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第三話 欄間
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ご飯を食べたら眠くなる。それは抗えない生き物の性というもの。
ぼくもその例に漏れることなく座敷の真ん中で横になり、扇風機の風にあたってうとうととしていた。
これぞ至福のひと時。この小さな幸せな時間を邪魔されたくないと思うのは至極当然のことだろう。
目がゆっくりと閉じていく。意識もどんどん沈んでいく。
うー、寝ちゃいそう……。
と、思ったその矢先。何やら耳障りな音が聞こえてきた。
ぎしぎし、みしみし。
何かが軋むような音だ。少しずつ、少しずつ、その音は大きくなっていく。
また小鬼たちが騒いでいるのか。全く、騒がしい奴らだ。
人が寝そうな時や寝ている時に限って奴らはよく騒ぐのだ。
どたばたと走り回ったり、ぼくの持ち物に悪戯しようとしたり、ぼく自身に悪戯しようとしたり。
特に課題やスケッチブックへの落書き、顔面やお腹の上へのダイブはやめてほしいと切実に思っている。
もはや、狙ってやっているとしか思えない。いや、訂正。あれは絶対に狙ってやっているな。
その証拠に、何度注意してもおさまらないし。怒るぼくを見てきゃっきゃきゃっきゃと腹を抱えて笑っているし。
……うん、絶対にわざとだな。全く、人を困らせてそんなに楽しいのだろうか。……楽しいんだろうなぁ。
「お前たち五月蠅いぞ!」
無駄だと思いつつも言わないよりはマシだと思って怒れば、なんとぴたりと音は止まった。こんなことは初めてだ。
なんだ、今日は素直に言うことをきくなあいつら。よしよし、そのまま大人しくしていろよ。
けれどぼくの願いむなしく、今度はつんつんと頬を突かれた。
「うーん……やめろよお前たち」
手で払うがめげることなくまた突かれる。
手で払う。突かれる。手で払う。突かれる。
そんなことを何度も何度も繰り返してイライラしない訳がない。
ああもう、ぼくの至福のひと時を邪魔するな!
「だからやめろって!」
ぱちりと目を開けて上体を起こして叫ぶ。
だが、次の瞬間ぼくは別の意味で叫んだ。
「……うわあぁ――っ!?」
それはもう盛大に、だ。近所に響くくらいで、寧ろぼくの方が近所の人たちの昼寝の妨害になっているだろうと思えるくらいに。
けれど、信じられない光景が目の前にあるのだから仕方がないじゃないか。
顔に届くすんでのところでそれはぼくの叫び声にびっくりしたかのように宙に静止していた。
……いやいや、びっくりしているのはぼくの方なんですけど。
ぼくは心中で突っ込んだ。
自分より驚いているモノがいれば冷静になる。たとえ、それが人でなかったとしてもだということを今日この時、ぼくは初めて知った。
何はともあれ冷静になったぼくは未だ固まったままのそれを見遣る。
うーん、固まったままというか、元から堅いというか……。
「何で枝が動いているんだ?」
目の前のそれは、細いながらもしっかりとした枝だった。
ぼくの声に反応したのだろうか、静止していた枝が再び動き出す。
ぎしぎし、みしみし。
少しずつ、少しずつ。けれど確実にぼくの方へと近付いてくる。
奇怪な枝にぼくは後ずさる。すると、その分だけ枝は近付いてくる。
後ずさる。近づく。後ずさる。近づく。
何度か繰り返しているうちについにぼくの背が壁に当たった。もう後ろに逃げ場はない。
……どうする?近くに襖――出入り口があるけれど、そこに行くには身を翻すしかない。一瞬でも目を離して、もしその隙に枝に捕まったら――。
枝に捕まった時のことを想像しかけ、その思考を振り払うためにぶんぶんと頭を振る。
そんなことをしている間にも、じりじりと様子を窺うように枝はうねる。更には、甲高い鳴き声も聞こえてきて、ばさりと枝先に何かが飛び降りてきた。
「うわっ!?」
ぼくの目と鼻の先に突如現れたのは鷹だった。
ぼくは思わず情けない声を上げる。
一方、鷹はというと、目をゆっくりと瞬かせて首を傾げた。まるで、「どうしたの?」とぼくに問いかけているような仕草である。
暫くそのままでいたが、枝も鷹も特に襲ってくる様子はない。
……ぼくを害したい訳ではないのか?
