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【シャルデル伯爵の術中】
7.レイナール夫人の動揺
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辺境伯の後に続くリシアの傍らには、シャルデル伯爵もいる。
辺境伯がシャルデル伯爵を警戒していたように、シャルデル伯爵も完全には辺境伯に気を許しているわけではないらしい。
辺境伯の連れ合いは、人の多い場所が苦手ということで、別室で休んでいるらしかった。
通された場所は扉のある部屋ではなく、待合席のような場所であり、廊下を行き来する人の往来もあるから安心だ、とリシアも思った。
そこには何人かの人がいたが、人目を避けるようにしてぽつんと一人で座る老婦人がいた。
「カロライン」
辺境伯に呼ばれて、老婦人が顔を上げた。
あからさまにほっとした表情ではあるが、なぜかリシアの顔を見て、固まったようだった。
夫である辺境伯はそれに気づかないのか、気づいていて気にしていないのか、笑顔で紹介を始める。
「妻のカロラインだ。 カロライン、カイトの言っていた、レイナール夫人、リシアだよ」
「………」
カロラインはリシアの顔を凝視したまま、言葉が出ない様子だった。
まるで、幽霊か何かに遭ったようだ、と思いながら、リシアは呼びかける。
「カロライン、様?」
そうすれば、カロラインはハッとしたようだった。
初対面の人間の顔を、不躾にじろじろと見ていたことを恥じるかのように、慌てた様子で目を伏せた。
「…ごめんなさい、わたくし、エルディース語が、得意でなくて、なんといったらいいか…」
たどたどしい様子で、ゆっくりとそう語ったカロラインは、一度夫である辺境伯を見た。
そして、フレンティア語で何か言った様子だったが、リシアにはわからなかった。
シャルデル伯爵はわかっただろうか。 後で聞いてみよう、と思う。
カロラインの言葉に、辺境伯が頷くと、カロラインはリシアに向き直る。
「リシアさん、お付き合い、くださる?」
おっとりと優しく笑むカロラインは、とても感じの良い女性で、リシアはカロラインに好意を抱いた。
「はい」
リシアが頷くと、カロラインがもう一度辺境伯に何かを告げる。
そうすれば、辺境伯は声を上げて笑った。
「『どうせ貴方は、そこの御方と商談なのでしょうから、無粋なお話は余所でやってくださいな』、ということだから、場所を移そうか。 シャルデル伯爵」
「ええ」
そう、応じたはずのシャルデル伯爵の顔が、リシアに向く。
「…俺を置いて先に帰ったりなさらないと約束してくださいね? 俺には貴女を無事に送り届ける義務があるのですから」
「わかりましたから、早く行かれては? 辺境伯をお待たせしています」
完全にはリシアの言葉に納得していない様子の、シャルデル伯爵の背がリシアから遠ざかって行き、リシアはほっと息をついた。
その様子をじっと見ていたらしいカロラインが、不思議そうにリシアに問う。
「…しゃるでる、はくしゃく? 彼は、カイトの息子ではないの?」
ああ、そうか。
カロラインは、カイトと親交があるらしい辺境伯の妻なのだ。
リシアと一緒にいるのが、カイトの息子と思うのは当然の流れである。
「お隣、失礼しますね」
リシアは意識して、ゆっくりと、しっかりした発音、わかりやすい言葉を意識しながら、言う。
そうすれば、カロラインは「どうぞ」と返してくれたので、カロラインの隣に腰を下ろした。
「彼、は、夫の息子では、ありません。 夫は、遠くに出掛けています。 今夜の付添いを、彼に頼みました」
リシアの説明に、カロラインは「そうなの」と頷いた。
カロラインは、リシアに色々なことを聞きたがった。
カイトは辺境伯だけでなく、その妻のカロラインとも懇意にしていたようで、リシアのことを予想以上に知っていたのだ。
おかげで、話題は尽きずに、楽しく過ごすことができた。
途中で、辺境伯かシャルデル伯爵に命じられたらしいボーイが、アルコールではなく紅茶とお茶菓子を用意してくれたのも有難かった。
そして、リシアは会話の中であることに気づく。 カロラインは、カロラインが言うほどエルディース語が不得意なわけではない。
リシアが話したことを問い返すこともなければ、きちんと言葉を紡ぐ。
「カロライン様、とても、エルディース語がお上手ですよ?」
そうすれば、カロラインは微笑んだ。
「ありがとう、…リーシュと、呼んでも?」
一瞬、リシアは考えたが、
「はい、どうぞ」
とすぐに答えた。
【リーシュ】というのは、カイトがリシアを呼ぶ愛称だ。
それがリシアはあまり好きではない。
子ども扱いされているように聞こえるからだ。
けれど、目の前の老婦人に比べれば、リシアはまだまだ子どもだから致し方ないだろう、とリシアが決着したときだ。
