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第5章
114.ただ一人を想い続ける一途な心
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海の、潮の香りがする。
サァァ……と風の吹く音と共に木々が揺れる音。
空を見上げれば雲ひとつ無い快晴。
9月も下旬に入り、太陽の真下に居ても7月8月程のつらさは無く、ほんの少し暑いくらいで半袖なら十分快適と言える季節。
筋肉痛という痛みに苛まれる午前を突破した俺は放課後、校門前にて待機されていたタクシーへと乗り込み彼女らの自宅へとたどり着いた。
正直、校門前はかなり注目を浴びたから少し離して待ってくれるよう頼めばよかったと後悔してる。何人かの知り合いにタクシーに乗り込む姿を見られて『VIPだ』とか『優雅な帰宅ね』と、なかなかにからかわれた。
「さて、と……」
そんな優雅なタクシーからも降り、彼女らの自宅……正確にはその近くの公園にて辺りを見渡す。
ここはエレナの誕生日パーティーの帰りに寄った公園。同時にリオの告白を受けた公園でもある。
見渡す限り誰も居ない。ただ海やセミ、鳥などの声が辺りを踊るように鳴いている。
自らのスマホを取り出して過去のメッセージを確認する。
目的の相手はリオのもの。彼女はマンションへ行く前に、この公園での待ち合わせを提示してきたのだ。
現在は待ち合わせ時刻の10分前。場所も間違いない。呼び出し者の姿が見えないから近くのベンチに腰を降ろして海を見やる。
ただただ青く、穏やかな海。
魚の群れがいるのか鳥山が立っている。
あぁ、太陽も天辺を通り過ぎて気温も穏やかになってきた今、こうやって時間を無為に潰すのも案外悪くないかもしれない。本でも持ってくればよかった。
「眠……。くぁぁぁぁ………………んっ」
海のごとく穏やかな気持ちになりながら大きくあくびをした途端、今まで大半を青で占めていた視界が一気に暗く、黒くなった。
しかしパニックはない。俺の今の心は凪いでいる。
突然の暗闇。しかし暗闇の不安を打ち消すように感じるのは柔らかくも優しげな感触。
「だ~れだっ」
「……リオ」
「せいか~い」
冷静な心。その中で暗闇を呼んだ犯人を推測するのは難しいことではなかった。
目隠しをされた俺は彼女の名を呼ぶと、少しだけ嬉しそうな声を上げながら視界に光が戻っていく。
「おつかれ慎也クン。学校終わりにごめんね?」
「全然。ここで待ち合わせなんて珍しいね。リオ」
頭上からかかってくる声に視線を上げると、覗き込むように笑いかけるリオがそこにいた。
彼女はベンチを回り込むようにして隣へと座ってくる。
「ん~……ちょっとした私のワガママだからねぇ」
「わがまま?」
「ん。ほら、ここで待ち合わせってあの日のこと思い出すじゃん」
「…………そうだね」
それはきっと俺が初めて会ったと思っていた日。正確には再会した日。
あの日はポケットに入っていた紙に言われて待ち合わせをした。
同じ公園に同じベンチ。そして言われた言葉は…………
「それはちょっとだけ置いといて…………日曜はごめんね?ウチの母担当が……」
「ううん、あの時は俺も悪かったから」
「悪いって部屋に入ったこと?あれは誘われたんだからいいの。気にしないで」
そうは言ってくれるが俺の短絡的な行動のせいで随分と迷惑をかけた。
母担当…………いや、何も言うまい。ちょっとそう思ってたフシがあったし。
「リオも……あの日はありがとう。リオが居なかったら多分……」
「なんか雰囲気違うな~って勘だったから。当たってくれてよかったよ。いや、この場合当たらないほうが良かったのかな……」
どちらでも。ちょっとした表現の差だ。
「あれから、みんなは? 仕事はしてるって聞いたけど……」
