上 下
33 / 39

人の夢は儚きもの(下)

しおりを挟む
「シェイラを傷つける全てから、護るつもり」

 シェロンが応じると、王太子は赤鉄鉱ヘマタイトの瞳でまじまじとシェロンを観察し、緩く首を揺らす。
 まるで、新種の生物を目の前にしたときの顔だ、と思うが、自分たちの存在が特殊な自覚はあるので、口には出さない。
「…君は、本当に【悪魔】? 護る、なんて、まるで【天使】のようだ」


 シェロンは、軽く目を見張る。
 【天使】と【悪魔】の議論が飛び出したので、思わず嗤ってしまった。

「人間に、【天使】と【悪魔】の別がわかるとでも?」

 今は目の前に鏡がないからわからないが、恐らくシェロンの顔はその甘いマスクに似合わず、皮肉げに歪んでいることだろう。
 浮かんでいるのは恐らく、嘲笑だ。


「【天使】と信じた存在が【天使】となり、【悪魔】と信じた存在が【悪魔】となる。 それだけでは?」


 シェロンは、真っ直ぐに王太子を見つめ、芝居がかっているとは思うが大仰に手を広げて見せる。
「天使と悪魔を識別するものが、それぞれの髪の色、目の色、肌の色、羽根の色であるなら、それらを全て持たない僕を、殿下はどう見る?」


 彼らが【悪魔】と呼ぶ存在は、シェロンという器の内側で、ほとんどシェロンと同化してしまっている。
 シェロンという人間の外見的特徴だけを見るなら、【悪魔】よりも【天使】に近い。
 【天使】と【悪魔】の根本が、本当はよく似ていることを、人間たちは知っているのだろうか。

 根本は、似ている。
 なのに、違う。
 だからこそ、その正当性を巡って、衝突しているのだ。


「悪魔は、代償を求めて願いを叶える。 天使は、代償として願いを叶える。 どちらも取引であり、差し出しているものがあるんだよ。 そうとは気づかないだけで」


 何かを差し出すなら、願いを叶えよう。
 今までの善行の対価として、願いを叶えよう。


 この違いが、わかるだろうか。
 人間は、【悪魔】にも【天使】にも、何かを捧げているのだ。
 それが、代償としてか、報償としてかの違いだけだというのに。


 シェロンの言葉を、全て理解したのだろうか。
 王太子は一つ、深く頷く。

「最後に、ひとつだけ聞かせてほしい。 君は、【代償】として、そこに留まっているのだろうか?」

 核心に触れた問いだ、と思った。
 答えたのが、シェロンだったのか、ベリアルだったのか、そのいずれでもあったのかは、もう、わからない。


「神などあてにできないから」


 だから、シェロンは、光の加護を、自らの意思で放棄したのだ。
 いざというときに、救ってくれない加護であれば、いらない、と。
 そして彼は、悪魔の手を取った。


「神があの子を護らないというなら、他にあの子を護る存在が必要だろう。 それが例え、【悪魔】と呼ばれる存在でも、構わないと思った。 それだけのこと」


 じっと、シェロンの唇から語られる言葉に耳を傾けていた王太子は、目を伏せて、もう一度、頷く。
「…なるほど、万人が【悪魔】と呼ぶ存在であっても、シェロンにとっては【神】に等しかったということか」


 王太子は、そのまま手を伸ばして、すっかり冷めてしまったティーカップを手に取り、優雅に口に運ぶ。
 そして、全く異なる問いを投げてきた。

「それよりも、君がシェイラにかけている目くらまし、あんなもの、無意味では?」
 シェロンは、王太子の指摘に、ぎくりとする。

 周囲の人間を怖がるシェイラを落ち着かせるために、シェロンは「シェイラに好意を持つ人間以外には、シェイラの容姿がわからない魔法だからね」と言ったが、そんなに都合の良い魔法はない。
 少なくとも、現代の魔法学でも魔術学でも完成されていない。

