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第6話 影の国
7 影との遊び
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それでもなんとか、るりなみは王宮へつづく橋のたもとに辿りついた。
橋のこちら側はひとっこひとりいなかったが、橋をわたった王宮の入り口に、衛兵の影が揺らいでいるのを見て、るりなみはごくりとつばをのんだ。
だが、軽く頭をさげながら横を通り過ぎても、衛兵の影はこちらに気づくそぶりもなかった。
王宮の入り口から続く回廊はがらんとして、いつもよりずっと天井が高く思えた。
日々なにげなく歩いているはずの距離が、今はとても長く感じて、るりなみはあせった。もっとも、本当に空間がゆがんでいて、回廊はとてつもなく長かったのかもしれない、なんてことも思いながら。
庭園を横切り、東の塔の三階のゆいりの部屋にたどりつき、深呼吸をして扉をあけた。
そしてるりなみは「あっ」と声をあげた。
「ゆいり?」
ゆいりがいつもそうしているように、扉に背を向けて、窓の向こうを見ている人影があり、るりなみは駆け寄ろうとした。
だが、その人物がゆいりのように見えたのは一瞬だった。
それどころか、鮮やかな色あいをした普通の人の姿に見えていたのもつかのまで、近寄ってみると、それはまぎれもなく影の人物なのだった。
「あ……」
るりなみはおびえて立ちすくんだ。影まであと二、三歩というところだった。
するとうしろ姿の影はいきなり伸び縮みしたかと思うと、ぐるりとるりなみの目の前に体の正面を回りこませ、ぎょろりとした「目」を向けた。
るりなみは固まって声も出せなかった。
影の「顔」はしわくちゃの老人のもので、どこか愉快そうにゆがめられていた。「目」はらんらんと金色に輝いて、るりなみをのぞきこんで笑うように細められた。
そして「口」が開いたかと思うと、しわがれた声が発せられた。
「おやおや、君がるりなみの坊やかい」
「あ、あ……」
たくさんの影とすれ違ってきたが、名前を呼ばれて話しかけられたのははじめてだ。
目の前の影の老人がただものでないことは明らかだった。
だが、るりなみのほうは、この老人に覚えはない。
「な、なんで、僕のこと……」
「どうしたんだい、すっかりおびえてしまって。ゆいりに会わせてあげようか」
「ゆいりに!」
るりなみは思わず叫ぶ。
影の老人はいじわるそうに笑った。
「ほうほう、本当にゆいりになついているね。そうでなくちゃね。わしも楽しくなってきたよ。いや、いや、ゆいりをこの国に招いたのはこのわしでね」
「えっ」
老人の正体はいまだにわからなかったが、その言葉から、老人がゆいりの知り合いであるらしいことは伝わってきた。
おそるおそる、るりなみは尋ねる。
「どうして、ゆいりを?」
「愛しているからさ」
「あ、愛して……?」
唐突なその言葉に、るりなみはうろたえた。だが老人は続けた。
「君もゆいりを愛しているようだね? そうでなくては、こんなところまで来まい」
その言葉は魔法のようで、るりなみの胸をきゅう、とつかんだ。
心の中がかきまぜられたかのように、わけがわからなくなる。
影の老人はそれを見透かして、自分のいたずらが成功したのを味わうかのように、何度もうなずいた。
「考えたことがなかったかい。身近な者のことをどれだけ愛していたか。会えなくなってから気づくのでは遅いのだぞ。まぁ説教はやめにしよう。遊びをしないかい、坊や」
「あ、遊び?」
「ゆいりはわしにとっても愛する者。君にとっても愛する者。ちょっと、力比べの遊びをしようじゃないか」
るりなみは返事もできずに老人を見つめた。
老人からは子どものような無邪気な心も感じたが、なにかとんでもないことを言い出すのではないかという感じもして、やはりおそろしかった。
「なぁに、身構えなくていい」
影の老人はるりなみの前に、すっと人差し指をさしだした。
「坊や、今からゆいりに会わせてあげよう。わしの中に、わしが招き入れたゆいりだ。ただし、いつもの、君のよく知っているゆいりだとは限らない。それでもそれを本物のゆいりだと思うなら、決してそのゆいりを放さないこと。なにがあっても。そうすれば、そのゆいりを連れ帰らせてあげよう。そういう遊びだよ、いいかい?」
「な、なにを……」
「わかったかい?」
老人はぐるり、と顔をふくろうのように回して、るりなみをのぞきこんだ。
るりなみはもう驚かなかった。
「わ、わかった」
「では」
影の老人は満足そうにそう言うと、るりなみの目の前の人差し指を、ぐるぐるぐる、と何回か回した。
とたんに、影の老人の中に吸い込まれてしまうかのように、目の前が真っ黒になった。
「ゆいり……!」
