上 下
81 / 396
第二章 誠忠のホムンクルス

第81話 標的にされたホムンクルス

しおりを挟む
 花の季節を過ぎた龍樹の枝葉が、ますます青く染まり、澄んだ空へと伸びている。

 セント・サライアス中学校二年に進級した僕とアルフェは二度目の春を迎え、ホムも生徒たちから好奇の目で見られる期間を過ぎた。

 四月に入学した新入生たちに、僕が伴うホムのことが早々と周知されたこともあり、ホムの扱いは、他の生徒が伴っている従者の扱いとそう変わらなくなっている。

 先生方の教育の賜物でもあるが、やはりこの時代のホムンクルスはしっかりとした人権を与えられているのだと改めて実感する。だが、その陰で犯罪組織によるホムンクルス誘拐事件は密かに増加を続けているらしい。

 ホムはすでに父から教わった護身術を身につけてはいたが、それはあくまで自分の身を護ることに特化している。僕とアルフェを守れるだけの戦闘技術を身につけたいというホムの希望で、五月の連休は街の西側にあるカナド通りへと赴くことになった。

 カナド通りというのは、西側の商業区の繁華街の名だ。僕たちの生活圏である街の東側とは湖を挟んだ対岸に位置し、古今東西の様々な文化の影響を色濃く受け継いだ建築や、屋台や露店をはじめとした商店が多く連なっている。

 黒竜教で定められた連休ということもあり、カナド通りは多くの人で賑わっている。同行したアルフェの提案で、湯気の立つ甘い蒸し饅頭を分け合って食べながらそれらしい道場に目星をつけていると、ホムが警戒した様子で周囲に目を配っていることに気がついた。

「……どうした、ホム?」
「よからぬ輩が近づいているようです」

 口早に応えたホムは、警戒心を強めて拳を握る。

「あ……」

 アルフェの浄眼もなにかを見つけたのか、その表情に怯えが混じった。

 ――やはり、目立つか……。

 学校で周知されている以上、僕たちのことを知ることとなる人間は多い。生活圏ではそれが安心に繋がっているのだが、同じ街とはいえ、生活圏から離れた場所では状況が変わってしまう。

 まあ、ホムは僕が念入りに造形を考えただけあって、かなり見た目も良いからな。闇取引で高い値がつくだろうし、狙うなら大人の錬金術師よりも、子供に限る。

 これだけの人出と賑わいなら大丈夫かと思っていたが、どうも考えが甘かったようだ。

「……いかがいたしますか、マスター?」

 声を潜めてホムに聞かれたところで、僕たちをニヤニヤと見つめながら近づいてくる大男の姿に気がついた。

「アルフェ様、お下がりください」

 ホムが僕たちの前に進み出て、父に習った基本姿勢を取る。見るからに厳つい大男が近づいてきているせいか、僕たちの周りを人々が自然と避け始めた。

「……おやおや、こんなところにいたとはな。ずいぶんと探したぜ。こっちへ来な」

 大男は下卑た笑みを浮かべながらホムの腕を取ろうとする。ホムは無言でそれを振り払うと、僕たちにさらに下がるように促した。

 少女型のホムンクルスが珍しいとはいえ、こんなに白昼堂々と接触してくるとは……。

「リーフ……」

 背後にいるアルフェの声が震えている。この男ひとりぐらいなら、ホムひとりで倒せるだろう。僕たちがすべきは、ホムが安心して戦えるように身の安全を確保することだ。

「アルフェ、逃げ――」

 逃げると決めてからの僕の行動は早かった。アルフェの腕を取り、大男に背を向けてかけ出す。だが、僕たちの行く先は、既に別の太鼓腹の男によって塞がれていた。

「一体どこへ行くんだい? おじさんとお家に帰るんだよ」
「……あ……あ……」

 怯えきったアルフェが青い顔をしている。アルフェの手を強く握り、なにをすべきか思考を巡らせたその時。

「あんたたち人さらいかい!?」

 恰幅の良い女主人が勇ましく声を上げてくれた。見れば、先ほど甘い蒸し饅頭を買った店の女主人だ。彼女の問いかけに、遠巻きに僕たちの様子を見ていた人々がざわめき出した。きっと誰もが、誘拐なんて犯罪がこんなに多くの人がいる場所で起こるとは思っていなかったのだろう。僕だってそうだった。

