妖之剣

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13、真意一到1

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 抜き身を手にした明久にいち早く反応したのは、倉本ではなく矢上だった。座卓を蹴り上げ、明久と倉本の間に割り込むように体を躍らせ、低くその身を下げている。
 矢上はどうやら、すでに倉本の息がかかっているようだ。つまりは、倉本が妖だということも承知の上で手助けしている。

「矢上、お前まで……!」
「……」

 矢上は無言のまま明久を睨んでいた。隙を見せたらいつでもあの見事な暗器の投擲が光を放つだろう。

「矢上、お前は外で待機している朝内の供を始末して来い。明久は儂一人で十分よ」

 矢上がわずかに逡巡した。意外に思ったのは明久の方もだ。
 倉本は……自ら明久と斬り合うつもりなのだ。
 矢上の迷いは一瞬で、すぐに客間の外へ躍り出た。
 その背を追いかけることはできない。目の前にはすでに、抜き身を手にした倉本が立っている。

「明久……正直言って少々驚いたぞ。従順に儂の命令に従うことしか脳に無かったお前が、まさか勘付くとはな」
「……俺に妖刀を集めさせたのが運の尽きだったな」
「ふん……どうやら妖刀たちがお前を心変わりさせたと見える」

 倉本は呆れたように笑った。

「お前もいっぱしの剣客であったという証拠か。剣に生きる者としては、あの妖刀たちの魅力には抗いがたいだろう」
「俺を見くびるなよ。決して妖刀の力に溺れたのではない」
「ほう?」
「もとより俺は、お前を信用などしていなかった。彼女たちは俺にそれを思い出させてくれただけだ」
「……やれやれ、日頃目にかけていたというのに、言うにことかいてそれか。まるで飼い犬に手を噛まれた気分よ」
「所詮お前にとっては俺など飼い犬程度だったか」
「当然だ。貴様ら笹雪の人間は、古来より妖を斬ることしか脳にない狂犬だろう」

 倉本の言葉の奥になにか深い憎悪を感じて、明久はわずかに身を硬くした。

「して、儂をどうするつもりだ? 斬るか?」

 倉本は挑発するようによこしまな目を向けた。
 わずかに心中に沸き起こった恐れを生唾と共に飲み込んで、明久は一歩倉本ににじりよった。

「……倉本豊後、笹雪家の者として裏切り者であるお前を見過ごすことはできない。お前は……俺が斬る」
「はっ、よく言った青二才」
「だが斬る前に聞かせろ。なぜ退魔の者でありながら心も体も妖と堕した。お前を堕落させた切欠はいったいなんだ?」
「なにを聞くかと思えばそんなことか……」

 倉本は明久を心の底からバカにするように高笑いをあげた。

「退魔がなんだというのだ? 妖と半妖を退け人を守る……そんなことに何の価値がある」

 唾を吐くように倉本が言葉を吐きだしていく。

「こうして妖となってみれば分かる。退魔など、貧弱な人間の恐れのあらわれではないか。人間は妖を恐れるあまり、退魔という存在を作り出してしまったにすぎん」

 倉本はまるで天命を得た僧侶のように言葉を重ねる。

「我が目的はな、そんな愚かな退魔の者共を一人残らず排除することよ。そして妖をこの世に溢れださせる。それこそが我が使命なのだ!」

 迷いなくそう言う倉本を、明久は訝しげに見た。

「使命だと? なにを狂い言を……!」

 言いながら思わず一歩足を引いたのは、倉本の狂気に気圧されたからか。

「だいたい、妖はとうの昔に滅びたはずだ。人々の心から混乱と恐怖が取り払われ妖という存在は居場所を無くしたとは、退魔の家系に伝わっていることだろう」
「ではなぜ今の世にまだ半妖という存在が生まれる? なぜ今貴様のもとには、刀が妖と化した存在がいる? それは、妖がいまだこの世の暗闇に潜んでいるからだと分かっているはずだ」
「……」

 倉本の言葉を否定できず、明久は沈黙する。

「彼らは闇に潜んで待っているのだ。この光溢れる世に絶望が降りそそぎ、人々がその心に恐怖を覚えこの世を暗くさせるのを!」
「……だからお前がその役を担う、と?」

 倉本がにやりと笑った。それが明久の問いに対する答えである。

「奴ら妖は夜ごと儂に囁くのよ。解放しろと。この世に生まれたいと。くく、かかかかっ……!」
「倉本豊後、お前は狂っている」
「狂っているのではない。妖となって、事の本質に気づいただけだ」

