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第五章:“星”の欠片

幕間22:牢獄

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 夜も更け、ふと窓を開ける。暮の訪れを感じさせる、ほのかに暖気を含んだ風。それに乗って、微かに聞こえてくるのはアレンの歌声だった。

 本当によく通る声だ。夜を破き、雲を吹き飛ばすほど力強い歌声。昔からそうだった。いまはむしろ、自分の歌を必要とされている実感がより熱を持たせているのかもしれない。

 あまり連日家を抜け出しては父上に怪しまれるか……? しかし、アレンに会いたい。あの日の言葉の続きを聞きたい。なにを言いたいのかはわかっている。わかっているが、実際にあいつの口から聞きたい。

 ――直接言ってくれたなら、迷いなんてなくなるのに。

 そうは思えど、立場が邪魔をするのは事実だ。

 僕は貴族、夜間に一人で家を抜け出すなんてもってのほかだ。騎士に連れられて帰宅した日から、父上の雰囲気が変わった。僕が軽率に動けなくなった理由は父上にある。

 一日に一度、必ず僕の様子を窺うようになった。部屋を訪れ、釘を刺すのだ。「己の役目を努々ゆめゆめ忘れるな」と。

 跡継ぎとして必要なことだけやっていればいい。手を煩わせるな。そう言っているようだった。僕は従うことしかできない。この家を追われれば、行く当てなんて存在しない。

 ほんの少しのほころびで浮浪者に転げ落ちる可能性がある。いまの僕は崖を背負っているも同然だ。下手に動けば真っ逆さま。立ち回りは慎重にならなければ。

 気持ちに区切りをつけるために、窓を閉める。アレンの歌をもっと聞いていたかったが、これ以上怪しまれるようなことは避けるべきだ。一人、ベッドに倒れて天井を見つめる。

 ――まるで牢獄だな。

 自宅に対してこんなことを思う辺り、僕も人の子。反抗期が来たのだろう。笑える話だ。僕は伯爵子息、唯一の跡取りだ。それ以外の理由で生きてはいけない。

「……僕が、生まれた意味か……」

 リオの言葉を思い出す。選べなくて当たり前、子供なんだから。未熟な自分を受け入れられればどれだけ楽だろう。それが許されない環境で生きてきたのだ、簡単に変われるはずがない。

 これから見つければいい? そんな悠長なことを言っている時間は残されていないんだ、僕には。

 そんな折、自室の扉が叩かれる。こんな時間に誰だ? 呼び込むと、そこにいたのは父上だった。自然と姿勢を正し、向き合う。父上は顎に手を当て、怪訝な眼差しを向けてきた。

「ふむ、今日は部屋を抜け出さんのだな」

「……ご安心ください。僕はアーサー・ランドルフ、貴方の跡を継ぐ者です。軽率な行動はもう致しません」

 この言葉で信用させることはできないだろう。それくらい僕への疑念は強いはずだ。父上は姿勢を変えない。その瞳の奥には猜疑心が宿っている気がした。

 やがて父上は深いため息を吐いて背を向ける。なんとか信じてもらえたか……?

「なんのためにケネット商店を買収したか、お前にはわかるか」

「は……?」

 どうしていまその話を? 僕がアレンと接触していることを知っているのか? となれば、貴族としての立場を自覚させるためになにかしら手を下す恐れがある。

 だが、黙っているわけにもいかない。質問には答えなければ。黙っていれば、父上が会話の主導権を握ったままだ。

「……あの区画はご老体が多く、大型の小売店までは距離がある。そういった住民は価格よりも利便性を優先するでしょう。ケネット商店の品揃えが充実すれば、支援しているランドルフ家の支持にも繋がるから、でしょうか」

 これはリオの請け売りだ。彼女と初めて会ったときに言われたこと、そのままだった。こんなことにも気づけなかったなんて、少し前の僕は本当にどうかしていたと思う。

 父上はなにも言わない。所詮は旅人の推測だ、間違っていても仕方がない。が、この場においては愚策だったかもしれない。父上の意図を読み取れなければ、僕に失望するだろう。そうなれば、ケネット商店が危うくなる可能性もある。

 あの店が僕を貴族として育てるための教材だとしたら? 僕になんの実りもなければ、あっさりと捨ててしまうかもしれない。そうなったら? 血の気が引く。悟られないようにしなければ――。

「いまはわからずとも良い」

「……申し訳ございません」

「むしろ、知らぬままでも構わん」

「……? それは、どういう……」

 知らないままでいい? ケネット商店を買収した理由は継続的な収益があること、ランドルフ家の支持に繋がることでないとしたら、なぜ?

 僕が知らなくてもいいこと……父上がどれだけ僕のことを理解しているかによって、その意味合いは変わってくる。

 僕を跡取りとしてしか見ていないのなら……やはり、ケネット商店ですら道具に過ぎない? 知らない方がいいということは、知られれば僕が反抗するかもしれないから? ケネット商店の存続に関わることと考えるのが妥当だろう。

 あの店になにかあったら――僕は、アレンと決別するかもしれない。自然と手が震える。言葉を失う僕に、父上はなにも言わずに去っていく。

「……っ、慎重に、慎重に立ち回らなければ……」

 アレンの夢が叶ってほしい。それは事実。僕はあいつを友人として、最初のファンとしてずっと応援していたい。僕の迂闊さで恨みを買うようなことがあれば、それが叶わなくなるかもしれないのだ。

「どうして――」

 貴族の家に生まれてしまったんだ。

 喉から出かかった言葉をすんでのところで飲み下す。子供は親を選べないのだ、ランドルフ家に生まれてしまった以上、僕には果たすべき役割がある。家督を継ぎ、レッドフォード帝国をより発展させる。

 それが、僕の生まれた意味……わかっている、のに。

 ケネット商店のことが気がかりで仕方がない。アレンとの関係をこれ以上悪いものにしたくない。だが、父上の考えていることがまるでわからない。

 明日も視察だというのに、こんな調子で眠れるのか。考えないようにしても、不安で蝕まれた心がそれを許さない。僕がすべきことはなんだ、僕の果たすべき使命は? 思い出せ、僕は誰だ?

「……っ!」

 衝動的に枕を殴ってしまう。呼吸は荒く、鼓動は大きくペースが速い。部屋の隅に置いてある姿見にアーサー・ランドルフが映る。怒りと迷いで歪んだ顔。冷静さも、余裕も感じられない。これが貴族の顔か。ただの子供だ。わがままで、自分勝手な子供の顔だ。

「……誰か……」

 助けてくれ。

 なんて、頼れる相手は存在しない。ずっとそうだったのに、どうしてか胸が苦しい。孤独がこんなにつらいなんて、気づきたくなかった。
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