32 / 55
【シャルデル伯爵の術中】
9.シャルデル伯爵の変化
しおりを挟む
ちら、と視線を上げてリシアは正面に座るシャルデル伯爵を見た。
帰りの馬車の中にいるのだが、やはり、どことなくシャルデル伯爵の纏う空気が重い。
行きの馬車の中では、ずっとリシアを見つめていて居心地が悪かったのだが、今のシャルデル伯爵の視線は窓の外の暗闇に向けられている。
家々の明かりの他は、ほとんど何も見えないというのに。
そう思って、リシアは気づく。
シャルデル伯爵の表情はどこかぼんやりとしていて、心ここにあらず。 外の景色を眺めているのではなく、別のものを見ているようだ、と。
「…お仕事のお話は、上手くいかなかったのですか?」
思いついたことを問えば、ぴくりとシャルデル伯爵が反応し、その菫青石の瞳がようやくリシアに向く。
緩慢な動作ではあったが、リシアはほっと安堵した。
「いいえ、上々です。 どうして?」
「いえ、なんとなく」
リシアは慌てて、そう濁した。
なんとなく、元気がなく、暗いような、考えているような感じがするから…と言えるほど、図太くはできていない。
シャルデル伯爵の菫青石の瞳が、じっとリシアを見つめたかと思うと、ゆっくりとその唇が動いた。
「…リシア、貴女にはもう少し周りの目を気にしていただきたい。 あんなふうににこにこと微笑んでいては、悪い虫を誘うようなものです」
咎めるような口調と声音に、リシアはきょとんとする。
ああいった席で仏頂面をしているほうが、不躾ではないだろうか。
それに、悪い虫とは言うけれど、シャルデル伯爵はリシアのことを【レイナール夫人】と紹介していたはずではないか。
「わたしが既婚者なのは皆さまご存知でしょう?」
そうすれば、シャルデル伯爵ははぁ、と溜息をついた。
その溜息は呆れを多分に含んでいる。
「リシアは、本当に世馴れしていませんね。 相手がいようといまいと、あまり関係がないのですよ。 むしろ、相手がいたほうが、その場限りの相手としては楽、という人間も多いのですから」
溜息は呆れを含んでいると思ったが、声音から感じられるのは苛立ち、だろうか。
多少感情的である。
けれど、リシアはそれよりも、シャルデル伯爵の語った内容が胸にずきりと来て、シャルデル伯爵を見た。
今シャルデル伯爵が語ったことは、シャルデル伯爵の意見でもあるのだろうか。
その場限りの相手としては、楽だ、と?
リシアの視線から、リシアの思った事を、シャルデル伯爵はほぼ正確に感じ取ったらしい。
「今の俺は違いますよ。 貴女を、本気で欲して、夫人にしたいと思っています」
少し、むっとしたような口調だった。 けれど、先の発言と違って、苛立ちは感じられない。
そして、リシアは今の彼の言葉に、安堵し、嬉しいと思ってしまっている。
頬が少し赤いかもしれない。 この明るさでは顔色の判別はつかないだろうことが救いだ。
リシアは半眼を伏せながらも、もっと安心したくて、シャルデル伯爵を試すようなことを聞いてしまった。
「わたしと貴方の仲を誤解してしまったらどうされるの?」
「それは俺の望むところですが」
さらり、とシャルデル伯爵が紡いだ言葉は、リシアを満足させた。
だから、聞こうと思った。
「…さっき」
「さっき?」
不思議そうに揺れる声に、リシアは視線を上げて、じっとシャルデル伯爵の瞳を見つめた。
聞きたいと思った。
リシアではなく、ダニエレを見て、シャルデル伯爵が固まっていた理由を。
「何か、驚くようなことがあったのですか?」
リシアの問いに、シャルデル伯爵は軽く目を見張る。
それが、驚きからなのか、意外だ、という思いからなのかは判別がつかなかった。
「…さぁ、どうでしょう」
ただ、そう応じたシャルデル伯爵が、意図的に回答を回避したのだけは、わかった。
帰りの馬車の中にいるのだが、やはり、どことなくシャルデル伯爵の纏う空気が重い。
行きの馬車の中では、ずっとリシアを見つめていて居心地が悪かったのだが、今のシャルデル伯爵の視線は窓の外の暗闇に向けられている。
家々の明かりの他は、ほとんど何も見えないというのに。
そう思って、リシアは気づく。
シャルデル伯爵の表情はどこかぼんやりとしていて、心ここにあらず。 外の景色を眺めているのではなく、別のものを見ているようだ、と。
「…お仕事のお話は、上手くいかなかったのですか?」
思いついたことを問えば、ぴくりとシャルデル伯爵が反応し、その菫青石の瞳がようやくリシアに向く。
緩慢な動作ではあったが、リシアはほっと安堵した。
「いいえ、上々です。 どうして?」
「いえ、なんとなく」
リシアは慌てて、そう濁した。
なんとなく、元気がなく、暗いような、考えているような感じがするから…と言えるほど、図太くはできていない。
シャルデル伯爵の菫青石の瞳が、じっとリシアを見つめたかと思うと、ゆっくりとその唇が動いた。
「…リシア、貴女にはもう少し周りの目を気にしていただきたい。 あんなふうににこにこと微笑んでいては、悪い虫を誘うようなものです」
咎めるような口調と声音に、リシアはきょとんとする。
ああいった席で仏頂面をしているほうが、不躾ではないだろうか。
それに、悪い虫とは言うけれど、シャルデル伯爵はリシアのことを【レイナール夫人】と紹介していたはずではないか。
「わたしが既婚者なのは皆さまご存知でしょう?」
そうすれば、シャルデル伯爵ははぁ、と溜息をついた。
その溜息は呆れを多分に含んでいる。
「リシアは、本当に世馴れしていませんね。 相手がいようといまいと、あまり関係がないのですよ。 むしろ、相手がいたほうが、その場限りの相手としては楽、という人間も多いのですから」
溜息は呆れを含んでいると思ったが、声音から感じられるのは苛立ち、だろうか。
多少感情的である。
けれど、リシアはそれよりも、シャルデル伯爵の語った内容が胸にずきりと来て、シャルデル伯爵を見た。
今シャルデル伯爵が語ったことは、シャルデル伯爵の意見でもあるのだろうか。
その場限りの相手としては、楽だ、と?
