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紅薔薇の棘
ED.棘のない薔薇はない
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「麗しのアンネローゼ…」
一歳の誕生日を迎えて少し経った娘を抱きかかえていると、後ろから別の腕に抱きしめられてアンネローゼは固まった。
この空間には今、アンネローゼと娘とハンナしかいないからいいものを、もう少し慎重になってほしいものである。 アンネローゼは振り返りながら、ロワイエールに訴えた。
「人に見られては大変ですよ?」
アンネローゼは【睨む】を意識したのだが、どうやらロワイエールには伝わらなかったらしい。 微笑んだロワイエールは、アンネローゼの唇に優しくキスをする。
アンネローゼは赤くなったのだが、そのアンネローゼの腕に抱かれた娘は、ロワイエールに向かって手を伸ばす。
「よ、よ」
「姫もですか? 仕方ないですね」
そう微笑んで、ロワイエールは娘の唇の端にも口づける。
娘が呼ぶ、【よ】は【卿】――つまり、ロワイエールのことだ。
娘は、ロワイエールがお気に入りなのである。
アンネローゼはじっとロワイエールの顔を見て、内心で盛大に溜息をつく。
今も甘いマスクに柔らかな雰囲気と表情で麗しいのは麗しいが、あの可愛くて、清冽にして静謐だったロワきゅんはいったいどこに行ってしまったのだろう。
帰ってきて、わたくしのロワきゅん!!
この話を陛下にしたら、呆れ顔でどうでもよさそうにそっぽを向いた陛下に、「そんなものどこにもいなかったのでは?」と言われたが、いた! 絶対いた!!
清冽にして静謐で汚れなくて、一線を画したどこかの次元に存在するような可愛さと綺麗さと美しさ。
少年から青年への過渡期のなかにある、不安定で発展途上の危うげな魅力は、ロワきゅんが成長期を終えたことでどこかに行ってしまったのである。
身長だって、ヒールを履いたアンネローゼより頭半分くらい高くなってしまったし、体つきだって男らしくなってしまって、男でしかない。
今のロワイエールのことは、ロワきゅんとは呼べない。
だって、可愛くないのだから。
崇め奉り、祈りを捧げたいとも思わない。
ロワイエールはアンネローゼにとって、生身の男でしかなくなってしまったのだ。
悲しいことに、アンネローゼの可愛い可愛いロワきゅんは、今や可愛くもなんともないただの男前に成り下がってしまった。 いや、成長したのだから、男前に成り上がったのほうがいいのだろうか。 それとも、なりやがった?
なんだかもう、色々とおかしいのはわかっているが、可愛いが最も尊いのだ。 これだけは譲れない。
そんな風に、アンネローゼが昔の最推しロワきゅんに思いを馳せていると、こんこんと扉を叩く音がして、間髪入れずに扉が開いた。
扉が開く寸前に、アンネローゼから距離を置くロワイエールも、流石としか言いようがない。
「母上!」
「エド!」
アンネローゼは、そう、歓喜の声を上げる。
父親譲りのスチールブルーの柔らかな髪。 漆黒の瞳。
可愛くて可愛いのだが、可愛いだけではなく理知的な顔つきをしている自身の息子――エドゥアールが現在のアンネローゼの最推しだ。
アンネローゼの最推しだったロワきゅんをぎゅぎゅっと小型にしてもっともっと愛らしくしたらエドゥアールになるとアンネローゼは思っている。
だが、閣下やオズワルドお姉様のお話だと、エドゥアールは幼い頃の陛下そっくりだというから驚きだ。
幼い頃は可愛く、成長するにつれてただの男前になっていく家系らしい。 残念過ぎる。
因みに、娘のフレンティーナは、アンネローゼと同じ目の色と髪の色でアンネローゼに似ているが、アンネローゼよりも淑やかな顔立ちだと陛下などは言う。 本当に、図太い男である。
その、図太い男はエドゥアールと一緒に室内に入ってきて、少し距離を置いて子どもたちを見ている。
アンネローゼがフレンティーナを抱いたままソファに腰かけると、エドゥアールはアンネローゼではなく、ロワイエールに近づいて行く。
そうすれば、ロワイエールは、すっと膝を折った。
こういう瞬間に、アンネローゼの胸の奥が鈍く痛む。
選択を誤ったのかもしれないと後悔するのも、こういうときだ。
「ロワおじさま、今日も母上とフレンティーナをお守りくださってありがとうございます!」
「いえ、殿下。 僕は殿下と、姫様、王妃様の騎士なのですから、当然のことです」
だが、ロワイエールは、いつも嬉しそうに微笑んでいるのだ。
そのロワイエールに、アンネローゼは救われている。
ロワイエールは、アンネローゼと陛下の婚儀と時を同じくして、王位継承権を放棄し、陛下の臣門に下った。 それを知って、当然ロワイエールのご両親は激怒。
ロワイエールは侯爵家と縁を切られたが、恐らくそれも陛下の想定の範囲内だったのだろう。
ロワイエールは忠臣として騎士位を与えられた。
そして、彼はずっと、陛下ではなく、アンネローゼ母子の騎士として、傍にいてくれている。
いつだったか、ロワイエールは言ったのだ。
自分は、王でなくてよかった、と。
王が一番に考えるのは、国であり、国民であり、妻や子どもたちではないのだと。
例えば王は、国民と、自身の家族を天秤にかけたとき、国民を選ばなければならない。
だから、自分は騎士でよかったのだと笑った。
例えばもし、陛下がアンネローゼと子どもたちを切り捨てなければならなくなったとき、アンネローゼと子どもたちを守って逃げるために、騎士だったのだろうと。
そうさせるためにも、きっと陛下は、自分にアンネローゼを任せたのだろう、と。
だから、ロワイエールはきっと、今のロワイエールに、この不可思議な家族の状態に、満足しているのだ。 少々、陛下に夢と幻想を抱きすぎている気もするが、アンネローゼも思うのだ。
歪だけれど、その歪さゆえに安定している関係というのも、あるのかもしれない。
アンネローゼがソファに座り、フレンティーナをソファに下すと、エドゥアールはソファに寄ってきてじっとフレンティーナを見つめる。
「にーに」
フレンティーナが手を伸ばしてエドゥアールのことを呼ぶと、エドゥアールはフレンティーナにめろめろの顔になる。
「ぼくのティーナは世界一かわいい…」
それを聞けば、ふっとロワイエールが優しく笑い、陛下が声を上げて笑った。
アンネローゼは何が可笑しかったのかわからずに、ロワイエールと陛下を交互に見る。
家具と同化するのが得意なハンナを見ても、まともな応答が返ってこないのはわかっているから、見ない。 きっと、皆、ここにハンナがいることは忘れているはずだ。
「何か可笑しかったですか?」
「いえ、妹姫が可愛くて可愛くて仕方がないのは、貴女の血だな、と」
笑った理由はわかったが、どうしてそれで笑われるのかはわからない。
妹姫が可愛くて何が悪いというのだろう。 微笑ましいではないか。
アンネローゼが納得できずにいると、また、エドゥアールの可愛い声が聞こえた。
「ティーナは母上に似てかわいいね」
エドゥアールはにこにこしながら、フレンティーナの頭を撫でたり、頬擦りしたりしている。
だが、その言葉は、アンネローゼには同意できないものだった。
そして、同意できない人物はもう一人いた。
「あれは、ロワの血だよね…。 私は、アンネのことは美人だとは思っても可愛いとは思わないからなぁ…」