「…義母上様ではないですか」
その声に、言葉に、心臓が止まるのではないか、と思った。
辺境伯がシャルデル伯爵を警戒していたように、シャルデル伯爵も完全には辺境伯に気を許しているわけではないらしい。
辺境伯の連れ合いは、人の多い場所が苦手ということで、別室で休んでいるらしかった。
通された場所は扉のある部屋ではなく、待合席のような場所であり、廊下を行き来する人の往来もあるから安心だ、とリシアも思った。
そこには何人かの人がいたが、人目を避けるようにしてぽつんと一人で座る老婦人がいた。
「カロライン」
辺境伯に呼ばれて、老婦人が顔を上げた。
あからさまにほっとした表情ではあるが、なぜかリシアの顔を見て、固まったようだった。
夫である辺境伯はそれに気づかないのか、気づいていて気にしていないのか、笑顔で紹介を始める。
「妻のカロラインだ。 カロライン、カイトの言っていた、レイナール夫人、リシアだよ」
「………」
カロラインはリシアの顔を凝視したまま、言葉が出ない様子だった。
まるで、幽霊か何かに遭ったようだ、と思いながら、リシアは呼びかける。
「カロライン、様?」
そうすれば、カロラインはハッとしたようだった。
初対面の人間の顔を、不躾にじろじろと見ていたことを恥じるかのように、慌てた様子で目を伏せた。
「…ごめんなさい、わたくし、エルディース語が、得意でなくて、なんといったらいいか…」
たどたどしい様子で、ゆっくりとそう語ったカロラインは、一度夫である辺境伯を見た。
そして、フレンティア語で何か言った様子だったが、リシアにはわからなかった。
シャルデル伯爵はわかっただろうか。 後で聞いてみよう、と思う。
カロラインの言葉に、辺境伯が頷くと、カロラインはリシアに向き直る。
「リシアさん、お付き合い、くださる?」
おっとりと優しく笑むカロラインは、とても感じの良い女性で、リシアはカロラインに好意を抱いた。
「はい」
リシアが頷くと、カロラインがもう一度辺境伯に何かを告げる。
そうすれば、辺境伯は声を上げて笑った。
「『どうせ貴方は、そこの御方と商談なのでしょうから、無粋なお話は余所でやってくださいな』、ということだから、場所を移そうか。 シャルデル伯爵」
「ええ」
そう、応じたはずのシャルデル伯爵の顔が、リシアに向く。
「…俺を置いて先に帰ったりなさらないと約束してくださいね? 俺には貴女を無事に送り届ける義務があるのですから」
「わかりましたから、早く行かれては? 辺境伯をお待たせしています」
完全にはリシアの言葉に納得していない様子の、シャルデル伯爵の背がリシアから遠ざかって行き、リシアはほっと息をついた。
その様子をじっと見ていたらしいカロラインが、不思議そうにリシアに問う。
「…しゃるでる、はくしゃく? 彼は、カイトの息子ではないの?」
ああ、そうか。
カロラインは、カイトと親交があるらしい辺境伯の妻なのだ。
リシアと一緒にいるのが、カイトの息子と思うのは当然の流れである。
「お隣、失礼しますね」
リシアは意識して、ゆっくりと、しっかりした発音、わかりやすい言葉を意識しながら、言う。
そうすれば、カロラインは「どうぞ」と返してくれたので、カロラインの隣に腰を下ろした。
「彼、は、夫の息子では、ありません。 夫は、遠くに出掛けています。 今夜の付添いを、彼に頼みました」
リシアの説明に、カロラインは「そうなの」と頷いた。
カロラインは、リシアに色々なことを聞きたがった。
カイトは辺境伯だけでなく、その妻のカロラインとも懇意にしていたようで、リシアのことを予想以上に知っていたのだ。
おかげで、話題は尽きずに、楽しく過ごすことができた。
途中で、辺境伯かシャルデル伯爵に命じられたらしいボーイが、アルコールではなく紅茶とお茶菓子を用意してくれたのも有難かった。
そして、リシアは会話の中であることに気づく。 カロラインは、カロラインが言うほどエルディース語が不得意なわけではない。
リシアが話したことを問い返すこともなければ、きちんと言葉を紡ぐ。
「カロライン様、とても、エルディース語がお上手ですよ?」
そうすれば、カロラインは微笑んだ。
「ありがとう、…リーシュと、呼んでも?」
一瞬、リシアは考えたが、
「はい、どうぞ」
とすぐに答えた。
【リーシュ】というのは、カイトがリシアを呼ぶ愛称だ。
それがリシアはあまり好きではない。
子ども扱いされているように聞こえるからだ。
けれど、目の前の老婦人に比べれば、リシアはまだまだ子どもだから致し方ないだろう、とリシアが決着したときだ。
「…義母上様ではないですか」
その声に、言葉に、心臓が止まるのではないか、と思った。
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