「聞いたって誰に……って、マネージャーか。 うん。とりあえず落ち着いて仲直りもしたよ。アイは負い目とか後悔してるみたいだけど」
負い目、か。
その言葉を聞いてやはり引きずっているのだと目を伏せる。
全く気にしなくていいのにと思いつつ、今日はそれをなんとかしに来たんだともう一度目を上げる。
「エレナは?あの部屋、俺だけじゃなくエレナの写真もあったでしょ?」
「エレナかぁ……エレナねぇ……」
「?」
もう一つ気になったことといえばあの部屋を見たエレナの反応だ。
きっとアイさんはエレナのことも恋愛的な意味でも好きなのだろう。それも相当なレベルで。
あの時は飄々としていたが俺が帰った後どうなったのか。
リオは俺の質問に空を見上げ、当時のことを思い出したのか少し笑みがこぼれだす。
「ほら、エレナってそういうの全く気にしないタイプだから。『別に嫌わないから直接言いなさい。写真なんていくらでも撮らせてあげるから』って怒ってね。その後アイがまた大泣きしちゃって大変だったんだよ」
「エレナらしいね……」
「でしょう?」
その時の光景がありありと浮かんで俺も笑みがこぼれてしまう。
エレナはきっと、どこに行ってもどうなってもあんな性格なんだろう。それは凄く頼もしいことだ。
「だから、後の処遇は慎也クン次第。アイは仕事辞めさせられるのは平気だけど、それよりも慎也クンに嫌われるんじゃないかってビクビクしてて…………その様子じゃ大丈夫そうだね」
表情から思考を読み取ったのかリオは一安心したように微笑みを向けてくる。
俺の腹の中も決まっている。どちらも、特に嫌うなんてことは絶対に無い。
「もちろん」
「うん。それでこそ私のよく知る優しい慎也クンだよ。 そんな人には…………コレをあげよう」
リオはベンチの後ろからハンドバッグを引っ張ってきて中から小さな袋を取り出し見せつけた。
こぶし大くらいの小さなラッピング袋。見た目的には店でラッピングしてもらった市販品のよう。
「これは?」
「慎也クンへプレゼント。ちょっと準備するから目瞑っててもらえる?」
「? うん……」
言われるがままに目を瞑るとすぐさまガサゴソと袋の擦れる音が聞こえてくる。きっと取り出しているのだろう。
けれどそれも20秒経っても30秒経っても一向に準備が終わる声がない。しまいには袋の音も聞こえなくなってしまい、どうしたのかと思案する。
「まだ?」
「うん!もうちょっと待って!」
疑問に思いながら声を上げると慌てたような返事が返ってきた。
さすがに俺を放っといたまま何処かに行ったわけじゃないようだ。一安心して耳を澄ますと海の音に混じって彼女の息遣いが大きく聞こえてくる。
それはなにやら深呼吸をしている気がした。
スゥ……ハァ……とゆっくりと吸って吐く音が聞こえてくる。
「……うん。準備できたけど……まだ目開けないでね?」
「そんなに準備が必要なものなんだね」
あんな小さな袋から何が出てくるのだろう。
まさか大きさ的に車の鍵か……とも思ったが、流石に高校生相手にそれはないだろうと一瞬のうちに否定し………その否定を更に否定した。
ありえない話だ。けれど相手はリオ。どんなあり得ないが出てくるかわからない。
何がくるのか今更不安になってゴクリと固唾をのむ。
「じゃあいくよ…………ごめんね。おにいちゃん」
「えっ―――――。~~~~!!」
"おにいちゃん"
そんな聞き慣れない呼び名が聞こえたと同時だった。
突然座っている膝の上に何かが乗ってきたかと思えば、何か頬を包まれる感覚と唇への柔らかな感触。
驚愕によって開かれた視界の先には海――――そして彼女の顔がすぐそこにあった。
10秒、20秒と。決して長過ぎるというほどではないが体感的には相当長い時間だった。
見開いた俺の瞳には太陽に照らされた彼女の茶髪と真っ赤に染まった耳が収められており、徐々に力が緩んで彼女の顔が離れたと思ったら、今度は今まで頬を包んでいた両の手のひらが俺の顔面を覆い尽くして再度視界は真っ暗闇に包まれる。
