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第一章 輪廻のアルケミスト
第4話 転生の間
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目に見えるものはなにもない。
ただ、昏い昏い闇が広がっている。
覚めることのない夢を見ているような感覚があった。
肉体の苦痛から解き放たれた意識は、不思議なほど穏やかだった。あれほど恐れていた死は、肉体の終焉とともに受け入れられていた。
処刑という不本意な終わりではあったが、僕はどこかで安堵していたのかもしれない。もう苦しむことはないのだ、と。
僕を包む闇が仄かに揺らめき、どこからか光が差したように見えた。肉体はないので、目があるわけではないのだが、生前の意識の癖なのか目を凝らすような意識が働く。
自分の身体を意識すると、それを待っていたかのように光がさらに明るさを増した。
「目覚めるのです。グラス=ディメリア」
穏やかな声に目覚めを促されると同時に、意識が引っ張られるような感覚が起こった。
「目を開きなさい」
静かに命じられると、僕の意識は輪郭を纏い、顔を形成したように思えた。言われるがまま目を開くと、強い一陣の風が吹き、ついさっきまで目の前にあった闇とは異なる空間に移動した。
「……ここは……?」
目の前に広がる光景に目を瞬く。瞼が閉じるその一瞬は光が遮断され、目を開けば眩いばかりの光で溢れた白い空間が広がっているのが見えた。
「どういうことだ? 僕は死んだはず……」
確かに『処刑』されたのに、身体を使っている感覚がある。視線を足許に向けると、義足ではなく自分の二本の足でしっかりと立っているのが見えた。
左右の手も不自由なく動き、黒石病の痕跡は僕の身体のどこにも見当たらない。
息苦しさもなく、首許に手を当てると、刎ね飛ばされたはずの首にも何の傷痕もなかった。ただ、触れた肌は死人のように冷たかった。
夢のようでいて、夢とは違う空間にいるように感じた。
白い大理石で四方を囲まれた広い空間には、氷の結晶のような光が漂っている。それらは僕の周りにゆっくりと集まり始めたかと思うと、透明な水晶のような檻と化して僕を捕らえた。
「僕をどうするつもりだ、神人?」
呼びかけに反応はない。
死後であると仮定するならば、恐らくこの場所は天界と呼ばれる場所なのだろう。そう推測したところで、彼らの事情まではわからない。
「姿を現せ、カシウス」
この場所に自分を連れて来たのはあの神人だろうか。名を呼ぶが、カシウスは現れなかった。その代わりなのか、天鵞絨が張られた豪奢な椅子が三つ、どこからともなく現れて宙に浮き始めた。だが、誰も座ってはいない。
白で統一された神殿のようなこの場所は、牢の中から見渡す限り、大きな円を描くように広がっている。僕を捕らえている水晶のような檻と、宙に浮かぶ椅子の他にはなにもなく、誰の気配もなかった。
超常的な力が働いているのか、三脚の椅子は音もなく浮遊を続けている。
「この牢はなんだ? まだ僕が犯した罪とやらが残っているのか?」
椅子を睨めつけるように牢から見上げて問いかけると、玉座のうちの一つが輝き出した。
「今世におけるあなたの肉体は、カシウスによって『処刑』されました」
目覚めを促した声と同じ声が、静かに返る。
「魂はこの天界に転送されました。ここは、英雄の魂を管理する転生の間――」
「英雄? 転生?」
「あなたのことです。グラス=ディメリア」
オウム返しに呟くと、光の珠が椅子の一つに座すように浮かぶのが見えた。
「あ……」
光の珠は見る間に人間のような姿を象っていく。腰まである柔らかな銀髪、穏やかな表情の女性が、優美に椅子に腰かけている姿が宙に浮かび上がった。
優しげに広がる純白の翼が、突如として現れた女性の本質を示してる。
「女神……」
「創世の女神アウローラと申します。どうぞお見知りおきを」
青い宝石を冠した杖を細い指先でなぞるように持ち替え、アウローラと名乗った女神は穏やかな表情で目を伏せた。
「女神様が僕に何の用だ?」
挑むように問いかける。アウローラは柔らかに微笑むと、水晶の檻越しに僕を見下ろした。
「人魔大戦を勝利に導いた多大な貢献から、あなたを英雄と認めましょう」
「処刑を命じたのは女神の意思だというのに?」
神人が動く背景には、女神の意思がある。僕の問いかけにアウローラはほんの僅かに眉を下げた。
「禁忌を犯し、処刑されたとはいえ、あなたの功績は変わりません。グラス=ディメリア」
幼子を宥めるような口調だと感じた。そんなことで四十歳に近い大人が喜ぶとでも思っているのだろうか。
「死後に評価されたところで、僕にはなにも残らない。今世の功績は、錬金学会に奪われているぞ」
繰り返すが、僕の命も神人に奪われた。それも、恐らく目の前にいる女神の決定によって。
「そのようなことは、些末なことです。私たち女神が英雄と認めれば、あなたの功績は死後であろうと必ずや人々の知るところとなるでしょう」
アウローラの態度は変わらなかった。僕を宥めるような口調で、眉を下げ、少しだけ哀しそうな目でこちらを見ている。
「……それが、僕を処刑した罪滅ぼしか?」
「いいえ。私たちの決定は常に正義です」
苛立ちを滲ませたが、アウローラは哀しげに微笑んだだけだった。
「処刑によりあなたの罪は償われました。ここから先は、英雄としてのあなたの来世の話です」
「……来世?」
聞き返したが、その話はカシウスも持ち出していたことを思い出した。死後、僕の魂は新たな肉体を与えられて転生するのだ。
「あなたが望むならば、ただちに転生を行い、新たな人生を歩むことを許しましょう」
そういえば僕は、ホムンクルスに身体を入れ替えたあと、どう生きるつもりだっただろうか。同じグラス=ディメリアとして『続き』を歩むつもりだったはずだ。それは、ただ単に死にたくなかったから。その生き方しか知らなかったから。
「新たな人生……」
今それを与えられたら、僕はどう生きるのだろうか。どう生きることができるのだろうか。生前に考えたことのない問いが、僕の中をぐるぐると回っている。
「そうです。興味がおありのようですね?」
転生を拒否しないということは、少なくとも次の命を受け入れているということなのだろう。アウローラに指摘されるまで気づかなかったが、僕の中で渦巻いている悩みの正体を突きつけられたような気がした。
「初めてのことには、興味がある」
好奇心とも希望ともつかない感覚がある。少なくとも僕は転生に興味があり、自分でも理解できていない高揚を覚えていた。
「では、話の続きを。時間をおかずに転生を提案したのには理由があります」
アウローラは静かに微笑み、僕の頭上に杖を掲げた。水晶の檻の一部が澄んでいき、空間に融けるようにして見えなくなる。檻の天井にあたる格子が消されたことで、アウローラの表情がはっきりと見えるようになった。恐らく、アウローラから僕も良く見えるようになったはずだ。
「あなたの出自、養父に引き取られてからの生活――そして、養父の死後の生活は、人魔大戦への多大な貢献を行った英雄には相応しくありませんでした」
アウローラも僕の罪を咎めるようなことはしなかった。ホムンクルスの完成度は禁忌の域だと処刑対象になるのに、養父とは言え親殺しは禁忌ではないらしい。
「よって、私たちからあなたへのせめてもの報酬に、新たな人生を贈ろうと考えております」
アウローラが微笑みとともに告げると、彼女の傍に浮かんでいた空の椅子の一つが、不意に赤く光り出した。
「ちょっとちょっと、アウローラ! あたしを差し置いてなに勝手に話を進めてんのよォ!」
鋭い声とともに、赤い光が迸る。閃光に思わず閉じた目を開くと、アウローラの隣に、炎を思わせる真紅の衣装を纏った別の女性が座していた。
「抜け駆けはナシって言ったじゃん!」
あからさまに不機嫌な様子でアウローラに噛みついているのは、肩までの金髪に赤い髪飾りを着けた女性だ。宙に浮かぶ椅子のひとつに座しているところを見るに、恐らく彼女も女神の一人なのだろう。
ただ、昏い昏い闇が広がっている。
覚めることのない夢を見ているような感覚があった。
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処刑という不本意な終わりではあったが、僕はどこかで安堵していたのかもしれない。もう苦しむことはないのだ、と。
僕を包む闇が仄かに揺らめき、どこからか光が差したように見えた。肉体はないので、目があるわけではないのだが、生前の意識の癖なのか目を凝らすような意識が働く。
自分の身体を意識すると、それを待っていたかのように光がさらに明るさを増した。
「目覚めるのです。グラス=ディメリア」
穏やかな声に目覚めを促されると同時に、意識が引っ張られるような感覚が起こった。
「目を開きなさい」
静かに命じられると、僕の意識は輪郭を纏い、顔を形成したように思えた。言われるがまま目を開くと、強い一陣の風が吹き、ついさっきまで目の前にあった闇とは異なる空間に移動した。
「……ここは……?」
目の前に広がる光景に目を瞬く。瞼が閉じるその一瞬は光が遮断され、目を開けば眩いばかりの光で溢れた白い空間が広がっているのが見えた。
「どういうことだ? 僕は死んだはず……」
確かに『処刑』されたのに、身体を使っている感覚がある。視線を足許に向けると、義足ではなく自分の二本の足でしっかりと立っているのが見えた。
左右の手も不自由なく動き、黒石病の痕跡は僕の身体のどこにも見当たらない。
息苦しさもなく、首許に手を当てると、刎ね飛ばされたはずの首にも何の傷痕もなかった。ただ、触れた肌は死人のように冷たかった。
夢のようでいて、夢とは違う空間にいるように感じた。
白い大理石で四方を囲まれた広い空間には、氷の結晶のような光が漂っている。それらは僕の周りにゆっくりと集まり始めたかと思うと、透明な水晶のような檻と化して僕を捕らえた。
「僕をどうするつもりだ、神人?」
呼びかけに反応はない。
死後であると仮定するならば、恐らくこの場所は天界と呼ばれる場所なのだろう。そう推測したところで、彼らの事情まではわからない。
「姿を現せ、カシウス」
この場所に自分を連れて来たのはあの神人だろうか。名を呼ぶが、カシウスは現れなかった。その代わりなのか、天鵞絨が張られた豪奢な椅子が三つ、どこからともなく現れて宙に浮き始めた。だが、誰も座ってはいない。
白で統一された神殿のようなこの場所は、牢の中から見渡す限り、大きな円を描くように広がっている。僕を捕らえている水晶のような檻と、宙に浮かぶ椅子の他にはなにもなく、誰の気配もなかった。
超常的な力が働いているのか、三脚の椅子は音もなく浮遊を続けている。
「この牢はなんだ? まだ僕が犯した罪とやらが残っているのか?」
椅子を睨めつけるように牢から見上げて問いかけると、玉座のうちの一つが輝き出した。
「今世におけるあなたの肉体は、カシウスによって『処刑』されました」
目覚めを促した声と同じ声が、静かに返る。
「魂はこの天界に転送されました。ここは、英雄の魂を管理する転生の間――」
「英雄? 転生?」
「あなたのことです。グラス=ディメリア」
オウム返しに呟くと、光の珠が椅子の一つに座すように浮かぶのが見えた。
「あ……」
光の珠は見る間に人間のような姿を象っていく。腰まである柔らかな銀髪、穏やかな表情の女性が、優美に椅子に腰かけている姿が宙に浮かび上がった。
優しげに広がる純白の翼が、突如として現れた女性の本質を示してる。
「女神……」
「創世の女神アウローラと申します。どうぞお見知りおきを」
