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第二章 始まる部活と新入部員歓迎会

第44話 ありふれた苦しさ

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 夏村に買い終わったことを連絡すると、すぐに返信が帰ってきた。
 どうやら向こうはすでに終わっていたようで、駅前の分かれたところで待っているとのことだった。

 池本と急ぎ向かった。
 ショッピングモールを出て駅に向かう道の途中、その端だった。
 独り、夏村が街灯の下に立っていた。
 
 背筋が痺れて、嫌な予感がした。

 危険信号が鳴る。強烈な赤が一瞬、視界さえも支配した。
 それでも、俺は止まれなかった。
 ゆっくりと、されど確実に夏村に近づき、気づくと声をかけていた。

「……大槻は?」

 俺は遅くなったことへの謝罪もなく、真っ先に確認した。
 夏村は全く表情を変えない。

 それが確信になった。
 俺の横で、池本が不思議そうにしていた。

「あー、池本悪いんだけど一通り持って先公園に行ってもらえないか?」

「え、あ、はい、分かりました……?」

 半ば強引にバケツやライター、そして夏村が持っていた花火の袋を池本に渡し、公園へ向かわせた。
 何かを察しただろうが、仕方ない。
 申し訳ない。と心の中で謝りながら、黙って池本が歩いていくのを見送った。

 …………。
 完全に見えなくなるのを確認するまで、一言も喋らない。

 一秒、二秒。
 ゆっくりと過ぎる時間の中、もう大丈夫だろうと夏村の方を向いた。

 目が合うと実感した。
 彼女はかつてないほど弱っていた。
 そして、限界に達したのだろう。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 夏村は震えた声で謝り、そして祈るように静かに泣いた。

 俺は知らない。
 その謝罪の意味も、涙の感情も、震えの答えも。
 想像がつく反面、その真意が分からない俺に何が言えるだろうか。

 気休めか、慰めか。
 だが、ここで何も言わないということはできない。
 それが最も傷つける行為だからだ。

「夏村、すまん。俺はお前の涙を止めるだけの言葉を持ってない。けど、頑張ったのは分かるよ。先輩として後輩として、なんとか今日を乗り越えようとしたんだろ。お前はすげーよ。だから今泣いたって誰も責めないから」

「……ええ、ありがとう」

 苦しそうにしながら、それでも俺に感謝を言う夏村。

 ああ、ちくしょうが。
 何の助けもできない自分に苛立つ。

 それでも必死に考える。

 今俺にできること。
 どうする? 
 誰かに連絡するか? 誰に? どう話す?
 夏村を帰して、公園に行くか? どう説明する? 夏村の意志は?
 そもそも大槻は? 確認できるか? 無理だろ。

 考えれば考えるほど、こんがらがってくる。
 焦燥感だけが増す中、ポケットが震えていたことに気づく。

 スマホを取り出し確認する。
 画面には樫田の名前が表示されていた。
 夏村が俺のスマホを見ていた。

「樫田からだ」

 そう言うと、夏村は小さく頷いた。
 大丈夫、ということだろう。
 俺が通話状態にすると、すぐに声が聞こえた。

『もしもし杉野、聞こえるか?』

「ああ」

 樫田の声に、少し安心する。
 ただ同時に、電話越しでありながら必死さを感じた。

『簡潔に言うが今そっちに向かっている。俺一人だ。さっき池本が走って公園に来てな、状況は察した。そういうことだな? 色々あっただろうし言いたいことあるかもしれないが、とりあえず一人で公園に向かってくれないか?』

「いや、でも」

 樫田もだいぶ焦っているだろう。話口調がだいぶ早口だった。
 やはり池本も何かあったと感じていたか。

 俺は夏村を見る。
 ほっとけないだろこれは。

「樫田、なんて……?」

「え、ああ、こっちに向かっているって。そんで俺は公園に戻るようにって」

「杉野、私は大丈夫。だからお願い」

 夏村の言葉に俺は頷いた。
 ああ、そうだな。

「分かった。俺は公園に向かう。樫田頼めるか」

『ああ、すぐ行くから』

 樫田はそう言い残し、電話を切った。
 ポケットにスマホをしまうと、夏村を見た。
 少し落ち着いたのか、もう涙は流れてなかった。

「じゃあ、行くから」

 たぶん、これ以上言葉は不要だろうから俺は短く、言った。
 公園に向かおうと駅の方を向いたところで、背中越しに夏村の声が聞こえた。

「……杉野、ありがとう」

「…………ああ」

 俺は、夏村に届いたか分からないぐらいの小さい声で呟き、歩いていく。

 駅前の明るさ、夜の果てしない闇、帰り時の人波が駅から出てくる。

 ぐちゃぐちゃの現実だった。

 俺は感情の濁流に吞まれないように、拳を強く握る。

 ちくしょう…………ちくしょう、ちくしょう!!

 歩きながら、俺は念じる。
 何やってんだ! 
 何してんだよ!
 何でなんだよ!

 色んな叫びが頭の中で響く。
 そして反響して、お前のせいだろって返ってくる。
 ああ、そうだよ。あの時夏村と大槻を二人にした俺のせいだ。

 ちゃんと立ち回れていれば!

 徐々に歩く速度が増していくのを実感しながらも止まれない。
 最悪の展開が脳裏をよぎる。

 分かってんのか俺! 新入部員歓迎会なんだぞ! 最後の最後でこんな……!
 自責の念に駆られて、俺は下を見ていた。
 だから、全く気付いていなかった。

「……野、杉野! 大丈夫か!?」

 アスファルトから目を離し、正面を向くとひどく慌てた樫田がいた。
 駅から公園まで数分だというのに走ったのか、息が乱れていた。

「俺は大丈夫だから、夏村を」

「何言ってんだ、お前酷い顔しているぞ。鬼の形相だ」

 俺の言葉を遮り、酷い顔の樫田が言う。
 はは、鬼の形相って。
 樫田は何を思ったのか、深呼吸をして整えてから話し出した。

「……杉野、まず確認だ。大槻は告白したのか?」

「正直分からない。俺と池本、大槻と夏村の二手に分かれて買い出しをしたんだ。それで集合場所に行ったら夏村一人だった」

「それで違和感を覚えて、池本一人を先に公園に行かせたのか」

 俺は頷く。
 たぶん、ほとんど察しているのだろう。
 最低限のやり取りだった。
 そのまま夏村のところに向かうと思ったが、樫田は俺の肩に手を置いた。
 
「杉野よく聞け。
 
 その一言で、俺の中で何かが覚める。
 ああ、ああそうだ。まだだ。そうじゃないか!

「お、少しマシな顔になったな。そうだ、まだ終わっていないだろ。確かに状況は悪いが、全てがダメになった訳じゃない。俺たちは二年生として、演劇部員として、無理矢理にでもなんでもいい大団円を演出しろ」
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