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029.同郷

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「ご主人さま、紅茶淹れましたよ」
「あぁ、ありがとう」

 静かな二人きりの自室。
 世界を紅く染めていた太陽は沈んで星空が輝く空の下。
 不意の呼びかけに顔を上げればメイド服姿に身を包んだ彼女がコトリと机に2つのカップを置いた。

 いつものルーティーン。
 夜の決まった時間のティータイム。
 穏やかな香りの漂うカップからは今日もいい香りが漂っていた。

「……」
「ご主人さま?」
「……ちなみにこの紅茶、タバスコなんて入ってないよね?」
「タバスコ?何でしょうそれは?」

 コテンと首を傾げる彼女はこの世界の常識を表していた。
 タバスコなんてここには存在していない。俺は「何でもない」と答えつつカップを傾けると口の中にフルーティーかつ蜂蜜の甘い風味が広がっていく。

「今日も美味しいよ」
「ありがとうございます。お昼にレイコ様から紅茶を淹れるコツを教わりまして実践してみたんです」

 レイコさん。
 昨日今日とウチに訪ねて来た王女様……エクレールの従者である女性。
 凛とした立ち振舞にあまり変化することのない表情。そして―――――。

「……ご主人さま、なにか考え事ですか?」
「えっ?」
「いえ、すみません。なんだかいつも以上に不安そうな顔をされておりまして」

 思わぬ呼びかけに顔を上げればこちらを案じるようなシエルの顔が。
 人が少なくなって考え事が捗るこの時間。物思いに耽ることは多々あるがそこまで神妙な顔をしていただろうか。
 自覚はなかったがいつも見ているシエルに言われるということは相当だったのだろう。俺は笑顔を作ってって何でも無いと首を振る。

「ありがとうシエル、でも大丈夫だよ」
「そうですか……。なにかお力になれることがありましたら何でも仰ってくださいね?」
「その時は頼らせてもらうよ」
「はい……」

 小さく紅茶をすする彼女に俺はふと笑みをこぼして窓から見える星空を見上げる。
 日本で見た時とさほど変わらない星空。月もあり、この景色だけ切り取れば異世界だなんて思えないほど。
 俺は数時間前の出来事を思い出す。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


「スタン様は――――日本からいらっしゃいましたね?」
「っ…………!!」

 その言葉は俺の鼓動を一気に早まらせた。
 眼の前にはあいも変わらず庇の下に腰掛けたままの女性、レイコさん。彼女の確信めいた言葉は俺の本質を突く言葉だった。
 鉄面皮のまま繰り出される問いかけに、俺はジリジリと距離を取りつつチラリと辺りを伺う。

 周りには誰も居ない。不幸中の幸いか他に聞かれた者はいないようだ。
 今のところそれに気づいたのは彼女1人か……それが問題である。

「な……何のことでしょう。日本のお話はボクが生まれる前……魔王が討たれてから来なくなったと本に書かれてましたが」
「そのようですね。だからこそ今この場にスタン様が日本の方だというのはおかしな話になります」
「じゃあ……!」
「ですが人が変わったという噂に先程のこの世界にないものを知っている。こちらについては日本から来たと考えたら納得が行く話です。……魔王討伐後に現れるなんて私でも驚きましたが」
「…………」

 彼女の言葉に俺は黙り込むしかなかった。
 人が変わった、というのはなんとか言い訳ができただろう。しかしタバスコ等の件、あれは痛恨のミスだった。神山の名が聞いて呆れる。
 しかし一方で大きな疑問も生まれた。何故彼女はタバスコなんて知っているのだろう。

「なんでレイコさんはこの世界に無い日本のものを知っているんです?」
「簡単な話です。私も日本から来た人間ですので」
「えっ…………」

 何の戸惑いもなく言ってのける彼女に俺は目を疑った。
 魔王が討たれてから日本から来るものは居ない。彼女もそう言っていた。
 なのにレイコさんという実例がある。こうして向かい合う彼女は高校生……せいぜい大学生といったところだ。

「……もしかして私の見た目に驚いていらっしゃいますか?」
「ボクが見た限りレイコさんは20手前。ですが魔王は30年前に倒されたはずです」
「そのとおりです。が、私の祝福は『不老』です。そう言えば理解できますよね?」

 不老。
 文字どうり老化することがない。
 つまり実年齢と見た目年齢に乖離があって然るべきだ。

「私がこの世界に来たのは30年前。魔王が討たれる直前ですね。気づけば世界は平和になり、行き場を失った私はお受けに仕えることに。……便利ですよ?老けないって全女性の憧れですから」
「……不死はないんですね」
「幸いにも。怪我や病気などでは普通に死にますが老化しないので老衰とは無縁ですね」
「なるほど……」

