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第五章:“星”の欠片

51:見透かす瞳に真っ直ぐに

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 ケネット商店への帰路、私は妙な人だかりを見つけた。美しい楽器の音色も聞こえる。オルフェさんかな? 人垣に身を寄せ、耳を澄ませる。鼓膜に指を這わせるような艶っぽい歌声、案の定だ。

 楽器の音が止む。ギルさんとは違い、慎ましい拍手が送られている。人垣が割れ、姿を見せるは眉目秀麗のエルフ様。彼は私に気付くと、優しい笑みを湛える。うーん、何回見ても慣れない顔だな。

「こんにちは、オルフェさん。すごい人気ですね」

「ありがとう、リオ。僕、人気者に見えるかな?」

「はい、とても」

 そりゃああなた顔がいいんですもの。男も女も立ち止まるほどの美形なんですよ。まさか無自覚? どれだけ罪を重ねれば気が済むんだろう。誰かが裁かなければならない気がする。

 それより、ギャラリーの視線が痛い。特に女性。砕けそうなほど歯を食いしばり、眉間に寄るしわはくっきりだ。私、殺される? この世界に来てからなにかと命の危機を感じている気がする。

 オルフェさんは気付いていないのだろうか、彼に目をやると意味深に微笑む。いやそういうファンサが欲しいんじゃなくてですね……。

「――寄る辺なき幼子は蔦の這う揺り籠に眠る」

「え……?」

「また会えるのを楽しみにしているよ」

 それだけ告げて、オルフェさんは去っていく。小さな声だった。なにか伝えようとしている? 彼がいなくなったことでギャラリーは雲の子を散らすように離れていく。取り残された私は、彼の言葉の意味を考えていた。

 寄る辺なき幼子……蔦の這う揺り籠……? 寄る辺がない、ホームレス? でも幼子って言ってた。それに、揺り籠……蔦が這っていて、子供が安らげる場所?

「……あ、シヴィリア孤児院……?」

 思い当たるのはそこしかない。場所を指定して、その上で「また会えるのを楽しみにしている」と言った。そこで待ってるっていうこと?

 確証はない。けれど私の足は孤児院に向かっていた。オルフェさんと話せたら儲け物だ。

 ……でも、わざわざ呼び出す理由ってなんだろう?

 =====

 シヴィリア孤児院への道中、私の視界にはオルフェさんの情報が羅列されていた。“データベース”によるもので、検索ワードは“エルフ 吟遊詩人”。

 やっぱり彼との出会いは鮮烈な印象を与えるようで、女性がつけたと思しき詩的な日記が無数にヒットした。

 吟遊詩人ということもあり、レッドフォード帝国のみならず世界中に名を……顔を? 残してきているようだ。記された数々の罪状につい笑ってしまう。

 思えば、私はオルフェさんのことをよく知らない。ミランダさんから過去を少し聞いたくらいだ。もう少し彼のことを知れれば、スカウトの成功率も上げられるかな……?

 川沿いを歩いていると、美しい弦楽器の音が聞こえてくる。視線の先には、オルフェさんがいた。本当に画になるなぁ。彼も私に気付いたようで、演奏を止めて手招きする。なんだあれ、私は死の淵にいざなわれているの?

「よかった、伝わっていたんだね。賢い子だ。ご褒美をあげよう」

「それは私の魂と交換ですか?」

「魂は要らないかな」

 すごく真面目なトーンで返されてしまった。オルフェさん、笑ってもいないし。死にたい。いじってくれないと私が滑ったみたいじゃないですか。一人で死の淵に滑走していたのは事実なんだけど。

 恥ずかしさの熱と冷めた思考でぼんやりする私、オルフェさんは特段気にした様子もなく再び手招きした。彼の腕の中に墓は建てられない。腹を括り、隣に腰を下ろす。

「さて、リオ。まずは来てくれてありがとう」

「いえ、なにか話があるのかなと思ったので。暗号? の意味がわかってよかったです」

 吟遊詩人ならではの言い回しだったと思う。伊達に世界を歩き回っていないということか。オルフェさんは柔和な笑みを浮かべる。久し振りに見たなぁ、顔面兵器。本当に規制しないといけない顔してますよ、あなた。