「なん……で……。リ――――」
「見ないで!!!」
その手を引き剥がそうとしたら感情に身を任せた彼女の言葉によって遮られた。
彼女の拒絶の言葉に怯んだ俺は、引き剥がす力が緩んでしまう。
「その……私……恥ずかしすぎて……満ち足りた気持ちで……死にそうで……。二人は……お兄ちゃんとこんなことをあの日……」
さっきの言葉が決して拒絶のものではないと知り、こわばっていた身体の力が抜けていく。
そして「目を閉じて」とのお願いに素直に従うと顔を覆っていた手がゆっくりと離れていった。
「ごめんねお兄ちゃん……。二人ともキスしてたから……お兄ちゃんのことが好きな私もつい……」
「それは全然……でもお兄ちゃんって…………」
キスされたことは決して嫌なわけではない。
けれどいきなりの呼び名の変わりには何かあったのだろうか。
「だって……ずっと紗也ちゃんにお兄ちゃんお兄ちゃんって言われてたから私も心の内では自然と……。今までずっと抑えてきたけど、ずっと心の中ではそう呼んでたんだよ?前頬にキスしたら好きな気持ちが抑えきれなくなってきちゃって……」
ポツリ、ポツリと消え入りそうなほど小さな言葉だったが確かにそう言っていた。
その後、彼女はベンチから離れたようで着地する音がすぐ正面から聞こえる。
「すぅ……はぁ…………うん。開けていいよ。目」
「うん…………」
目を開けると、璃穏は目の前に居た。
海を背にし、俺へと身体を向ける彼女の小さな身体が。
年下で、アイドルグループのリーダーである彼女は手を後ろで組み、茶色の髪を輝かせながら赤い顔で屈託のない笑みを向けている。
「私、神鳥 璃穏は慎也クン……ううん、お兄ちゃんのことが好きです。世界一大好きです」
二度目の。そして嘘偽りの無い"本当"の告白だった。
リオ。妹の友達にして何年も俺のことを思ってくれていた女の子。
紗也の妄言に近い言葉を真摯に受け止め、有言実行するようにトップアイドルとなった女の子。
そんな彼女に、俺は―――――
「俺は…………」
返事をしようとして言葉に詰まる。
なんて返すと言うのだ。答えも出ていないのに。下手に引き伸ばしても傷つけるだけだろう。ならば何を言うのだ。その足らない頭で何かいい返答でも出てくるのか。
自身を責めるような言葉が心の中を占めていく。
あれもダメ。これもダメ。どう答えようと誰かを傷つける結果となってしまう。それを許容できるほど心が定まっていない。ただひたすらに黙って答えの出ない答えを探し続ける。
そんな思考の渦に囚われていると、彼女は何も言うこと無く近づいてきて俺の手を優しく取る。
「何も言わなくていいよ。私の自己満足なんだから」
「俺……は――――」
無理矢理何か言葉を引き出そうと言葉を紡ぎ出すも、今度は彼女の指が俺の唇に当たり遮られる。
「大丈夫。今すぐの返事は望んでないよ。それよりまずはあの二人のこと、でしょう?」
まるで聖母のような笑みをする彼女にゆっくりと頷く。
そうだ。今日は彼女たちに会いに来たんだ。リオも俺の返事にゆっくりと頷いて手を引っ張り立ち上がるよう促してくる。
「それじゃ、行こう? お兄ちゃん」
「あぁ。……ありがとう、リオ」
「ん!」
俺は璃穏と共に公園への出口へと歩き出す。
彼女は横に寄り添うよう、そっと着いてきてくれていた――――
「そういえば、あの袋の中身ってなんだったの?」
「あれ? あれはぁ…………。ホントはウチのカードキーを入れようと思ってたんだけど、マネージャーがスペア作るの許してくれなくって……」
残念そうに眉間にシワを寄せる彼女は袋の中身がカラだと示すよう逆さまにする。
それは俺にとって心底ホッとする袋の中身だった。