陛下が壁にもたれて呆れた声を出している。
アンネローゼも自分は美人だと思うが、可愛いとは思わないので、そこは構わない。
だが、「ロワの血」と口にするのは、よろしくない。 と思ったのだが、フレンティーナはまだ幼いし、エドゥアールはエドゥアールでフレンティーナに夢中なので特に気にならなかったようだ。
アンネローゼがほっと胸を撫で下ろしていると、いつの間にか陛下が、アンネローゼの目の前に腰かけていた。
「ねぇ、アンネ。知っている? フレンティアにはね、【棘のない薔薇はない】という諺があるのだよ」
初めて耳にする言葉に、アンネローゼは目を瞬かせる。
フレンティアに嫁いで、七年弱。
日々勉強を怠ってはいないが、それでもまだ、慣用句や専門用語はわからないものが多い。
「申し訳ございません。 諺は、あまり得意ではありません」
「完璧な人間などいない。 苦あれば楽あり。 そんな意味なのだけれど…」
陛下は胡散臭くない微笑みを浮かべて、アンネローゼに諺の意味を教えてくれる。
だが、逆説の「けれど」で、陛下の言葉が途切れるから、アンネローゼは訝しい気持ちで陛下を見た。
因みに、エドゥアールはフレンティーナに「かわいい」を連発し、フレンティーナの虜になっているので、大人の会話にはそれほど注意を払っていないと思われる。
そんなエドゥアールこそが、可愛くて尊い。
「私は、薔薇の棘は、相手の弱点や、欠点を意味するものだと思っている。 だから、【棘のない薔薇はない】という言葉は、棘のない薔薇はないのだから、その棘を含めて薔薇という存在を認めなさい、と…相手の弱点や欠点も含めて、相手を認めて受け入れられることだと、思うんだ」
すらすらと、紡がれる言葉。
なのに、流れていかない。
アンネローゼの中にとどまって、広がり、意味を持つ。
じっと見つめて聞き入っていれば、陛下は穏やかに、穏やかに微笑んだ。
「私はね、私の棘を、認めてくれる人間が、こんなにいるとは思わなかった。 そういう相手が身近にいて、尚且つその相手と添い遂げられることは、これ以上ない幸いだと思う」
アンネローゼも、ロワイエールも、陛下の秘密の恋を、秘密の恋人を知っている。
陛下の元第二妃で、オズワルドお姉様の姪である、アイシェリア様もだ。
きっと、アンネローゼが嫁いだ当初、陛下は自分の恋が実るとは、思っていらっしゃらなかったのだろう。 陛下の言葉はアンネローゼの胸に、静かに、けれどしっかりと響いた。
だが、続いた陛下の言葉に、アンネローゼは顔を思い切り強張らせることとなる。
「君の棘も、認めて受け入れてくれる存在がいてくれてよかったね。 私は、一歩下がって他人事として見ているくらいが愉快でいいのだけれど、蓼食う虫も好き好きとは、よく言ったものだよね」
少し感動していたというのに、それを台無しにする発言をできるのもこの陛下だ。
だが、アンネローゼは陛下の言動には憤慨するよりも呆れ諦める方が多いし、自分たちはこのくらいの距離感だからこそ上手くいっているのだと思っている。
そして、蓼食う虫も好き好き――これは、アンネローゼが比較的早い段階で覚えた諺だ。 なぜなら、陛下がロワイエールのことを評すのによく使った言葉だから――と言われたロワイエールは、アンネローゼの背後に立っていて、そっと身を屈める。
そして、アンネローゼの耳元で囁いた。
「僕は、貴女の棘に口づけだって贈れます。 紅薔薇姫」
誰かに、自分の弱みを見せるのも、欠点を明かすのも、恥ずかしくて怖いことだと思っていた。
弱みや欠点を見せることで、嫌われることを恐れたのだ。
けれど、アンネローゼの弱みも、欠点も、丸ごと認めて受け入れてくれたロワイエールがいた。
飾らない、素のアンネローゼを、認めて受け容れてくれる人。