思案していたその時、不意に襖が開いた。それにすら驚いて、びくりと肩が飛び跳ねる。
「さっき悲鳴が聞こえたけど、どうかしたのかい?」
「ば、ばあちゃん!」
襖を開けたのはばあちゃんだった。
まず目を見開いたままのぼくを見て、次にうねる枝とその上の鷹を見て、
「あらまあ」
と、一言。あまり驚いているようには見えなかった。
「ばあちゃん反応薄っ!」
「そりゃ年を取ってきた分いろんな事があったし、いろんなモノを視てきたからねぇ」
あっはっはっ、と暢気に笑うばあちゃんがとても逞しく見える。
なるほど、亀の甲より年の功ってやつか……じゃなくて!
「そんなことより、ばあちゃんこれ何?」
びしり、と枝と鷹を指差して問う。
ああ、と落ち着いた様子でばあちゃんが事も無げに答えた。
「何って、欄間よ欄間」
「らんま?」
「そこのことよ」
今度はばあちゃんがある部分を指差した。
「欄間はね、採光や通風のために設けられとるんよ」
ばあちゃんの説明を聞きながら、ぼくは天井と鴨居との間にある欄間を見遣る。確かに枝はそこから伸びている。
「ほらほら、にきちゃんが驚いちゃっているから戻りなさいな」
ばあちゃんが話しかければ、枝はみしみしと小さく音を立てながら欄間へと戻っていく。鷹も一声鳴いてぱたぱたとそこへ飛んでいく。
え、そんなところに収まるの?
一瞬心配になったが、そんな心配なんていらなかったようで。
枝も鷹も綺麗に欄間に収まった。
……何というか、非常に聞き分けが良い。小鬼たちとは全然違うな。
今はここにいない小鬼たちと比べつつ、すっかり元に戻った欄間をぼくはまじまじと観察する。
欄間は透かし彫りでできていた。
丁寧に彫られた松の模様。四方八方にうねった枝の後ろには細長い雲が浮かんでいる。
松の傍らで一羽の鷹が翼を広げている。鋭い眼差しで、その姿は威厳に満ちていた。
「欄間という姿になってもね、あの子たちはまだ生きているんよ」
「どういうこと?」
「木はね、切られたからといって死んでしまう訳ではないの。切られて加工された後も、私たちと同じようにずっと呼吸をしているの。だから、あの子たちが動くのは何も可笑しいことじゃないんよ」
当たり前のことのようにばあちゃんが言い切った。
――そうか、生きているのか。何年も、何十年も。ぼくよりも、ずっと長く。
ぼくがぼんやりと欄間を眺めていると、それに、とばあちゃんの言葉が続いた。ぼくはばあちゃんの方へと顔を向ける。
「久しぶりににきちゃんがこの家にいて、嬉しかったんやろうねぇ」
「そうなの?」
まるでそうだと言わんばかりに、みしみしと枝が少し揺れる。高い声で鷹も鳴く。
ばあちゃん曰く、どうやら彼ら――といっていいのかよくわからないけど――はぼくを驚かそうとした訳ではなく、ただ単にぼくがいることを喜んでくれていただけだったらしい。
……なんだ、喜んでくれていただけなのか。可愛い奴らじゃないかこいつら。基本驚かせることしかしてこない小鬼たちとは大違いだ。
とまあ、小鬼たちの不平不満は今は置いておくとして。
ふと考える時がある。
自分がここにいたとして、喜んでくれている人は果たしてどれだけいるのだろうか、と。
ぼくは学校では当たり障りなく過ごしている。クラスの誰とも話さないという訳ではない。でも、ぼくなんか別にいなくてもいいんじゃないかと思う瞬間があるのだ。
だから、ぼくがここにいることに喜んでくれているモノがいるということに、素直に嬉しかった。たとえ、それが人でなかったとしても、だ。
ぼくという存在を受け入れてくれている。そのことがただただ嬉しかった。
欄間へと近づき、そっと彼らに手を伸ばす。
すると、応えるようにみしみしと枝が下りてくる。鷹は枝に沿うように飛んできて、ぼくの腕に優しくとまった。
彼らに触れてぬくもりを感じるのはぼくの錯覚なのだろうか。……いや、錯覚じゃない。だって、彼らは生きているのだから。きっとそれは当然のことなのだろう。
「ありがとう」
言葉を送れば、枝も鷹もまるで「何が?」と言っているように、不思議そうにその身を傾げた。