 なるほど確かにそれなら筋が通る。
 それに彼女の意見に同感だ。不死なんてろくな物ではない。世界が滅んでも死ねないだなんてただの地獄である。

「それで如何でしょう?私の秘密は"祝福"も含めてお話しました。スタン様は日本からいらっしゃいましたか?」
「ボクは――――」

 再びの問いかけ。
 いくつかの問答を経た俺は、その言葉に対する答えを既に固めていた。

「―――そのとおりです。ボクは……"俺"は日本で命を落とし、気づけばあの事故から目を覚ます"スタン"へと成り代わってました」

 俺の回答は彼女の問いに対して素直に認めることだった。
 元々ミスを指摘された時点で言い逃れなんてできようがない。下手にウソを重ねるより正直になったほうが交渉する上でも有利な作戦だ。
 真っ直ぐ彼女の色の違う目を見て応える。するとこれまで鉄面皮だったその表情がふと、溶けるように笑みに変わっていく。

「よかった――――」

 鉄の仮面を外した彼女が浮かべたのは笑顔だった。
 以前エクレールに向けたものではない、ホッと安心するかのような安堵の表情。肩を撫で下ろすかのような彼女に俺も警戒心を解いて気づけば再び隣へと腰を下ろす。

「良かった?」
「えぇ、よかったです。この世界に来て以降、初めて同郷の人とお会いすることが出来ました」

 そう言って笑みを向ける彼女の目の縁にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 この世界にきておよそ30年。彼女はずっと知らない土地で1人で生きてきたのだ。ようやく会えた同郷の人物に対する安心感は今の俺にとって計り知れない。

「……俺も初めて日本出身の方にお会いしました」
「そうでしょう。30年お城で様々な方とお話しましたが日本の方なんて1人としておらず……おそらくこの世界で私たち二人だけです」

 世界に二人きり……。
 それを彼女は世界に一人だと思い30年過ごしてきたのだ。もはや諦めにも近かっただろう。


 静かな庇の下で庭に吹く風が俺達をくすぐる。
 もう赤い光を照らしていた太陽は遠くに沈みかかっていて、段々と世界に闇が訪れていく。

「よかった……これで私の目的も前進しそうです」
「目的……?レイコさんの目的は同郷の人物を見つけ出すことじゃないんですか?」
「いえ、それもありましたがあくまで副産物。私の目的はその先にあります」

 そう告げた彼女は立ち上がりこちらに手を差し伸べる。

「私の目的はもとの世界に帰ること。そのために共同戦線を張りませんか?」

 自分の半分ほどの背丈となる俺へと差し伸べられた手と言葉。
 それはあくまで対等の人物に対する彼女なりの誠意の証であった。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


「どうしたものかなぁ」

 自室にてポツリと独り言を漏らす。
 すっかり暗くなった夜空の下。俺は夕方提案された共同戦線について思いを巡らせていた。

 あれから。
 あれから俺が差し出された手を取る前に勢いよく開け放たれた扉から現れた三人娘。
 もはや日本の話なんてするどころじゃなくなった俺たちは、返事は次回以降ということでお開きとなった。

 突然カミングアウトされた同郷の人物。
 帰るための協力体制。果たして俺は本当に帰りたいのかとカラになったカップを眺める。

「ご主人さま、あまり思い詰めますとシワが寄っちゃいますよ」
「え?あ、ごめん」

 どうも難しい顔をしすぎていたみたいだ。
 正面のシエルに指摘されて気づくのは眉に寄ったシワ。遠回しに「心配している」と告げているのだろう。彼女の表情がそれを物語っている。

「……考えすぎても仕方ないか」
「ご主人さま?」

 コトリと手にしていたカップをおいて自らポットからおかわりを入れていく。

「シエル、ここでの暮らしは楽しい?」
「へっ……もちろんです!屋敷の皆様は厳しくも優しく、ご主人さまに仕える事ができて私はとても幸せ者です」
「――――よかった」

 突然の問いに驚いて見せたものの彼女の言葉は嘘偽りない本心だった。
 王家に相当近しいと目されるレイコさん。その情報量は相当なものだろう。もしかしたら彼女の協力で俺も日本に帰れるかも知れない。
 けれど……けれど眼の前で向けられるシエルの笑顔を見て回答は決まった。俺は中央に置かれた紅茶が入っているであろうポットを自ら持ち上げる。

「ご、ご主人さま!?私がお入れしますのに!」
「いいんだよ。2回目のティータイムといこうシエル。お昼の事を聞かせて。エクレールと何話してたの?」

 眼の前の従者と始めるはとりとめのない世間話。
 後にシエルは「2回目のスタン様は凄く穏やかな顔をしていた」という――――
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