 シェロンがシェイラにかけた目くらましは、ごく単純なもので、シェイラの纏うあのきらきらとした空気を押さえるというかオブラートに包む程度のものである。
 簡単に言えば、シェイラが【きらきらしたすごい美人】から【地味だけどよく見るとすごい美人】になる、程度のものだ。
 シェイラを注意してよく見ている人間にはわかるが、それ以外の人間にはわからない、という意味で【好意を持つ人間以外には】と言ったのだが…。
 シェイラはそれを完全に信じている。
 おかげで、外出もできるようになったし、周囲を過度に恐れることもなくなった。


 けれど、いつシェロンの嘘も方便がシェイラにばれるのではないかと、シェロンははらはらとしている。
 お兄様の嘘つき、大っ嫌い、と言われたら、軽く一週間は寝込める自信がある。


 シェロンは特に何を口に出したわけでもないのに、じっとシェロンの様子を観察していたらしい王太子が、訳知り顔で頷く。
「…うん、わかった。 シェイラには黙っていてあげるよ。 だから、君も、オリヴィエとシェイラのこと、認めてあげるといい」
「なっ…」
 何をわかって、何をしろというのか、この王太子は!
 開いた口が塞がらないシェロンに、王太子はすぅ…と表情を消して、神妙な様子で言い聞かせる。


「シェロン、シェイラはきっとオリヴィエのことが好きだから、そのうち、『結婚を認めてくれないお異母兄様なんて大っ嫌い』と言われてしまうよ?」
「っ…!!?」
 王太子の言葉は、二重の意味でシェロンの繊細な心を打ち砕いた。
 まずは、「お兄様なんて大っ嫌い」。
 そして、もう一つは、「シェイラはきっとオリヴィエのことが好きだから」だ。


 シェイラの何をわかってそんなことを言うのか、と反論しかけて、シェロンは気づいてしまったのだ。
 シェイラには、シェロンが、処女保護の魔法をかけていたことに。


 つまりは、シェイラは女好きで女たらしでクズでゲスのケダモノ元王子に手籠めにされたわけではなく、シェイラ自身が望んで受け容れたということ。


 もう、これは、二週間立ち直れないコース確定だ。


 落ち込んで、周囲の音など入ってこなくなったシェロンの目の前で、王太子はまだ、優雅に紅茶を楽しんでいるところだった。
「確かに、シェイラは危険なくらいの美人だよね。 だから結果的に、オリヴィエの施した【精霊の戒め】はよかったんじゃないかな。 あれは、問答無用で正当防衛が成り立つ代物だから…。 って、聞いていないね。 別に構わないけれど」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

舞桜
ファンタジー
 初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎  って、何故こんなにハイテンションかと言うとただ今絶賛大パニック中だからです!  何故こうなった…  突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、 手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、 だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎  転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?  そして死亡する原因には不可解な点が…  様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、 目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“  そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪ *神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのかのんびりできるといいね!(希望的観測っw) *投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい *この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里
ファンタジー
王太子殿下との婚約破棄を切っ掛けに、何度も人生を戻され、その度に絶望に落とされる公爵家の娘、ヴィヴィアンナ・ローレンス。 嘆いても、泣いても、この呪われた運命から逃れられないのであれば、せめて自分の意志で、自分の手で人生を華麗に散らしてみせましょう。 私は――立派な悪役令嬢になります!

月と秘密とプールサイド

スケキヨ
恋愛
あぁ、あの指が。 昨夜、私のことを好きなように弄んだのだ――。 高校三年生のひな子と彼女を犯す男。 夜のプールサイドで繰り広げられた情事の秘密とは……? 2020.2.3 完結しました。 R18描写のある話には※をつけています。 以前、投稿していた作品に加筆・修正したものの再投稿となります。

離婚の勧め

岡暁舟
恋愛
思いがけない展開に?