彼らの様子にぼくは口元を緩ませる。
くすりと笑うばあちゃんの声が後ろから聞こえてきた。
ぼくもその例に漏れることなく座敷の真ん中で横になり、扇風機の風にあたってうとうととしていた。
これぞ至福のひと時。この小さな幸せな時間を邪魔されたくないと思うのは至極当然のことだろう。
目がゆっくりと閉じていく。意識もどんどん沈んでいく。
うー、寝ちゃいそう……。
と、思ったその矢先。何やら耳障りな音が聞こえてきた。
ぎしぎし、みしみし。
何かが軋むような音だ。少しずつ、少しずつ、その音は大きくなっていく。
また小鬼たちが騒いでいるのか。全く、騒がしい奴らだ。
人が寝そうな時や寝ている時に限って奴らはよく騒ぐのだ。
どたばたと走り回ったり、ぼくの持ち物に悪戯しようとしたり、ぼく自身に悪戯しようとしたり。
特に課題やスケッチブックへの落書き、顔面やお腹の上へのダイブはやめてほしいと切実に思っている。
もはや、狙ってやっているとしか思えない。いや、訂正。あれは絶対に狙ってやっているな。
その証拠に、何度注意してもおさまらないし。怒るぼくを見てきゃっきゃきゃっきゃと腹を抱えて笑っているし。
……うん、絶対にわざとだな。全く、人を困らせてそんなに楽しいのだろうか。……楽しいんだろうなぁ。
「お前たち五月蠅いぞ!」
無駄だと思いつつも言わないよりはマシだと思って怒れば、なんとぴたりと音は止まった。こんなことは初めてだ。
なんだ、今日は素直に言うことをきくなあいつら。よしよし、そのまま大人しくしていろよ。
けれどぼくの願いむなしく、今度はつんつんと頬を突かれた。
「うーん……やめろよお前たち」
手で払うがめげることなくまた突かれる。
手で払う。突かれる。手で払う。突かれる。
そんなことを何度も何度も繰り返してイライラしない訳がない。
ああもう、ぼくの至福のひと時を邪魔するな!
「だからやめろって!」
ぱちりと目を開けて上体を起こして叫ぶ。
だが、次の瞬間ぼくは別の意味で叫んだ。
「……うわあぁ――っ!?」
それはもう盛大に、だ。近所に響くくらいで、寧ろぼくの方が近所の人たちの昼寝の妨害になっているだろうと思えるくらいに。
けれど、信じられない光景が目の前にあるのだから仕方がないじゃないか。
顔に届くすんでのところでそれはぼくの叫び声にびっくりしたかのように宙に静止していた。
……いやいや、びっくりしているのはぼくの方なんですけど。
ぼくは心中で突っ込んだ。
自分より驚いているモノがいれば冷静になる。たとえ、それが人でなかったとしてもだということを今日この時、ぼくは初めて知った。
何はともあれ冷静になったぼくは未だ固まったままのそれを見遣る。
うーん、固まったままというか、元から堅いというか……。
「何で枝が動いているんだ?」
目の前のそれは、細いながらもしっかりとした枝だった。
ぼくの声に反応したのだろうか、静止していた枝が再び動き出す。
ぎしぎし、みしみし。
少しずつ、少しずつ。けれど確実にぼくの方へと近付いてくる。
奇怪な枝にぼくは後ずさる。すると、その分だけ枝は近付いてくる。
後ずさる。近づく。後ずさる。近づく。
何度か繰り返しているうちについにぼくの背が壁に当たった。もう後ろに逃げ場はない。
……どうする?近くに襖――出入り口があるけれど、そこに行くには身を翻すしかない。一瞬でも目を離して、もしその隙に枝に捕まったら――。
枝に捕まった時のことを想像しかけ、その思考を振り払うためにぶんぶんと頭を振る。
そんなことをしている間にも、じりじりと様子を窺うように枝はうねる。更には、甲高い鳴き声も聞こえてきて、ばさりと枝先に何かが飛び降りてきた。
「うわっ!?」
ぼくの目と鼻の先に突如現れたのは鷹だった。
ぼくは思わず情けない声を上げる。
一方、鷹はというと、目をゆっくりと瞬かせて首を傾げた。まるで、「どうしたの?」とぼくに問いかけているような仕草である。
暫くそのままでいたが、枝も鷹も特に襲ってくる様子はない。
……ぼくを害したい訳ではないのか?
