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2、初音1
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「わざわざこんな朝早くに来ていただき申し訳ありません」
早朝、倉本豊後がやってきたのを見て、自宅の玄関前で彼を待っていた笹雪明久は一礼した。
「そうかしこまらなくていい。むしろ報告が早くて助かるぞ」
倉本豊後という男はもう六十近い年齢だというのに、顔つきや体つきはまだまだ若々しい。頭髪には白髪が混じってはいるが、きっと若いころは美丈夫だったのだろうと思わせるような整った顔つきをしている。
程よく筋肉のついた体は年齢の衰えを感じさせる事はなく、確かな足取りで明久の元へやってきた。
「立ち話もなんだ、中へ案内してくれんか?」
「はい。今日は付き人の矢上は?」
「ああ、車の中で待たせてある。何もお前と話すだけで警護はいるまい」
「……ではどうぞ」
快活に笑う倉本に会釈し、明久は緊張した面無知で居間まで彼を先導した。
明久の住む笹雪邸は、今では珍しい伝統的な日本家屋だった。建てられたのは百年以上前で、今日までに何度か改修をしているものの、本来持つ趣はそのままに残してある。
倉本を案内した居間には、すでに用意していた冷たいお茶と茶菓子があり、ひとまず彼を座らせそれを振る舞った。
丁寧すぎる応対といえばそうだが、倉本はいわば明久の上司にも当たる人物だった。礼をつくすのは当然ともいえる。
明久の家系である笹雪家は、江戸時代よりも前、戦国の時代から続いており、歴史上には現れないもののその時代時代に置いて重要な役目を任されていた。
その役目とは、世にはびこる悪しき妖を討伐することである。
歴史の表に出てこない笹雪家の使命は重く、彼の家系には妖との戦いの中で討ち死にした者もそう少なくはない。
ではその働きぶりに対して、彼らは裏の歴史ではありがたがられた存在かというと……決してそんなことはなかった。
笹雪家は、退魔に連なる家系からも時に煙たがられることがあった。その理由はひとえに、妖を討つ際の方法のせいといえた。
彼らは、その手に妖刀を持って妖と戦うのを良しとしていたのだ。
妖刀とは、その名の通り尋常な刀とは一線を画している。妖刀は持つ者に人とは思えない身体能力を与え、使い手を無双の剣客にすると言われていた。
実際の所、妖刀は持つ者の体を一時的に妖と同じ物にする危険な刀だったのだ。扱う者によっては力に溺れ、己自身が危険な人斬りの妖と堕してしまうかもしれない。
事実、笹雪家を辿ると、数人心を外道に落とし人斬りの妖に堕ちた者がいる。
妖を討つために妖刀を使い、己を妖とする退魔の剣客。笹雪家はそういう存在だった。
退魔の本家筋は笹雪家を疎ましく思いながら、必要悪として認めている。しかし彼らを自由にさせておくことはできない。
そんな笹雪家へのお目付け役として当てられたのが、倉本家であった。
妖を討ちながら妖刀を収集する笹雪家にそのまま妖刀を管理させるのは危険と判断した倉本家は、笹雪家が保管する妖刀を全て取り上げ、笹雪家が妖を討つ際にのみ妖刀を貸し出す、という形で笹雪家の管理を始めたのだ。
倉本家は他にも、妖の管理も行っている。どこでどういう妖が存在し、それがどれほどの危険度か、討伐するに値するかを決める退魔の重要な機能を司っていたのだ。
……しかしこれは、荒れた戦国の末程の話である。
時代が進むにつれ妖という存在は自然と姿を消し、今では妖は絶滅したと言われていた。しかしその代りにあらわれたのが半妖という存在であり、倉本家は現在、現存する妖刀と半妖たちを管理する役目を負っていた。
「昨夜はすまなかったな。夜も遅かったというのに呼び出して」
「いえ、倉本家からの依頼とあれば、是非もありません」
硬い言葉を聞いて、倉本は軽く笑みを返した。
「いや、本当にすまんな。どうしてもお前の力が必要だと思っての」
「ええ、倉本家に保管されているいわくつきの刀……その中でも特に名高い妖刀が三振りも盗まれたとあれば、笹雪家としても見過ごすことはできません」
明久の言葉に感心したように、倉本は数度頷いた。
明久は昨夜倉本からの要請で、倉本家の蔵から盗み出された妖刀三振りの行方を追っていたのだ。
「して、首尾は?」
「昨夜、妖刀の一つは取り戻しました」
「おお、早いな」
声色に明らかな上機嫌な色を感じて、明久は小さく安堵の息を吐いた。
「それで、妖刀は今ここにお持ちいたしましょうか?」
倉本は少し考え込むそぶりを見せる。
「……いや、いい。妖刀三振り全てを取り戻した後に渡してくれ。後二振り取り戻すとしたら、妖刀はお前が持っている方が都合良いだろう」
