上 下
2 / 48
一章

アリア

しおりを挟む
その日の彼女は行きつけの酒場へとやってきていた。
彼女は小柄でしなやかな体つきをしている。
その茶髪のショートボブがふわりと舞い上がり、愛嬌のあるネコのような表情を際立たせていた。その雰囲気は人なつこそうですらあった。
彼女ことアリアは酒場の中を見回した。
酒場はいつも賑わっている。本日もいつもと同様のようだ。
繁盛ぶりを感じる店内でアリアは顔見知りの給仕の少女、ユリの姿を見つけた。
「こんにちは、ユリ。今日も忙しそうね」
アリアはユリに微笑みかけながら挨拶した。
ユリはアリアを見てにっこりと微笑む。
「あ、アリアさん、こんにちは。今日も冒険お疲れ様です!」
ユリは快活な雰囲気が漂う13歳の少女だ。彼女は去年から酒場の中で給仕として働いていた。アリアは、彼女に冒険の話をすることが多く、ユリもアリアの話を聞くのが好きだった。
「ご生憎様。今日は冒険をしてきたんじゃなくて仕事を受けた帰りなの。冒険はこれから」
アリアはユリにそう話した。ユリは店の盛況ぶりにもかかわらず、アリアの話を真剣なまなざしで聞いていた。
「依頼ですか? 今度はまたどこかに出かけるんですか?」
ユリはアリアを見上げるような目で言った。彼女はアリアより若干背が低かった。
「フローズン・シャドウホール…」
その言葉を口にしたアリアの目はわずかばかりだが、険しさと厳しさを同居させていた。

      ◆◇◆

フローズン・シャドウホール。
その名が示す通り氷のように冷たく暗黒のように深く、そして、影のように危険なダンジョンである。
ダンジョンの入り口に立ち、その広大な空間を見上げると、深い暗闇が辺りを覆っているように見える。まるで、この場所には光が存在していないかのようだ。しかし、そんな暗闇の中にも、わずかな光が煌めいている。それはランタンや松明によるものであり、また、魔物が放つ微かな光によるものでもある。
このダンジョンは、広大で複雑な地形を持ち、進むにつれて謎や仕掛けが現れる。さらに、ここには人間の手によって設計されたとしか思えない、巨大な石像や機械が点在しているのだ。しかもその先には様々な種類の魔物たちが待ち受けている。
魔物たちは、人間を食べることで知られている。彼らは自分たちの生存のために、獰猛で凶暴な攻撃を仕掛けてくる。冒険家たちはこの魔物たちとの戦いに臨むため、様々な武器や装備品を用意する必要がある。
ここは人間の力だけでは決して打ち勝てない危険な場所である。しかし、その危険性こそが、多くの冒険家たちを惹きつける理由でもある。彼らはこのダンジョンの奥深くに眠る秘密を求め、勇気と知恵を振り絞って冒険に挑戦するのである。