青い宝石を冠した杖を細い指先でなぞるように持ち替え、アウローラと名乗った女神は穏やかな表情で目を伏せた。
「女神様が僕に何の用だ?」
挑むように問いかける。アウローラは柔らかに微笑むと、水晶の檻越しに僕を見下ろした。
「人魔大戦を勝利に導いた多大な貢献から、あなたを英雄と認めましょう」
「処刑を命じたのは女神の意思だというのに?」
神人が動く背景には、女神の意思がある。僕の問いかけにアウローラはほんの僅かに眉を下げた。
「禁忌を犯し、処刑されたとはいえ、あなたの功績は変わりません。グラス=ディメリア」
幼子を宥めるような口調だと感じた。そんなことで四十歳に近い大人が喜ぶとでも思っているのだろうか。
「死後に評価されたところで、僕にはなにも残らない。今世の功績は、錬金学会に奪われているぞ」
繰り返すが、僕の命も神人に奪われた。それも、恐らく目の前にいる女神の決定によって。
「そのようなことは、些末なことです。私たち女神が英雄と認めれば、あなたの功績は死後であろうと必ずや人々の知るところとなるでしょう」
アウローラの態度は変わらなかった。僕を宥めるような口調で、眉を下げ、少しだけ哀しそうな目でこちらを見ている。
「……それが、僕を処刑した罪滅ぼしか?」
「いいえ。私たちの決定は常に正義です」
苛立ちを滲ませたが、アウローラは哀しげに微笑んだだけだった。
「処刑によりあなたの罪は償われました。ここから先は、英雄としてのあなたの来世の話です」
「……来世?」
聞き返したが、その話はカシウスも持ち出していたことを思い出した。死後、僕の魂は新たな肉体を与えられて転生するのだ。
「あなたが望むならば、ただちに転生を行い、新たな人生を歩むことを許しましょう」
そういえば僕は、ホムンクルスに身体を入れ替えたあと、どう生きるつもりだっただろうか。同じグラス=ディメリアとして『続き』を歩むつもりだったはずだ。それは、ただ単に死にたくなかったから。その生き方しか知らなかったから。
「新たな人生……」
今それを与えられたら、僕はどう生きるのだろうか。どう生きることができるのだろうか。生前に考えたことのない問いが、僕の中をぐるぐると回っている。
「そうです。興味がおありのようですね?」
転生を拒否しないということは、少なくとも次の命を受け入れているということなのだろう。アウローラに指摘されるまで気づかなかったが、僕の中で渦巻いている悩みの正体を突きつけられたような気がした。
「初めてのことには、興味がある」
好奇心とも希望ともつかない感覚がある。少なくとも僕は転生に興味があり、自分でも理解できていない高揚を覚えていた。
「では、話の続きを。時間をおかずに転生を提案したのには理由があります」
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「あなたの出自、養父に引き取られてからの生活――そして、養父の死後の生活は、人魔大戦への多大な貢献を行った英雄には相応しくありませんでした」
アウローラも僕の罪を咎めるようなことはしなかった。ホムンクルスの完成度は禁忌の域だと処刑対象になるのに、養父とは言え親殺しは禁忌ではないらしい。
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鋭い声とともに、赤い光が迸る。閃光に思わず閉じた目を開くと、アウローラの隣に、炎を思わせる真紅の衣装を纏った別の女性が座していた。
「抜け駆けはナシって言ったじゃん!」
あからさまに不機嫌な様子でアウローラに噛みついているのは、肩までの金髪に赤い髪飾りを着けた女性だ。宙に浮かぶ椅子のひとつに座しているところを見るに、恐らく彼女も女神の一人なのだろう。
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