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第1章 サンドリヨンが王子様に捕まるまで
14.サンドリヨンは舞踏会から脱出します。
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詰んだ。
終わった。
足元から崩れそうな感じというか、目の前が揺れるような感じがする。
これは割と重症だ。
アシュリーの様子や内心には全く気づかないらしく、アシュリーの隣に立つ王子様は上機嫌でしっとりと優美に微笑んでいる。
一段高いところに座った国王陛下が、ぎゅっと目を瞑って眉間を揉みほぐすような動きを繰り返しているのが対照的だ。
「…クレイが決めた相手なら、私たちが何を言っても無駄なのだろうが…。 そうだね、一度身辺調査くらい」
国王陛下がさりげに諦めていることより何より、身辺調査、その言葉に、アシュリーは震え上がった。
息子の嫁となる――かもしれない――人物が、どのような人間なのかを調べるのは当然のことといえば当然のこと。 むしろ、国王陛下がそこを気にしてくれる常識人でよかった、とは思うが。
自分の身元が割れるのは、非常に具合が悪い!!
冷や汗だらだらでますます心臓が痛いアシュリーの耳に、ころころと楽しげな笑い声が届いた。
王妃様だ。
「あなたったら、野暮ですねぇ。 クレイが結婚する気になってくれたのなら、よかったではありませんか」
「あぁ、まぁ、そうなのだが」
若い恋人たちの邪魔をすると、馬に蹴られて死にますわよ、と言う王妃様に気圧されたのか、国王陛下は引き下がる。
どうしてそこでもう少し粘ってくれない!
やり場のない思いにアシュリーが震えていると、ふわりといい香りが近づいた。
「どうやら私たちは皆に祝福されているようだ。 私と結婚してくれるよね?」
どこをどう見たらそうなるのか、とアシュリーが呆然としている間に、こめかみに柔らかくて優しい感触が触れる。 と共に、また令嬢たちから悲鳴が上がったので、きっとこの王子様がキスでもしたのだろうと考えた。
このままでは、本当にまずい。
退路を断たれ、逃げ道を塞がれる!
よりにもよって、どうして男の自分が、王子様の嫁になどならなければいけない。
もう言葉としておかしいのはわかっているが、それ以上にどう表現していいのかわからない。
しかも、相手が王子様だなんて、平穏な生活など送りようがない!
ゾッとした瞬間に、ぎゅううとお腹が痛んで、これ幸いとアシュリーはお腹を押さえて声を上げた。
「あの、王子様!」
「クレイディオだよ」
こんなときまでバックに黒薔薇を背負って微笑み、呼び名にこだわる王子様に内心でげっそりしつつ、そのげっそりを体調不良に変えて見せることにした。
「クレイディオ様、申し訳ありません、私、急にお腹に激痛がっ…」
アシュリーが両手で腹部を押さえて若干前屈みになりながら訴えると、先程まで微笑んでいた王子様の表情が一変した。
「それはいけない。 医師を」
「あの、いえ、…お手洗いに行ったら、治ると思うので」
サッと顔色を変えた王子様に、ちょろすぎやしないかとアシュリーが心配になっていると、自分の身体が宙に浮くような心許ない感覚に陥る。
「! 王子、様」
その感覚は間違いではなかったようで、膝裏と背中から肩を腕で支えられているだけ…所謂、お姫様抱っこをされている状態だった。
「では、私が抱いていこう。 医師をここに呼ぶのは容易だけれど、手洗いをここに移動させるのは大がかりだからね」
王子様は見られることなど慣れているのか、向けられる視線など全く気にならないようで歩き出す。
アシュリーには令嬢たちの敵意に満ちた冷たい視線も痛いが、国王夫妻から向けられる生ぬるい視線も居たたまれない。
きっと、これを世の中では【公開処刑】と呼ぶのだろう。
今だけ、今だけの我慢だ。
暴れたら逆に目立つことになる。
顔をそっと伏せて、周囲にこれ以上アシュリーという人間の印象を残さないようにと息を潜める。
アシュリーがじっとしているのもあるだろうが、人一人を抱えて颯爽と移動できる王子様の体格や腕力が羨ましい。 アシュリーがアシュリー並みの体格の人間を抱えてこんな風に移動できるとは思えない。
例えばアシュリーも、王子様のような体型と魔力を持っていたら、何か変わっていただろうか。
ああ、本当に羨ましいことだ。
その思いは、王子様の衣装を握りしめる手に籠もっていたらしい。
ぴたりと足を止めた王子様が困りつつも嬉しそうなはにかんだ笑みを落とす。
「そんなふうに縋られると離したくなくなってしまうけれど…お腹が限界なのだものね。 行っておいで」
見れば、そこはアシュリーが現れたお手洗いだった。
下ろすよ、と小さく囁いて、静かに王子様はアシュリーを床に下ろしてくれる。
これで! やっと! 自由の身!
