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紅薔薇の棘
十二輪
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フレンティア国王がにこにこと、あの胡散臭い笑みを浮かべた時点で、いい予感はしなかったものの、一体この男は何を言っているのだろう。
「何を仰っているのです?」
思うとほぼ同時に、その問いは口をついて出ていた。
それは、アンネローゼとて、フレンティアに嫁いだからにはフレンティアに骨を埋める覚悟はできている。 だが、それとフレンティア国王と共犯になるかどうかは、全く別の話だ。
「もう、何度も言っているかとは思うけれど、気の強そうな美人は、好みじゃないんだ。 申し訳ないのだけれど、適役を用意したから、彼に初夜の相手をしてもらってくれる?」
我が耳を疑った。
もしかすると、アンネローゼのフレンティア語の理解が間違えているのかもしれない。
そうだといいと思うし、そうではなければおかしいとも思う。
目の前で胡散臭い笑みを浮かべているのは、つい数時間前に神の御前で結婚の誓いを立てたアンネローゼの夫だ。 その、アンネローゼの夫は、一体何を言っているのだろう。
それとも、疲れたからこのまま初夜などすっ飛ばして眠ってしまいたい、とアンネローゼが考えた罰でも当たったというのだろうか。
「…貴方は、鬼畜生ですの?」
混乱のあまり、自分の口から飛び出た言葉が耳に届いて、アンネローゼは驚く。
政略結婚とはいえど、アンネローゼは覚悟をしてきたのだ。
それは、フレンティア国王の妻となり、フレンティアの王妃となる覚悟であって、夫でもない男に抱かれる覚悟では、断じてない。
怒りよりも、ショックが勝って愕然とするアンネローゼの目の前で、軽やかに、爽やかにフレンティア国王は笑う。
「ああ、やはり紅薔薇姫だ。 ますます私の好みじゃない」
そんなの、そんなの、わたくしだって貴方なんか好みでも何でもないですけれど!
だからといって、訳の分からないままに、訳の分からない男性に、初夜の相手を務めてもらうように、なんて…この畜生め!!
アンネローゼがフレンティア国王の首を絞めてやろうかと、ベッドから立ち上がりかければ、カタン、と音がする。
ふっと見れば、壁に取り付けてあった鏡が、ゆっくりと動いて、ぎょっとした。
壁に鏡が埋め込まれて取り付けられていると思っていたのだが、扉が額縁のある鏡と一体化しているらしい。 向こう側から押すようにしながら横に動かすと、扉が開く仕組みになっていたのだった。
その向こうは恐らく、隠し通路。
アンネローゼの、初夜の相手だという男性が、来たのだろう。
心臓が、どくどくと脈打って、気持ちが悪い。
呼吸が苦しくて、儘ならないような感じもする。
フレンティア国王のことは、恋愛感情ではないがそれなりに好きだと思っていた。
癖はあるが、悪い人間ではないと思ったし、身を任せるのも大丈夫かもしれない、と思っていたのに…。
こいつは、とんでもなく悪い男だった!!!
逃げ出すなら今だろうか、というところまで思い詰めていたのだが、鏡の向こうから現れた姿に、アンネローゼは身動きなど取れなくなった。
今、アンネローゼが目にしているものは、果たして夢か幻か。
「ああ、来たね。 あとは任せたよ」
フレンティア国王は、現れて鏡の扉を閉じた人物を認めると、ゆったりとした動きで椅子から立ち上がった。
これは、一体、どういうことなのだろう。
現れたのは、先ほどまで話題に上っていた、フレンティア国王の従弟にして、フレンティア国王の伯母の息子・ロワきゅんだったのだ。
「私は、どう頑張っても子を成せない身だからね。 けれど、前にも言ったように、王族の血を引く年頃の男子というのは、私か彼くらいで。 君が身籠もれば、それは当然、私の子だという認識で育てられる」
アンネローゼは、軽く目を見張ってフレンティア国王を見つめる。
フレンティア国王が、子を成せない身だなど、知らなかった。
だが、フレンティア国王が滅茶苦茶なことを言い出した理由は知れた。
恐らく、誰も――ここにいる、ロワきゅん以外は――フレンティア国王の事情を、知らないのだろう。
だから、フレンティア国王の子は、生まれなければならない。 わかりやすく言えば、アンネローゼの産む子は、フレンティア国王の子以外に考えられない。 つまり、その子は、フレンティア王朝の血を引いていなければならないのだ。