      ◆◇◆

夜の闇に包まれた街道。
周囲には暗がりの中に物音が響き渡っている。森の中に潜む生き物たちの鳴き声が聞こえる。時折、空気の流れに乗って悪臭を放つ魔物の気配が漂う。
そして、それとは正反対に夜風自体は心地よく吹き抜け、星空は美しく輝いていた。
「それにしても今回の件はびっくりしちゃったわ」
アリアがそれを話すと、隣にいたエリックは「そりゃあね」と相づちを打った。
エリックは、火のような赤毛が特徴的な若い騎士だ。
けして大柄ではないが、顔立ちは端正で、優男風の風貌をしている。
この冒険者然とした中ではさすがに騎士という雰囲気はぬぐえず、ただ一人穏やかな雰囲気をしていた。
彼は野営の際にかかせないたき火に小さな木片をくべて、先ほどからアリアの話を大人しく聞いているのだった。
今この場所には三人がいる。
もう一人の仲間ランディは、二人の会話には参加せずに先ほどから一人で何かを考えているようだった。
冷静沈着で知的な雰囲気を漂わせていた。
鋭い金色の瞳が特徴的で、その目はどこか物思いにふけっているように見えることもあった。しかし、彼はその瞳で注意深く物事を観察し、きわめて状況を冷静に分析する力を持ってることをアリアは知っている。
それが冒険者ランディ。
少し襟足が長めの金髪を雑に後ろ手で縛っている25歳の男性だった。
「まさか王様直々の依頼が来るなんて思っていなかったわ。こんなことは初めてだもの」
「しかもあの悪名高い、フローズン・シャドウホールときた」
おどけたようにしてランディがしばらくぶりに口を開いた。
思い起こせば、一週間ほども前になる。
その日、アリアは簡素な石造りの建物に呼び出されたのだ。当初は依頼主は不明。だが、呼び出されてみれば、それは王様の使者。
そして、初老の彼の口から依頼された仕事が他ならぬ「フローズン・シャドウホールの探索」だったのだ。
「あの時は驚いて口が開きっぱなしだったと思う」
さらに言えば、話を持ってきたのは側近とのことだったが、依頼主は国王である。
内容の重さに一瞬頭が真っ白になったがそれはあえて言わない。
「珍しいな。中々に無茶ばかりしているアリアがもしかして怖じ気づいているとかはないよな?」
意地悪そうな笑みを口元だけに浮かべて、ランディが言った。
「まさか…」
即座に否定したが、その声は小さく、アリアは膝小僧を抱えるかのような体勢だった。
別に彼が言うように仕事の大きさに押しつぶされそうになっているわけではない。
ただなんというか。色々とあるのだ。
そして、それは歴戦の冒険者である彼女としても簡単なことではなかった。
それでもあの時、あの簡素な建物から出て思ったのだ。
《なんとしてでもこの仕事はやり遂げてみせよう。それが私の生き方の証明になる!》
アリアは心の中で、自分の力でこの任務を果たすことを決意した。
そして、そのために何回か一緒に仕事をして、実力も確かなランディに声をかけたのだ。
その彼は今ここにいる。依頼の話をしたときに一瞬だけ眉をひそめたものの、協力を約束してくれたのだ。
ちなみにエリックは旅に出る前日に行きつけの酒場へとやってきた。
やけに馴れ馴れしい態度で、依頼主、つまりはシルバートーン国からアリアを助けるために派遣されてきたということを伝えた。
恐らくはお目付役だろう。
冒険者が依頼を放棄、またはもしもダンジョン内にとてつもなく価値のある宝物や危険物があったとき、それを持ち逃げしたり適切に処理しないということがあり得るかも知れない。
過去にはその持ち逃げされた危険な古代の魔法遺物が戦争の原因になって、多数の死者が出た歴史もあるのだ。
まあ、こういう形態の依頼ではエリックのような存在がわざわざ任務としてくっついて来ることは、けしてないことではなかった。
もっとも、彼の場合、騎士団で何かをやらかして左遷のような形で、この任務に飛ばされたのかも知れない。
エリックの歳は今年で27歳らしい。
しかしながら、見た目は20そこそこに見える。最初であったときは雰囲気が雰囲気のため、騎士には見えず、どこかの商家のバカ息子かと思ったほどだった。
「それよりも俺が気になるのは、グリーンヘイブンの飯屋のランチのメニューだよ」
いつの間にか、食べ物の話になっていた。
アリアはエリックの台詞に呆れた表情を浮かべた。
「なんであなたはそう気楽なの? これからあの危険なフローズン・シャドウホールに挑むって言うのに。よく食べ物の話なんか出来るわね? それとも騎士ってそこまで強靱な精神力をもっているのかしら? 私はどうでもいいわ」
どんな料理があるのかをしつこく振ってくるエリックを冷たくあしらうアリア。
「そう言っていて、いざ現地に行ったらしこたま食うのはいつものことだけどな」
冷静な面持ちでいうランディに対して、アリアは頬を膨らませて抗議の意を示した。
元々愛嬌のある顔がますます愛嬌のある顔立ちになる。
まだ旅は始まったばかり。
風がやや強い、最初の夜の出来事であった。
しおりを挟む

処理中です...