オリヴィエを呼んで屋敷おうちに帰って、ささっとオリヴィエにオリヴィエのかけてくれた魔法を解いてもらえば、この王子様とアシュリーの間に繋がりはなくなる。
そう考えると、少し気が楽になった。
舞踏会が楽しかったか楽しくなかったかと問われれば、ハラハラドキドキしたけれど、それなりに楽しんでいた気がする。
だから、アシュリーは微笑んだ。
「あの、楽しい時間を、ありがとうございました」
お礼を言ったアシュリーは不覚にも、肩の荷が下りたおかげで浮かれていたのだと思う。
自分が口にしたお礼が、即ち、別れも含んだものだということに、気づかなかったのである。
お礼をして満足なアシュリーが、お手洗いのドアノブに手をかけたとき、だった。
「雲英雪の妖精」
それが、王子様が自分を呼ぶ名、らしい、ということは理解したので、アシュリーは振り返る。
振り返って、ドキリ、とした。
真っ直ぐに見つめる、赤鉄鉱の瞳が、昏く、鈍く、底光りしているように感じられたからだ。
あ、やばい。
そう感じたのも直感。
王子様は、バックに黒薔薇も咲かせずに、微笑んでいた。
「必ず、私の元に戻ってくるのだよ」
その微笑み、その声音、その言葉――…全てに、アシュリーは震えが走った。
確かなのは、王子様の目が、全く笑っていなかったということ。
これは、早めに逃げるが勝ちだ!
「えっと…では、失礼しますっ!」
アシュリーがお手洗いに逃げ込むと同時に、十二時を告げる鐘の音が、鳴り響き始めた。
いくら王子様とて、女性用のお手洗いには入ってこれまい。
アシュリーは、電光石火の速さでお手洗いに逃げ込んで、最奥の個室まで突き進む。
個室に入って扉を閉めただけで、アシュリーは天井に向かって声を上げた。
「オリヴィエ助けてもう無理帰りたいですっ…!」
そして、アシュリーの願いは、鐘の音にかき消されつつも、オリヴィエに届いたのである。
終わった。
足元から崩れそうな感じというか、目の前が揺れるような感じがする。
これは割と重症だ。
アシュリーの様子や内心には全く気づかないらしく、アシュリーの隣に立つ王子様は上機嫌でしっとりと優美に微笑んでいる。
一段高いところに座った国王陛下が、ぎゅっと目を瞑って眉間を揉みほぐすような動きを繰り返しているのが対照的だ。
「…クレイが決めた相手なら、私たちが何を言っても無駄なのだろうが…。 そうだね、一度身辺調査くらい」
国王陛下がさりげに諦めていることより何より、身辺調査、その言葉に、アシュリーは震え上がった。
息子の嫁となる――かもしれない――人物が、どのような人間なのかを調べるのは当然のことといえば当然のこと。 むしろ、国王陛下がそこを気にしてくれる常識人でよかった、とは思うが。
自分の身元が割れるのは、非常に具合が悪い!!
冷や汗だらだらでますます心臓が痛いアシュリーの耳に、ころころと楽しげな笑い声が届いた。
王妃様だ。
「あなたったら、野暮ですねぇ。 クレイが結婚する気になってくれたのなら、よかったではありませんか」
「あぁ、まぁ、そうなのだが」
若い恋人たちの邪魔をすると、馬に蹴られて死にますわよ、と言う王妃様に気圧されたのか、国王陛下は引き下がる。
どうしてそこでもう少し粘ってくれない!
やり場のない思いにアシュリーが震えていると、ふわりといい香りが近づいた。
「どうやら私たちは皆に祝福されているようだ。 私と結婚してくれるよね?」
どこをどう見たらそうなるのか、とアシュリーが呆然としている間に、こめかみに柔らかくて優しい感触が触れる。 と共に、また令嬢たちから悲鳴が上がったので、きっとこの王子様がキスでもしたのだろうと考えた。
このままでは、本当にまずい。
退路を断たれ、逃げ道を塞がれる!
よりにもよって、どうして男の自分が、王子様の嫁になどならなければいけない。
もう言葉としておかしいのはわかっているが、それ以上にどう表現していいのかわからない。
しかも、相手が王子様だなんて、平穏な生活など送りようがない!