 けれど、助かったと思ったのもほんの束の間のことだった。

「……ははは、またまた、人聞きの悪い」

 太鼓腹の男は大声でその問いかけを笑い飛ばし、僕たちとの距離をさらに詰めてきたのだ。

「なーに、親戚の子を預かってるんだが、臍を曲げられちまってなぁ」
「そうだろ、弟?」

 太鼓腹の男が聞くと、ホムと対峙していた大男が頷く。すると、近くの露店から別の声が上がった。

「あー、わかるぜ。俺も女房に代わって子守りをしてただけだっていうのに、人さらいに間違われたもんだぜ」
「悲しいことに、ガキもママー、ママーなんて叫びやがるから誤解を解くのに苦労したってもんじゃない」

 太鼓腹の男が芝居がかった仕草で周囲の同情を集める。

「お前らのその顔じゃあ、しょうがねぇよ」
「見た目で判断するなよぉ」

 露店の主人がそれを笑い飛ばすと、強面の大男が急に眉を下げ、情けない声を出した。どっと笑いが起こり、僕たちに向けて野次のような声が飛ぶ。

「なぁんだ。紛らわしいったらありゃしないよ」

 その場の雰囲気に呑まれたのか、恰幅の良い女主人も引き下がってしまった。

 どうやら、僕が考えていた以上に相手の方が何倍も上手だったようだ。こうなってしまっては、この場に僕たちの味方はいない。逃げる以外の選択肢がないことに気がついた僕は、ホムに鋭く命じた。

「ホム――」
「かしこまりました」

 僕の言わんとすることを瞬時に理解したホムが、大男に足払いをして転倒させる。

「おい! 待て!」

 太鼓腹の男の手を近くにあった看板を盾にして避け、僕はアルフェの手を引いたまま全力で走る。体格差のこともあり、アルフェが僕を抜いてぐんぐんと速度を上げた。

「とにかく、走って!」
「うん!」

 こんなとき、幼い身体のままというのは不便だな。アルフェが手を引いてくれていても、僕が逃げ遅れているのがはっきりとわかる。アルフェの足を引っ張っているこの状況を、なんとかしなくては。

「アルフェ、僕を置いて先に行って」
「ヤダ!」

 アルフェは人々の間を擦り抜けるように駆け抜けながら、僕の姿を巧みに隠して逃げ続ける。だが、迫り来る男たちとの距離は見る間に縮まっていく。

「おいおい、そう逃げるなよ。みんな仲良く遊ぼうぜぇ」

 声を張り上げながら、大男が僕たちを追い詰める。ついにその手が伸び、僕の腕を掴んだ。

「リーフ!」
「離せ!」

 振り解こうにも、大男と僕の体格差ではどうすることもできない。

 ――だが、ホムならばどうだ?

「ホム!」

 僕が叫ぶと同時に、人混みの中から突如として現れたホムが、男の鳩尾に痛烈な蹴りを叩き込む。

「あっ、ぐ……」

 不意を突かれた大男は、身体を折り、辺りに吐瀉物を撒き散らす。男の手から逃れた僕は人混みの中に身を隠し、アルフェの姿を探った。

「アルフェ様は安全な場所へ!」

 姿を見失ったのか、ホムもアルフェに向けて叫んでいる。

「ダメ、一緒に逃げるの!」

 アルフェの声が聞こえたが、僕にもその姿は見つけられない。他にも仲間がいて、捕まっているのではと思うと、背を冷たい汗が流れた。

「いやいや。鬼ごっこはもうお終いだ。おじさんたちをあまり困らせないでおくれ」

 追いついてきた太鼓腹の男が、ホムに歩み寄る。大男も気を取り直して立ち上がり、ホムを見下ろしていた。

「ずいぶんとお転婆だな。これは、躾直す必要がありそうだ」

 あくまで『親戚』の振りを続ける男たちに、通りにいる人々が表立って声を上げられずにいる。運悪くこの混雑のせいか、警邏けいら中の警察の姿も見つけることが出来なかった。