よかった。何も入ってなくて。今の自分にアイドルの合鍵は荷が勝ちすぎる……。神鳥さんに心底感謝しながら、マンションのエレベーターに乗り込むのだった。
サァァ……と風の吹く音と共に木々が揺れる音。
空を見上げれば雲ひとつ無い快晴。
9月も下旬に入り、太陽の真下に居ても7月8月程のつらさは無く、ほんの少し暑いくらいで半袖なら十分快適と言える季節。
筋肉痛という痛みに苛まれる午前を突破した俺は放課後、校門前にて待機されていたタクシーへと乗り込み彼女らの自宅へとたどり着いた。
正直、校門前はかなり注目を浴びたから少し離して待ってくれるよう頼めばよかったと後悔してる。何人かの知り合いにタクシーに乗り込む姿を見られて『VIPだ』とか『優雅な帰宅ね』と、なかなかにからかわれた。
「さて、と……」
そんな優雅なタクシーからも降り、彼女らの自宅……正確にはその近くの公園にて辺りを見渡す。
ここはエレナの誕生日パーティーの帰りに寄った公園。同時にリオの告白を受けた公園でもある。
見渡す限り誰も居ない。ただ海やセミ、鳥などの声が辺りを踊るように鳴いている。
自らのスマホを取り出して過去のメッセージを確認する。
目的の相手はリオのもの。彼女はマンションへ行く前に、この公園での待ち合わせを提示してきたのだ。
現在は待ち合わせ時刻の10分前。場所も間違いない。呼び出し者の姿が見えないから近くのベンチに腰を降ろして海を見やる。
ただただ青く、穏やかな海。
魚の群れがいるのか鳥山が立っている。
あぁ、太陽も天辺を通り過ぎて気温も穏やかになってきた今、こうやって時間を無為に潰すのも案外悪くないかもしれない。本でも持ってくればよかった。
「眠……。くぁぁぁぁ………………んっ」
海のごとく穏やかな気持ちになりながら大きくあくびをした途端、今まで大半を青で占めていた視界が一気に暗く、黒くなった。
しかしパニックはない。俺の今の心は凪いでいる。
突然の暗闇。しかし暗闇の不安を打ち消すように感じるのは柔らかくも優しげな感触。
「だ~れだっ」
「……リオ」
「せいか~い」
冷静な心。その中で暗闇を呼んだ犯人を推測するのは難しいことではなかった。
目隠しをされた俺は彼女の名を呼ぶと、少しだけ嬉しそうな声を上げながら視界に光が戻っていく。
「おつかれ慎也クン。学校終わりにごめんね?」
「全然。ここで待ち合わせなんて珍しいね。リオ」
頭上からかかってくる声に視線を上げると、覗き込むように笑いかけるリオがそこにいた。
彼女はベンチを回り込むようにして隣へと座ってくる。
「ん~……ちょっとした私のワガママだからねぇ」
「わがまま?」
「ん。ほら、ここで待ち合わせってあの日のこと思い出すじゃん」
「…………そうだね」
それはきっと俺が初めて会ったと思っていた日。正確には再会した日。
あの日はポケットに入っていた紙に言われて待ち合わせをした。
同じ公園に同じベンチ。そして言われた言葉は…………
「それはちょっとだけ置いといて…………日曜はごめんね?ウチの母担当が……」
「ううん、あの時は俺も悪かったから」
「悪いって部屋に入ったこと?あれは誘われたんだからいいの。気にしないで」
そうは言ってくれるが俺の短絡的な行動のせいで随分と迷惑をかけた。
母担当…………いや、何も言うまい。ちょっとそう思ってたフシがあったし。
「リオも……あの日はありがとう。リオが居なかったら多分……」
「なんか雰囲気違うな~って勘だったから。当たってくれてよかったよ。いや、この場合当たらないほうが良かったのかな……」
どちらでも。ちょっとした表現の差だ。
「あれから、みんなは? 仕事はしてるって聞いたけど……」
「聞いたって誰に……って、マネージャーか。 うん。とりあえず落ち着いて仲直りもしたよ。アイは負い目とか後悔してるみたいだけど」
負い目、か。
その言葉を聞いてやはり引きずっているのだと目を伏せる。
