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六章
アリアと名付けられた少女とアリアと名付けられた女性 その5
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陽光は微熱を持って、屋敷の庭を包み込んでいた。
ひときわ華やかに映える色とりどりの花々が、煌めく魔法の舞台のように広がっていた。しかし、その中心に踊るのは花ではなく、その花にも負けない美しい楚々とした少女だった。
彼女の名はアリア。
その細いうなじの辺りにまで切りそろえられた波打った青髪は空を借りたかのような色彩を持っていた。そして、その黄金のような光を帯びる金色の瞳は星の導きを込めた指輪のように輝いていた。
「あれは、きっと海のような髪と、太陽のような瞳を持つ妖精だ」と、この屋敷の庭師は詩人のような調子で噂していたほどだった。
アリアの小柄な身体は綺麗に咲き誇る花々の間を静かに流れ、そして時折、目にとまった花びらに指を触れる。それはまるで、詩人が歌う物語の一小節のようですらあった。
「おい、アリア!」
その美しく静かな庭園に突如として響く男性の声。
ぶきっらぼうにしか聞こえない響きで呼ばれたにも関わらず、アリアと呼ばれた彼女は嬉しそうに向き直る。
「ヴィクトリオ様!」
鈴を転がしたような声で相手の名前を呼んで、彼女は駆けるようにして彼のほうへと近づいた。
「身体の調子はどうなんだ?」
「はい。おかげさまで!」
にこやかに言う少女。
だが、彼はあまり喜ばしそうではなかった。
まだ完調ではないのだろう。無理をして自分を心配させまいと笑顔を取り繕っているに違いない。
なにせ、この娘はあの暗い塔で口にするのをはばかれるような虐待を受けていた。
彼が彼女と出会った時には身体はやせこけ、目に光などはなかった。
その身体は傷だらけで心も完全に壊れていた。
年は一四歳とのことだったが、どう見てもそれより幼く見える。
食事も満足に与えられなかった環境では、その身体の発育と成長が充分ではないのだと感じさせた。
「ここはどうだ? いいところだろう?」
「はい。とても! こんなにも綺麗な花は咲いているし、みんなは優しいし…」
そこまで言って、急に彼女は涙を流し始めた。
そんな彼女を彼は優しく抱き止めていた。
「ごめんなさいわたし。嬉しいはずなのにどうして涙が…?」
自身でも不思議そうに言ってから顔をくしゃくしゃにして泣く。
ヴィクトリオと呼ばれた男はそんな彼女の頭をいつものように撫でてやった。
彼女はこうして突如として泣いたりすることがある。
育ってきた環境が過酷だったためか、それを思い出してしまうのかも知れない。
ちょっと前までは夜泣きや過呼吸を起こしていたし、恐ろしい夢を見ると言っては、彼の寝所に勝手に忍び込んでちゃっかりと隣に寝ていたりもした。
「まあ、とりあえずだ。ちょいとここ数日は仕事で寂しい思いをさせちまったわけだが、そんな泣き虫のアリアにお土産がある!」
彼はそう言うと、アリアは「えっ!?」といって離れた。
その表情は嬉しそうなものではない。
むしろ、何か警戒と恐れを同居させたものに近かった。
「なんでそんな顔をするんだよ! って、ああこないだのこと根に持っているな?」
以前はそう言って、カエルを手に握らせたことがあった。
可愛いカエルだと思ったのだが、どうやら彼女はカエルが苦手だったらしく、悲鳴を上げる結果となった。
おかげさまでこの屋敷の衛兵は飛んでくるわ、屋敷の主であるエドワードからたっぷりと説教を食らった。
「今日はカエルじゃないぜ。毛虫でもない」
そう言うと、露骨に顔をしかめるアリア。
「しかも二つある」
「…カマキリが二匹…とか?」
怖々と言われてしまい、さすがに彼は悲しそうな顔をした。
「きちんとしたものだ。これを見ろ」
そう言って、彼が取り出したのは一つの首飾りだった。
宝石が埋め込まれており、中々に高価そうな代物である。
「…今回、《時計の迷路》で手に入れた代物だ。アリアの手土産にしようと思ってな」