だから、同じくフレンティア王朝の血を引くロワきゅんが、アンネローゼの相手として選ばれた。
だが、フレンティア国王とロワきゅんの間で、どういった話がなされて、どういった条件で、ロワきゅんが頭のおかしいとしか思えない依頼を呑んだのかはわからない。
アンネローゼが、フレンティア国王を見ると、フレンティア国王もアンネローゼを見ていた。
「君の一族が、女系であること…というか、女王に拘る理由は、ここでしょう?」
言われて、アンネローゼは息を呑む。
そうだと、理解していたわけではない。
今、このとき、フレンティア国王の言葉で理解したのだ。
エルディース王朝が、男児の誕生を喜ばない理由を。
「父親がどこの誰かは、関係ない。 子を産めるのは女だけだ。 母親が王朝の血を引いていれば、間違っても、王朝の血を引かない子どもが生まれてくることはない」
フレンティア国王はそこで一度言葉を切ると、静かに微笑する。
「賢いのか、残酷なのか…、女性は怖いね」
その言葉は、エルディース王朝の女王たち、女性たちに向けられたものなのか。
それとも、彼の伯母に向けられたものなのか。
アンネローゼがぼんやりと考えていると、フレンティア国王は踵を返して、自室へと繋がる扉へと向かおうとする。
「さて、では私は退散するよ」
恐らく、フレンティア国王個人の寝室で寝るつもりなのだろう。 それは、別に構わない。
けれど、アンネローゼは自分でも驚くくらいの勢いと速度でもってフレンティア国王へと迫り、はしっとそのローブ風の寝衣の袖を掴んでいた。
『わたくしが無理!!! 顔が良すぎて最の高なんですよ!? 可愛いが正義で最強で無敵なんです!! この可愛いに敵うものなどないんですよ!? 辛たん!! ていうか尊死ぬ!!! わたくし、当事者にはならなくていいのです! 見ていたいけれど、見られたくない…そう、むしろ背景になりたい!!』
怒涛のように気持ちが溢れ出し、マスターしたはずのフレンティア語だって、どこかにふっとんで、エルディース語に戻ってしまった。 相当に切羽詰まった顔をしていた自覚もある。
振り返ったフレンティア国王の表情からもそれは明らかだったのだが、フレンティア国王はここで、拍子抜けするような発言をした。
「…ずっと気になってはいたんだけれど、君はよく、フレンティア語でもエルディース語でもない言葉を使うよね。 それは一体どこの国の言葉だろう?」
もしかしてそれがディストニア語? と訊いてきたフレンティア国王の頭を、どつきたい衝動に駆られたアンネローゼだったが、その衝動は何とか押しとどめた。
そのことだけでも、評価してほしいものだと思う。
「何を仰っているのです?」
思うとほぼ同時に、その問いは口をついて出ていた。
それは、アンネローゼとて、フレンティアに嫁いだからにはフレンティアに骨を埋める覚悟はできている。 だが、それとフレンティア国王と共犯になるかどうかは、全く別の話だ。
「もう、何度も言っているかとは思うけれど、気の強そうな美人は、好みじゃないんだ。 申し訳ないのだけれど、適役を用意したから、彼に初夜の相手をしてもらってくれる?」
我が耳を疑った。
もしかすると、アンネローゼのフレンティア語の理解が間違えているのかもしれない。
そうだといいと思うし、そうではなければおかしいとも思う。
目の前で胡散臭い笑みを浮かべているのは、つい数時間前に神の御前で結婚の誓いを立てたアンネローゼの夫だ。 その、アンネローゼの夫は、一体何を言っているのだろう。
それとも、疲れたからこのまま初夜などすっ飛ばして眠ってしまいたい、とアンネローゼが考えた罰でも当たったというのだろうか。
「…貴方は、鬼畜生ですの?」
混乱のあまり、自分の口から飛び出た言葉が耳に届いて、アンネローゼは驚く。
政略結婚とはいえど、アンネローゼは覚悟をしてきたのだ。
それは、フレンティア国王の妻となり、フレンティアの王妃となる覚悟であって、夫でもない男に抱かれる覚悟では、断じてない。
怒りよりも、ショックが勝って愕然とするアンネローゼの目の前で、軽やかに、爽やかにフレンティア国王は笑う。
「ああ、やはり紅薔薇姫だ。 ますます私の好みじゃない」
そんなの、そんなの、わたくしだって貴方なんか好みでも何でもないですけれど!
だからといって、訳の分からないままに、訳の分からない男性に、初夜の相手を務めてもらうように、なんて…この畜生め!!