その人と、添い遂げられること。
それは確かに、これ以上ない、幸いだ。
一歳の誕生日を迎えて少し経った娘を抱きかかえていると、後ろから別の腕に抱きしめられてアンネローゼは固まった。
この空間には今、アンネローゼと娘とハンナしかいないからいいものを、もう少し慎重になってほしいものである。 アンネローゼは振り返りながら、ロワイエールに訴えた。
「人に見られては大変ですよ?」
アンネローゼは【睨む】を意識したのだが、どうやらロワイエールには伝わらなかったらしい。 微笑んだロワイエールは、アンネローゼの唇に優しくキスをする。
アンネローゼは赤くなったのだが、そのアンネローゼの腕に抱かれた娘は、ロワイエールに向かって手を伸ばす。
「よ、よ」
「姫もですか? 仕方ないですね」
そう微笑んで、ロワイエールは娘の唇の端にも口づける。
娘が呼ぶ、【よ】は【卿】――つまり、ロワイエールのことだ。
娘は、ロワイエールがお気に入りなのである。
アンネローゼはじっとロワイエールの顔を見て、内心で盛大に溜息をつく。
今も甘いマスクに柔らかな雰囲気と表情で麗しいのは麗しいが、あの可愛くて、清冽にして静謐だったロワきゅんはいったいどこに行ってしまったのだろう。
帰ってきて、わたくしのロワきゅん!!
この話を陛下にしたら、呆れ顔でどうでもよさそうにそっぽを向いた陛下に、「そんなものどこにもいなかったのでは?」と言われたが、いた! 絶対いた!!
清冽にして静謐で汚れなくて、一線を画したどこかの次元に存在するような可愛さと綺麗さと美しさ。
少年から青年への過渡期のなかにある、不安定で発展途上の危うげな魅力は、ロワきゅんが成長期を終えたことでどこかに行ってしまったのである。
身長だって、ヒールを履いたアンネローゼより頭半分くらい高くなってしまったし、体つきだって男らしくなってしまって、男でしかない。
今のロワイエールのことは、ロワきゅんとは呼べない。
だって、可愛くないのだから。
崇め奉り、祈りを捧げたいとも思わない。
ロワイエールはアンネローゼにとって、生身の男でしかなくなってしまったのだ。
悲しいことに、アンネローゼの可愛い可愛いロワきゅんは、今や可愛くもなんともないただの男前に成り下がってしまった。 いや、成長したのだから、男前に成り上がったのほうがいいのだろうか。 それとも、なりやがった?
なんだかもう、色々とおかしいのはわかっているが、可愛いが最も尊いのだ。 これだけは譲れない。
そんな風に、アンネローゼが昔の最推しロワきゅんに思いを馳せていると、こんこんと扉を叩く音がして、間髪入れずに扉が開いた。
扉が開く寸前に、アンネローゼから距離を置くロワイエールも、流石としか言いようがない。
「母上!」
「エド!」
アンネローゼは、そう、歓喜の声を上げる。
父親譲りのスチールブルーの柔らかな髪。 漆黒の瞳。
可愛くて可愛いのだが、可愛いだけではなく理知的な顔つきをしている自身の息子――エドゥアールが現在のアンネローゼの最推しだ。
アンネローゼの最推しだったロワきゅんをぎゅぎゅっと小型にしてもっともっと愛らしくしたらエドゥアールになるとアンネローゼは思っている。
だが、閣下やオズワルドお姉様のお話だと、エドゥアールは幼い頃の陛下そっくりだというから驚きだ。
幼い頃は可愛く、成長するにつれてただの男前になっていく家系らしい。 残念過ぎる。
因みに、娘のフレンティーナは、アンネローゼと同じ目の色と髪の色でアンネローゼに似ているが、アンネローゼよりも淑やかな顔立ちだと陛下などは言う。 本当に、図太い男である。
その、図太い男はエドゥアールと一緒に室内に入ってきて、少し距離を置いて子どもたちを見ている。