ゾッとした瞬間に、ぎゅううとお腹が痛んで、これ幸いとアシュリーはお腹を押さえて声を上げた。
「あの、王子様!」
「クレイディオだよ」
こんなときまでバックに黒薔薇を背負って微笑み、呼び名にこだわる王子様に内心でげっそりしつつ、そのげっそりを体調不良に変えて見せることにした。
「クレイディオ様、申し訳ありません、私、急にお腹に激痛がっ…」
アシュリーが両手で腹部を押さえて若干前屈みになりながら訴えると、先程まで微笑んでいた王子様の表情が一変した。
「それはいけない。 医師を」
「あの、いえ、…お手洗いに行ったら、治ると思うので」
サッと顔色を変えた王子様に、ちょろすぎやしないかとアシュリーが心配になっていると、自分の身体が宙に浮くような心許ない感覚に陥る。
「! 王子、様」
その感覚は間違いではなかったようで、膝裏と背中から肩を腕で支えられているだけ…所謂、お姫様抱っこをされている状態だった。
「では、私が抱いていこう。 医師をここに呼ぶのは容易だけれど、手洗いをここに移動させるのは大がかりだからね」
王子様は見られることなど慣れているのか、向けられる視線など全く気にならないようで歩き出す。
アシュリーには令嬢たちの敵意に満ちた冷たい視線も痛いが、国王夫妻から向けられる生ぬるい視線も居たたまれない。
きっと、これを世の中では【公開処刑】と呼ぶのだろう。
今だけ、今だけの我慢だ。
暴れたら逆に目立つことになる。
顔をそっと伏せて、周囲にこれ以上アシュリーという人間の印象を残さないようにと息を潜める。
アシュリーがじっとしているのもあるだろうが、人一人を抱えて颯爽と移動できる王子様の体格や腕力が羨ましい。 アシュリーがアシュリー並みの体格の人間を抱えてこんな風に移動できるとは思えない。
例えばアシュリーも、王子様のような体型と魔力を持っていたら、何か変わっていただろうか。
ああ、本当に羨ましいことだ。
その思いは、王子様の衣装を握りしめる手に籠もっていたらしい。
ぴたりと足を止めた王子様が困りつつも嬉しそうなはにかんだ笑みを落とす。
「そんなふうに縋られると離したくなくなってしまうけれど…お腹が限界なのだものね。 行っておいで」
見れば、そこはアシュリーが現れたお手洗いだった。
下ろすよ、と小さく囁いて、静かに王子様はアシュリーを床に下ろしてくれる。
これで! やっと! 自由の身!
オリヴィエを呼んで屋敷おうちに帰って、ささっとオリヴィエにオリヴィエのかけてくれた魔法を解いてもらえば、この王子様とアシュリーの間に繋がりはなくなる。
そう考えると、少し気が楽になった。
舞踏会が楽しかったか楽しくなかったかと問われれば、ハラハラドキドキしたけれど、それなりに楽しんでいた気がする。
だから、アシュリーは微笑んだ。
「あの、楽しい時間を、ありがとうございました」
お礼を言ったアシュリーは不覚にも、肩の荷が下りたおかげで浮かれていたのだと思う。
自分が口にしたお礼が、即ち、別れも含んだものだということに、気づかなかったのである。
お礼をして満足なアシュリーが、お手洗いのドアノブに手をかけたとき、だった。
「雲英雪の妖精」
それが、王子様が自分を呼ぶ名、らしい、ということは理解したので、アシュリーは振り返る。
振り返って、ドキリ、とした。
真っ直ぐに見つめる、赤鉄鉱の瞳が、昏く、鈍く、底光りしているように感じられたからだ。
あ、やばい。
そう感じたのも直感。
王子様は、バックに黒薔薇も咲かせずに、微笑んでいた。
「必ず、私の元に戻ってくるのだよ」
その微笑み、その声音、その言葉――…全てに、アシュリーは震えが走った。
確かなのは、王子様の目が、全く笑っていなかったということ。
これは、早めに逃げるが勝ちだ!
「えっと…では、失礼しますっ!」
アシュリーがお手洗いに逃げ込むと同時に、十二時を告げる鐘の音が、鳴り響き始めた。
いくら王子様とて、女性用のお手洗いには入ってこれまい。
アシュリーは、電光石火の速さでお手洗いに逃げ込んで、最奥の個室まで突き進む。
個室に入って扉を閉めただけで、アシュリーは天井に向かって声を上げた。
「オリヴィエ助けてもう無理帰りたいですっ…!」
そして、アシュリーの願いは、鐘の音にかき消されつつも、オリヴィエに届いたのである。
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