アンネローゼがフレンティア国王の首を絞めてやろうかと、ベッドから立ち上がりかければ、カタン、と音がする。
ふっと見れば、壁に取り付けてあった鏡が、ゆっくりと動いて、ぎょっとした。
壁に鏡が埋め込まれて取り付けられていると思っていたのだが、扉が額縁のある鏡と一体化しているらしい。 向こう側から押すようにしながら横に動かすと、扉が開く仕組みになっていたのだった。
その向こうは恐らく、隠し通路。
アンネローゼの、初夜の相手だという男性が、来たのだろう。
心臓が、どくどくと脈打って、気持ちが悪い。
呼吸が苦しくて、儘ならないような感じもする。
フレンティア国王のことは、恋愛感情ではないがそれなりに好きだと思っていた。
癖はあるが、悪い人間ではないと思ったし、身を任せるのも大丈夫かもしれない、と思っていたのに…。
こいつは、とんでもなく悪い男だった!!!
逃げ出すなら今だろうか、というところまで思い詰めていたのだが、鏡の向こうから現れた姿に、アンネローゼは身動きなど取れなくなった。
今、アンネローゼが目にしているものは、果たして夢か幻か。
「ああ、来たね。 あとは任せたよ」
フレンティア国王は、現れて鏡の扉を閉じた人物を認めると、ゆったりとした動きで椅子から立ち上がった。
これは、一体、どういうことなのだろう。
現れたのは、先ほどまで話題に上っていた、フレンティア国王の従弟にして、フレンティア国王の伯母の息子・ロワきゅんだったのだ。
「私は、どう頑張っても子を成せない身だからね。 けれど、前にも言ったように、王族の血を引く年頃の男子というのは、私か彼くらいで。 君が身籠もれば、それは当然、私の子だという認識で育てられる」
アンネローゼは、軽く目を見張ってフレンティア国王を見つめる。
フレンティア国王が、子を成せない身だなど、知らなかった。
だが、フレンティア国王が滅茶苦茶なことを言い出した理由は知れた。
恐らく、誰も――ここにいる、ロワきゅん以外は――フレンティア国王の事情を、知らないのだろう。
だから、フレンティア国王の子は、生まれなければならない。 わかりやすく言えば、アンネローゼの産む子は、フレンティア国王の子以外に考えられない。 つまり、その子は、フレンティア王朝の血を引いていなければならないのだ。
だから、同じくフレンティア王朝の血を引くロワきゅんが、アンネローゼの相手として選ばれた。
だが、フレンティア国王とロワきゅんの間で、どういった話がなされて、どういった条件で、ロワきゅんが頭のおかしいとしか思えない依頼を呑んだのかはわからない。
アンネローゼが、フレンティア国王を見ると、フレンティア国王もアンネローゼを見ていた。
「君の一族が、女系であること…というか、女王に拘る理由は、ここでしょう?」
言われて、アンネローゼは息を呑む。
そうだと、理解していたわけではない。
今、このとき、フレンティア国王の言葉で理解したのだ。
エルディース王朝が、男児の誕生を喜ばない理由を。
「父親がどこの誰かは、関係ない。 子を産めるのは女だけだ。 母親が王朝の血を引いていれば、間違っても、王朝の血を引かない子どもが生まれてくることはない」
フレンティア国王はそこで一度言葉を切ると、静かに微笑する。
「賢いのか、残酷なのか…、女性は怖いね」
その言葉は、エルディース王朝の女王たち、女性たちに向けられたものなのか。
それとも、彼の伯母に向けられたものなのか。
アンネローゼがぼんやりと考えていると、フレンティア国王は踵を返して、自室へと繋がる扉へと向かおうとする。
「さて、では私は退散するよ」
恐らく、フレンティア国王個人の寝室で寝るつもりなのだろう。 それは、別に構わない。
けれど、アンネローゼは自分でも驚くくらいの勢いと速度でもってフレンティア国王へと迫り、はしっとそのローブ風の寝衣の袖を掴んでいた。
『わたくしが無理!!! 顔が良すぎて最の高なんですよ!? 可愛いが正義で最強で無敵なんです!! この可愛いに敵うものなどないんですよ!? 辛たん!! ていうか尊死ぬ!!! わたくし、当事者にはならなくていいのです! 見ていたいけれど、見られたくない…そう、むしろ背景になりたい!!』
怒涛のように気持ちが溢れ出し、マスターしたはずのフレンティア語だって、どこかにふっとんで、エルディース語に戻ってしまった。 相当に切羽詰まった顔をしていた自覚もある。
振り返ったフレンティア国王の表情からもそれは明らかだったのだが、フレンティア国王はここで、拍子抜けするような発言をした。
「…ずっと気になってはいたんだけれど、君はよく、フレンティア語でもエルディース語でもない言葉を使うよね。 それは一体どこの国の言葉だろう?」
もしかしてそれがディストニア語? と訊いてきたフレンティア国王の頭を、どつきたい衝動に駆られたアンネローゼだったが、その衝動は何とか押しとどめた。
そのことだけでも、評価してほしいものだと思う。
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