「…でも!」
「どうした?」
「…わたしのような娘にこんな高価そうなものは似合わないのではないでしょうか?」
やや沈鬱そうな様子で彼女は言う。悪いところと言えばそれまでだが、彼女はどうしても自分を乏めるところがあった。
「そんなことはない! 絶対に似合う!」
まったく根拠はないが自身だけはたっぷりといった風に彼は言った。
「…まあ、今度気が向いたら付けてみてくれ。それとだな…」
そう言った彼がいつもは持ち歩かない杖のようなものを手にしていることにアリアは気づいた。
「これも同じところで手に入れたものだ。デリウスが言うには《光撃の杖》と言うらしい」
「光撃の…《古代の遺産》ですか?」
「ああ。光で敵を攻撃することが出来る」
しれっとして彼が言うと、彼女はとても怖々とした表情を見せた。
なにかひどく恐ろしいものをみるような目つきで杖を見ていた。
「そんな顔するな。護身用だ。旅をする時は危険が付きものだからな」
「旅…?」
「ああ。お前さん、俺と一緒に旅をしたいって言ってたろ? だから…」
そこまで言うと、ようやくアリアは表情を輝かせていたのだった。
彼女は前々からそれを望んでいたが、状況が許さなかった。
しかし、彼は彼女に旅をさせたいと思っていた。
世の中の美しいものを見せてやりたいと思っていた。
まあ、悲しいことはたくさんあって、別に悲しい時は泣いてもいいと思うのだ。
でも悲しいことは世の中に溢れているが、楽しいことや綺麗なものも世の中にたくさんあるのを知って欲しいとそう思ってのことだった。
◆◇◆
自分は勘違いをしていた。
まさか、あの思いがこんな結末を生むとは。
いや、まだ終わりではなく過程に過ぎない。
自分は自分のしでかしてしまったことに決着を付けなければならない。
そして、再びこの娘を助けてやらねばならない。
そう揺るがない決意を旨にして、キョウはこの冷たい影の迷宮の石畳を蹴っていたのだった。
今し方、吹っ飛んでいったセリアを見据えながら。
その彼女の首筋にはクロノスフィアと呼ばれた人の意識を乗っ取り、自在に操るという禍々しい《古代の遺産》が光っていた。
ひときわ華やかに映える色とりどりの花々が、煌めく魔法の舞台のように広がっていた。しかし、その中心に踊るのは花ではなく、その花にも負けない美しい楚々とした少女だった。
彼女の名はアリア。
その細いうなじの辺りにまで切りそろえられた波打った青髪は空を借りたかのような色彩を持っていた。そして、その黄金のような光を帯びる金色の瞳は星の導きを込めた指輪のように輝いていた。
「あれは、きっと海のような髪と、太陽のような瞳を持つ妖精だ」と、この屋敷の庭師は詩人のような調子で噂していたほどだった。
アリアの小柄な身体は綺麗に咲き誇る花々の間を静かに流れ、そして時折、目にとまった花びらに指を触れる。それはまるで、詩人が歌う物語の一小節のようですらあった。
「おい、アリア!」
その美しく静かな庭園に突如として響く男性の声。
ぶきっらぼうにしか聞こえない響きで呼ばれたにも関わらず、アリアと呼ばれた彼女は嬉しそうに向き直る。
「ヴィクトリオ様!」
鈴を転がしたような声で相手の名前を呼んで、彼女は駆けるようにして彼のほうへと近づいた。
「身体の調子はどうなんだ?」
「はい。おかげさまで!」
にこやかに言う少女。
だが、彼はあまり喜ばしそうではなかった。
まだ完調ではないのだろう。無理をして自分を心配させまいと笑顔を取り繕っているに違いない。
なにせ、この娘はあの暗い塔で口にするのをはばかれるような虐待を受けていた。
彼が彼女と出会った時には身体はやせこけ、目に光などはなかった。
その身体は傷だらけで心も完全に壊れていた。
年は一四歳とのことだったが、どう見てもそれより幼く見える。
食事も満足に与えられなかった環境では、その身体の発育と成長が充分ではないのだと感じさせた。
「ここはどうだ? いいところだろう?」
「はい。とても! こんなにも綺麗な花は咲いているし、みんなは優しいし…」