「……はい、分かりました」
倉本の含みのある言葉に、思わず明久の表情が苦々しくなる。それを隠す様に彼は深々と頭を下げた。
「では儂はもう行く。これでなかなか忙しい身だからな。事情を知った他家から、妖刀を奪われるとは何事かと叱責されてたまらんのよ」
言葉とは裏腹に、快活に笑いながら倉本は立ち上がり明久に背を見せた。
「ああ、見送りはいらんぞ」
「は……」
倉本が居間から立ち去るまで頭を下げ続けた明久は、彼の気配が無くなったのを感じて長く息を吐いた。
倉本は気難しいという言葉からは対極にある人物で、中々の好漢ともいえる。しかしそれがゆえに彼の心は読みにくく、機嫌を読み違える可能性もあった。
今回はどうやら、いい気分で帰ってもらうことができた。一人になった明久は倉本の態度を思い返してそう思った。
明久は実を言って、倉本豊後という老人のことは好きではなかった。色々と世話になっているのは事実だとしても、どうも信用がおけない人物のように思えていたのだ。
そう思うのは、明久が笹雪家の当主とならざるをえない経緯のせいでもあった。
とはいえ、笹雪家は倉本家との繋がりが強い。家系の力関係としては倉本家の方が大きいとなれば、彼との付き合いを避けることはできない。
――やはりあの人はなにを考えているのか分からない。
先ほどの倉本との会話から、不審に思うことがあった。
明久が倉本から依頼されたのは、盗まれた妖刀三振りを取り戻してほしいとのことだった。
それ以外の事情は説明されなかったため、明久は倉本の言葉をそのままうのみにしていた。しかし、昨日の斬り合いとその結果手に入れた妖刀のことを思うと、なにかただならないことに巻き込まれている気がするのだ。
つまり、倉本は嘘を言っている。あの妖刀は誰かに盗まれた訳ではないのだ。
明久が薄々そのことに勘付いていると気づきながらも、倉本はなお顔色一つ変えずに妖刀奪還を命じている。
おそらくなにかしら深い事情があるのだろうが、食えない人だ。そう明久はひとりごちた。
明久は立ち上がり、その足で妖刀を保管している部屋へ歩き出す。笹雪家の広い屋敷で訳あって一人暮らししているため、空き部屋はいくつもあった。
妖刀を保管している部屋にたどり着き、ふすまを開ける。そして明久はため息をついた。
「あ、お兄ちゃん」
そこにいたのは、昨日の深夜妖刀を巡って斬り合った少女、初音だった。
早朝、倉本豊後がやってきたのを見て、自宅の玄関前で彼を待っていた笹雪明久は一礼した。
「そうかしこまらなくていい。むしろ報告が早くて助かるぞ」
倉本豊後という男はもう六十近い年齢だというのに、顔つきや体つきはまだまだ若々しい。頭髪には白髪が混じってはいるが、きっと若いころは美丈夫だったのだろうと思わせるような整った顔つきをしている。
程よく筋肉のついた体は年齢の衰えを感じさせる事はなく、確かな足取りで明久の元へやってきた。
「立ち話もなんだ、中へ案内してくれんか?」
「はい。今日は付き人の矢上は?」
「ああ、車の中で待たせてある。何もお前と話すだけで警護はいるまい」
「……ではどうぞ」
快活に笑う倉本に会釈し、明久は緊張した面無知で居間まで彼を先導した。
明久の住む笹雪邸は、今では珍しい伝統的な日本家屋だった。建てられたのは百年以上前で、今日までに何度か改修をしているものの、本来持つ趣はそのままに残してある。
倉本を案内した居間には、すでに用意していた冷たいお茶と茶菓子があり、ひとまず彼を座らせそれを振る舞った。
丁寧すぎる応対といえばそうだが、倉本はいわば明久の上司にも当たる人物だった。礼をつくすのは当然ともいえる。
明久の家系である笹雪家は、江戸時代よりも前、戦国の時代から続いており、歴史上には現れないもののその時代時代に置いて重要な役目を任されていた。
その役目とは、世にはびこる悪しき妖を討伐することである。
歴史の表に出てこない笹雪家の使命は重く、彼の家系には妖との戦いの中で討ち死にした者もそう少なくはない。
ではその働きぶりに対して、彼らは裏の歴史ではありがたがられた存在かというと……決してそんなことはなかった。
笹雪家は、退魔に連なる家系からも時に煙たがられることがあった。その理由はひとえに、妖を討つ際の方法のせいといえた。
彼らは、その手に妖刀を持って妖と戦うのを良しとしていたのだ。
妖刀とは、その名の通り尋常な刀とは一線を画している。妖刀は持つ者に人とは思えない身体能力を与え、使い手を無双の剣客にすると言われていた。
実際の所、妖刀は持つ者の体を一時的に妖と同じ物にする危険な刀だったのだ。扱う者によっては力に溺れ、己自身が危険な人斬りの妖と堕してしまうかもしれない。