 倉本が羽織を脱ぎ捨て、その下に隠れていた上半身をさらした。

「明久よ、見るがいいこの儂を。人間から妖へと変貌したこの儂を!」

 それはとても六十を迎える老人の肉体ではなかった。余分な贅肉が淘汰され、無駄に膨れ上がっているのではなく必要なだけの筋肉を身につかせた、まるで彫像のような肉体である。

「妖と化してから、この体は徐々に若返っている。妖に寿命などという概念はないのだ! 永遠に生き、永遠の存在である妖とはかくも美しいだろう!」

 その肉体の雄々しさ、まがまがしさは、人の肉体が及ぶものではない。確かに倉本の体は妖のものとなっている。

「倉本……貴様、どうやって妖になった?」

 倉本が妖となったという事実を目の当たりにして、半信半疑であった明久もようやく事態が思っていた以上に深刻になっていることを察した。
 妖刀の主となればその体が妖刀と繋がり、一時的に妖のような身体能力を有することができる……かつて妖刀を扱い妖を斬っていた笹雪家では、そう伝えられている。
 だが、倉本はそれとは一線を画していた。古来より妖を斬っていた笹雪の血が明久に告げている。倉本は正真の妖だと。
 倉本が生まれながらに妖だったはずがない。それならば退魔の者にとうに気づかれていたはずだ。倉本はいつの間にか妖に変異したとしか考えられなかった。

「はっ、笹雪の者とはいえ、さすがに奴のことは伝えられておらぬか」
「奴……?」

 どうやら倉本が奴と呼ぶ何かが、彼を妖に変えた存在らしい。

「まあ貴様が奴を知らないのも無理はない。あれは退魔の者でも一部の者しか知らない存在だ。もちろん、今から死ぬ貴様が知る必要もない」

 倉本がまざまざと殺意を発し、明久は慎重に後ずさった。

「明久……どうせあの妖刀らはお前の家に置いて来たのであろう? 妖刀は貴様を殺した後、ゆっくりと回収するとしよう」
「……やけにあの妖刀たちにこだわるな」

 抜き身の切っ先を互いに向けあいながら、二人はじりじりと間合いを測る。

「読めたぞ、妖を斬るあの妖刀たちは妖となったお前の天敵。回収し封印するか、あるいは砕いて存在を消すのがお前の目的だな」
「……明久、やはり貴様は愚かよ」

 倉本が哄笑して明久の予想を一蹴する。

「儂はあんな妖刀など恐れてはおらぬ。だが、あの妖刀らは、妖刀の中でも至極の逸品。妖を解放する儂に相応しい刀は、妖を斬る最高の妖刀たちの他にあるまいて」
「妖でありながら妖を斬る妖刀を握るだと? 矛盾しているな、倉本」
「いや、道理よ」

 するすると距離を詰めて来た倉本に反応して、明久は先を制する形で斬りかかった。
 うなりをあげて倉本の肩に迫る一刀は、だが閃く倉本の一刀にすりあげられる。明久はそのまま一歩距離を外した。倉本が油断なくこちらを見すえている。

 ――強い。

 わずか一太刀の応酬で、明久は倉本の技量の高さを感じ取った。こちらのけさ斬りをすりあげる倉本の刀使いは繊細でありながら力強く、あのまま強引に攻め込んでいたら返す刀で斬られていたことだろう。

「ふん、なるほど……」

 倉本は鼻をならした。どうやらあちらも一太刀で明久の実力を察したらしい。

「やはり、その程度か……つまらんな、明久」

 倉本は剣先をだらりとさげた。下段の構え……ではない。完全に手をさげ構えを解いている。

「その程度の力量ならば、わざわざ儂自ら相手する必要はないな」
「……なにが言いたい?」

 言葉を聞くにこちらの技量はまだまだだと判じているようだが、それにしても妙だった。
 こちらの実力が下だと見ているのならば、わざわざ構えを解く理由は無い。強引に攻めかかってくるのが道理だろう。あるいは、こうして甘い一刀を誘っているのだろうか。
 明久は倉本の意図が分からず、斬りかかれずにいた。すると倉本は明久を馬鹿にするように、大きく笑う。

「かつて妖と死闘を繰り広げたという笹雪という家系も、数百年の時が経てば勘が鈍い青二才が当主とは……先祖も草場の影で泣いておろうぞ」
「……?」

 挑発も露わな言葉だが、それに怒りを覚えるよりも違和感を抱いた。
 この倉本豊後という男は、なにかを隠している。おそらく厄介ななにかを。明久はそう思い、自然と構えが硬くなった。

「儂が妖となっていることに気づきながら、次の可能性には考えが至らぬとは……甘いな若造!」

 倉本が一喝すると同時に、明久の背後から刀を抜き払う時に聞こえる鞘鳴りの音が響いた。

「なっ!?」

 ――伏兵か!?