 僕もホムもこの人混みのなかに簡単に埋もれてしまう。騒ぎが起きていることに気づいたとしても、男たちの話が聞こえていれば子供が駄々をこねているぐらいにしか思わないかもしれない。

 やはりここは、アルフェだけでも逃げてもらった方がいい。絶対に巻き込みたくないし、僕のせいでアルフェにこれ以上怖い思いはさせたくない。

「アルフェ、僕の言うことを聞いてくれ。今は逃げるんだ」
「――逆巻く風よ。疾風の加護を。ウィンド・フロー!」

 応える声の代わりに聞こえたのは、風魔法の詠唱だった。詠唱と同時に旋風が起こり、僕とホムの姿を包み込む。

「こっち、走って!」

 どこからともなく伸びた手が、僕の手を強く引き寄せる。

「アルフェ!」

 驚きに叫んだ口を舌を噛まないように慌てて閉じ、アルフェの全力疾走に合わせて通りを駆け抜ける。

「こっちだ!」

 まるで風のように大通りをあっという間に抜けた僕たちだったが、男たちの目を逃れて行き着いた先は、不運にも袋小路だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

魚谷
恋愛
「ギュスターブ様、離婚しましょう!」 8歳の頃に、15歳の夫、伯爵のギュスターブの元に嫁いだ、侯爵家出身のフリーデ。 その結婚生活は悲惨なもの。一度も寝室を同じくしたことがなく、戦争狂と言われる夫は夫婦生活を持とうとせず、戦場を渡り歩いてばかり。 堪忍袋の緒が切れたフリーデはついに離婚を切り出すも、夫は金髪碧眼の美しい少年、ユーリを紹介する。 理解が追いつかず、卒倒するフリーデ。 その瞬間、自分が生きるこの世界が、前世大好きだった『凍月の刃』という物語の世界だということを思い出す。 紹介された少年は隠し子ではなく、物語の主人公。 夫のことはどうでもいいが、ユーリが歩むことになる茨の道を考えれば、見捨てることなんてできない。 フリーデはユーリが成人するまでは彼を育てるために婚姻を継続するが、成人したあかつきには離婚を認めるよう迫り、認めさせることに成功する。 ユーリの悲劇的な未来を、原作知識回避しつつ、離婚後の明るい未来のため、フリーデは邁進する。

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

転生したら赤ん坊だった 奴隷だったお母さんと何とか幸せになっていきます

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
転生したら奴隷の赤ん坊だった お母さんと離れ離れになりそうだったけど、何とか強くなって帰ってくることができました。 全力でお母さんと幸せを手に入れます ーーー カムイイムカです 今製作中の話ではないのですが前に作った話を投稿いたします 少しいいことがありましたので投稿したくなってしまいました^^ 最後まで行かないシリーズですのでご了承ください 23話でおしまいになります

わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました

ぺきぺき
ファンタジー
ルロワ公爵家の三女として生まれたクリスローズは聖女の素質を持ち、6歳で教会で聖女の修行を始めた。幼いながらも修行に励み、周りに応援されながら頑張っていたある日突然、大聖女をしていた10歳上の姉が『妊娠したから大聖女をやめて結婚するわ』と宣言した。 大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。 ー--- 全5章、最終話まで執筆済み。 第1章 6歳の聖女 第2章 8歳の大聖女 第3章 12歳の公爵令嬢 第4章 15歳の辺境聖女 第5章 17歳の愛し子 権力のあるわがまま女に振り回されながらも健気にがんばる女の子の話を書いた…はず。 おまけの後日談投稿します(6/26)。 番外編投稿します(12/30-1/1)。 作者の別作品『人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています』の隣の国の昔のお話です。

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

処理中です...