事実、笹雪家を辿ると、数人心を外道に落とし人斬りの妖に堕ちた者がいる。
妖を討つために妖刀を使い、己を妖とする退魔の剣客。笹雪家はそういう存在だった。
退魔の本家筋は笹雪家を疎ましく思いながら、必要悪として認めている。しかし彼らを自由にさせておくことはできない。
そんな笹雪家へのお目付け役として当てられたのが、倉本家であった。
妖を討ちながら妖刀を収集する笹雪家にそのまま妖刀を管理させるのは危険と判断した倉本家は、笹雪家が保管する妖刀を全て取り上げ、笹雪家が妖を討つ際にのみ妖刀を貸し出す、という形で笹雪家の管理を始めたのだ。
倉本家は他にも、妖の管理も行っている。どこでどういう妖が存在し、それがどれほどの危険度か、討伐するに値するかを決める退魔の重要な機能を司っていたのだ。
……しかしこれは、荒れた戦国の末程の話である。
時代が進むにつれ妖という存在は自然と姿を消し、今では妖は絶滅したと言われていた。しかしその代りにあらわれたのが半妖という存在であり、倉本家は現在、現存する妖刀と半妖たちを管理する役目を負っていた。
「昨夜はすまなかったな。夜も遅かったというのに呼び出して」
「いえ、倉本家からの依頼とあれば、是非もありません」
硬い言葉を聞いて、倉本は軽く笑みを返した。
「いや、本当にすまんな。どうしてもお前の力が必要だと思っての」
「ええ、倉本家に保管されているいわくつきの刀……その中でも特に名高い妖刀が三振りも盗まれたとあれば、笹雪家としても見過ごすことはできません」
明久の言葉に感心したように、倉本は数度頷いた。
明久は昨夜倉本からの要請で、倉本家の蔵から盗み出された妖刀三振りの行方を追っていたのだ。
「して、首尾は?」
「昨夜、妖刀の一つは取り戻しました」
「おお、早いな」
声色に明らかな上機嫌な色を感じて、明久は小さく安堵の息を吐いた。
「それで、妖刀は今ここにお持ちいたしましょうか?」
倉本は少し考え込むそぶりを見せる。
「……いや、いい。妖刀三振り全てを取り戻した後に渡してくれ。後二振り取り戻すとしたら、妖刀はお前が持っている方が都合良いだろう」
「……はい、分かりました」
倉本の含みのある言葉に、思わず明久の表情が苦々しくなる。それを隠す様に彼は深々と頭を下げた。
「では儂はもう行く。これでなかなか忙しい身だからな。事情を知った他家から、妖刀を奪われるとは何事かと叱責されてたまらんのよ」
言葉とは裏腹に、快活に笑いながら倉本は立ち上がり明久に背を見せた。
「ああ、見送りはいらんぞ」
「は……」
倉本が居間から立ち去るまで頭を下げ続けた明久は、彼の気配が無くなったのを感じて長く息を吐いた。
倉本は気難しいという言葉からは対極にある人物で、中々の好漢ともいえる。しかしそれがゆえに彼の心は読みにくく、機嫌を読み違える可能性もあった。
今回はどうやら、いい気分で帰ってもらうことができた。一人になった明久は倉本の態度を思い返してそう思った。
明久は実を言って、倉本豊後という老人のことは好きではなかった。色々と世話になっているのは事実だとしても、どうも信用がおけない人物のように思えていたのだ。
そう思うのは、明久が笹雪家の当主とならざるをえない経緯のせいでもあった。
とはいえ、笹雪家は倉本家との繋がりが強い。家系の力関係としては倉本家の方が大きいとなれば、彼との付き合いを避けることはできない。
――やはりあの人はなにを考えているのか分からない。
先ほどの倉本との会話から、不審に思うことがあった。
明久が倉本から依頼されたのは、盗まれた妖刀三振りを取り戻してほしいとのことだった。
それ以外の事情は説明されなかったため、明久は倉本の言葉をそのままうのみにしていた。しかし、昨日の斬り合いとその結果手に入れた妖刀のことを思うと、なにかただならないことに巻き込まれている気がするのだ。
つまり、倉本は嘘を言っている。あの妖刀は誰かに盗まれた訳ではないのだ。
明久が薄々そのことに勘付いていると気づきながらも、倉本はなお顔色一つ変えずに妖刀奪還を命じている。
おそらくなにかしら深い事情があるのだろうが、食えない人だ。そう明久はひとりごちた。
明久は立ち上がり、その足で妖刀を保管している部屋へ歩き出す。笹雪家の広い屋敷で訳あって一人暮らししているため、空き部屋はいくつもあった。
妖刀を保管している部屋にたどり着き、ふすまを開ける。そして明久はため息をついた。
「あ、お兄ちゃん」
そこにいたのは、昨日の深夜妖刀を巡って斬り合った少女、初音だった。
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