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after the rain

fifth color

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天音アマネ、出かけようか」

 この週末は、初めて凌士リョウジさんが天音のアパートに泊まりに来てくれた。 天音のベッドはシングルで、狭いと言えば狭いのだが、やはりその辺は凌士さんの技術力だったのだと思う。 あとは、凌士さんが一回でおしまいにしてくれたからかな、と考えて、天音は恥ずかしくなった。


 凌士さんは、がつがつしない、というか、大人の余裕たっぷりに天音を愛してくれる。
 だから、していて痛いと思ったことはないし、一晩で何回もしたとしても、やはり翌日身体が痛いとかなったことはない。
 疲れた、とか、少し気だるい、とかはあるけれど、それもまた幸せな疲れとだるさだと思う。


 話は逸れたが、昨夜も優しくて気持ちのいいえっちをしてもらって、いちゃいちゃしながら眠りに落ちた天音は、すっきりと目が覚めてとても元気だった。
 ぱっと凌士さんを見る。
「あ、スーパー行きたかったんです。 今日、卵が特売日で」
 一人一パックしか買えないのだけれど、凌士さんが一緒なら、二パック買える!
 そう、天音は表情を輝かせたのだが、凌士さんは申し訳なさそうな顔をした。
「あー…、うん、じゃあ、卵の特売は諦めて」
「え?」
 天音が目を瞬かせると、凌士さんは微笑む。


「デート、しよう」


 デート、と言われて、天音はぽっと赤くなった。
 お家デートに不満はないけれど、そういえば凌士さんとデートらしいデートをしたことはないかもしれない。 職場の誰かに見られて、何か言われたらどう説明しよう、とまず最初に考えてしまうからかもしれないけれど、お外でデートがしたくないわけではないのだ。


「どこか、行きたいところはある?」
 そう問われて、天音は考える。


 天音の苦手な梅雨の時期が終わり、夏真っ只中の一歩手前。
 暑いのも実はそんなに得意でないし、どちらかといえばアクティブな方ではなく、お家が大好きな天音としては悩むところだ。


「…ジェラート、食べたいです」
 苦し紛れに天音がそれだけ言うと、凌士さんは微笑む。
「天音、暑いのも苦手だよね。 昨夜、お風呂上がりに、アイス食べてる天音、すごく幸せそうだった」
 そんなに顔に出ていただろうか、と天音が顔を赤くしていると、凌士さんはスマホを取り出して、なにやら検索を始めたようだ。
 そして、ちらと天音を見た。


「…少し遠くなるけど、いいかな?」



 ・・・・・・・



「はあぁ~…美味しかったぁ…」
 天音がまだまだ夢見心地でいると、凌士さんが運転席で前を見つめながら、笑った。
「本当に好きなんだね。 女性の別腹を甘く見てたな」
「だって、あんなに色々種類があって…、折角遠くまで連れてきてもらったし、食べなきゃ損って思いますよ! とっても美味しかったですし、ありがとうございます」
 天音が恥ずかしくて言い訳をしながらもお礼を言うと、凌士さんの横顔が柔らかくなる。


「そんなに気に入ったなら、来年も行こうか」
 さらり、と凌士さんが言ってくれるので、天音は軽く目を見張った。
 それは、婚約者なのだから、当たり前のことなのかもしれないけれど。


 凌士さんは、先の話を当然のように語る。
 その未来を、信じて疑わない、その姿勢に、どれだけ天音が救われているか、凌士さんは知らないのだろう。


 だから、天音は噛みしめるようにして言葉を紡いだ。
「ありがとうございます」
「うん」
 ふと視線を落とせば膝の上に置いた紙バックに目が行って、天音は改めて凌士さんを見る。
「お土産も買ってもらって、ありがとうございます」
「うん」
 凌士さんが、ジェラートが溶けないスプーンと、トッピング類を買ってくれたのだ。 もちろん、ジェラート屋さんのお代も、高速代も凌士さん持ちだ。


 凌士さんは、どうやら趣味らしい趣味はないらしい。 つまりは、趣味にお金をかけないひとなのだ。
 いいものを身につけているし、持っていて、営業という仕事柄、身なりには気を遣っていてお洒落だが、それ以上に何かにお金を使うというわけでもない。
 その分、なのだろうか。 少々、天音への甘やかしが過ぎるような気がする。


 そうして、凌士さんの車が都内に入ったので、天音はハッとする。 時計を確認すれば、まだ、十七時を少し回ったところだ。
 天音はキリッと表情を引き締めて、凌士さんに訴えた。
「まだ、特売に間に合います」


 夕食は、この前凌士さんが絶賛してくれた茶碗蒸しでも添えて、お魚の煮付けにでもしようか、と考えていたのだが、凌士さんは言った。
「うん、でも、今日は久々に外食にしない?」
「…じゃあ、そうします」
 天音は、卵への未練を断ち切って、そう応じた。


