる魔術遺産。なぜか毎日大勢の猫がこの地下遺跡にやってきて、住み着くのではなく一通り見て回ってから帰ってしまうらしい」
「……なにそのほんわかした魔術遺産」
驚いて損をした。つまり今が夜で猫の姿が見えないから、猫の鳴き声が不気味な声に聞こえてしまったのだ。
「猫を怖がらせないようにランプはつけていなかった。そのせいでモニカに殴られたのは失敗だけど」
クロエがランプを消すと、辺りはまた私のランプが発する頼りない光源だけが光指す暗闇となった。
「ほら、私の言った通り、怖いものなんてなかったじゃない」
ライラが私とモニカに向かって得意気に明るい声を響かせる。するとクロエはびっくりしたように肩を跳ねあがらせた。
「……驚いた。リリアの帽子のそれ、飾りじゃなかったんだ」
そういえばまだクロエには紹介していなかったっけ。
「この子は妖精のライラだよ。今一緒に旅をしてるの」
「ライラよ。よろしくね、リリアの幼馴染さん」
空に浮かびながらスカートをつまんで挨拶をするライラ。クロエは呆気にとられた顔をしていた。
「……リリアが旅? それに妖精と一緒って……どういうこと?」
私が今旅をしていることもろくに伝えていないし、そもそもモニカと一緒にここへ来るとすら知らなかっただろうクロエ。もう訳が分からないとばかりに困った顔をしていた。パッと見は何も変わらない無表情だけど。
「そのあたりは後で教えるわよ。とりあえずこの遺跡から出ましょう」
モニカが先導するように階段を登っていき、クロエは数度首を傾げながらもそれに続いた。
最後尾の私も階段を登りつつ、ふと前にいるクロエに話しかける。
「ねえクロエ。この魔術遺産がなんで猫の観光地になったのか、推測とかある?」
クロエはちらと私の方を振り向いて、考え込むように唇に指をあてた。
「……猫が一番偉い文明だったとか?」
「なにそれ、すごく平和そう」
正体が知れた今、地下からかすかに響く妙な音は、すっかり猫の鳴き声に聞こえていた。
にゃーにゃーと小さな鳴き声の重なりを聞きながら、私は猫が一番偉い文明というのを思い描いていた。
0
お気に入りに追加
251
あなたにおすすめの小説
転生×召喚 ~職業は魔王らしいです~
黒羽 晃
ファンタジー
ごく普通の一般的な高校生、不知火炎真は、異世界に召喚される。
召喚主はまさかの邪神で、召喚されて早々告げられた言葉とは、「魔王になってくれ」。
炎真は授かったユニークスキルを使って、とにかく異世界で生き続ける。
尚、この作品は作者の趣味による投稿である。
一章、完結
二章、完結
三章、執筆中
『小説家になろう』様の方に、同内容のものを転載しています。
転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~
丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。
一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。
それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。
ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。
ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。
もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは……
これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。
チート幼女とSSSランク冒険者
紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】
三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が
過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。
神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。
目を開けると日本人の男女の顔があった。
転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・
他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・
転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。
そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語
※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
放置された公爵令嬢が幸せになるまで
こうじ
ファンタジー
アイネス・カンラダは物心ついた時から家族に放置されていた。両親の顔も知らないし兄や妹がいる事は知っているが顔も話した事もない。ずっと離れで暮らし自分の事は自分でやっている。そんな日々を過ごしていた彼女が幸せになる話。
【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!
暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい!
政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。
【完結】契約結婚は円満に終了しました ~勘違い令嬢はお花屋さんを始めたい~
九條葉月
ファンタジー
【ファンタジー1位獲得!】
【HOTランキング1位獲得!】
とある公爵との契約結婚を無事に終えたシャーロットは、夢だったお花屋さんを始めるための準備に取りかかる。
花を包むビニールがなければ似たような素材を求めてダンジョンに潜り、吸水スポンジ代わりにスライムを捕まえたり……。そうして準備を進めているのに、なぜか店の実態はお花屋さんからかけ離れていって――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる