上 下
5 / 396
第一章 輪廻のアルケミスト

第5話 三女神

しおりを挟む
「…………」

 アウローラは無言で黙ったまま、僕とその女神と思しき女性を見比べている。

「ねえ、なんとか言いなよ!」
「……あなたの提案が受け容れられないからですよ。フォルトナ」

 けしかけるような言葉を浴びせられ、やっとアウローラが口を開いた。

「あーあ、またそうやってイイコちゃんぶって、一人だけで暴走するんだ?」

 フォルトナと呼ばれた女神は、不機嫌を露わにして足を組む。弾みか合図か、彼女の座る椅子は急降下し、床に落ちた。

 だが、衝撃音などはない。フォルトナはにやにやと笑いながら僕を眺め、大胆に足を組み替えた。彼女の足を包む金属製の防具や靴が、硬質な音を立てた。

「初めまして、グラス=ディメリア」

 赤みがかった白色の翼を好戦的に広げ、フォルトナが見下すように僕を見つめている。

「あなたは下がっていなさい、フォルトナ」

 アウローラが静かに牽制したが、フォルトナは片眉を持ち上げただけで聞き入れなかった。

「転生の条件って聞いてる?」

 不死鳥のような飾りのついた杖を弄びながら、フォルトナが僕に話しかける。条件らしい条件は聞いていなかったので、僕は首を横に振った。

「その者と話す必要はありません。転生は私が行います」
「私が、じゃなくてクロノスがやるんでしょ」
「決定権は私にあります」
「あたしにもあるけど?」

 アウローラとフォルトナの短い応酬が続けられている。フォルトナの出現によって、アウローラの耳触りの良い優しい言葉には裏があるような気がした。

 僕が殺めた養父も、本性を現す前はそうだったのだ。

「フォルトナ。転生には条件があるのか?」

 言い合う二人の間に割り入り、フォルトナに声をかける。

「ほら、あんたやっぱり話してなかったじゃん」

 フォルトナは勝ち誇ったようにアウローラを一瞥すると、椅子ごと前進して水晶の檻に近づいた。

「ただただ幸せそうな環境に置いてやって、新しい人生をプレゼントしますってのが、アウローラのやり方なの。だけど、せっかくの英雄なんだからさ、その知識なりなんなりも活かしてやらないと褒美になんないでしょ」
「それは危険です。人が持つ運命に干渉出来る女神だからこそ、その力は限定的であるべきです」

 僕が答える前にアウローラが鋭く口を挟んだ。

「お堅いなぁ。なにも、『アカシック・レコード』を使って運命を歪めようなんて言ってないじゃん。あたしはあくまで、こいつはこいつのまんま転生させてやればいいって言ってんの」

 転生のプロセスを僕は知らない。だが、アウローラとフォルトナの間で何か条件が違うということは理解出来た。

「あんたもさ、女神の言うことだからって騙されるんじゃないよ。大体、今回の『処刑』だって、輪廻転生のプロセスに反するからってアウローラがカシウスに命令したことなんだからさ」

 それは薄々感じていたことだが、自分の処刑の全貌を知ったところで、最早起きたことはどうしようもない。

「あたしは、あのホムンクルスにあんたの魂がちゃんと入るかどうかまで見定めてからでもいいと思ったんだけどね。魂がちゃんと入ってこその完成でしょ?」
「それだけの完成度はありました。失敗など考えられません」
「はいはい。正義のためだもんね」

 アウローラの言葉を遮るように頭の横でひらひらと手を振り、フォルトナが椅子から立ち上がった。金属製の靴や防具が冷たく鳴り、辺りに反響する。

「ねえ、あんただったらどっちがいい? 記憶も何もかもリセットされた赤ん坊として生まれるのと、今の記憶をぜーんぶ持ったまま転生するのと」

 アウローラの言う転生の条件は、記憶を失うことに同意することのようだ。条件を聞かされていないまま転生に同意していれば、無条件で『僕』は消し去られることになったらしい。だが、その条件は尤もらしさもある。それだけに、フォルトナの条件が気になった。

「……そんなことが可能なのか?」
「当たり前じゃん。で、どっちなの?」

 別の条件を突きつけられるかと思ったが、そういうものはないのだろうか。

「……記憶を持ったまま転生すれば、人生がやり直せる……? 今話している条件というのは、記憶があるかないかの違いだけか?」
「そうね。今度は良い環境に生まれるように計らうから、あの酷い人生と比べたらかなりいい感じになるんじゃないかな。まあ、幸福だとかなんとか感じられるかは、それを知らないあんたには難しいかもしれないけど」
「…………」

 楽しげに笑いながら話すフォルトナには、少しだけ好感が持てた。アウローラのように同情されるよりも、はっきりと自分の状況を客観的に示された方が僕としては妙に納得するものがあったのだ。

 もしも、フォルトナが言うとおりだとすれば、生まれ持っての孤独や不幸がなかった場合の人生はどうだったのだろうか。

「ほら、興味湧いてきたでしょ? あと、記憶はあるんだし錬金術の研究だって続きが出来るんじゃない?」
「フォルトナ」

 フォルトナがダメ押しとばかりに促したが、いつ気まぐれな禁忌に触れるかわかったものではない。その証拠にアウローラの声音が変わった。

「……それは、今は考えられない」
「あーあ、可哀想に。怯えさせちゃってるよ? そんな怖い顔で睨まなくてもいいじゃん」

 他人事のようにフォルトナがアウローラを見上げて言う。

「グラスにではなく、あなたに怒っているのです」
「なんで? 別に禁止されてるわけじゃないし、今までだってあんたの美学に付き合ってただけじゃん」

 そう言うと、フォルトナは視線を僕に戻した。

「あんたも、処刑されてるんだし、悪さはもうしないでしょ?」
「新たな生については、その心配がないように過ごそう」

 そもそも新たな生を授かるのならば、禁忌を犯す必要がなくなるのだ。錬金術のない人生というものにも興味が湧いた。

「ほらね。大丈夫だって。あたしも、記憶を持ったままこの英雄を転生させたら、どう生きてくのか観察するのにちょうどいいと思ってたし」
「……あなたの娯楽で、転生を歪めることは承服しかねます」

 アウローラは言葉を選んで反対の意を示したが、それを逆撫でするようにフォルトナが指を指して笑った。

「大反対って顔に書いてあるよ」
「わかっているならば、ただちに止めることです」
「やなこった!」

 アウローラの声が微かに怒りに震えているが、フォルトナは全く意に介さない。それどころかアウローラの忠告を突っぱねると、手にした杖を宙に向かって掲げた。

「クロノス! 起きろ、このねぼすけ!」

 宙に浮かぶ空の椅子が淡い光を放ち始める。ぼんやりとした淡い光は、静かに人の形をなぞり、赤みがかった亜麻色の髪と、髪と似たような色の衣服をまとった少女の姿が現れた。

 少女の手には、機械仕掛けのゼンマイを模したような金の杖が握られている。椅子に静かに座して目を閉じている少女をフォルトナは床から仰ぐと、苛立ったように靴の踵を鳴らした。

「起きろって言ってんの!」

 フォルトナが翼を羽ばたかせると同時に疾風が駆け抜け、椅子が吹き飛ぶ。目を閉じたままの少女はびくりと身体を震わせ、のろのろと空中で立ち上がった。

「ふわぁああ……。寝起きに酷いじゃないか、フォル姉」
「昼寝に戻りたかったら、さっさとこいつを転生させなさい。クロノス!」

 厳しい口調でフォルトナが命ずる。目覚めたばかりと思しき少女の姿の女神――クロノスは、目をぱちぱちとしばたかせて僕を見つめた。

「ダメです、クロノス。その者にはまだ記憶が――」
「あたしの言うことが聞けないの!?」

 アウローラの言葉を無視したフォルトナが強く命じる。クロノスは、その勢いに負けたように機械仕掛けのような金の杖をひるがえした。

「転生に同意します。この者に新たなる生命を――」

 クロノスの言葉に反応し、金の杖についたゼンマイが動き始める。それと同時に、白い床に見たこともない文字の羅列が浮かび上がった。

「僕は、承諾した覚えはないぞ!」

 叫ぶ僕を目がけて凄まじい光の奔流が殺到する。水晶の檻が砕けて光は瞬く間に僕を呑み込んだ。

「あんたに拒否権はないんだよ。せいぜい、良い実験台になるんだね!」

 最期に聞いたのは、嘲笑うようなフォルトナの声だった。

しおりを挟む
感想 166

あなたにおすすめの小説

引きこもり転生エルフ、仕方なく旅に出る

Greis
ファンタジー
旧題:引きこもり転生エルフ、強制的に旅に出される ・2021/10/29 第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞 こちらの賞をアルファポリス様から頂く事が出来ました。 実家暮らし、25歳のぽっちゃり会社員の俺は、日ごろの不摂生がたたり、読書中に死亡。転生先は、剣と魔法の世界の一種族、エルフだ。一分一秒も無駄にできない前世に比べると、だいぶのんびりしている今世の生活の方が、自分に合っていた。次第に、兄や姉、友人などが、見分のために外に出ていくのを見送る俺を、心配しだす両親や師匠たち。そしてついに、(強制的に)旅に出ることになりました。 ※のんびり進むので、戦闘に関しては、話数が進んでからになりますので、ご注意ください。

異世界王女に転生したけど、貧乏生活から脱出できるのか

片上尚
ファンタジー
海の事故で命を落とした山田陽子は、女神ロミア様に頼まれて魔法がある世界のとある国、ファルメディアの第三王女アリスティアに転生! 悠々自適の贅沢王女生活やイケメン王子との結婚、もしくは現代知識で無双チートを夢見て目覚めてみると、待っていたのは3食草粥生活でした… アリスティアは現代知識を使って自国を豊かにできるのか? 痩せっぽっちの王女様奮闘記。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

ザ・聖女~戦場を焼き尽くすは、神敵滅殺の聖女ビームッ!~

右薙光介
ファンタジー
 長き平和の後、魔王復活の兆しあるエルメリア王国。  そんな中、神託によって聖女の降臨が予言される。  「光の刻印を持つ小麦と空の娘は、暗き道を照らし、闇を裂き、我らを悠久の平穏へと導くであろう……」  予言から五年。  魔王の脅威にさらされるエルメリア王国はいまだ聖女を見いだせずにいた。  そんな時、スラムで一人の聖女候補が〝確保〟される。  スラム生まれスラム育ち。狂犬の様に凶暴な彼女は、果たして真の聖女なのか。  金に目がくらんだ聖女候補セイラが、戦場を焼く尽くす聖なるファンタジー、ここに開幕!  

対人恐怖症は異世界でも下を向きがち

こう7
ファンタジー
円堂 康太(えんどう こうた)は、小学生時代のトラウマから対人恐怖症に陥っていた。学校にほとんど行かず、最大移動距離は200m先のコンビニ。 そんな彼は、とある事故をきっかけに神様と出会う。 そして、過保護な神様は異世界フィルロードで生きてもらうために多くの力を与える。 人と極力関わりたくない彼を、老若男女のフラグさん達がじわじわと近づいてくる。 容赦なく迫ってくるフラグさん。 康太は回避するのか、それとも受け入れて前へと進むのか。 なるべく間隔を空けず更新しようと思います! よかったら、読んでください

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

知らない異世界を生き抜く方法

明日葉
ファンタジー
異世界転生、とか、異世界召喚、とか。そんなジャンルの小説や漫画は好きで読んでいたけれど。よく元ネタになるようなゲームはやったことがない。 なんの情報もない異世界で、当然自分の立ち位置もわからなければ立ち回りもわからない。 そんな状況で生き抜く方法は?

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

処理中です...