リシアの視線から、リシアの思った事を、シャルデル伯爵はほぼ正確に感じ取ったらしい。
「今の俺は違いますよ。 貴女を、本気で欲して、夫人にしたいと思っています」
少し、むっとしたような口調だった。 けれど、先の発言と違って、苛立ちは感じられない。
そして、リシアは今の彼の言葉に、安堵し、嬉しいと思ってしまっている。
頬が少し赤いかもしれない。 この明るさでは顔色の判別はつかないだろうことが救いだ。
リシアは半眼を伏せながらも、もっと安心したくて、シャルデル伯爵を試すようなことを聞いてしまった。
「わたしと貴方の仲を誤解してしまったらどうされるの?」
「それは俺の望むところですが」
さらり、とシャルデル伯爵が紡いだ言葉は、リシアを満足させた。
だから、聞こうと思った。
「…さっき」
「さっき?」
不思議そうに揺れる声に、リシアは視線を上げて、じっとシャルデル伯爵の瞳を見つめた。
聞きたいと思った。
リシアではなく、ダニエレを見て、シャルデル伯爵が固まっていた理由を。
「何か、驚くようなことがあったのですか?」
リシアの問いに、シャルデル伯爵は軽く目を見張る。
それが、驚きからなのか、意外だ、という思いからなのかは判別がつかなかった。
「…さぁ、どうでしょう」
ただ、そう応じたシャルデル伯爵が、意図的に回答を回避したのだけは、わかった。
1
お気に入りに追加
385
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
【完結】鳥籠の妻と変態鬼畜紳士な夫
Ringo
恋愛
夫が好きで好きで好きすぎる妻。
生まれた時から傍にいた夫が妻の生きる世界の全てで、夫なしの人生など考えただけで絶望レベル。
行動の全てを報告させ把握していないと不安になり、少しでも女の気配を感じれば嫉妬に狂う。
そしてそんな妻を愛してやまない夫。
束縛されること、嫉妬されることにこれ以上にない愛情を感じる変態。
自身も嫉妬深く、妻を家に閉じ込め家族以外との接触や交流を遮断。
時に激しい妄想に駆られて俺様キャラが降臨し、妻を言葉と行為で追い込む鬼畜でもある。
そんなメンヘラ妻と変態鬼畜紳士夫が織り成す日常をご覧あれ。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
※現代もの
※R18内容濃いめ(作者調べ)
※ガッツリ行為エピソード多め
※上記が苦手な方はご遠慮ください
完結まで執筆済み
【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜
茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。
☆他サイトにも投稿しています
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
義兄様に弄ばれる私は溺愛され、その愛に堕ちる
一ノ瀬 彩音
恋愛
国王である義兄様に弄ばれる悪役令嬢の私は彼に溺れていく。
そして彼から与えられる快楽と愛情で心も身体も満たされていく……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【完結】堕ちた令嬢
マー子
恋愛
・R18・無理矢理?・監禁×孕ませ
・ハピエン
※レイプや陵辱などの表現があります!苦手な方は御遠慮下さい。
〜ストーリー〜
裕福ではないが、父と母と私の三人平凡で幸せな日々を過ごしていた。
素敵な婚約者もいて、学園を卒業したらすぐに結婚するはずだった。
それなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう⋯?
◇人物の表現が『彼』『彼女』『ヤツ』などで、殆ど名前が出てきません。なるべく表現する人は統一してますが、途中分からなくても多分コイツだろう?と温かい目で見守って下さい。
◇後半やっと彼の目的が分かります。
◇切ないけれど、ハッピーエンドを目指しました。
◇全8話+その後で完結
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる