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人の夢は儚きもの(上)

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 シェロンが、執務室で書類に目を通していると、デスクの上に置いてある水晶が光を放った。
「…はい」
 シェロンが短く返答すると、水晶から、動揺し、慌てふためいた声が聞こえる。

『団長、お客様が』

 取次役が言い終わらないうちに、ノックもなしに執務室の扉が開く。
 見ずとも、扉が開いた瞬間流れ込んできた空気で、自分を訪ねてきた客が誰かはわかった。

 黒とも見紛うような、銀を濃くして、濃くして、黒に近づけたような髪。 同じく、黒とも見紛うような赤鉄鉱ヘマタイトの瞳。 甘いマスクと、駄々漏れの色気。
 魔階の魔王陛下とて、こんなに色気は垂れ流していなかったと記憶している。

 どうして、人の身にこれだけの魔力が与えられたのかはわからない。
 わからないことだらけだ、と思いながら、シェロンは目の前に佇む男を見る。
 その人物は、目を細めて微笑んだ。

「失礼するよ、魔術師軍第二師団団長」

「…王太子殿下」
 王太子相手に立ち上がらないわけにもいかず、シェロンは席を立って礼を取る。

 そうすれば、王太子は、シェロンが勧めないうちに執務室のソファに腰かけた。 しかも、上座に、だ。
 いや、下座に座られても困るので、そこはいいけれど、これではシェロンもソファに座らざるを得なくなった。
 シェロンは不承不承でソファへと進み、王太子殿下の目の前に腰かける。

 こうして、密室で対峙すると、すごい【圧】だ、と思う。

 本当に、これが人間なのだろうか。
 人間の皮を被った、何か別の存在なのでは、と疑ってしまう。


 そう、自分のように・・・・・・


  王太子からシェロンを訪ねてきたのだから、何かしらの用事があるのだと思っていたのだが、王太子は口を開かない。
 まるで、何かを待っているようだ、とすら思う。
 では、何を待っているのだろう。
 そう考えていると、コッコッと控えめなノックの音が聞こえて、扉が開いた。

「失礼します」

 トレイにティーカップを載せた部下が入ってくる。
「王太子殿下のお口に合うかはわからない、粗茶ですが…」
 お茶を出す部下を見ながら、なるほど、とシェロンは腑に落ちる。

 王太子はどうやらこれを待っていたらしい。
 もちろん、茶が来ることそれ自体ではなく、人が立ち入ることを、だ。

 王太子はシェロンの部下に、小さな笑みを見せる。
「構わないよ、ありがとう。 ぞれから、これから私は彼に大切な話があるから、いいというまで誰も入ってこないでくれるね?」
 疑問の形を取ってはいるものの、王太子の言葉には有無を言わせぬ響きがある。

 シェロンの部下が、「仰せのままに」としか言えなかったのも、無理からぬことだ。
 というか、王太子にそれ以外の言葉を返せる人間がいるとしたら見てみたい。

 そして、再び王太子と二人、残された室内で、王太子が口を開いた。
「シェロン、と呼んでも?」

 随分、気安い、と思う。
 いや、それは王太子なのだから、奴からすればその他大勢は王太子の意のままに動く人形のようなものかもしれない。

 けれど、シェロンは王太子、というよりも、王太子の弟に対して大変なわだかまりがある。
 王太子は、そのとばっちりではあるのだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのだ、仕方がない。
 シェロンの返答がないことも気にならないのか、王太子は続ける。

「私のことは、クレイでいいよ。 オリヴィエとシェイラが結婚すれば、私たちは姻族になるのだから」
「ぐっ…」
 シェロンは胸元を押さえて項垂れた。

 あまつさえ、シェロンの溺愛する、最愛の妹・シェイラを手籠めにし、【精霊の戒め】など嵌めた男が、シェイラの夫に収まる…!?

 考えただけで頭の血管が破裂しそうだから、考えないようにしてきたというのに、さらっと「オリヴィエとシェイラが結婚すれば」「私たちは姻族になる」などと言わないでほしい。
 この肉体の寿命がこれ以上縮まるようなことがあったら、呪ってやる…と思っていると、王太子は先ほどまでと変わらない口調で、さらりと尋ねてきた。

「そういうわけで、確認しておきたいのだけれど、君は、【何】?」

 ドクン、と。
 自分の心臓の音が、聞こえる。

 真っすぐに見つめてくる王太子の赤鉄鉱の瞳に、何もかも見透かされているような錯覚すら生まれる。
 自分の、内部構造すら、全て。

 シェロンは、落ち着け、と自らに命じつつ、問いを返す。
「どういうことでしょう?」
 自分の唇から零れた声は、まるで自分のものではないかのように、耳に届いた。

 王太子は、悠然と構えたまま、シェロンから視線を外さない。
 いつの間にか、場の空気は王太子に塗り替えられており、ここはシェロンの執務室であるのに、全く別のどこかであるような気すら、してくる。

 言うなれば、針の筵だ。

「私は幼い頃のシェロンを知っているよ。 シェロンは可愛らしい男の子ではあったが、魔術の才については凡庸だったと記憶している。 それから、シェロンは光の加護を受けていた」

 シェロンは、光の加護を。

 それを聞いて、シェロンは諦めた。
 どうやら、本当にこの王太子は、幼少時代のシェロンを覚えているらしい。

 確かに、シェロンは光の加護持ちだった。
 けれど、その加護は失われた。

 否、シェロンが、自ら、手放した。

 そこまで考えて、シェロンはハッと我に返る。
 王太子の声によって、現実に引き戻されたのだ。
「今の君は、加護なしだ。 そして、膨大な魔力を備えている。 その身に抱える魔力備蓄量は異常だ」

 人外としか思えない化物王子に【異常】と言われて、シェロンは相手が王太子ということも忘れて、鼻で嗤ってしまった。
「殿下だって似たようなものでは?」

 だが、王太子はもともとの器が大きいのか、多少のことでは動揺しないような訓練でも積んでいるのか、全く態度を変えない。
「クレイだよ、シェロン。 私の場合は、全ての精霊の加護を受けている時点で規格外ではあるが、加護と魔力の間に相対的な関係はない。 私が問いたいのは、幼少時凡庸と言われた君が、どうしてそこまでの魔力を手にしているのか、ということだ」

 一度言葉を切った王太子は、ふっと溜息のようにも聞こえる息を吐いた。
 そして、もう一度真っ直ぐにシェロンを見つめる。

「…君がシェロンなのか、シェロンではないのか・・・・・・・・。 私が得たいのは、君の妹と、私の弟…引いては、私の大切な存在を脅かす存在でないという確証だ」
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