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【後日談】

シャルデル伯爵の婚約者①

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「よく来たね、リーシュ、ディアヴェル」
 笑顔で諸手を拡げてディアヴェルとリシアを迎え入れる、リシアの元夫――実は実父なのだが――カイトに、ディアヴェルは溜息を禁じ得ない。


「ご無沙汰しております、カイト殿」
 それでも一応は、そつなく挨拶をするし、それをこなせる程度にはディアヴェルも場数を踏んでいる。
 カイトは、ディアヴェルの表情に気づいたようで、不思議そうな顔をした。

「? どうした? ディアヴェル、その顔は」
「カイト殿、もう少し周りの視線を気にしたらいかがです? 貴方は俺に、大切で可愛い幼妻を奪われたということになっているんですよ?」
 ディアヴェルが言うと、傍らのリシアが気まずそうに俯いた。


 そう。 現在ディアヴェルの婚約者であるリシアは、一ヶ月ほど前まで目の前の男の妻だった。


 完全なる偽装結婚だったことをディアヴェルは理解しており、リシアも今はディアヴェルを愛してくれている。
 カイトはリシアをディアヴェルに預けると言ってくれたし、シャルデル伯爵領にいるディアヴェルの両親にも挨拶は済ませた。 両親は殊の外喜んでくれたし、リシアは使用人たちにも慕われている。


 自分たちの周辺は大円満だし、何ら問題はない。


 けれど、外部から見た自分たちがそうでないことも、ディアヴェルは重々承知だ。
 ゴシップ紙では、リシアはレイナール氏を弄んで捨て、シャルデル伯爵夫人に収まろうとしている悪女扱いだ。


 リシアは「事実だし気にしない」と言っていたが、そう簡単に割り切れる問題でもないだろう。
 シャルデル伯爵家次期夫人ということで、方々からお茶会や夜会の招待状が届くが、なかなか足を運ぼうとしないのはそういうことだと思っている。
 今日も恐らく、カイトからの誘いでなければ、リシアはこの夜会に出席しなかっただろう。


 ディアヴェルの推測でしかないが、カイトはリシアのことを案じて、この夜会を開いたのではないかと思っている。


 ディアヴェルと、リシアと、カイトの間には何のわだかまりもないということのアピールと、パフォーマンスではないかと。
 そして、それは、先ほどの出迎えを目にして確信に変わった。
 どうやらカイト・レイナール氏は親馬鹿でもあるらしい。


「そうなのか? 根も葉もない噂じゃないか」
 言いながら、カイトはディアヴェルとリシアを奥へと促す。
 招待客たちが、憚るようにしながらも自分たちを盗み見ている気配がする。
 どれだけ装おうと、彼らのその目に浮かぶ好奇心の光は消せない。


 ディアヴェルはそっと溜息を零した。
「そんなににこやかに俺に接するのはいかがなものかと思いますが」
 せめて、ディアヴェルを、無理矢理にリシアを奪った悪い男に仕立ててくれればいいのに、と思う。


 だが、カイトはにこにこと笑んだままで、給仕を呼んでワインの入ったグラスをディアヴェルに差し出してくる。 綺麗なロゼワインだった。
 両手にひとつずつ持ったグラスを差し出されるものだから、ディアヴェルは不思議に思う。
「おひとつはカイト殿のものでは?」
「これはリーシュへ」


 言われたリシアは、呆けたような顔をした。
 ディアヴェルも、不思議に思う。
「リシアは、アルコールは苦手ですよ」

 そんなことも忘れたのだろうか。
 いぶかるディアヴェルに気づかぬでもないだろうに、カイトはもう一度笑んだ。


「そんなことを言わずに。 これは、クーヴレール辺境伯から、お前たちへのお祝いだよ。 辺境伯領の秘蔵のワインらしい。 甘口だから、少しだけでも飲んで御覧」
 クーヴレール辺境伯というのは、リシアの祖父母のことだ。
 彼らからの祝いと言われては、リシアも受け取らざるを得ないだろう。
 ディアヴェルがちらとリシアを見れば、リシアは困ったような表情をしている。
 だから、ディアヴェルはひとつだけグラスを受けた。

「では、やはりひとつで構いません。 リシア、少しでいいから口をつけて?」
 ディアヴェルが、カイトから受け取ったグラスをリシアの口元に近づけると、リシアは頬を染める。
「…自分で飲めます」
 グラスを受けたリシアは、じっとその綺麗な色を見つめていたが、口をつける。
 小さく、その白く細い喉元が上下し、リシアが口からグラスを離したのでディアヴェルは聞いた。
「美味しい?」
「ワインの味は、よくわかりません、けれど…。 とても幸せです」
 リシアは、綻ぶように、笑んだ。
 その表情が綺麗で、ディアヴェルは見惚れる。


 リシアはおっとりとした綺麗系なので、表情がないと冷たく澄ました印象なのだ。 けれど、少し微笑んだだけでもとても華やかで可愛らしい。
 ディアヴェルは、リシアの様子に満足して、グラスを持つリシアの手に触れた。
「そうですね、あとは俺がもらいます」
 リシアからグラスを受け取っていると、ふ、と笑む音が聞こえて、ディアヴェルもリシアもカイトを見た。


 カイトはにこにこと笑んでいる。
「ああ、いや、仲睦まじくて結構」
 カイトは気安い態度で、ディアヴェルの肩をぽんぽんと叩いた。
「私は賢い男は好きだからね、君のことも好きだよ、ディアヴェル。 それに、君は美人だしね。 リーシュと君の子は、絶対に可愛い」


 ディアヴェルは、顔面に笑みを張り付けて、カイトの言葉を吟味する。
 それは一体、どういう意味なのだろう。 身の危険を感じた方がいいのだろうか。


 そのとき、リシアが、そっとディアヴェルに耳打ちした。
「…カイト様は面食いなんです、基本的には」


 そうか。 面食いか。
 もしかすると、カイトの仕事である芸術・美術や装飾品の売買というのは、趣味が高じたものなのかもしれない。

「ですから、以前に貴方の仰った【観賞用】は間違いではないのです」
 リシアが、微苦笑している。
 確かに、ディアヴェルはカイトについて、リシアにそのように言ったことがある。
 カイトはリシアに甘い父親だと思っていたが、甘い理由は【娘】であることよりも、自分の好みの【美しいもの】だからなのかもしれない。


 ディアヴェルの受けた印象では、カイトは貞操観念や倫理観というものに乏しい。
 だから、リシアを【妻】という立場に仕立て、何もしなかったのは、リシアがカイトにとって芸術品や美術品と同じ扱いだったからなのかもしれない。
 リシアが【観賞用】にしかならないくらいの美人でよかった、とディアヴェルは今さらながらに思う。


「まあ、こうやって私たちの親しい様を見せつけておけば、変な噂などすぐになくなるだろう。 堂々としていればいいよ、リーシュ」
 そう言って微笑むカイトは、父親の顔をしていた。
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