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第2章

041.姉の寂しさ

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 ゴォォォォ…………と、けたたましい音を上げていたドライヤーをとめ、自らの髪を軽く整える。
 火照った身体。しっかりと乾いた髪。その姿はどこからどう見ても風呂上がりの自分だった。

 雨に降られてびしょ濡れでやってきたエレナの部屋。
 風邪を引いた彼女を看病しに行くと、まっさきに言われたのが「風呂入れ」というものだった。
 別にそんな必要もないと思ったが温かいシャワーにうたれ思い返すと当然の結果である。看病しに行ったのに雨で風邪引かれるなんて本末転倒。俺だって彼女の立場なら同じことを言っただろう。そういうときは雨じゃなくて相手に移されたいものだ。

 そんなこんなで身体を温めた俺は再びここへやってきた服へ腕を通す。
 びしょ濡れとなっていた自らの服。髪と一緒にドライヤーで乾かしたがそれでもなんとなく水気が感じられて若干気持ち悪い。エレナの服をという考えも頭をよぎったが、人の服を勝手には気が引けるし何よりサイズがね。

 せめて夏服だったことに感謝だろう。冬服だったら乾かなすぎて取り返しつかなくなっていた。
 そんなこんなでものの10分少しで身を清め、再び寝室の扉を開ける。

「エレナ、起きてる?」

 来たときと同じ光景。彼女は仰向けになったまま息を荒くして目を瞑っていた。
 
「エレナ、平気?」
「…………」

 邪魔ににならない程度の声量で問いかける。返答どころか反応すら無いところを見るに、やはり眠っている。
 扉の側にはさっき投げたであろう枕が転がっていることから察するに、取りに立ち上がる余裕さえないようだ。

「枕がないと身体痛めるよ」

 落ちていた枕を拾い、そのまま眠っている彼女の頭をゆっくり、ゆっくりと持ち上げて隙間に差し込むことに成功する。

 その時触れてしまった彼女の髪は風邪のせいで多少メンテナンス不足感があったものの、するりと指の隙間に入り込み、そのまま引っかかりを感じることなく抜くことができた。
 きっと日頃のメンテナンスがしっかりとしているのだろう。久しぶりに会った紗也はそれが不足していたようで帰ってきた日には荒れに荒れていたが、彼女は十二分に万全だった。

 長く、美しい金色の髪――――それはまさしく金銀糸のようだった。
 感触はシルクのそれに近く、お互いのいいとこ取りといった印象。

 ――――っと、いけないいけない。
 しばらく手に乗せていたが、我を戻すと慌てて手のひらをカラにする。
 きっと髪に触れているなんて知られたら怒るだろう。髪は女性の命とも言うし、軽々しく触れていいものではない。俺は早々に手を引いて部屋から出ていこうとする。

「――――あれ?」
「…………」

 しかし、部屋を出ていこうとした足は一歩を踏み出すだけでそれ以上は進まなかった。

 クイッと、扉へと向かい歩き出せば襲われる、服が引っ張られる感覚。
 どこかに引っ掛けたのだろうかと振り返ると、そこにはエレナの指があった。
 彼女は意識が会ったのか、指の先が曲がり俺のTシャツに引っ掛けている。

「エレナ?」
「…………んん、寒い……。ママ……どこ……」

 彼女の口から出たのは母を呼ぶ声だった。
 熱にうなされながらも必死に絞り出すような小さな声。
 家族の夢を見ているのだろうか。俺は引っ掛かっていた手をそっと戻し、ひざまずいて両手で包み込む。

「俺はママじゃないけど……大丈夫だから。 ご飯作ってくるからね」
「………………ん……」

 気休めになるかどうかもわからない言葉。けれどエレナには伝わってくれたようだ。
 励ましのお陰なのか今まで張っていた肩の力が抜け、ほんのり表情が緩んでいく。
 きっと今ならば少しだけ離れられるだろう。そう信じて買ってきたものをいくつか手にし、キッチンへと向かっていった。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


 チーンと。
 キッチンにて少し手の空いた隙にアイさんへ現状報告を送ると同時に電子レンジから耳馴染みのある音が聞こえてきた。
 それはレンジが仕事を終えた合図。中に収められていた皿を落とさないよう慎重に手早く取り出す。

「あちち……」
 
 ラップを外して見えたのは水分が多分に含まれた米と卵……風邪の日の定番、お粥だ。
 本当はご飯を炊いて自作したかったが今回は涙を飲んでのレトルト。勝手に冷蔵庫の中を使うわけにはいかないし、材料を買おうとも思ったが料理の出来ないエレナが道具を揃えているとは思っていなかったからだ。
 しかし蓋を開けてみればウチ以上に器具が揃っているではないか。よくよく思い返せばここでパーティーをしたわけだし、アイさんが使っているのだろう。

 けれど今更言っても仕方ない。お粥と新しいスポーツドリンクをお盆に乗せ、エレナの部屋へと舞い戻る。

「エレナー? 開けるよー?」
「……えぇ、いいわよ」

 ダメ元で言ったら返事が返ってきた。ということは起きているのか。
 こぼさないよう慎重に扉を開けると、エレナはベッドの上で身体を起こし、少し熱を帯びる視線を向けていた。