 驚いて背後を見る暇はない。背に攻撃の気配を感じて明久は慌てて左前に足を踏み出し、斜め前方に体を投げ出しつつ正眼に構えた。
 すると、鋭い風切り音が鳴り、視界になにかが横ぎった。慌てて目にうつったものの正体を見ようと視線で追いかけてみる。

 ……刀だった。宙に浮かぶ刀が二つ。あろうことか、それが明久の背後から意思を持ったかのように斬りかかっていたのだ。

 ――なにが起こっている?

 驚愕を隠せない明久に、我が物顔で空中を疾走する二本の刀が迫りくる。

「くっ!」

 喉目がけて空中を疾走する刀を身を屈めてやり過ごす。するともう一つの刀が頭上からふってきた。
 あわやという所で横っ飛びに転がり、頭頂からの一刀両断を避ける。
 宙に浮かぶ刀はそのまま獰猛に襲いかかってくることはなく、鋭利な刃を明久に向けながらぴたりと空に制止する。

 一つは切っ先を明久の喉の高さにつけ、もう一つの刀は天頂を指す様に切っ先を立てる。
 その様子を見て、明久は心中に冷えたものを感じた。

 ――正眼と八双の構え……これではまるで、見えない使い手がいるようだ……!

 空に浮かぶ刀は、見えない何者かに握られているような気がしてならない。そうとでも考えなければありえないほど、技術を感じさせる動きである。

「悟ったか、笹雪家現当主」

 明久の焦りの顔を見て、倉本は不敵に笑った。

「我が念動力で操る二本の刀……ただ宙を泳がすだけが能ではない。感覚としては手が数本増えたようなものよ。だからこうして、儂自身が刀を握っているかのように操ることができる」

 念動力……妖が持つと言われる、不思議な力だ。それは神通力とも超能力とも言われている。
 念動力とは、遠くにある物を手を使わずに持ち上げたり動かしたりすることができる力である。

 つまり明久の感覚は正しく、今空に浮かぶ二本の刀は倉本が操っているのだ。
 だが、ここまでの精密性を持てるとは驚愕する他なかった。倉本の言葉を信じるなら、この念動力で操る刀は、彼の両手に握っているのと相違ないのだ。

「一対三、ということか……」

 倉本自身と、彼が操る二本の刀。どうにも人間一人の手には余る。
 明久は思わず反吐を催した。この絶望的な状況が、じわじわと体をむしばんでいる。
 気を抜けば震えそうになる手を、意思の力で必死に統制する。

「明久よ、敗北を認めるなら今のうちだ。今なら優しく首を落としてくれようぞ」
「……っ」

 勝ちを確信した倉本に言い返す言葉はなかった。この状況は絶望的である。
 自分が死んだらどうなるか。そのことを考えると、自然と体が震えてくる。それは死の恐怖もさることながら、倉本の企みがもう明るみにでないという絶望からきていた。
 ここで明久が死ねば、倉本は彼自身が言った通り退魔という組織を手中におさめ、じわじわと妖と半妖が支配する世を作るだろう。
 負けられない。負ける訳にはいかない。しかしこの状況はあまりにも……。

 ――来る!

 倉本の周りを漂う刀が、突如殺気を放った。
 おそらく次は必殺を期した攻めが来る。そう予感して明久は背筋を粟立たせる。
 先ほどの調子で連続で斬りかかられたら、いずれ体力の限界を迎えるのは当然。そうなればなます切りにされる未来しかない。
 かといって、二本の刀を無視して倉本に斬りかかりに行くということも不可能だった。そうすれば倉本と鍔迫り合ってる最中に背を斬られることだろう。

「すでにお前は詰んでおるのだ。無駄なあがきはやめておけ」

 倉本の不敵な言葉通りだった。この状況、一人で戦っては必敗はまず避けられない。
 そう……一人で戦ったのならば。

「あいにくですが、一体三ではなく、四対三です」

 突然凛とした透明感のある声が響いた。
 その時にはすでに、明久に迫っていた二本の刀が弾かれていた。
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