【R18】石に花咲く

環名

文字の大きさ
上 下
42 / 65
石に花咲く

40.

しおりを挟む
 時は、六時間ほど前に遡る。
 殿下がシィーファ嬢を連れて寝室に姿を消したので、ウーアはセネウを探し始めた。

 セネウは、夕食の準備を始めたらしく、厨房にいた。
 とんとんとんとん、と規則的な刻み音が聞こえるので、セネウは包丁を握って野菜の下ごしらえでもしているのだろう。


「セネウ」
 その、セネウの後ろ姿に、ウーアが声を掛けると、包丁の規則的な刻み音がピタリと止んだ。
 ことり、と一度包丁を置いたセネウが、前掛けで手を拭きながら振り返る。

「何を怒っているの?」
 白々しい台詞を吐いたセネウに、ウーアは苛立ちを禁じえない。
 だから、つかつかと厨房に立ち入って、セネウの前に立つ。
「私を怒らせるようなことをした自覚があるのか?」
 低く、静かに問う。

 セネウがぎくりとしたところを見ると、ウーアが何に苛立っているのか、きちんと自覚があるということなのだろう。
 だから、ウーアは容赦なく切り込んだ。
「シィーファ様が、出ていかれるのを、見過ごしただろう」
 ぎゅっと唇を噛んだセネウが、ふいと目を逸らす。
 やはり、セネウはシィーファ嬢が屋敷を出ていくのを知っていて、何も言わずに行かせたのだろう。


「セネウ」
 ウーアの口からは、叱責に近い声が出た。
 表情だって、いつもよりも厳しくなっていると思う。


 ここで殊勝な態度に出れば可愛げがあるものの、セネウは逆切れをして、開き直るのだ。
「商売女のひとりやふたり、いなくなったところで、何も変わらないでしょう」
 腕組みをしたかと思うと、強気な口調で吐き捨てた。

 だが、顔はふいと横をむいたままだから、多少、悪いことをしている、言っている自覚はあるのだろう。
 だから、ウーアは、セネウにとっては酷だろうことを、わざと口にするのだ。
「お前は、殿下にとってのシィーファ様が、ただの【商売女】だと思うのか?」


 セネウが、息を呑んだ気配がした。
 ウーアは、その反応に眉間に皺を寄せる。
 セネウだって、わかっているはずだ。
 殿下にとってのシィーファ嬢が、【商売女】などではないことは。


「思わないから、見て見ぬふりをしたんだろう」
 責めるような、言い方になったことは否めない。
 セネウは、ぎゅっと唇を噛んで、前掛けに皺が寄るほどに、ぎゅっと握りしめた。


 それを見て、ウーアは、人知れず溜息をつく。
 実はウーアは、殿下にこの逃避行の計画を打ち明けられたときに、ご忠告申し上げたのだ。
 セネウを、連れて行かない方がいいのではないか、と。


 あのとき、ウーアの一存で、全ての責めをウーアが負うことにして、セネウに正確な場所を教えなければよかった。
 そう思ったからこそ、唇からは大きな溜息が漏れてしまった。
 はああ、という大きな溜息を、セネウの耳が聞き逃すはずもない。
 ものすごい勢いでウーアに向き直ったかと思うと、挑むような、睨みつけるような視線をウーアに向けて、くわっと口を開いた。


「ウーア兄にはわからないわよ! 大好きなひとと恋人同士になって、らぶらぶいちゃいちゃできてるウーア兄には!」
「らっ…!? いっ…!!?」
 まさか、今、そのことを指摘されるとは思わなくて、ウーアは狼狽した。
 目を白黒させて、口を無意味に動かすしかない。


 火が付いたらしいセネウは、地団駄でも踏みそうな勢い、あるいはその場で飛び跳ねそうな勢いで喚き散らしている。
「だって、だって、『少しの間身を隠すから、ついてきてくれる?』なんて言われたら、ワンチャンあるかもって思うじゃない!!」
 言い終えて、はーっはーっと肩で息をしていたセネウだったが、ぴたりと動きを止める。
 今度は何が起きるのか、とはらはらしていると、セネウは下唇をぐっと噛んで、大粒の涙をその目からぼろぼろっ…と零す。
 癇癪持ちの子どものようだと思ったら、いきなり情緒不安定だ。


 追い詰めたのは自分とはいえ、なんと声をかけたらいいものかと思案していると、セネウがまたつんざくような叫び声をあげた。
「…シンデレラ・ストーリー、私にもあるかもって思うじゃないぃぃぃ!!」
 そのまま、セネウはわんわんと泣き始める。


 今度はこっそりと、ウーアは溜息をついた。
 セネウはずっと、自分たちを買って、奴隷から人間にしてくれた殿下に、恋心を抱いていたのだ。
 妻になりたいとか、愛人になりたいとか、遊びでもいいからとか、一夜の相手でもいいからとか、そういう具体的なものではなかった気がする。
 王子様への憧れ、と表現するのが、一番近いかもしれない。
 だが、王子様には、どこぞのお姫様がいるものだと、皆知っている。