「起きて平気なの?」
「えぇ、寝たら多少楽になったわ。それっておかゆ?作ってくれたの?」
「レトルトだけどね。大丈夫?食べれそう?」
「もちろんよ。しばらく食べてなくて空腹だったし、ありがたくいただくわ」

 頑張って笑顔を見せてくれるもその頬は紅く、無理していることはすぐにわかった。
 しかしそんなことを指摘することもなく、ただ黙って棚にお盆を置いてから近くの椅子を引いて腰を降ろす。

「……ねぇ、こういう時はフーフーして食べさせてくれるんじゃ無いのかしら?」
「…………なんて?」
「フーフーよ。食べさせてくれないの?」

 耳を疑うような言葉に思わず聞き返したが間違いではないようだ。
 
 小さな指で示されるおかゆと、見つからなかったレンゲ代わりのティースプーン。視線は俺に向けるだけでその腕は動かされる気配がない。
 冗談だよね?いくら風邪といえども起き上がれるくらいにはなったわけだし、それは一人でも……。

「ダメ……なの?」
「…………」

 どうやら本気のようだ。

 ………風邪だもんな。仕方ない。
 さっきキッチン行く直前に耳にした言葉を思い出した俺は、黙ってベッドに近づいて要望通りおかゆを向ける。

「――――はい、エレナ」
「はむっ…………えぇ、美味しいわ。 ありがと」

 いつもは気を張り、少し芯の強いところのあるエレナがこうも素直に、しおらしいのは初めてだった。
 今の格好や状態を自覚しているのかは不明だが、ここまでギャップがあると調子が狂ってしまう。

「んっ……!」
「ん?」

 少し恥ずかしくなって目を逸していると、彼女が何か要求していることに気がついた。
 目を向けると顎を上げ、小さな口がほんの少しだけ開いている。

「んっ……もう一口……」
「…………了解」

 それはまるで親鳥に餌をねだる小鳥のようだった。
 ここまで来たら1度も2度も変わらない。半分ヤケになりながらもう一度お粥を掬って冷まし、彼女の口へと運んでいく。
 これで最後と、何度も何度も続けていくうちにいつしかお粥が空になるまで続いていった――――







 つ、疲れた……
 お粥を食べさせるのってこんなに疲れるものだっけ。
 昔紗也にやった時はこんなものじゃなかったはず。きっとティースプーンなんて小さなものでやったのがダメだったんだ。
 こっそりレンゲに変えようとしたら怒られるし、いざ一人で食べてと言わんとすると腕を掴まれて首を横に振るし……そりゃ疲れもするものだ。

「ありがと。おかゆ美味しかったわ」
「あぁ。エレナも、来たときに比べて元気も出てきたみたいだね」
「そうね……おかゆのお陰かしら。食べてからはかなり楽になったわ」

 さすがに食べた直後でそれは無いだろうとも思ったが、今まで燃えるようだった顔の火照りは少しだけ鳴りを潜め、表情も幾分かマシになっていて言葉を飲み込む。
 コップの側には空になった薬のシートが転がっていたし、俺が来る前のアイさんの看病効果が今になって出たのだと推測する。

「でもまだしんどそうだし、もう少し眠ってなよ」
「そうしたいところだけど、今まで沢山寝たからもう十分よ」

 わかる。
 風邪の日は寝ろってよく言われてたけど、いつかは目が冴えてしまうものね。
 けど寝るのがが楽で手っ取り早いのは間違いないんだけどな。

「じゃあ、せめて横になってたら?」
「…………いや」
「嫌って……」
「だって……そうしたら帰っちゃうじゃない……」

 そんな絞り出すようなか細い声に片付けようとしていた手を止めてしまう。

 そっか……そうだよな。
 紗也が風邪になった時だって俺が離れようとすると泣いていたじゃないか。
 彼女も同じとは限らないが、大なり小なり抱く思いは似通っているのだろう。

「大丈夫。エレナが寝ても俺は帰らないからさ」
「居て、くれるの?」
「まぁ、アイさんが戻るまでくらいなら……」
 
 俺は空になった器を片付けることすら諦め、膝を折って彼女と視線を合わせる。

『ママ……どこ……』

 再び思い出されるは先程の言葉。
 いくらうなされて寝ているときとはいえ、あんな寂しそうにされたら帰るに帰れない。
 アイさんらは日が落ちるまでには帰るって言ってたし、それくらいなら看病もしていよう。

「そっか……それじゃ、こっち」
「……?」
「こっち」

 彼女がそう言いながらゆっくりと手で叩くのは同じベッドのすぐとなりのスペース。
 しかも少し端まで寄ってこちらに座りやすくしてくれているというおまけ付き。

「いや、そこは、ねぇ……」

 さすがに姉らしき小学……先輩といえどもベッドを一緒にするのはハードルが高い。
 やんわりと諌める為の言葉を探して視線を右往左往していると、キュッと小指の先をつままれた。

「ダメ……?」
「~~~~!」

 その寂しそうな顔はダメだよ……
 その天然なのかわからない策略にハマった俺は、一つ息を吐いてからベッドの脇へと足を掛けた。
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