アンネローゼがフレンティーナを抱いたままソファに腰かけると、エドゥアールはアンネローゼではなく、ロワイエールに近づいて行く。
そうすれば、ロワイエールは、すっと膝を折った。
こういう瞬間に、アンネローゼの胸の奥が鈍く痛む。
選択を誤ったのかもしれないと後悔するのも、こういうときだ。
「ロワおじさま、今日も母上とフレンティーナをお守りくださってありがとうございます!」
「いえ、殿下。 僕は殿下と、姫様、王妃様の騎士なのですから、当然のことです」
だが、ロワイエールは、いつも嬉しそうに微笑んでいるのだ。
そのロワイエールに、アンネローゼは救われている。
ロワイエールは、アンネローゼと陛下の婚儀と時を同じくして、王位継承権を放棄し、陛下の臣門に下った。 それを知って、当然ロワイエールのご両親は激怒。
ロワイエールは侯爵家と縁を切られたが、恐らくそれも陛下の想定の範囲内だったのだろう。
ロワイエールは忠臣として騎士位を与えられた。
そして、彼はずっと、陛下ではなく、アンネローゼ母子の騎士として、傍にいてくれている。
いつだったか、ロワイエールは言ったのだ。
自分は、王でなくてよかった、と。
王が一番に考えるのは、国であり、国民であり、妻や子どもたちではないのだと。
例えば王は、国民と、自身の家族を天秤にかけたとき、国民を選ばなければならない。
だから、自分は騎士でよかったのだと笑った。
例えばもし、陛下がアンネローゼと子どもたちを切り捨てなければならなくなったとき、アンネローゼと子どもたちを守って逃げるために、騎士だったのだろうと。
そうさせるためにも、きっと陛下は、自分にアンネローゼを任せたのだろう、と。
だから、ロワイエールはきっと、今のロワイエールに、この不可思議な家族の状態に、満足しているのだ。 少々、陛下に夢と幻想を抱きすぎている気もするが、アンネローゼも思うのだ。
歪だけれど、その歪さゆえに安定している関係というのも、あるのかもしれない。
アンネローゼがソファに座り、フレンティーナをソファに下すと、エドゥアールはソファに寄ってきてじっとフレンティーナを見つめる。
「にーに」
フレンティーナが手を伸ばしてエドゥアールのことを呼ぶと、エドゥアールはフレンティーナにめろめろの顔になる。
「ぼくのティーナは世界一かわいい…」
それを聞けば、ふっとロワイエールが優しく笑い、陛下が声を上げて笑った。
アンネローゼは何が可笑しかったのかわからずに、ロワイエールと陛下を交互に見る。
家具と同化するのが得意なハンナを見ても、まともな応答が返ってこないのはわかっているから、見ない。 きっと、皆、ここにハンナがいることは忘れているはずだ。
「何か可笑しかったですか?」
「いえ、妹姫が可愛くて可愛くて仕方がないのは、貴女の血だな、と」
笑った理由はわかったが、どうしてそれで笑われるのかはわからない。
妹姫が可愛くて何が悪いというのだろう。 微笑ましいではないか。
アンネローゼが納得できずにいると、また、エドゥアールの可愛い声が聞こえた。
「ティーナは母上に似てかわいいね」
エドゥアールはにこにこしながら、フレンティーナの頭を撫でたり、頬擦りしたりしている。
だが、その言葉は、アンネローゼには同意できないものだった。
そして、同意できない人物はもう一人いた。
「あれは、ロワの血だよね…。 私は、アンネのことは美人だとは思っても可愛いとは思わないからなぁ…」
陛下が壁にもたれて呆れた声を出している。
アンネローゼも自分は美人だと思うが、可愛いとは思わないので、そこは構わない。
だが、「ロワの血」と口にするのは、よろしくない。 と思ったのだが、フレンティーナはまだ幼いし、エドゥアールはエドゥアールでフレンティーナに夢中なので特に気にならなかったようだ。