 殿下は向けられる好意に鈍い部分がある。
 明確に言うのなら、恋愛を含んだ好意と、含まない好意の見極めができない、と表現すべきだろう。
 色恋事からは、徹底的に距離を置かされてきた、殿下だ。
 恋愛経験値はほぼゼロと言って差し支えない。
 それなのに、殿下はもともとの性質なのか、誰に対しても穏やかで優しく振舞うので、相手に妙な気を持たせてしまうことがある。
 殿下を擁護するわけではないが、セネウが恋愛対象として殿下を見ているなど、殿下は想像もしなかったのだろう。


 ワンチャンあるかも、シンデレラ・ストーリーあるかも、と言いつつ、恐らく、それはその時点では、セネウの妄想というか、夢物語でしかなかったはずだ。
 また、殿下が連れてきたのが、年若いどこぞの御令嬢だったり、姫君だったりしたら、セネウは敵視することなく、殿下の【お相手】として、受け容れたのだと思う。
 だが、殿下が連れてきたのは、どこぞの御令嬢でも、姫君でもなく、殿下よりも年上だという【石女うずまめの一族】の女性だった。


 どうして、彼女はよくて、私は駄目なのか。
 どうして、私じゃなくて、彼女なのか。

 そんな風に、思考が働くようになってしまったのだろう。
 だが、それは、誰が悪いわけでもない。


「…惚れた相手がまずかったと、諦めなさい」
 泣きじゃくるセネウに、ウーアが言えることはそれだけだ。
「それから、シィーファ様に嫌がらせをするのも、やめなさい。 お前がシィーファ様にぶつけている言葉は、そのままお前に返る言葉だとは、思わないのか?」


 諫めながらも、泣かせてやろう、と思う。
 今ならば、殿下に気づかれることもないはずだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

その少年貴族は冒険者につき~男爵家の少年のハーレム冒険譚~

イズミント(エセフォルネウス)
ファンタジー
冒険者から成り上がった男爵家の少年のレクス・オルフェスが、専属の妹系メイドや他の町の冒険者パーティーから追放された双子の姉妹等と共に、イチャイチャハーレムを築きながら、冒険者として無双するお話。 ※時々ざまぁもあります。

【完結】地味令嬢の願いが叶う刻

白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。 幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。 家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、 いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。 ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。 庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。 レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。 だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。 喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…  異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。  《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆ 

【完結】25妹は、私のものを欲しがるので、全部あげます。

華蓮
恋愛
妹は私のものを欲しがる。両親もお姉ちゃんだから我慢しなさいという。 私は、妹思いの良い姉を演じている。

やがて最強の転生者 ~超速レベリング理論を構築した男、第二の人生で無双する~

絢乃
ファンタジー
スキルやレベルが存在し、魔物が跋扈する世界――。 男は魔物を討伐する「冒険者」になりたいと願っていたが、虚弱体質なので戦うことができなかった。そこで男は数多の文献を読み漁り、独自の超速レベリング理論を組み立て、他の冒険者に貢献しようとした。 だが、実戦経験のない人間の理論を採用する者はいない。男の理論は机上の空論として扱われ、誰にも相手にされなかった。 男は失意の中、病で死亡した。 しかし、そこで彼の人生は終わらない。 健康的な肉体を持つ陣川龍斗として生まれ変わったのだ。 「俺の理論に狂いはねぇ」 龍斗は冒険者となり、自らの理論を実践していく。 そして、ゆくゆくは超速レベリング理論を普及させるのだ。

試験も恋も、欲張りたい!~恋を禁じられた天使は引きこもり王子の寵愛を受ける~

雪宮凛
恋愛
最終話まで予約投稿済み毎日朝9時、夜21時の1日2回更新。 【人間に見つかってはいけない・人間に心を許してはいけない・人間に恋をしてはいけない】 それは、天使を夢見る者が最初に教わる三原則。 天使見習い中のセラフィーナは、卒業試験を受けるため、地上へ降り立つ。 しかし、試験開始早々彼女は、訪れた国の王子・アイザックと事故チュー!? その結果、アイザックと一定以上離れられなったセラフィーナ。 そんな彼女を助けてくれたのは、長髪で己の顔を隠す引きこもり王子!? セラフィーナの事情を知った王子が持ち掛けたのは、秘密の同居生活で……。 ヒロインに甘々な引き籠り王子と、明るく前向きな天使見習いが繰り広げる極甘(ちょっとだけシリアス混じり)ラブストーリー。 *一部反社会的表現や暴力表現、性描写表現が出てきますのでR-18指定とさせて頂きます。 ムーンライトノベルズより転載した作品になります。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが

リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!? ※ご都合主義展開 ※全7話  

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

処理中です...