そこまで言って、急に彼女は涙を流し始めた。
そんな彼女を彼は優しく抱き止めていた。
「ごめんなさいわたし。嬉しいはずなのにどうして涙が…?」
自身でも不思議そうに言ってから顔をくしゃくしゃにして泣く。
ヴィクトリオと呼ばれた男はそんな彼女の頭をいつものように撫でてやった。
彼女はこうして突如として泣いたりすることがある。
育ってきた環境が過酷だったためか、それを思い出してしまうのかも知れない。
ちょっと前までは夜泣きや過呼吸を起こしていたし、恐ろしい夢を見ると言っては、彼の寝所に勝手に忍び込んでちゃっかりと隣に寝ていたりもした。
「まあ、とりあえずだ。ちょいとここ数日は仕事で寂しい思いをさせちまったわけだが、そんな泣き虫のアリアにお土産がある!」
彼はそう言うと、アリアは「えっ!?」といって離れた。
その表情は嬉しそうなものではない。
むしろ、何か警戒と恐れを同居させたものに近かった。
「なんでそんな顔をするんだよ! って、ああこないだのこと根に持っているな?」
以前はそう言って、カエルを手に握らせたことがあった。
可愛いカエルだと思ったのだが、どうやら彼女はカエルが苦手だったらしく、悲鳴を上げる結果となった。
おかげさまでこの屋敷の衛兵は飛んでくるわ、屋敷の主であるエドワードからたっぷりと説教を食らった。
「今日はカエルじゃないぜ。毛虫でもない」
そう言うと、露骨に顔をしかめるアリア。
「しかも二つある」
「…カマキリが二匹…とか?」
怖々と言われてしまい、さすがに彼は悲しそうな顔をした。
「きちんとしたものだ。これを見ろ」
そう言って、彼が取り出したのは一つの首飾りだった。
宝石が埋め込まれており、中々に高価そうな代物である。
「…今回、《時計の迷路》で手に入れた代物だ。アリアの手土産にしようと思ってな」
「…でも!」
「どうした?」
「…わたしのような娘にこんな高価そうなものは似合わないのではないでしょうか?」
やや沈鬱そうな様子で彼女は言う。悪いところと言えばそれまでだが、彼女はどうしても自分を乏めるところがあった。
「そんなことはない! 絶対に似合う!」
まったく根拠はないが自身だけはたっぷりといった風に彼は言った。
「…まあ、今度気が向いたら付けてみてくれ。それとだな…」
そう言った彼がいつもは持ち歩かない杖のようなものを手にしていることにアリアは気づいた。
「これも同じところで手に入れたものだ。デリウスが言うには《光撃の杖》と言うらしい」
「光撃の…《古代の遺産》ですか?」
「ああ。光で敵を攻撃することが出来る」
しれっとして彼が言うと、彼女はとても怖々とした表情を見せた。
なにかひどく恐ろしいものをみるような目つきで杖を見ていた。
「そんな顔するな。護身用だ。旅をする時は危険が付きものだからな」
「旅…?」
「ああ。お前さん、俺と一緒に旅をしたいって言ってたろ? だから…」
そこまで言うと、ようやくアリアは表情を輝かせていたのだった。
彼女は前々からそれを望んでいたが、状況が許さなかった。
しかし、彼は彼女に旅をさせたいと思っていた。
世の中の美しいものを見せてやりたいと思っていた。
まあ、悲しいことはたくさんあって、別に悲しい時は泣いてもいいと思うのだ。
でも悲しいことは世の中に溢れているが、楽しいことや綺麗なものも世の中にたくさんあるのを知って欲しいとそう思ってのことだった。
◆◇◆
自分は勘違いをしていた。
まさか、あの思いがこんな結末を生むとは。
いや、まだ終わりではなく過程に過ぎない。
自分は自分のしでかしてしまったことに決着を付けなければならない。
そして、再びこの娘を助けてやらねばならない。
そう揺るがない決意を旨にして、キョウはこの冷たい影の迷宮の石畳を蹴っていたのだった。
今し方、吹っ飛んでいったセリアを見据えながら。
その彼女の首筋にはクロノスフィアと呼ばれた人の意識を乗っ取り、自在に操るという禍々しい《古代の遺産》が光っていた。
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