思案していたその時、不意に襖が開いた。それにすら驚いて、びくりと肩が飛び跳ねる。
「さっき悲鳴が聞こえたけど、どうかしたのかい?」
「ば、ばあちゃん!」
襖を開けたのはばあちゃんだった。
まず目を見開いたままのぼくを見て、次にうねる枝とその上の鷹を見て、
「あらまあ」
と、一言。あまり驚いているようには見えなかった。
「ばあちゃん反応薄っ!」
「そりゃ年を取ってきた分いろんな事があったし、いろんなモノを視てきたからねぇ」
あっはっはっ、と暢気に笑うばあちゃんがとても逞しく見える。
なるほど、亀の甲より年の功ってやつか……じゃなくて!
「そんなことより、ばあちゃんこれ何?」
びしり、と枝と鷹を指差して問う。
ああ、と落ち着いた様子でばあちゃんが事も無げに答えた。
「何って、欄間よ欄間」
「らんま?」
「そこのことよ」
今度はばあちゃんがある部分を指差した。
「欄間はね、採光や通風のために設けられとるんよ」
ばあちゃんの説明を聞きながら、ぼくは天井と鴨居との間にある欄間を見遣る。確かに枝はそこから伸びている。
「ほらほら、にきちゃんが驚いちゃっているから戻りなさいな」
ばあちゃんが話しかければ、枝はみしみしと小さく音を立てながら欄間へと戻っていく。鷹も一声鳴いてぱたぱたとそこへ飛んでいく。
え、そんなところに収まるの?
一瞬心配になったが、そんな心配なんていらなかったようで。
枝も鷹も綺麗に欄間に収まった。
……何というか、非常に聞き分けが良い。小鬼たちとは全然違うな。
今はここにいない小鬼たちと比べつつ、すっかり元に戻った欄間をぼくはまじまじと観察する。
欄間は透かし彫りでできていた。
丁寧に彫られた松の模様。四方八方にうねった枝の後ろには細長い雲が浮かんでいる。
松の傍らで一羽の鷹が翼を広げている。鋭い眼差しで、その姿は威厳に満ちていた。
「欄間という姿になってもね、あの子たちはまだ生きているんよ」
「どういうこと?」
「木はね、切られたからといって死んでしまう訳ではないの。切られて加工された後も、私たちと同じようにずっと呼吸をしているの。だから、あの子たちが動くのは何も可笑しいことじゃないんよ」
当たり前のことのようにばあちゃんが言い切った。
――そうか、生きているのか。何年も、何十年も。ぼくよりも、ずっと長く。
ぼくがぼんやりと欄間を眺めていると、それに、とばあちゃんの言葉が続いた。ぼくはばあちゃんの方へと顔を向ける。
「久しぶりににきちゃんがこの家にいて、嬉しかったんやろうねぇ」
「そうなの?」
まるでそうだと言わんばかりに、みしみしと枝が少し揺れる。高い声で鷹も鳴く。
ばあちゃん曰く、どうやら彼ら――といっていいのかよくわからないけど――はぼくを驚かそうとした訳ではなく、ただ単にぼくがいることを喜んでくれていただけだったらしい。
……なんだ、喜んでくれていただけなのか。可愛い奴らじゃないかこいつら。基本驚かせることしかしてこない小鬼たちとは大違いだ。
とまあ、小鬼たちの不平不満は今は置いておくとして。
ふと考える時がある。
自分がここにいたとして、喜んでくれている人は果たしてどれだけいるのだろうか、と。
ぼくは学校では当たり障りなく過ごしている。クラスの誰とも話さないという訳ではない。でも、ぼくなんか別にいなくてもいいんじゃないかと思う瞬間があるのだ。
だから、ぼくがここにいることに喜んでくれているモノがいるということに、素直に嬉しかった。たとえ、それが人でなかったとしても、だ。
ぼくという存在を受け入れてくれている。そのことがただただ嬉しかった。
欄間へと近づき、そっと彼らに手を伸ばす。
すると、応えるようにみしみしと枝が下りてくる。鷹は枝に沿うように飛んできて、ぼくの腕に優しくとまった。
彼らに触れてぬくもりを感じるのはぼくの錯覚なのだろうか。……いや、錯覚じゃない。だって、彼らは生きているのだから。きっとそれは当然のことなのだろう。
「ありがとう」
言葉を送れば、枝も鷹もまるで「何が?」と言っているように、不思議そうにその身を傾げた。
彼らの様子にぼくは口元を緩ませる。
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