全く気にしなくていいのにと思いつつ、今日はそれをなんとかしに来たんだともう一度目を上げる。
「エレナは?あの部屋、俺だけじゃなくエレナの写真もあったでしょ?」
「エレナかぁ……エレナねぇ……」
「?」
もう一つ気になったことといえばあの部屋を見たエレナの反応だ。
きっとアイさんはエレナのことも恋愛的な意味でも好きなのだろう。それも相当なレベルで。
あの時は飄々としていたが俺が帰った後どうなったのか。
リオは俺の質問に空を見上げ、当時のことを思い出したのか少し笑みがこぼれだす。
「ほら、エレナってそういうの全く気にしないタイプだから。『別に嫌わないから直接言いなさい。写真なんていくらでも撮らせてあげるから』って怒ってね。その後アイがまた大泣きしちゃって大変だったんだよ」
「エレナらしいね……」
「でしょう?」
その時の光景がありありと浮かんで俺も笑みがこぼれてしまう。
エレナはきっと、どこに行ってもどうなってもあんな性格なんだろう。それは凄く頼もしいことだ。
「だから、後の処遇は慎也クン次第。アイは仕事辞めさせられるのは平気だけど、それよりも慎也クンに嫌われるんじゃないかってビクビクしてて…………その様子じゃ大丈夫そうだね」
表情から思考を読み取ったのかリオは一安心したように微笑みを向けてくる。
俺の腹の中も決まっている。どちらも、特に嫌うなんてことは絶対に無い。
「もちろん」
「うん。それでこそ私のよく知る優しい慎也クンだよ。 そんな人には…………コレをあげよう」
リオはベンチの後ろからハンドバッグを引っ張ってきて中から小さな袋を取り出し見せつけた。
こぶし大くらいの小さなラッピング袋。見た目的には店でラッピングしてもらった市販品のよう。
「これは?」
「慎也クンへプレゼント。ちょっと準備するから目瞑っててもらえる?」
「? うん……」
言われるがままに目を瞑るとすぐさまガサゴソと袋の擦れる音が聞こえてくる。きっと取り出しているのだろう。
けれどそれも20秒経っても30秒経っても一向に準備が終わる声がない。しまいには袋の音も聞こえなくなってしまい、どうしたのかと思案する。
「まだ?」
「うん!もうちょっと待って!」
疑問に思いながら声を上げると慌てたような返事が返ってきた。
さすがに俺を放っといたまま何処かに行ったわけじゃないようだ。一安心して耳を澄ますと海の音に混じって彼女の息遣いが大きく聞こえてくる。
それはなにやら深呼吸をしている気がした。
スゥ……ハァ……とゆっくりと吸って吐く音が聞こえてくる。
「……うん。準備できたけど……まだ目開けないでね?」
「そんなに準備が必要なものなんだね」
あんな小さな袋から何が出てくるのだろう。
まさか大きさ的に車の鍵か……とも思ったが、流石に高校生相手にそれはないだろうと一瞬のうちに否定し………その否定を更に否定した。
ありえない話だ。けれど相手はリオ。どんなあり得ないが出てくるかわからない。
何がくるのか今更不安になってゴクリと固唾をのむ。
「じゃあいくよ…………ごめんね。おにいちゃん」
「えっ―――――。~~~~!!」
"おにいちゃん"
そんな聞き慣れない呼び名が聞こえたと同時だった。
突然座っている膝の上に何かが乗ってきたかと思えば、何か頬を包まれる感覚と唇への柔らかな感触。
驚愕によって開かれた視界の先には海――――そして彼女の顔がすぐそこにあった。
10秒、20秒と。決して長過ぎるというほどではないが体感的には相当長い時間だった。
見開いた俺の瞳には太陽に照らされた彼女の茶髪と真っ赤に染まった耳が収められており、徐々に力が緩んで彼女の顔が離れたと思ったら、今度は今まで頬を包んでいた両の手のひらが俺の顔面を覆い尽くして再度視界は真っ暗闇に包まれる。
「なん……で……。リ――――」
「見ないで!!!」
その手を引き剥がそうとしたら感情に身を任せた彼女の言葉によって遮られた。