アンネローゼがほっと胸を撫で下ろしていると、いつの間にか陛下が、アンネローゼの目の前に腰かけていた。
「ねぇ、アンネ。知っている? フレンティアにはね、【棘のない薔薇はない】という諺があるのだよ」
初めて耳にする言葉に、アンネローゼは目を瞬かせる。
フレンティアに嫁いで、七年弱。
日々勉強を怠ってはいないが、それでもまだ、慣用句や専門用語はわからないものが多い。
「申し訳ございません。 諺は、あまり得意ではありません」
「完璧な人間などいない。 苦あれば楽あり。 そんな意味なのだけれど…」
陛下は胡散臭くない微笑みを浮かべて、アンネローゼに諺の意味を教えてくれる。
だが、逆説の「けれど」で、陛下の言葉が途切れるから、アンネローゼは訝しい気持ちで陛下を見た。
因みに、エドゥアールはフレンティーナに「かわいい」を連発し、フレンティーナの虜になっているので、大人の会話にはそれほど注意を払っていないと思われる。
そんなエドゥアールこそが、可愛くて尊い。
「私は、薔薇の棘は、相手の弱点や、欠点を意味するものだと思っている。 だから、【棘のない薔薇はない】という言葉は、棘のない薔薇はないのだから、その棘を含めて薔薇という存在を認めなさい、と…相手の弱点や欠点も含めて、相手を認めて受け入れられることだと、思うんだ」
すらすらと、紡がれる言葉。
なのに、流れていかない。
アンネローゼの中にとどまって、広がり、意味を持つ。
じっと見つめて聞き入っていれば、陛下は穏やかに、穏やかに微笑んだ。
「私はね、私の棘を、認めてくれる人間が、こんなにいるとは思わなかった。 そういう相手が身近にいて、尚且つその相手と添い遂げられることは、これ以上ない幸いだと思う」
アンネローゼも、ロワイエールも、陛下の秘密の恋を、秘密の恋人を知っている。
陛下の元第二妃で、オズワルドお姉様の姪である、アイシェリア様もだ。
きっと、アンネローゼが嫁いだ当初、陛下は自分の恋が実るとは、思っていらっしゃらなかったのだろう。 陛下の言葉はアンネローゼの胸に、静かに、けれどしっかりと響いた。
だが、続いた陛下の言葉に、アンネローゼは顔を思い切り強張らせることとなる。
「君の棘も、認めて受け入れてくれる存在がいてくれてよかったね。 私は、一歩下がって他人事として見ているくらいが愉快でいいのだけれど、蓼食う虫も好き好きとは、よく言ったものだよね」
少し感動していたというのに、それを台無しにする発言をできるのもこの陛下だ。
だが、アンネローゼは陛下の言動には憤慨するよりも呆れ諦める方が多いし、自分たちはこのくらいの距離感だからこそ上手くいっているのだと思っている。
そして、蓼食う虫も好き好き――これは、アンネローゼが比較的早い段階で覚えた諺だ。 なぜなら、陛下がロワイエールのことを評すのによく使った言葉だから――と言われたロワイエールは、アンネローゼの背後に立っていて、そっと身を屈める。
そして、アンネローゼの耳元で囁いた。
「僕は、貴女の棘に口づけだって贈れます。 紅薔薇姫」
誰かに、自分の弱みを見せるのも、欠点を明かすのも、恥ずかしくて怖いことだと思っていた。
弱みや欠点を見せることで、嫌われることを恐れたのだ。
けれど、アンネローゼの弱みも、欠点も、丸ごと認めて受け入れてくれたロワイエールがいた。
飾らない、素のアンネローゼを、認めて受け容れてくれる人。
その人と、添い遂げられること。
それは確かに、これ以上ない、幸いだ。
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