体のすべてがぐわんぐわんとゆがむような感じのする中で、るりなみは真っ黒な闇に包まれていった。
* * *
橋のこちら側はひとっこひとりいなかったが、橋をわたった王宮の入り口に、衛兵の影が揺らいでいるのを見て、るりなみはごくりとつばをのんだ。
だが、軽く頭をさげながら横を通り過ぎても、衛兵の影はこちらに気づくそぶりもなかった。
王宮の入り口から続く回廊はがらんとして、いつもよりずっと天井が高く思えた。
日々なにげなく歩いているはずの距離が、今はとても長く感じて、るりなみはあせった。もっとも、本当に空間がゆがんでいて、回廊はとてつもなく長かったのかもしれない、なんてことも思いながら。
庭園を横切り、東の塔の三階のゆいりの部屋にたどりつき、深呼吸をして扉をあけた。
そしてるりなみは「あっ」と声をあげた。
「ゆいり?」
ゆいりがいつもそうしているように、扉に背を向けて、窓の向こうを見ている人影があり、るりなみは駆け寄ろうとした。
だが、その人物がゆいりのように見えたのは一瞬だった。
それどころか、鮮やかな色あいをした普通の人の姿に見えていたのもつかのまで、近寄ってみると、それはまぎれもなく影の人物なのだった。
「あ……」
るりなみはおびえて立ちすくんだ。影まであと二、三歩というところだった。
するとうしろ姿の影はいきなり伸び縮みしたかと思うと、ぐるりとるりなみの目の前に体の正面を回りこませ、ぎょろりとした「目」を向けた。
るりなみは固まって声も出せなかった。
影の「顔」はしわくちゃの老人のもので、どこか愉快そうにゆがめられていた。「目」はらんらんと金色に輝いて、るりなみをのぞきこんで笑うように細められた。
そして「口」が開いたかと思うと、しわがれた声が発せられた。
「おやおや、君がるりなみの坊やかい」
「あ、あ……」
たくさんの影とすれ違ってきたが、名前を呼ばれて話しかけられたのははじめてだ。
目の前の影の老人がただものでないことは明らかだった。
だが、るりなみのほうは、この老人に覚えはない。
「な、なんで、僕のこと……」
「どうしたんだい、すっかりおびえてしまって。ゆいりに会わせてあげようか」
「ゆいりに!」
るりなみは思わず叫ぶ。
影の老人はいじわるそうに笑った。
「ほうほう、本当にゆいりになついているね。そうでなくちゃね。わしも楽しくなってきたよ。いや、いや、ゆいりをこの国に招いたのはこのわしでね」
「えっ」
老人の正体はいまだにわからなかったが、その言葉から、老人がゆいりの知り合いであるらしいことは伝わってきた。
おそるおそる、るりなみは尋ねる。
「どうして、ゆいりを?」
「愛しているからさ」
「あ、愛して……?」
唐突なその言葉に、るりなみはうろたえた。だが老人は続けた。
「君もゆいりを愛しているようだね? そうでなくては、こんなところまで来まい」
その言葉は魔法のようで、るりなみの胸をきゅう、とつかんだ。
心の中がかきまぜられたかのように、わけがわからなくなる。
影の老人はそれを見透かして、自分のいたずらが成功したのを味わうかのように、何度もうなずいた。
「考えたことがなかったかい。身近な者のことをどれだけ愛していたか。会えなくなってから気づくのでは遅いのだぞ。まぁ説教はやめにしよう。遊びをしないかい、坊や」
「あ、遊び?」
「ゆいりはわしにとっても愛する者。君にとっても愛する者。ちょっと、力比べの遊びをしようじゃないか」
るりなみは返事もできずに老人を見つめた。
老人からは子どものような無邪気な心も感じたが、なにかとんでもないことを言い出すのではないかという感じもして、やはりおそろしかった。
「なぁに、身構えなくていい」
影の老人はるりなみの前に、すっと人差し指をさしだした。
「坊や、今からゆいりに会わせてあげよう。わしの中に、わしが招き入れたゆいりだ。ただし、いつもの、君のよく知っているゆいりだとは限らない。それでもそれを本物のゆいりだと思うなら、決してそのゆいりを放さないこと。なにがあっても。そうすれば、そのゆいりを連れ帰らせてあげよう。そういう遊びだよ、いいかい?」
「な、なにを……」
「わかったかい?」
老人はぐるり、と顔をふくろうのように回して、るりなみをのぞきこんだ。
るりなみはもう驚かなかった。
「わ、わかった」
「では」
影の老人は満足そうにそう言うと、るりなみの目の前の人差し指を、ぐるぐるぐる、と何回か回した。
とたんに、影の老人の中に吸い込まれてしまうかのように、目の前が真っ黒になった。
「ゆいり……!」
体のすべてがぐわんぐわんとゆがむような感じのする中で、るりなみは真っ黒な闇に包まれていった。
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