「先日、“スイート・トリック”の稽古場に来ていたみたいだね」

「あ……はい、ミランダさんにお話を伺いたくて」

「ふふ、さすが一座の花形。人気者だね」

 微笑むオルフェさんだが、安心はしきれない。この人もギルさんと同じで、鋭くてさとい気がする。少しでも言い淀めば嘘がばれる。なんとかして隠し通さなければ。

「ーーところで、どうして嘘を吐くのかな?」

「えっ!? ……嘘、とは?」

「嘘は嘘さ、大事なことを隠すための方便。知らない?」

 オルフェさんの顔を見ると、笑ってはいる。けれど、その瞳の奥に底知れないなにかを感じた。試すような眼差し。ああ、いまの私が“蛇に睨まれたかえる”ということだろう。

 嘘はとっくに見抜かれている。正直に話すのが吉か? 嘘と確信したオルフェさんを再び騙す? そんなことできるとは思えない。

 オルフェさんとは人生の厚みが違う。経験してきた物事、その総数に天地ほどの差があるのだ。たかだか三十年足らずの人生で彼を言いくるめられるわけがない。

 言葉を失う私に、オルフェさんは肩を落とした。呆れられただろうか。

「きみは素直な子だ。だから知りたい。僕を相手に繕う必要がどこにある?」

「……それ、は……」

 あなたの過去のことだから。触れてはいけないことだと思ったから。正直に伝えていいのだろうか。再び口を閉ざす私に、オルフェさんの手が伸びる。彼のしなやかな指が私の頬を這った――はあ?

「僕たちはわば行きずりの仲だ。なにを遠慮する必要があるの?」

 その声音は口説き落とすときのものですか? やけに甘い。並大抵の女なら落ちてる。ブラック企業に十年も務めれば、人の心なんて保っていられない。私の心はとうに人間を辞めている。こうなる前に弊社を辞めるべきだった。

 でも、言われてみればその通り。現状、私たちは深い間柄ではない。だったらまあ、最低限の礼儀さえ保てていればいいか。

「……でしたら、正直にお話しします。オルフェさんの過去について、ミランダさんに聞いていました」

「どうして直接僕に聞かなかったの?」

「……聞けませんでした。オルフェさんにも話したくないことはあるかもしれない。だから気付かれないように、あなたのことを調べていました」

 今度はオルフェさんが口を閉ざす。今度こそ呆れたか。失望したか。どちらにせよ、私から言いたいことは全部言うべきだ。私は続ける。

「オルフェさんが根を下ろさない理由……それは、かつて愛した人を失ったから。疫病の蔓延する街、その症状は“肉体が加速度的に老いていく”というものだと知りました」

 当時の流行り病について調べたところ、その情報に行き着いた。ただの病だったなら、きっとオルフェさんは納得していたと思う。人間にもエルフにも平等に訪れる可能性があるから。

 しかしこの症状の死因は“老衰”だ。人間とエルフでは寿命が違う。瞬く間に老いていく人間を目の当たりにすれば、エルフの彼はなにを思うか――。

「ここからは憶測ですが……オルフェさんは、別れを怖がっていると思いました。私たちとあなたは違う時間を生きているから。情を移せば、忘れがたい悲しみをまた抱くことになる。だから、いずれ訪れる別れを防ぐために根を下ろさない……違いますか?」

「……そこまでわかった上で、きみは僕になにを望む?」

 オルフェさんの表情が微かに歪む。あながち間違っていなかったのだろうか。

 なにを望むか――言うまでもない。オルフェさんだってわかっているはずだ。アイドルになってほしい。私の望みはそれだけ。言わずともわかるだろう、それでも私は面と向かって告げた。

「私がプロデュースする音楽グループ――アイドルになってほしいです」

「……きみは素直な子だ」

 絞り出したような声。オルフェさんは困ったように笑う。これは手応えあり……か? しばらく無言で視線を交わす。いまは彼の顔も気にならなかった。目を逸らせば正直さが伝わらない。そう思ったから。

 やがてオルフェさんは、観念したようにため息を吐く。

「……少し、時間を貰えるかな」

「検討していただけますか?」

「検討する気になった。どうしてだろうね……僕、流されやすいみたいだ」

 オルフェさんは立ち上がり、背を向ける。検討してもらえるだけでも成果はあった。

 なにが彼をその気にさせたのかはわからないけれど――加入してくれるなら、私が最高のプロデュースをする。それだけの話だ。
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