【完結】悪魔に祈るとき

ユユ
恋愛
婚約者が豹変したのはある女生徒との 出会いによるものなのは明らかだった。 婚姻式間際に婚約は破棄され、 私は離れの塔に監禁された。 そこで待っていたのは屈辱の日々だった。 その日々の中に小さな光を見つけたつもりで いたけど、それも砕け散った。 身も心も疲れ果ててしまった。 だけど守るべきものができた。 生きて守れないなら死んで守ろう。 そして私は自ら命を絶った。 だけど真っ黒な闇の中で意識が戻った。 ここは地獄?心を無にして待っていた。 突然地面が裂けてそこから悪魔が現れた。 漆黒の鱗に覆われた肌、 体の形は人間のようだが筋肉質で巨体だ。 爪は長く鋭い。舌は長く蛇のように割れていた。 鉛の様な瞳で 瞳孔は何かの赤い紋が 浮かび上がっている。 銀のツノが二つ生えていて黒い翼を持っていた。 ソレは誰かの願いで私を甦らせるという。 戻りたくなかったのに 生き地獄だった過去に舞い戻った。 * 作り話です * 死んだ主人公の時間を巻き戻される話 * R18は少し

【R18】次に目を開けた時、イケメンのベッドの中に異世界転移してました。

はこスミレ
恋愛
☆本編完結済み☆番外編も完結 しがないOLの亜百合は、天使の手違いでトラックに轢かれて即死してしまい、女神により異世界転移された。 相手を魅了して、意のままに操ることができる特殊能力「テンプテーション」を付与され、目覚めた場所は… 超絶イケメンのベッドの中でした。 能力は勝手に発動するし、魔力供給をするには、えっちをしなきゃいけないなんて、聞いてない! 超絶イケメンは絶倫で、朝昼晩求められて困っちゃう! しかも、彼もまさかの……!! ※はこスミレお約束、ハッピーエンドです。 ムーンライトノベルスにも掲載しています。

君は優しいからと言われ浮気を正当化しておきながら今更復縁なんて認めません

ユウ
恋愛
十年以上婚約している男爵家の子息、カーサは婚約者であるグレーテルを蔑ろにしていた。 事あるごとに幼馴染との約束を優先してはこういうのだ。 「君は優しいから許してくれるだろ?」 都合のいい言葉だった。 百姓貴族であり、包丁侍女と呼ばれるグレーテル。 侍女の中では下っ端でかまど番を任されていた。 地位は高くないが侯爵家の厨房を任され真面目だけが取り柄だった。 しかし婚約者は容姿も地位もぱっとしないことで不満に思い。 対する彼の幼馴染は伯爵令嬢で美しく無邪気だったことから正反対だった。 甘え上手で絵にかいたようなお姫様。 そんな彼女を優先するあまり蔑ろにされ、社交界でも冷遇される中。 「グレーテル、君は優しいからこの恋を許してくれるだろ?」 浮気を正当した。 既に愛想をつかしていたグレーテルは 「解りました」 婚約者の願い通り消えることにした。 グレーテルには前世の記憶があった。 そのおかげで耐えることができたので包丁一本で侯爵家を去り、行きついた先は。 訳ありの辺境伯爵家だった。 使用人は一日で解雇されるほどの恐ろしい邸だった。 しかしその邸に仕える従者と出会う。 前世の夫だった。 運命の再会に喜ぶも傷物令嬢故に身を引こうとするのだが… その同時期。 元婚約者はグレーテルを追い出したことで侯爵家から責められ追い詰められてしまう。 侯爵家に縁を切られ家族からも責められる中、グレーテルが辺境伯爵家にいることを知り、連れ戻そうとする。 「君は優しいから許してくれるだろ?」 あの時と同じような言葉で連れ戻そうとするも。 「ふざけるな!」 前世の夫がブチ切れた。 元婚約者と元夫の仁義なき戦いが始まるのだった。

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

処理中です...