彼女の拒絶の言葉に怯んだ俺は、引き剥がす力が緩んでしまう。
「その……私……恥ずかしすぎて……満ち足りた気持ちで……死にそうで……。二人は……お兄ちゃんとこんなことをあの日……」
さっきの言葉が決して拒絶のものではないと知り、こわばっていた身体の力が抜けていく。
そして「目を閉じて」とのお願いに素直に従うと顔を覆っていた手がゆっくりと離れていった。
「ごめんねお兄ちゃん……。二人ともキスしてたから……お兄ちゃんのことが好きな私もつい……」
「それは全然……でもお兄ちゃんって…………」
キスされたことは決して嫌なわけではない。
けれどいきなりの呼び名の変わりには何かあったのだろうか。
「だって……ずっと紗也ちゃんにお兄ちゃんお兄ちゃんって言われてたから私も心の内では自然と……。今までずっと抑えてきたけど、ずっと心の中ではそう呼んでたんだよ?前頬にキスしたら好きな気持ちが抑えきれなくなってきちゃって……」
ポツリ、ポツリと消え入りそうなほど小さな言葉だったが確かにそう言っていた。
その後、彼女はベンチから離れたようで着地する音がすぐ正面から聞こえる。
「すぅ……はぁ…………うん。開けていいよ。目」
「うん…………」
目を開けると、璃穏は目の前に居た。
海を背にし、俺へと身体を向ける彼女の小さな身体が。
年下で、アイドルグループのリーダーである彼女は手を後ろで組み、茶色の髪を輝かせながら赤い顔で屈託のない笑みを向けている。
「私、神鳥 璃穏は慎也クン……ううん、お兄ちゃんのことが好きです。世界一大好きです」
二度目の。そして嘘偽りの無い"本当"の告白だった。
リオ。妹の友達にして何年も俺のことを思ってくれていた女の子。
紗也の妄言に近い言葉を真摯に受け止め、有言実行するようにトップアイドルとなった女の子。
そんな彼女に、俺は―――――
「俺は…………」
返事をしようとして言葉に詰まる。
なんて返すと言うのだ。答えも出ていないのに。下手に引き伸ばしても傷つけるだけだろう。ならば何を言うのだ。その足らない頭で何かいい返答でも出てくるのか。
自身を責めるような言葉が心の中を占めていく。
あれもダメ。これもダメ。どう答えようと誰かを傷つける結果となってしまう。それを許容できるほど心が定まっていない。ただひたすらに黙って答えの出ない答えを探し続ける。
そんな思考の渦に囚われていると、彼女は何も言うこと無く近づいてきて俺の手を優しく取る。
「何も言わなくていいよ。私の自己満足なんだから」
「俺……は――――」
無理矢理何か言葉を引き出そうと言葉を紡ぎ出すも、今度は彼女の指が俺の唇に当たり遮られる。
「大丈夫。今すぐの返事は望んでないよ。それよりまずはあの二人のこと、でしょう?」
まるで聖母のような笑みをする彼女にゆっくりと頷く。
そうだ。今日は彼女たちに会いに来たんだ。リオも俺の返事にゆっくりと頷いて手を引っ張り立ち上がるよう促してくる。
「それじゃ、行こう? お兄ちゃん」
「あぁ。……ありがとう、リオ」
「ん!」
俺は璃穏と共に公園への出口へと歩き出す。
彼女は横に寄り添うよう、そっと着いてきてくれていた――――
「そういえば、あの袋の中身ってなんだったの?」
「あれ? あれはぁ…………。ホントはウチのカードキーを入れようと思ってたんだけど、マネージャーがスペア作るの許してくれなくって……」
残念そうに眉間にシワを寄せる彼女は袋の中身がカラだと示すよう逆さまにする。
それは俺にとって心底ホッとする袋の中身だった。
よかった。何も入ってなくて。今の自分にアイドルの合鍵は荷が勝ちすぎる……。神鳥さんに心底感謝しながら、マンションのエレベーターに乗り込むのだった。
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