 凌士さんが、こう誘ってくるときには、大抵天音を連れていきたいお店があるときだと、天音は学んだ。
 まだ、付き合って二ヶ月には至らないのだが、凌士さんは自分で料理もするし、ほとんど外食をしないことも知っている。
 凌士さんが勧める店は、凌士さんの好きな味のお店だ、とも思っているので、こう言われたときには、天音は断らないようにしている。
 凌士さんは、天音の作ったものは何でも「美味しい」と言って食べてくれるが、お母様が料理上手で凌士さんも料理上手。 ということはきっと、舌も肥えているはずなのだ。


 少しでも凌士さんの理想の味に近づけるようにと、天音は学習の機会は逃さないようにしている。
 こういう考えに至る自分に気づくと同時に、天音は、自分が凌士さんのことをとても好きで、とても大事に想っていることも、再確認するのである。


 そうして、連れて来られたのは、天音でも名前を知っている高級ホテルに入っているレストランだった。
 フレンチっぽいコース料理だったのだが、とても美味しかった。


 凌士さんは、煙草を吸わない。 そして、食事と一緒にお酒を飲むことはほとんどしない。
 天音を気遣っているのかと思っていたのだが、凌士さんが言うには「水が一番、料理の味がわかるからね」とのことだった。 その辺のところも、天音は素敵だな、と思う。
 美味しくて、デザートまで完食してしまった天音は、紅茶で一息をついて、我に返る。


「口に合わなかったかな?」
 その、天音の微妙な反応を見逃さなかったらしく、凌士さんが訊いてくるから、天音は慌てて手を振った。
「いえ、とっても美味しかったです!…ただ…、わたし、今日だけで数日分のカロリーを摂取してしまった気がして…」
 軽く青ざめる天音に、凌士さんは目を丸くした後で、ふっと笑った。
「そうだね。 ジェラート、全種類制覇していたからね」
 楽しそうに笑う凌士さんに、天音は愕然とする。
「凌士さんはわたしを太らせるつもりだったんですか?」


 もともと、天音はスレンダーとは言い難いのだ。
 これ以上むっちりしたら困る、と天音は震え上がったのだが、凌士さんは緩く微笑んだ。
「…そうだね、太らせて食べるつもりかも」
 素敵な微笑みでなんてことを言うのだろう、と天音が言葉をなくしていると、どこから取り出したのか、すっとテーブルにカードが置かれた。


 カード、と思ったものを凝視した天音は、それがこのホテルのカードキーだということに気づく。
 頬を染めつつ、凌士さんに視線を戻せば、凌士さんは微笑んでいた。


「…折角明日も休みだから、泊まっていこうと思うんだけど、どうかな?」
 どうかな? と凌士さんは言うけれど。 そんなの、泊まって行くに決まっている。



 ・・・・・・・



 びっくりすることに、凌士さんの取っていたホテルの部屋はすいーとだった。
 正確には、すいーとだと、天音は思った。
 なぜ、『思った』と天音が表現したかと言えば、凌士さんが「君のためにスイートを取ったんだよ」的にひけらかすようなひとではなかったからだ。


 天音が、震えながら「あの、凌士さん、ここって、まさかすいーと…?」と尋ねても、凌士さんは微笑んで「ダブルベッドのある部屋を選んだだけだからよくわからない」と答えただけだったのだ。


 けれど、こんな、部屋が何部屋もある部屋――日本語としておかしいのはわかっているが、そうとしか言えない――、天音は泊まったことなどない。 ベッドだって、海外の映画に出てくるようなベッドだ。 そんなベッドの上で、凌士さんに愛された、なんて。


 自分のアパートに戻って、昨夜から今朝にかけてを思い出していた天音はふしゅうう…と頭から音が出ているような気分になった。 ふるふると首を振って、昨日凌士さんに買ってもらった、お土産を開けていたのだが、ひとつ、全く覚えのない可愛くラッピングされた袋が交ざっていることに気づく。
 不思議に思いながら、袋を開けて中を見ると、鍵とカードのようなものが、入っていた。


 まさか、と思いながら、天音は震えそうになる手でそのカードを取り出した。
 そこには、凌士さんの文字が綴られていた。


――天音へ。 来週の金曜の夕飯は、冷やし中華がいいな。 美味しいジェラートを買って帰るから、作って待っていてくれると嬉しい。 凌士


 胸の内から震えが広がって、天音は両手で顔を覆って声を上げた。
「も、もぅ~…」


 まだ、袋から鍵を取り出すことはできない。
 ただ、声を上げなければ、この気持ちをどうにかできないような気がした。 吐き出したところで、少し落ち着いて、天音はようやく震える手で鍵を取り出すことができた。


 見覚えのある、特殊な形状の鍵。 これは、凌士さんのお家の鍵だ。
 本当に、凌士さんは、何から何まで素敵で、困る。

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